第3話 イザヤの屋敷

 イザヤの唇が私の頬に触れる。


「ちょっと!」


 私が制止すると、イザヤは渋々顔を放した。


「……いずれ結婚する仲なのに」


 何が結婚する仲よ。私とイザヤの仲は昨日から始まったばかりだし、使命感からの結婚だと盗聴したばかりだ。盗聴といえば。


「あらあら、慌ててきたものですからお背中に埃がついてますよ」


 私はそっとイヤリングをイザヤの後ろ襟から外すと、袖の中にしまう。


「ん? ありがとな。ライラはしっかり者だなぁ」


「お褒めに預かり光栄ですが、先ほどの……オレの屋敷に行くとは?」


 正直早く自宅に戻って休みたい。そんな私の気持ちはつゆ知らず、イザヤは声を弾ませる。


「結婚するんだから、オレと住むだろ?」


 結婚を受け入れたのは私だ。だからもちろんイザヤと夫婦生活しないと行けないのはわかっていたけど。


「今日、今すぐですか?」


「だってみんなに早くライラを見せたいし」


 そう言ってイザヤはにっこりと笑う。イザヤの笑顔って完璧すぎてどこか怖いわね。機嫌を損ねて今更魔女と言われても困るので、大人しく彼の屋敷に行くことにした。


「じゃあ、馬車まで大人しくな?」


 イザヤが私の目元に布を当てる。帰りも目隠しさせられるのね。大人しく目を瞑っていると、シュルシュルと目隠しされた。イザヤについて行こうと彼の気配を追う。すると、突然身体が宙に浮いた。


「きゃあ!? 一体なに!?」


「大人しくしてって言ったのに。ほらしっかり掴まって」


 もしかしてイザヤにお姫様抱っこされてる!?初めての経験に、身体が落ち着かない。でもイザヤはしっかりと私を受け止めていてくれて、落ちる心配はなさそうだった。



 ーーー



「よし、着いたぞ」


 椅子に座らせられた感触がある。しばらくしてイザヤが目隠しを取ってくれた。馬車に乗せられたみたいだ。


「……そんなにじっと見ないで」


 自分でもお姫様抱っこの恥ずかしさで出た赤面が治っていないのが分かるため、これ以上見られたくない。なのに、この男ときたら馬車の移動中ずっと私の顔を見ていたのだ。本当に性格が悪いんじゃないかしら。


 赤面が治った頃、気になっていたことを聞くことにした。


「教えていただけないでしょうか? 私、詳しく知らないから、貴方のことを」


 私がこの男について知っていることといえば、イザヤという名前と異端審問官であるということ。


「へぇ……オレのこと知りたいんだ?」


 イザヤはじっと私の目を見つめる。細められた目がどこか蠱惑的でドキリと胸が脈打った。


「そういう事じゃありません。結婚相手の家名すら知らないなんて論外だと言っているんです」


 私は胸の高鳴りを霧散させるように、矢継ぎ早に話した。


「それもそうだな。……改めて自己紹介しよう。オレはイザヤ・エリシオン。エリシオン公爵家の次男坊ってとこだな」


 エリシオン公爵家!?爵位を買ったついでに、私は王国の貴族についても勉強していた。エリシオン公爵家は、このルミナリア王国の国王の忠臣として名高い上級貴族だ。私、そんな人と結婚しなきゃならないの!?でも、既に私は半年間の結婚生活に賭けてしまっている。ライラ・マグノリアなら、公爵家次男の嫁も出来るわよ。

 またイザヤが私の顔をじっと見つめている。


「ライラの百面相は面白いな」


「ポーカーフェイスとよく言われるのですが……」


「オレからすれば、分かりやすいけどな」




 そうこうしているうちに、馬車は目的地にたどり着いたようだ。イザヤが、馬車から降りる際に手を貸してくれる。私たちの目の前では、使用人が頭を下げ、出迎えていてくれた。


「おかえりなさいませ、坊ちゃま」


 執事が深々と頭を下げる。歳は五十歳くらいだろうか。白髪混じりの髪を丁寧に撫でつけている。


「坊ちゃまはやめてくれよ、シルバ」


「失礼しました。ご主人様」


 私は、スカートの裾を軽く持ち上げて名乗る。


「ライラ・マグノリアでございます」


「オレの妻になるんだ」


 イザヤがすかさず付け足した。シルバは一瞬目を見張ったが、直ぐに穏やかな笑顔になる。


「ようこそ、いらっしゃいました。ライラ様。お屋敷をご案内いたします」


 私は二階のゲストルームに通された。シルバは「奥様の部屋が準備できず、ゲストルームとなってしまい申し訳ありません」と謝っていたが、当日突然連れてこられた妻用の部屋を用意するなんて無茶だ。私は「お気遣いありがとうございます」と感謝を述べると、ゲストルームを見渡した。

 木目と装飾が美しい家具は、派手過ぎずに落ち着ける空間を作り出している。とてもセンスの良い部屋だ。

 部屋を観賞していると、ノックが聞こえた。私は「どうぞ」と言い、声の主を部屋に入れる。入ってきたのは、二人のメイドだった。


「ご紹介遅れまして申し訳ございません。わたくし、カーラと申します。こちらは、リナです」


「リナです。ライラ様、夕食の用意の間、お風呂はいかがでしょうか?」


 カーラは、赤毛の髪をキッチリとまとめて隙を感じさせない雰囲気を醸し出していた。リナと言ったメイドは、ミディアムの茶髪が緩いカーブを描いている。くせっ毛なのだろうか。

 そういえば尋問室が異様に血なまぐさかったから、私にも匂いが移ってそうだと思い、申し出を受けることにした。


「ええ、いただこうかしら」


 一つ気になったのは、リナの身体がカタカタと震えていたことだ。



―――


「お加減はいかがでしょうか?」

 

 カーラが優しく髪を湯で梳かしてくれる。


「ええ、とても気持ちいいわ。ありがとう」


 やっぱりお風呂は最高ね。湯につかりながら、そんなことを思っていると、リナが用意した洗髪剤の匂いが香ってくる。


「あら? この匂いってうちの洗髪剤のハーブの匂いね」


 カーラの手の動きが止まる。


「……ライラ様、うちのって?」


 突然、抑揚もない声色で質問をしてくる。どうしたというのだろうか?


「え……、私の店のメゾン・ド・リュミエールの商品の洗髪剤じゃないかなと思ったのだけど……違った?」


「奥様! 奥様がメゾン・ド・リュミエールの女主人なのですね!? そのお姿から噂で聞くマグノリア様と一致していたので、もしやと思っていたのですが。恐縮ながら私はお姿を拝見したことがなく、確信が持てていませんでした。私、私、感無量です!」


 カーラが興奮した表情で、目を輝かせながら話す。


「カーラ先輩は、メゾン・ド・リュミエールの熱心なファンなんです」


 リナが解説してくれる。


「そうなの? 熱心なファンがいてくれるのは、嬉しいわ」


 本当に嬉しいことだ。商品は買ってくれる顧客がいなければならない。それにここまでの熱量を持ってくれるなんて、女主人としては鼻が高い。


「メゾン・ド・リュミエールは、女性の憧れですもの。私、俄然お仕事にやる気が出ました」


「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわね」


 やる気を持って仕事に望んでもらえるのはいいことだ。しかし、反対にリナの反応が気になった。彼女の身体の震え、そして暗い表情。


「……教えてほしいのだけど。一番歴が長い使用人は、シルバよね?じゃあ、次に歴が長い使用人を順に教えてもらえるかしら?」


「ええ、そうです。次は、料理長だと思います。その次は……あ」


 リナが答える。やっぱり。この子の身のこなしから分かっていたけれど、事情を聞かないとね。


「メイドは全員新しく雇われたということね。カーラは、メイド経験者で、リナは今回が初めて?」


「すごい! どうして分かったのですか?」


 リナの身のこなしから、彼女が初心者だと分かったのは、私自身もメイドの経験があるからだ。奥様としてここにいる私は、貴族だからそれは言わないけど。それに――。


「料理長の次に言葉に詰まったでしょう? 普通なら、メイド長が歴が長いはずだもの」


「そっか。そうですよね」


 リナは納得したように笑う。


「それで貴方たちが新しく雇用されたってことは、前のメイドは総入れ替えされたってことよね。どうしてだか、知っている?」



「そ、それは」とリナは途端に声を震えさせ始める。


「それは、ご主人様の機嫌をメイドが損ねたからです。メイドが気を効かせてご主人様のお世話をしようと奮闘したら、余計なことをするメイドはいらないと、全員をクビにしたそうです」


 カーラが、リナの代わりに答えてくれる。


「それに、メイド長を鞭で折檻したって噂を聴きました。それも皮膚が破けて肉が露出するくらい激しく! 高収入に釣られて応募しちゃったけど。もしかしたらご主人様の機嫌を損ねて、そのうち折檻されるんじゃないかって、怖くて怖くて……」


 リナが震え始める。たしかにイザヤなら全部してしまいそうだけど。


「……はぁ。従業員を怯えさせるなんて、一番やっちゃいけないことだわ」


 私は、小さな声で呟く。半年間はここで妻をしなくちゃいけないんだもの。これは、見直しが必要ね。


―――


 お風呂から出ると、用意されていたドレスに身を包み、ダイニングルームに向かった。


「あ、ライラ! お風呂上りも色っぽいね」


 イザヤが席に座っていた。私も用意がされている向かいの席に座る。イザヤは白いブラウスとラフな格好をしていた。イザヤの顔は改めて見ると、物凄い整っているためラフな格好も似合うのだなと分析した。


「……エリシオン様は、うちの商品を使ってくれているのですね」


「……その呼び方」


 イザヤがジト目で私を見つめる。


「イザヤ様は――」


「イザヤ」

  

 イザヤの言葉の圧が強い。


「……イザヤは」


「うんうん、結婚するのに名前呼びじゃないのはおかしいからな」


「なら様付けでも良かったのでは?……公的な場では、様付けしますからね」


 これ以上の押し問答も面倒くさくなり、話を切り上げる。するとシルバが私の目の前に料理を運んでくれた。ポタージュのようだ。私は、そっとカトラリーでスープを掬い、口に付けた。うん、美味しい。料理好きだと自負しているが、これはなかなかの味だ。どうすればこの味が再現出来そうか分析していたところ、イザヤが口を開く。


「うーん、美味しいんだけどライラの料理の方が心が温まるんだよなぁ。いっそ、料理長をクビにしてライラにご飯を作ってもらうか」


「私、シェフになるためにここに来たんでしたっけ? イザヤ様がお望みなら、結婚相手からシェフになりましょうか?」


「わーーーっ! ごめん、冗談だって! だから結婚相手も呼び捨てもやめないで!」


「分かってるならいいんです」


 料理を褒めてもらえることは、嬉しいけど仕事を奪うことは違う。私は次に運ばれてきた魚料理もしっかりと味わった。



―――


 食事の後、シルバに料理人に直接感想が言いたいと伝え、キッチンまで案内してもらった。


「今日のお料理とても美味しかったです。初めまして、ライラ・マグノリアですわ」


 私が挨拶をすると、料理長だろう男性が頭を下げた。こげ茶色の髪をコック帽にしっかりとしまった、三十代手前くらいの男性だった。


「お口にあったみたいで何よりです。料理長のテオと言います。昼食と夕食を担当しています」


「昼食も楽しみにしていますね。あら? 朝食は貴方の担当じゃないのね」


「朝食はメイドの担当だったのですが、事件があって……。それからご主人様は、お飲み物しか朝は召し上がっていないんです。ライラ様への朝食は、きちんと用意するように言いつけますので」


 朝食は食べないねぇ。私の家ではガッツリ食べていたけど。


「そうなの。なら、朝食は私の分も作らなくていいと伝えて?」


 はぁ、とテオは困ったように相槌を打つ。


「そのかわり――。私が朝食を作るわ」

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薄幸の悪女は狂った異端審問官に溺愛されても諦めない 洲崎ゆう @SuyuN

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