現代怪談・奇談集

@chillnovel_i

オレンジ色の世界に行った話

 青い光が目の奥に焼き付いていた。


 以前の世界にいたのは少し前だった気がするのだが、随分と昔の気もする。

 それくらいに記憶が薄れつつあるのだが、忘れないうちにこの記録を書き記しておこうと思う。完全に記憶が無くなる前に。


 あれは1ヶ月前の日曜日だったと思う。前日に飲んだ酒が胃に残り、胃に微かに焼け付くような痛みがあった。何故か、青い光を目の奥、意識の奥に感じた。


前日に、隕石のニュースを見たのを覚えている。巨大な隕石が地球に落下する可能性が高いというものだ。ただ、落下地点は南太平洋の海域が想定されており、幸いにも人的被害は起きにくいとするものだった。


 寝起きで意識がはっきりしないなか、隕石の件はどうなっただろうかとテレビを付けようとした。


 何かおかしい。カーテンは締め切っていたのだが、隙間からオレンジ色の光が差し込んでいた。オレンジ色...?夕暮れでもないのに。カーテンを開けてみると、外の景色が異様に鮮やかなオレンジ色だった。窓の外に広がる景色はいつも通りなのだが、色合いだけがおかしい。寝すぎて夕方になってしまったのだろうか。


部屋の時計をみると、午前1時36分を指していた。深夜なのになぜ夕暮れなんだろう。


 外に出て様子を確認してみたかった。自宅のアパートを出て、家の前の道路を歩いてみたのだが、不気味なほど静かで、誰も歩いていない。


 完全な静寂。


 どの家からも何の音も聞こえない。車も走っていない。


 とりあえず近くの駅まで行ってみよう、そう思った。駅に行ってみたが、誰もいない。しばらく途方に暮れていると、遠くから何かが近づいてくる音がした。

 電車が来たようだ。久しぶりに動く物が見えて嬉しかった。運転席には運転手と思しき人が見えたが、よく顔は見えなかった。電車の中には乗客もいる。

この電車に乗った方がいいのではないか、直感的にそう思った。何より、人がいるところが恋しかった。


 電車に乗り込むと、乗客が全員寝ているのが分かった。誰一人として起きている者はいない。


 電車が動き出した。


 そういえば、車内アナウンスが無い。この電車はどこに行くんだろうか。


車内の電子掲示板もなければ、広告の類も一切無い。


しばらく電車に乗っていると、外の景色が見慣れないものに変わっていった。オレンジ色の光の中に江戸時代の城のようなシルエットが見えた。相変わらず電車の外に人間の姿はない。


異様なのだが、不思議と恐怖の感情はなかった。美しいような、恍惚と眺めていたのを覚えている。電車の中の人達は眠っており、一向に目覚める兆しはない。


電車はやがて速度を緩めた。駅に止まるようだ。近づいてきた駅のホームをみると、人が立っているのが見えた。人がいる。あの人なら何か知っているかもしれない。電車が停止してから、駅に降りた。その人は、中年の小太りな男性で、作業服を着ていた。こちらを見ると、少し驚いた顔をして、

「なんでこんな所にいるんだ?」

と聞いてきた。

私は、「分からないです。気付いたらここにいて...」と返した。


男性は少し考えた様子を見せ、

「今日は人数が本当に多かったからな。中途半端な人もいるんだろうな。」

と言った。続けて、

「今までの事、そしてここに来たことは忘れなさい。今から別の所に送るから。元に戻すことは出来ないからね...」と言った。


その瞬間、凄まじく青い光が目の前で炸裂した。起きた時に感じたのと似た青い光だ。


気がついたら、私は新宿駅の山手線ホームにいた。新宿に買い物に来たのを思い出した。それが1ヶ月前だ。


なにか夢でも見た、そう片付けるのが合理的だ。しかし、私には今、ふたつの記憶がある。作業着の男性と会う前までの人生の記憶と、今の人生の記憶だ。そのふたつの世界は、同じようで少し違っている。前の世界で使っていた言語は日本語ではあったが、今使っている日本語と少し違っていたと思う。親も兄弟も、友達も少し違う。何が違うかというと、分からない。既に前の世界の記憶が薄れつつあり、もう顔も思い出せない。


南太平洋に隕石が落ちたあの夜、何が起きたのだろう。オレンジ色の世界で会った男性は何の話をしていたのだろう。「元に戻すことはできない」とはどういうことなのだろう。

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