第2話

「戻ってきてしまった」


 百舌鳥は再び〝白月館〟の前に戻ってきていた。


 その目的は、


 ⑴ ここが何処なのか、そして未確認生物の正体の情報を探ること

 ⑵ 森を通過するための武器を入手すること


 玄関でアホみたく扉を叩き続けていた未確認生物の姿はもう見られないようだ。

 とはいえ、まだ奴が玄関付近に彷徨いている可能性も考慮して別の入り口を探す事にする。


 広大な本館を音を立てない様に一周すると、玄関からちょうど反対に裏口の様な扉を発見した。


 百舌鳥は、扉に手を掛けてみる。


「鍵は……かかっていないようだな」


 百舌鳥は軽々しく開いた扉に拍子抜けな様子で、扉をくぐって中に入る。

 まだ住人がいる可能性も捨て切れないが、あんな生物が室内にいる時点でその可能性は低いだろう。


 奥へ続く廊下は比較的新しいものの、手入れされていないようでカビ臭い。やはり人は居ないのだろう。


 入って左手に障子で区切られた部屋、右手には分厚いガラス張りの巨大なテラリウムが、清潔感を感じさせる青みがかった光で煌々と照らされている。


 そのテラリウムは百舌鳥が侵入した裏口側を除く3方面をガラスで囲われているようで、中では小川を模した生態系が再現されていて、苔の生えた岩々で囲まれた水を小魚が泳いでいる。


 ガラス張りなのだから当然、テラリウムのガラス面に沿った向こう側の廊下の様子も見れるわけで―――


「……っ」


 向こう側を見た百舌鳥はすぐさま、壁に身を隠す。


 いた。


 廊下にはあの未確認生物が徘徊していた。

 しかも、こちらに向かってくる方向で。


(まずいな、このままでは鉢合わせる。)


 いかに奴の目が悪いといえども、どこまで見えているか明確には分からない。


 どこかに身を隠す必要があると踏んだ百舌鳥は、左手の障子をゆっくりと開けてその部屋に転がり込んだ。


 ――べたべたっ、べたっ…!


 廊下の奥から、裸足の足音が、濡れたように這い寄ってくる。


(気づかれたか! やはり異常に音に敏感だな…っ)


 しかし足音は部屋の目の前を通ると、そのまま遠ざかっていった。


(開けっぱなしにしていた裏口から出ていったか。知能が異様に低くて助かった)


 もし接触していたなら、強制的に戦闘開始。その音で、周囲の奴らも寄ってきていただろう。この館にどれくらい潜んでいるのかはともかく、武器も無い今、荒事は勘弁したい。


 やり過ごしたのを確認した俺は、逃げ込んだついでに部屋の中を探索していく。


 ちゃぶ台が中心に置かれた畳部屋。壁には掛け軸が掛かっている。掛け軸の絵は墨で描かれた竹。いかにも高級そうな絵だ。


 この感じからしてやはり日本は確定。この館の名前も白月館と日本語だ。


「亜寒帯気候に属する日本の領土…北海道の辺りかもしれんな……ん?」


 掛け軸を眺めながらそう呟くが、掛け軸付近の音の反響がおかしい事に百舌鳥は気づく。返ってくる声が壁に対するものとは言いがたいものだったからだ。


 百舌鳥は、掛け軸を捲り上げた。


 すると、


「……やはりな。にしても、まさか短刀・・とはな。地獄に仏とはまさにこの事か」


 鞘も鍔もない短刀が薄桃色の光を反射して、姿を現した。

 まるで『ようやく出番か』とでも言いたげに。






 テラリウムに沿った廊下を進んだ先は、シンクやソファー、テレビなどが集うリビングだった。

 どうやらこの館は、最近に作られたもので古風なデザインを組み入れた現代様式の建造物らしい。


 そうして、散策しているとひとつ気になるものを見つけた。それは、おそらくここの家主が書いたと思われる日記だった。


 百舌鳥は、雑な様子でペラペラと紙を弾き、最後あたりから読み始める。


 〈4月5日〉

 この地区が、【灰域かいいき】に指定された。そんな兆候はなかったはずなのに。いきなりの事だったので、今急いで【清域せいいき】に移住するための荷物をまとめている所だ。近年は物資不足と聞いているが大丈夫だろうか。いや、私たちが考えることでは無いか。


 〈4月8日〉

 私達は【清域せいいき】に向かったが、『感染が進んでいる』と言われ、門前払いされてしまった。ふざけるな! せっかく荷物もまとめて遠いところからやってきたのに、再び戻れって言うのか? 許容できるわけがないだろう! 検問所の奴らは無能しかいないのか。


 〈4月12日〉

 朗報だ! もうしばらくすると、掃討部隊? とやらがこちらにやって来て、奴ら…胎界種の駆除を始めるらしい。そしてそのついでに、私達市民に投薬をして、感染を止めてくれるそうだ! これで次は検問に引っかからないで済む。あいつらに一泡吹かせてやる。


 〈4月18日〉

 昨日から妻の様子がおかしい。時折、うなされるように頭を抱えるんだ。頭が痛いのかと思って頭痛薬を飲ませたが、一向に治る気配がない。


 〈4月20日〉

 ああ頭が痛いと言うのはこう言うことだったのか。辛かったろうに。妻はもう戻ることはない。無論、私もな。今は、彼らがいち早く到着するのを待つばかりだ。私達が飲み込まれてしまう前に。一刻も早く。



 記録されているのはそこまでだった。

 それ以降は、謎の粘液らしきものでページが固まっていて読むことができない。


 だが、かなりの収穫はあった。


「ふむ……つまりここは今【灰域】とやらに指定されていて、【清域】と区分されてしまった、と。文章から推測するに、【清域】は住民の主な生活域。【灰域】は何かの危険域といったところか。」


 そして出て来た重要語句、【胎界種】。


(これこそ、俺がこれまで〝未確認生物〟と仮の名で読んでいた化け物どもの正体だろう。

 そしておそらくこの夫婦は、【胎界種】に変形してしまう感染症にかかっていた。

 そのせいで、検問でも門前払いにされ、暫くは【灰域】で過ごすことを余儀なくされたのだ。その結果、掃討部隊が到着するまでに夫婦もろとも……。)


「とすれば、徘徊している化け物…胎界種どもは感染症に侵された人間の成れの果て、と言う事。なるほど、地地球外生命体ではなかったか」


 掃討部隊とやらが訪れた今、未だこの地にその感染症が蔓延しているのかは分からない。


「多少心配ではあるが……」


 おそらく問題はないだろう。


 百舌鳥はそう判断を下した。

 驕りではない。

 自己免疫系が異常に精密かつ強靭な百舌鳥は、体内のウイルスを徹底的に“管理”することが可能であるからだ。故に感染していたとしても全く支障を出さずに、むしろウイルスを完全抑制し、一部の感覚や身体機能を向上させることすら容易い。


「―――ッ!」



 その刹那。


 背中の皮膚がぞわりと逆立った。

 空気の密度が変わる。そこに「誰か」が立っている気配。


 反射的に右手の短刀を逆手に返すや、振り返ることなく背後の気配へと突き立てる。


 ――――ブシュゥッッ!!


 刃は迷いなく、首筋を正確に射抜く。


「部屋のド真ん中で停滞するのは少々危険だったか。……油断しすぎていたな」


 背後で血を噴き出しているのは白い身体、飾り程度に小さな眼を備えた顔面―――胎界種だった。


 百舌鳥は突き刺さって勢いを失った短刀を強引に振り抜き、胎界種の首を落とした。

 百舌鳥は、四肢を振り乱して崩れ落ちた胎界種をじっと観察する。


「ほう…胎界種も人間も体の構造はそこまで変わらないのか。遠目から見ると、手足の関節が多いように感じられたが、腕のあちこち骨が折れているのが原因か」


 胎界種となって痛覚がなくなったからなのか、身体のセーフティ機能が解除されたからなのか、身体の限界を超えた動きをするようになった結果、骨が粉々になった訳だ。



 ―――でっでででっ! べたっ、べたべたっ!


 ―――だっだっだ! べたべたっ!


 ――べたっべたっべたっ! べだだっだっだっ!!


「っ! 音に集まって来やがったか…!」


 静かに斬り落としたつもりであったが、流石に音が大きすぎたようだ。周囲の至る所から湿った皮膚と地面がぶつかる音が聞こえ始める。


 一匹は・ ・ ・渡り廊下の階段から。

 一匹は裏口から。

 一匹は靴箱の中から。


「想定以上だな」


 思わず百舌鳥が息を漏らすほどの数の胎界種が、こちらへ一直線に殺到してくる。


 そうかといって、なにも詰んだわけではない。終わったわけでもない。


「まあ、何も問題はない」


 むしろ、始まりはこれからである。

 短刀に付いた血液を振り払い、野太い風切音を鳴らす。

 百舌鳥は一瞬、獰猛な笑みを浮かべ、


「こういうのは慣れてる・ ・ ・ ・


 かくして胎界種と百舌鳥の初戦闘が幕を開けた。


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