第19章 古い歌と新しい式—喪失に名を与える

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第19章 古い歌と新しい式—喪失に名を与える


 王都南門の広場。石畳の上に簡素な壇が設けられ、椅子が円形に並べられていた。第二回公開対話の主題は“喪失”。

 集まったのは、伴侶を亡くした者、離縁を経験した者、婚姻の名を得られなかった者たち。彼らは賛成派でも反対派でもない。ただ、自分の人生にもう一度「名」を与え直せるのかを確かめに来た。


 冒頭、史官が古い羊皮紙を開き、朗々と読み上げる。

「花嫁は均衡を運び、均衡は喪失を言祝ぐ」

 ——失ったものを“無かったことにしない”。それこそが祈りの本質だと史官は解いた。


 俺は壇上に立ち、深呼吸をして声を整える。国境の夜に救えなかった兵士たちの名を、一人ひとり読み上げる。

「ルディオ・ハーン」

「ミラ・コーヴァ」

「カシアン・ロウ」

 声を刻むごとに広場は静かになり、沈黙の膜が降りてくる。

「均衡は、生きている人の痛みだけでなく、いなくなった人の痛みも分け合う手順です」

 そう告げると、会場には涙だけでなく、深い呼吸が広がった。


解く誓いと帰還の扉


 レオンハルトが壇に立ち、厚い声で言葉を編む。

「離さない誓いの応用として……別れるときの解く誓いを提案する」

 条文案が示される。別離後も互いの安全と尊厳を守り、復讐や呪詛を禁じる。別れも均衡の一部として、手順に落とす。

 彼の声は決して柔らかくはない。だが血をにじませながら守ってきた者の声だからこそ、会場に響いた。


 続いてディアスが影の裾を払って立ち、低く囁くように言う。

「出口の誓いを喪の儀に重ねる。家を出た者が、いつでも戻れるように」

 具体は簡単だった。地域の掲示板に三つの印を掲げる仕組みだ。

 ——檻(守る家)

 ——出口(助ける家)

 ——真ん中(一緒に座る家)

 困ったときに身を寄せられる扉を可視化する。ディアスの言葉は飾らない。それでも、人々は図を描くように理解していく。


喪失の均衡式


 式のハイライトは、新しい儀礼の実演だった。壇上に空の椅子が一脚置かれる。そこに座るのは、故人であり、失った関係であり、置き去りにされた時間そのもの。


 史官が手順を示す。

 ——三歩離れる。

 ——振り返る。

 ——三歩戻り、椅子に触れる。


 参加者全員が立ち上がり、椅子を囲んで同じ所作を繰り返す。誰かを置き去りにしないことを、身体で確かめる。

 老女が椅子の背をそっと撫でた。少年が花を一輪置いた。涙が混じった呼吸が会場を包み、空気の温度がやわらかくなる。


 反対派の文官の一人が、思わず手を叩いた。小さな拍手。すぐに止めたが、その一瞬が会場の空気を変えた。


花嫁の名は誰のものか


 終盤、議題は一点に絞られた。

「花嫁の名は誰のものか」


 伝統派の象徴として招かれた老巫女が立ち上がる。しわの深い顔に皺を寄せ、静かに言った。

「名は祈る者のもの」

 短い一句。

「ならば、名を増やしなさい。古い名を消すでない。新しい名を重ねなさい」


 その一言で、議場の空気は決定的に変わった。

 消すか残すかの二択ではない。重ねるのだ。


 俺は壇を降り、老巫女に歩み寄り、その手を取った。彼女の目には涙があった。

「あなたは良い花嫁だ。均衡を運ぶ者」

 その囁きに、胸が熱くなる。


 レオンハルトは照れくさそうに視線を逸らし、ディアスは珍しく目を伏せた。二人とも言葉にしなかったが、確かな温度がそこにあった。


台所の灯り


 夜。広場の喧騒が遠ざかり、小さな台所に三人で腰を下ろした。

 パン、スープ、焼いた根菜。贅沢ではないが、温かい。おごそかな歓喜ではなく、暮らしの実感。


 俺は匙を置き、静かに言った。

「俺はもう、ひとりで抱えない」


 二人は頷いた。肩が触れるだけの距離で、三人とも笑った。台所の灯りが柔らかく揺れ、鍋の中のスープが小さく音を立てた。


極光の兆し


 その夜、王都の空に薄い極光が揺れた。国境の地層が静かに落ち着いていく。

 均衡は、特別な夜だけに宿るのではない。毎日の皿洗いと同じ手の動きの中にこそ、生きている。


 その確信が胸に芽生えたとき、物語は静かに、しかし確実に、最終章へと歩みを進めていた。


⏰【次回も12:00/19:00/23:30に更新予定】⏰

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