【 胎 界 区 域 】The Redline ~ 化け物?知らん、俺が踏み砕く~

海月

札幌夢侵蝕編

第1話

 城と遜色ないほどの厳正な館がそびえ立つ湿地帯。

 雲に覆われた太陽が、かろうじて照らす鉄門には〝白月館〟と刻まれている。


 その門の手前、湿り気を多分に含んだ地面に佇んでいるのは一人の男だった。


 身長2m近くあるであろうその男。後頭部から首元にかけて軽やかに跳ねる髪が、整った中性的な顔を映やしている。

 全身は異様に筋肉質ではあるものの、その細いウエスト、美しい逆三角形型の上半身からは最早、上品さすら感じられた。

 

 どこからともなく現れた男は、目の前の建造物に圧倒された後、その翡翠色の線が入った黒目で周囲を一瞥した。


 周囲は空気が淀んで見えるような湿地。少し後ろに木々が連なっているのは分かるが人の気配はない。


 もしここに人間が一人でもいたならばこう言うだろう。


『お前さんはいったい何処から現れたんだ?』


 と。


 実際、この男、百舌鳥モズ本人にも分からないのだが。


「……どういうことだ?」


 気づけばこんな所にいたのだ、と言うのが百舌鳥の至極単純な主張だった。加えて、ここにくるまでの記憶が全く無い。名前などの基本知識以外のほぼ全てが頭からすっぽ抜けている。


 普通の神経であれば、突然の記憶喪失に半遭難状態ともなれば多少は取り乱すものだが、しかし、このような一般論をはじめに比較対象として開示するあたり、当然百舌鳥はそうではない。


 百舌鳥は取り乱すことなく、状況把握に努めるが、そもそも今わかっている情報といえば、


 目の前の館の名前が白月館であること。

 湿地帯であり、周囲の植生から亜寒帯気候である可能性が高いこと。

 自身が記憶喪失に近い状況にあること

 おそらく午後3時くらいであること


 とかなり少なく、現状を打開できそうな予想にはどうにも届きそうに無い。


 このままでは進展が望めないと考えた百舌鳥は、試しに目の前の館の門についたインターホンを押してみる。


 ………。


 反応はない。


ピンポーン、ピンポーン、ピンポーンピン、ピン、ピンポーン、ピン、ピンポーン


押す押す押す押す…。


がしかしやはり反応はないようだ。


「さて、どうしたものか」


 ところで百舌鳥には少々困った点があった。


「うむ、そうだな……凸るか。話はそれからだ」


 まさにこういう点である。









「なるほど、この館は敷地もでかいのか」


 身長211cm体重135kg、人間の限界を超えるほどの身体能力を持つ百舌鳥にとって身長の2倍もない程度の柵をこえることなど造作もなかった。


 門を越えた先ははかなり広大で、俗にいう寝殿造のような構造で、すこし歩いた先に橋のかかった池が見える。

 加えて、敷地の中央に居を構える館、その一階部分に付いている縁側が和風な雰囲気を醸し出しているのだろう。本館から伸びる2本の渡り廊下は別棟に繋がっているようだ。


「誰かいるか? いるなら道を聞きたいんだが!」


 百舌鳥はそう呼びかけるが、返事はやはりない。


 留守なのか。はたまたここが廃墟なのか。


「聞こえているなら返事をしてほしい!」


 どれだけ呼んでも一向に返事がないのに途方に暮れてしまった百舌鳥が、諦めて別の手段を取ろうかとしたその時。


 ―――ぺた、ぺた


 玄関をこえたその奥。磨りガラスになっていてみえないが、微細な振動をも感じ取る百舌鳥の鼓膜ははっきりとその音を拾った。


 人が歩く音だ。


 それはゆっくりとこちら側へ近づいてきている。

 床に足をつける音が湿っぽいのは裸足だからなのだろうか。


 ともかく、中に人が住んでいたのは僥倖だ。


「急で本当にすまんのだが、この辺りの地理について何か教えてもらえることはないだろうか? 時間はとらせ――――


 ―――だんっ


 大きな音を立てて玄関の磨りガラスが揺れる。詳しくは分からないが、くすんだ白い色をした人影がガラスの向こうにいるのが、百舌鳥からはぼんやりと見えた。


 躓きでもしたのだろうか。玄関前に来るまでの重い足取りを思わせる足音からして、足腰の悪いお年寄りか?


「どうか開けてくれな―――


 ―――だんっ


 百舌鳥の声に被せるように、再び音が鳴った。

 二度聞いても、やはり玄関の扉と何かが衝突する音だ。


「……大丈夫―――


 ――だんっ


「……では無さそうだな。」


 何らかの身体的障害を抱えているやもしれん。


 そう考えた百舌鳥は何か手助けできることがないか、と玄関に手を伸ばし―――


「……待て」


 刹那、百舌鳥が感じた違和感。それはほんの僅かで、本能的で、そして懐疑的なものであったが、それでも百舌鳥の動作を止め得るものであった。


 その違和感を一言で表すならば、


 〝形容しがたい気持ち悪さ〟。


 直感と本能に優れた百舌鳥の全身が、〝何かが違う〟と告げている。しなやかさと剛さが同居する筋肉はうねり、翡翠色の螺旋を描いた黒い瞳孔が開く。




「貴様……人間ではないな・・・・・・・?」


 ………。


 ……。


 …。


 ―――どん…どん…ばんっ…ばんっ…どんっ、どんっ、がん、がん、がんっ……どん、どん、どん、どんっ……ばたんっ! がんがんっ! ばた、ばた、どんっ! ばしぃんっ! がたんっ、ごんっ、ごんっ、ごん、ごん、ごんっ!! がんがんがんがんっ……ばぁんっ……ばぁんっ……ばあああんっ!! どんっ……どんっ……どこんっ……ばんっ、ばんっ、ばんっ、ばんっ……ばんっ! ばんっ! どんっ! どんどんどんどんどん!!!!


 小さな磨りガラスに白い腕のようなものが何度も叩きつけられ、その都度、それに付着しているナニカが磨りガラスに付着し、曇っていく。


 どうやら、自力では扉を開けることができないようだ。


 恐怖? そんなものは百舌鳥には無い。


「人型だが人ではない生物……地球外生命体。……いやいや、本当に存在していたのか?」


 目の前にそれらしき生物がいる以上、有り得なくもない話ではある。


 まあともかく、コイツがヒトではない事は理解した。

 現時点での推測に過ぎないが、コイツは俺の声に惹かれてこちらにやってきた可能性が高い。そして、扉を開けようともせず、ひたすらに叩き続けていることから、知能は人間以下と思われる。扉前に来るまでの足取りからして、歩行速度もかなり遅いよう。


 まるで、ゾンビ。某有名バイオレンスゲームの世界に迷い込んだ気分だな。



「まあ仮にそうだとすれば笑えん話だが」


 記憶が消えた状態で、こんな辺境に置いてかれてそこにある建物の中には人型の未確認生物が徘徊している状況。


 さすがに情報量が多い。


なお、言葉に反して自身の口角が不適に歪んでいるのを百舌鳥本人は知る由もない。


「ともあれ、この建物には入らない方がいいな。向こうの森から人里を目指す」


 そう判断した百舌鳥は、あれから途切れる事なく扉を叩いている未確認生物を横目に、白月館を後にした。









 それから約20分ほどが経ち―――。


 鬱蒼とした針葉樹林。相変わらずの湿り気を含んだ気候に不快感を感じつつも、通ってきた道の木々に印をつけて、百舌鳥は歩き続けていた。


 百舌鳥自身、森の中を歩くことに遭難するのではないかという一抹の不安はあったものの、いざ森を進んでいくと記憶にはないものの自ら身体が、森の歩き方、森林行動やサバイバルの基礎を教えてくれたのだ。


 これには百舌鳥自身も驚いたが、ここに来る前にソレ系専門の職業にでもついていたのだろう、とあまり深く考えないようにし、今はありがたく知識を有効活用させてもらうことにした。


 そうしてしばらく歩く事になるが、


 結論から言うと、そこで百舌鳥は館へ引き返すことを余儀なくされる事になる。




「なるほど、コイツらはデフォルトで徘徊しているのか」


 森林のある程度深い地点では、おそらく館にいた奴と同種の未確認生物達が何匹も跋扈していたのだ。


 ソレの皮膚はまるで腐った白蝋のようにくすみ、ところどころに斑のような灰色が浮かんでいる。乾いているはずなのに、ぬめりの気配すら感じさせるその肌は、光を吸い尽くすかの様に鈍い。

 また、四肢はひどく細く長く、肘や膝は関節の位置があやふやに見えるほど曲がりくねっている。

 埴輪を思わせる無機質な顔面に、申し訳程度についたふたつの目は、見るという行為をほとんど放棄しているようだった。

 その代わりに、わずかな空気の震えにさえ身を揺らす反応から察するに、やつが世界を捉えているのは――音なのかもしれない。


 そんな奇怪な生物が、見渡す限り何十匹と。


 奴らは本当に少しばかりの音の振動でこちらを向くので、音を立てずに静かに間を通って行くことも難しそうだ。


 戦闘は………避けられそうにないか。


 コイツらを素手で殺して回ることも何故か・ ・ ・できないこともないが、少々面倒だ。


「仕方がないが、戻るか。白月館に」


 取り敢えずは、武器調達だな。






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