第29話「聖戦に備えよう」
「明良くん、これは一体どういう状況なんだと思いますか」
二つに割れた聖女教会の面々を見て何も言えずにいた明良に、奏がもう一度問いかけてくる。そんなこと聞かれても、明良は知らない。というか、ずっと奏と一緒にいたのだから、奏の知らないことを知っているはずがないのだ。
それぞれを何らかの勢力であるとするなら、片方の筆頭は我らが藤原公麿、もう一方の筆頭はこれまた我らが福島耀であった。
「これが宗教戦争ってやつじゃないか? ほら、キリスト教でいうならカトリックとプロテスタント的な」
「なんで私の知らないところでこう、ハチャメチャなことになってるんですか! 私はただ明良くんと一緒に楽しく過ごしたいだけなのに」
はあ、と奏は大袈裟に溜息をついて、明良の手を取った。
「君は何も分かっていない。聖女様は我々の理想であり、完成された美じゃないか。もしそこに一点の曇でも現れそうなのであれば、我々がすべきことはその曇をふき取ってあるべき姿に正すことに他ならないんじゃないか。君たちは聖女様聖女様というけれど、結局のところは聖女様などどうでもいいんじゃないのか」
福島がそう口火を切って、藤原に詰め寄る。いかにも迫力を込めたそのいい方は、聖女カフェに来店中の全ての客が気圧されるほどのものであったけれど、そんなことに気づけるほど周りを見ていられようはずがない。
すっかり喧嘩腰の福島は、藤原の襟首を掴んで持ち上げでもしそうな勢いであった。
「何を、愚かなことを」
藤原のすごいところは、そんな福島にちっとも気圧されていないところであろう。露ほども恐怖などないと見え、堂々たる立ち姿で福島の目をじっと睨み返していた。
「我らが理想と現実におわす聖女様を
現代語で話せよ、などという言葉は誰からも上がらなかった。
つまりは、四方山奏という一人の女の子を推すか、あるいはその聖女像というありもしない偶像を崇拝するかというような話であって、明良からしてみればそんなもの考えるまでもないことだった。福島の主張など、明良にとってみれば聞くにも値しないし、何の権利があって奏の曇とやらをふき取ると言っているのか。そもそも奏は生まれてこのかた一度たりとも曇ったことなどなくて、もし曇っているように見えるのであればそれも含めて奏という一人の女の子の姿じゃないのか。
なんだかふつふつと怒りが湧いてきて、手に力が入る。
「明良くん?」
奏に声を掛けられて、ふと明良は我に返った。一体、明良が怒ったらどうだと言うのか。
「ああ、ごめん」
「ありがとうございます。明良くんのそんなところが私は……あ待って今じゃないです絶対」
「おう、そうだな、絶対今じゃない」
「危ないところでした」
あはは、なんて笑いあう。
「渡良瀬ェ!」
「え、俺?」
せっかく奏と和やかな雰囲気になってきたというのに、一体何の用があるというのか。
「邪魔しないでください」
「なっ!」
「聖女様! 目を覚ましてください!」
「どうしてそんな奴ばかり……!!」
「聖女様の選んだ男に大してそんな奴とは、なんたる不敬!」
「不敬だと!? 聖女様が道を外れたときには教会で正すべきだろうが! それこそが聖女教会の意義であって、聖女様を守ることこそが何よりも優先されるべきことだ!」
「何が道を外すだ! そもそも聖女様の意思に介入しようとすることそれ自体が不敬で、許されざる愚行じゃないのか! 聖女様は一人の人間として、誰にも侵されず、そこにあるだけで我々を幸せにしてくれるからこその聖女教会だろうが!!」
「あ、明良くん、私は明良くんになら犯されてもご、
「あ、こら手の平にキスすんな汚いだろ」
「渡良瀬ェ!! 許さん!!!!」
「うるせえよ誰だお前!!!!!!」
「そこまでだ!!!!!!!!!!!!」
今にも殴り合いの喧嘩に発展しそうな教室に、聞き覚えのあるアルトボイスが響き渡る。
「か、会長……」「生徒会長だ……」「氷上!?」
「さっきまでえっちしてたとは思えない威厳ですね」
「言ってやるなよ」
しんと静まり返った教室に明良たちの声はよく届いたことだろうが、誰も氷上の気迫に口を開くことはなかった。
「…………おほん。――お前たち聖女教会の派閥争いについては知ったことではないが、しかしここはあくまで1-Cの模擬店であることを忘れてはならない。したがって、お前たちの宗教戦争の場は別で設けよう。つまり、明日、今日グラウンドでやったあのバカげたイベントの会場を流用し、議論の場とするように手配した」
その宣言に、再び教室がざわめきを取り戻す。
「されば、明日、舞台上で堂々と議論をせよとの仰せでしょうか」
藤原が、握りしめた拳を身体の後ろに隠して言う。
「そうだ。それが何になるというわけではないが、聖女教会は今や学校全体を包摂するほどの規模を持ってしまったのだ。そのような組織が、醜くも崇拝する対象の捉え方で戦おうというのだ。事は君たちの間で殴り合いをして簡単に解決するような段階ではない。詳細はこれから会議の上通告するが、今日はこのあと演劇部の舞台もあるのだ。今日のところは彼らの舞台でも観劇して、日を改めて正々堂々と意見を戦わせろ。では、この場の聖女教会の者のうち、聖女カフェ運営に関係の無い者はさっさとここを出ること。以上。あ、あと決して生徒会室で私が佳孝とえっちしていたなどということは言いふらさないように」
そうして迎えた翌日、朝奏と一緒に校門を抜けると、校庭の方ではすっかり「大告白大会」の看板などは消え失せ、代わりに「聖戦」とだけ書かれた大きな看板が掲げられていた。
「すごいですね、いつ作ったんでしょうか」
「俺たちが舞台上でキスしてる頃じゃないか」
「なかなかの騒ぎでしたねぇ、あれ」
相川も、やめておけばいいのに脚本にキスするシーンなど入れるものだから、大変な騒ぎだったのだ。一体どんな気持ちで感動的なBGMを福島が流していたのか、明良は昨日の夜それを考えていた。
「あの間にこれを作ってたんなら、見てないんじゃないのか、劇」
たしかに、と奏は右手をぐーにして左手を打った。
「しかしまあ、でかい舞台ですね」
「しかり」
「うわお前どっから生えてきたんだよ」
下から生えてきた藤原が、奏と明良それぞれに紙を一枚押し付けてくる。でかでかと聖戦と書かれたそのチラシには、今日の午後一時から聖女協会の雌雄を決する一大論戦を執り行う旨が書かれていた。
「だから一体いつ準備をしてるんだよ」
「徹夜なんしたる」
言われてみれば、確かに藤原は目の下に隈をこしらえていた。
「あの、ゲストってなんですか」
奏の指を辿って見れば、そこにはこんな風に書かれている。
ゲスト:四方山奏
渡良瀬明良
「一体いつ俺たちが出るって話になったんだ」
「あんまり大騒ぎになると、今日は私の両親が来るらしいので、こう、問題があると言いますか、なんと言いますか」
奏はそう言って、指を遊ばせた。
「どうせ来るなら昨日にすればいいのに」
演劇部の公演は昨日だったのだから、娘の普段の様子を見るなら演劇部の公演がある日に来るに越したことはないだろうに。
「まあ私としては、今回の演劇もまた明良くんとイチャイチャするシーンがありましたから、そういうのを見られないためにも、都合がいいと言えばそうなんですが」
奏はそう言うと、あははと口元だけ笑った風に見せた。
「明良くん、もし午後になって明良くんのそばにいられなかったらすみません。でも、多分うちの親はその、あんまり男女交際とか、あ、まだ付き合ってないですけど、そういうの、許してくれるタイプじゃないので」
「なあ、奏、本当は」
「なんですか」
「いや、なんでもない」
――本当は、お父さんやお母さんにも自分のありのままの姿を見て欲しいんじゃないのか。
そうして時計はすぐに一周二周三周と回って、時刻は既に十二時五十分と、間もなく一時を回ろうとしていた。舞台中央にある、昨日の「大告白大会」で氷上が審査員として座っていた席には奏と明良が二人仲良く並んで座り、その左右には各派閥代表として藤原と福島が向かい合い、にらみ合って座っている。それぞれの座席にはマイクが設置してあって、全校にこのバカげた論戦をラジオにして伝えようという試みらしい。これはなんでも、放送部の提案だとか。
そうして時計が一時を指し示したとき、舞台の中央には三橋くおんが立っていた。
「なんで?」
明良がマイクに向かってそう呟くと、三橋が明良の方を向いて一言。
「なんか司会進行任されちゃったんだよね。多分あれじゃない? いざってときに福島を御せるようにって」
「ああ、理解」
「ってわけで、聖戦はじめまーす」
「うおおおおお」「渡良瀬明良を殺せー!」「聖女様~~~~! 幸せになってくれ~~~」
「ではまず初めに登場人物のご紹介です。仮に「聖女派」としましょう。代表は一年C組の藤原くんです」
「会長!!!」「俺たちの聖女様とその最愛の恋人を守ってくれ!!!!」
「あの、まだです。いやまあこの際最愛なのはいいんですけど恋人では」
「続いて――悪意しかない台本ですね、この台本――まあ、「過激派」としましょう。代表は福島くんです」
「渡良瀬明良を殺せー!!!!」「聖女様は誰とも付き合わないんだ!!!!!」「目を覚ましてください!!!!」「渡良瀬明良は直ちに聖女様から手を引け!!!!!!!!!!!」
「うるせぇな」
「なお台本に関する苦情等は一切受け付けていませんがこの台本を書いたのは生徒会長と演劇部部長であると申し添えておきますので苦情はそちらへどうぞ」
「権力の濫用だ!!!」「認知戦だ!!!」「デマ反対!!!」「聖女様、我々は過激ではありません!!!」「三年生なのは相手が悪いだろ!!!!」
「うるさ、苦情等は一切受け付けてないんだってだから」
はあ、と三橋は深く深く溜息をつくと、改めて顔を上げて表情を作った。
「それではこれより、聖戦を始めます!」
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