第14話「OKIKU’s SHOWは大盛況」
さて、いよいよお菊の皿上演当日となった。つまり、一学期の最終日、終業式が執り行われる日である。演目は無駄な人脈を以て生徒会により大々的に宣伝され、いまや劇が行われることは学校中の知るところとなった。まさか生徒会長その人が終業式で宣伝するなどと誰が思っただろうか。
全体での終業式も既に終わり、一学期最後のホームルームも華僑を超えたところである。夏休みの課題は出揃い、用事の無い生徒はあとは挨拶をして家に帰るだけとなった。ホームルーム委員の号令と共に立ち上がり、クラスでさようならと挨拶をすれば、晴れて明良たちは高校から一時の解放を許され、夏休みとなるのだった。
だが、クラスにはほとんど、その号令を以てすぐに家へ向かう者も、部活動に向かう者も、なんならトイレに行く者さえいない。
つまり、みんな奏のお菊さんを一目見てやろうと、気分は江戸の町人たちと言ったところだろう。
「さあ、じゃあ、いきますよ、明良くん」
奏は振り返って明良に笑いかけると、荷物を背負った明良の手を掴む。白くてきめ細やかな手は確かに熱を持って、明良の手首を優しく握っている。
――すっげー注目されてるよ。
当たり前である。みんなの憧れの的、四方山さんに手を引かれる男など、この世に存在していいはずがなかった。だが誰が奏の手を振り切れようか。そんなことしようものなら、それはそれで、皆の非難が集中すること請け合いである。前門の虎後門の狼とはこのことかと、明良はこの頃思うことが多かった。
手を引かれ到着したのは、体育館だった。本来ならば会場は視聴覚室の予定だったのだが、終業式後あまりに部員のもとに問い合わせが殺到したために、生徒会と協議の上学校側に掛け合って体育館を押さえたのだとか。一体どれだけの根回しをしたのか、考えたくもない。
「照明とかそのまま使えるし、手間掛からなくていいね」
とは、照明の木村談である。大道具小道具その他諸々を視聴覚室まで運ぶ手間もなくなった。
「でも、まさかこんな大ごとになるなんてね、前代未聞じゃない?」
緞帳をすこし捲って客席――つまり体育館を覗いた相川が、そう呟いている。明良もちらりと外を覗けば、生徒会の面々がわざわざ最前に柵を立ててくれており、野外フェスもかくやという有様だった。少しでも近くで奏のことを見ようと、男どもが押し合い圧し合い。既に気温が三十度を超える日もあることを考えれば、むさくるしいことこの上ない。この学校の体育館が冷房完備であることにこれほど感謝したことはなかった。
「すごい人ですねぇ」
奏がすぐ横から顔を覗かせた。衣装は生前のお菊仕様で、花柄の綺麗な小袖である。髪型は一旦和風にまとめ上げており、ばっちりメイクも施されている。いつもより少し濃い唇は、なんだか吸い込まれそうになってしまう。
「流石、聖女様の人気はすさまじいな」
明良がそう言うと、ぺし、と肩を叩かれる。
「からかわないでくださいよ、もう」
奏はそう言うと、ちょっと頬を膨らませて緞帳から離れていった。
それと入れ違いに、相川が福島を引き連れて明良の横にやってくる。
「この観客の人さ、丁度いいから使っちゃおうよって話になって。アッキーも、最後の方のシーン、観客の方の、最前の柵より舞台側のところに二人でいって、そこでやろう」
「あ、おっけーです」
「じゃあ、もうすぐ本番ってことで、スタンバイしよう」
体育館を閉め切って、真っ暗な状態が作り出される。一応一番後方の扉だけは開いているから、完全な暗闇というわけではないが、それでも怪談をやるには十分な暗さだろう。
――やるのは、怪談ではないが。
開演直前、もう一度緞帳をすこし開けて客席を見ると、さきほどよりも人は増え、体育館の半分以上を人が埋めた状態になっていた。全校生徒が集合していると言っても過言ではないだろう。
ブザーが鳴り、幕が上がる。上手袖から明良と福島が走って登場し、下手側で座布団に座る三橋演じる隠居のもとに向かう。
「おお、二人とも、来たかい、そんなに急いでどうしたんだ」
隠居の言葉に、明良と福島、男二人はそれがね、とこの間あった話を始める。つまり、千葉の方へ行ってきたら、江戸の
「それで二人で恥かいちゃったって具合なんすよ」
「ね、隠居さん、番町皿屋敷ってな一体、どんな話なんですか」
二人でそう詰めよれば、隠居は腕を組んでうんうんと頷く。
「そうかそうか、もう今の人たちは知らないんだね、皿屋敷の話を……。時間の流れってな早いもんだね、そうかいそうかい」
「そういうのはいいんで、皿屋敷ってな一体なんなんです」
「江戸の番町、あすこらにね、昔旗本で青山主膳というのがいたんだな。で、その下女にお菊さんてのが居たんだが、これがたいそう美人だったそうだ」
「へー、美人すか」
「そう、美人。だから青山主膳このお菊さんてのを何とかして自分の者にしたいというんで、言い寄ってたんだが、お菊さんには亭主がいたんでこれを何度も何度も断ってたんだそうだ。そのお菊さんてのは、青山家の家宝、十枚組の皿を守るのが役目だったんだが、ある日青山主膳、あまりに自分に靡かないお菊に腹を据えかねて、自分でこの皿を一枚割って、お菊さんに濡れ衣を着せたってんだね。可愛さ余って憎さ百倍というやつだ」
隠居がそう言うと、ほわほわほわほわ、とSEが鳴って、下手側の照明が落ちる。その隙に明良は小走りで上手に向かい、上手に用意された座布団に座って偉そうな恰好をする。
イメージを演出する、というやつである。
上手側に照明がついて、明良扮する青山主膳と、その向かいにはお菊こと奏が頭を下げひたいを地面につけている。
「お前がやったんだろう!」
「いえそんなはずはございません、もう一度数えてごらんにいれましょう……」
お菊はそう言って、手もとの皿を数え始める。
「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚……九枚…………」
「やはり九枚しかないではないか! お前がやったのだろう! さあ、言え!」
お菊の着物に手を掛け、身を起こさせる。その目には本物と寸分違わぬ恐怖が灯っていた。
「お前がやったのだろう……!」
「けっして、そのようなことはいたしませぬ……!」
「いや、お前がやったんだよ」
奏を突き飛ばし、ゆっくりとその身体を刀の鞘で撫でる。客席からははっと息を飲む声が重なって聞こえた。
「けっして、私はそのような不忠はいたしません……!」
「いいやお前がやったんだ、さあ言え!」
今度は刀を抜き、青山主膳お菊の身体にちょんちょんと触れるように突いていく。
「や、やめてください……!」
「お前がやったんだろう……!」
「決してそのようなことは……!」
「お前がやったんだよ!」
お菊の腕を掴んで頭の上で縛り、そのまま引き摺るようにして、照明と一緒に、舞台中央に据えられた井戸のところまでお菊を連れていく。
「聖女様になにやってんだテメー!」
「殺すぞ!」
「お前が首吊って死ねー!」
客席からはそんな怒声が飛んでくる。
「うらやましいぞー!!」
「俺と変われ―――ッ!」
――訂正。
怒声以外にも、聖女様をいじめる名誉を賜った明良を羨む声も混ざっていた。
客席からの声は聞こえないフリをしながら、明良が縛った縄を井戸のところの屋根の梁に括り付ければ、お菊は腕でつるされるような恰好になる。井戸の高さがあるせいで、遠目で見れば奏は本当につるされているように見えるだろう。
「なんか、私、マゾではないと思ってたんですが…………」
奏が客席には聞こえないくらいの、小さな声で明良に言う。
「なんだか、その、ちょっと……」
「おい待て、目覚めるな、よせ、冷静になるんだ」
小さい声で答え、明良がわからないように奏を小突くと、奏はすこしだけ驚いた顔をしてから、少し目を伏せ、顔をほころばせた。
――こいつ…………ちっともブレないな……………………。
本番の真っ最中だというのに、奏は明良を伏し目がちながら時折見上げ、顔に悦をたたえて身をよじっている。せめて、誰にも気づかれないことを祈るばかりである。
「あ、明良くん、そろそろ、本格的にその、感じて…………」
なおも罪を認めないそれでも罪を認めない――尤も認める罪などはなからないわけだが――お菊にしびれを切らした青山主膳は、大きく刀を振りかぶってお菊に袈裟切り、返す刀でお菊を吊るす縄を切り落とせば、お菊も井戸の中へ真っ逆さま。
舞台は暗転し、何も見えなくなる。
「…………あえない最後だったそうだ」
「そりゃあ酷い話ですねぇ」
下手に急いで戻った明良と福島は、隠居から話を聞いたていで話を進める。
「その晩からのことだ。夜中になると、ぽっ、ぽっ、ぽっと鬼火が現れて、井戸の中からは不気味な声で、一枚、二枚、三枚、と皿を数える声が聞こえてくるようになったそうだ。その数える声を八枚まで聞けば高熱を出して寝込んでしまう九枚まで聞いてしまった者は――」
明良と福島、そして客席もみな息を呑む。
「――苦しんだ末に死んでしまうという話だよ」
「そら、恐ろしい話ですね」
「はー、昔の江戸にはえらいところがあったもんですね。聞くと呪われるってな怖いもんだ」
「昔? 今もあるんじゃないかい」
「へ?」
「いや、除霊をしたとかいう話は聞かないし、屋敷が取り壊されたとかいう話も聞いてない。今も行けば出るんじゃないかい」
「へー、そらすごい。俺幽霊ってのは見たことないんですよ。おまけに美人ときたらもっと見てないってなもんで」
「おいおい何を考えてるんだい」
「いやね、ひとつ、行ってお菊さん見てみたいな~なんて思うんすよ」
福島がそう行って、立ち上がる。
「八枚聞けば高熱を出して寝込む、九枚聞いたら死んじまうんだよ」
「ええ、だから
「はあ?」
「六枚くらい聞いて帰ってくれば、なんともないんじゃないかってなもんです」
「うーん、それならたしかに大丈夫かもしれないが……何があるかわからないんだ、行かないほうがいいんじゃないのかい」
「いやいやいやいや、幽霊っての、死ぬまでに一度は見てみたい。そして青山主膳を狂わせたっていう美人はも~~~っと見てみたい。お前もそう思うだろ?」
「いやいやいや、俺は行きたくねえよ」
「ほら、行きてえってさ」
「言ってないだろう」
「ほんじゃ隠居さん、今日はありがとうございました。ちょっくら今晩、行ってみたいと思います」
「おいおいよそうぜ」
「おら行くぞ、ほら」
腰を抜かしたような恰好をする明良を、福島が引き摺って下手側へ運んでいく。
「やめてくれよおいちょっとまていててててて」
――こいつ!
明らかに、痛めつけようという意志のもと明良を引き摺っている。くそ、終わったら絶対に文句言ってやるからな。
次の幕は今なお屋敷の井戸で怨念を込めながら皿を数え続ける美人――お菊を見物に行こうというところである。
江戸のはずれ、やや寂れた一角へ辿り着いた男二人は、青山主膳の旗本屋敷はここに違いないとあたりをつけ、既に主を失い閂を掛けるものもいなくなった門の隙間から屋敷に入り込む。広い庭は荒れ果て、草は伸びちょうど明良や福島の背丈ほどもある様。雑草掻き分け庭を進めば、奥に小さな井戸が一つ見えてくる。
「アレに違いないぜ」
「おいよそうや。もう帰ろう」
「なんだいここまで来て、根性のねぇやつだな。
なおも明良は福島に引き摺られていく。すっかり衣装ははだけ、かといって綺麗に直すのもおかしいから、明良はずっと乳首を晒したまま演技するはめになっていた。多少直すのなら問題はなかろうが、如何せん明良はどうやったら着物の衿元を綺麗に直すのか知らない。
――致し方なし。
それに、男の乳首など見られてもなんら問題ないはずだ。
ぱっと灯りが消えると、どろどろどろどろと太鼓の音が鳴り、ぽっぽっぽっ、と鬼火を模した光がスポットライトで演出される。
「うらめしや…………あおやま…………」
井戸の中から亡霊となったお菊が顔を覗かせる。井戸の中にはメイク用品が一式揃っており、ここまでの間に奏の顔は一切の血色を隠すようにファンデーションを塗り重ねられている。元から白い肌だから色に違和感はない。ただ、精気は完全に失っているように見えた。
「ひぃぃぃっ!」
福島が、あれだけ豪語していたのにすっかり腰を抜かして倒れ込む。
「おい、お前が連れてきたんだろ、さあ見ろ、見ろってんだよ」
先ほどの恨み、いかでか晴らさでおくべき。渾身の力で福島の腕を捻り上げ、奏の方に目を向ける。
「いやだいやだいやだいやだ!」
なおも目を瞑りお菊を見ないようにする男に、明良は手を目にあてがい、ゆっくりと目を開いていく。
「嫌だくそ俺はまだ死にたくねぇんだってまだ嫁さんも貰ってねぇん――やだ、すごい美人じゃない……? え、うそ、神話の聖女様みたい……」
――ん?
奏をよく見ると、明らかに中空に目線が行っている。丁度、明良の胸元のあたりをじっと目を凝らして見つめているようだった。いよいよひたいに皺が寄り始めたとき、明良はふと思い至る。
――こいつ、本番中に俺の乳首を……!
させてなるものか、明良は気合で自分の着物の衿を正す。すると奏ははっと顔を上げ、どうしてそんなことをするんですかと言わんばかりの表情を浮かべた。
「いちまい…………にまい………………」
お菊は皿を数え始める。ちょうど明良への抗議の表情が、お菊の恨みと重なって見える。
「さんまい………………よんまい………………」
「うお――――――ッ!!!」
「お菊さあ―――――――――――――――――――――――――――ん!!!!!!!」
途端、会場からヤジが飛ぶ。
――いや、まだだろ。
ヤジを飛ばすのはまだ早い。まだ、一応怖いシーンのはずなのに。
「ごまい………………」
「よし、次で帰るぞ」
「ろくまい…………………………」
「帰るぞほらほらほらほら」
「うわあああああああっ!」
明良と福島は全力で走って舞台を後にし、舞台袖で少し息を整えながら、客席の方へ向かって口を開く。
「いやいや、皿屋敷の話は本当だったんだな」
「恐ろしいったらありゃしないよ、身体は大丈夫か?」
「ああ、なんともないが、あの様子じゃ九枚聞いたんじゃ本当に死んじまうだろうなァ」
「とてもじゃねぇが明日は――行くね」
「そりゃ行くに決まってるだろ、まさか本当にお菊さんがあんなに綺麗だとは思いやしないじゃねぇか」
「ああ…………いやそれにしてもお菊さん………………」
「「綺麗だったなぁ」」
そうして、最初は二人だった見物人も美人の幽霊という噂を聞きつけて次第と増えていき、二日目は四人、三日目は八人、四日目は十六人と、指数関数的に増加していくことになった。やがてこれに土地の興行師が目をつけると、荒れ放題だった屋敷を整備して座席も設け、一大観光スポットとして整備するわけであるが――
「いや、久々だが、すごい人だなこりゃあ」
会場後方の扉から入り、明良は声を張り上げる。
「おやあんたがた! よく来てくれたじゃあねぇか!」
気を効かせた生徒会の――生徒会長の彼氏が、アドリブで台詞を入れて明良たちを最前まで通してくれれば、準備万端である。
「ここだけの話、最近はすっかりお菊さんもアイドルになっちまってなぁ。この間はファンサでお客さんにお皿投げたってよ」
「死人が出るんじゃないか? それ」
「幸い死人は出なかったと」
「そ、そうか……」
ここで照明が落ちる。まるでアイドルのライブの出囃子みたいな軽快な音楽が流れ、照明の凝った演出と共に、舞台中央の井戸にスポットライトが集中する。
「お、はじまるみてぇだな」
パンッと音がして、銀テープが飛び、それと一緒にお菊さんも飛び上がる。さっきまでの血色の悪い顔はどこへやら、今度は休日の奏のメイクよりもいくらか濃いくらいの普通にかわいらしい顔面をしたお菊さんがぴょんと飛び出してくる。
「み~んな―――っ! こぉんにぃちわ――――っ!」
おおっ、と会場がどよめく。なんてったってお菊さん役はかの聖女様なのだから当たり前だろう。
「「「「「こーんにーちはー!!!!!」」」」」
野太い声が会場をびりびりと震わせる。
「おお、コールアンドレスポンスってやつだ……」
真剣に明良は感動してしまった。
「みんなのメインディッシュ、お菊だよ~! 今日も元気にお皿、数えちゃうからね~!」
きゃぴっ、という効果音が似合いそうなピースサインを決めて、お菊はお皿を数えはじめる。
「いちま~~~~~~~~~い!」
「「「「「うお~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」」」」」
「にま~~~~~~~~~~~~~~~~~い!」
その後も、三枚、四枚と一々かわいこぶったポーズを取りながらお皿を数えていく。その都度、鼓膜がビリビリと震える。
「ごま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!」
「よし、次で帰らねぇとだな」
「おうよ」
帰り自宅を始めるフリをする。だが舞台の下の二人の演技などもはや誰も気にも止めていないだろう。
「ろくま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!!!」
「よし帰るぞっ!」
明良と福島が、客席の方へ飛び込む。フェスでよく起きるというあのダイブかのように明良たちは持ち上げられ、観客たちの上を流されていく。
「おい、六枚だぞ! 帰らねぇと死んじまうんだぞ!!」
レスポンスに負けないように声を張り上げるが、当然明良たちを支える観客はそれどころではない。お菊さん――否、聖女様にレスポンスを求められては誰も返さずにはいられないのだろう。
――どうなってんだ、まったく。
「ななま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い! はちまい!」
「うお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
「ああ、おしまいだ!!!」
「おれたちここで死ぬんだ!!!!!」
「きゅうま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!」
「うわああああああああああああ」
「じゅうまい♡」
「じゅ、十枚だってよ! 恐ろしい! なんて恐ろしいんだ! 九枚で以て死んじまうってのに十枚なんて………………ん?」
明良たちはまだ全然下ろしてもらえていない。
「じゅういちまい! じゅうにまい! じゅうさんまい!」
ここでお菊さんは一気にペースを上げる。
「じゅうよんまい! じゅうごまい! じゅうろくまい! じゅうななまい!」
小道具のお皿は九枚しかないから、もはや奏もお皿など数えていない。ただ数を数えているだけだった。どんどん数えるスピードは加速して、百を越え、二百を越えていく。
「おいちょっとまて! いつまで続くんだよこいつは!」
「二六九! 二七〇…………!」
やりきったと言わんばかりの晴れやかな表情で、お菊さんは井戸の中へ帰っていく。ようやく人の上から降りることに成功した明良たちも、すかさず舞台の方へ駆けていき、舞台に飛び乗った。
「おい待ってくれよお菊さんよ! お菊の皿は九枚と相場が決まってるだろうが! 二七〇枚ってのはいったいどういうことなんだ説明してみろ!」
明良がそう怒声を浴びせると、ゆっくりとお菊さんがけだるげな動きで井戸から出てくる。
「なに? もう今日の公演は終わったんだけど」
「そりゃそうかもしれないが、一体あの二七〇ってのはなんなんだよ!」
「わかんないかなぁ。明日からさ、夏休みなの」
会場は拍手喝采。いつどうやって習得したのか、よく海外の映像とかで聞こえてくる指笛の音まで聞こえてくる。
――そんなにか?
短いカーテンコールを終えて、生徒会の面々が体育館から観客たちを追い出していく。その人捌きは壮観で、きっと彼らが旗本屋敷にもいたならば、二七〇枚数えたとて、それを聞く者はいなかっただろう。
大道具だけ袖へどかす簡単な後片付けを終え、舞台上に集合する。既にみんな着替えて、制服姿になっていた。
「じゃ、一旦暫くは休み。次は八月十五日から十八日の合宿ね。ちゃんとした案内はまたLINEで送るから。そんじゃとっとと解散!」
それだけ言うと、相川は小走りで体育館を去っていった。
――どんだけ帰りたかったんだ、あの人。
「おつかれさまでした~」
一人、また一人と体育館を去っていく。奏はちらちらとこっちを見てはそわそわと挙動不審に左右を見回したりして、挙句「あっ!」と大袈裟に声を出して上の部室へ走っていった。
「渡良瀬くん」
「んあ?」
最後に残ったのは、明良と福島だった。
「君に聖女様は相応しくない。会長と違って、僕は決して絆されないよ」
それは、まるでライフルの弾丸のような視線だった。明良は動くこともできずに、ただ福島の目を見返すばかりだった。
福島が去ってからもしばらく突っ立っていた明良のところへ、さっき部室の方へ上がっていった奏がリュックを背負って小走りでやってくる。
「ぜ、全然来てくれないじゃないですか!」
「え? あ、ごめん?」
まったくもう、と奏は頬を膨らませる。
「あの、そのですね、あの……」
「どうした?」
何か言いづらそうに、奏はもじもじして、それからゆっくりとリュックを自分の前側に持ってきて、その中をごそごそと漁りはじめた。やがてぱっと顔を上げると、奏はぐいと明良に近づいて、またちょっとだけ固まって。
「あの、明良くんの乳首って、結構かわいい形してるんですね……」
「は?」
「あいやちがくてですね、いやちがくはないんですけど」
「どうした、一回落ち着けよ」
「落ち着くなんて無理です、そもそも私今、さっき明良くんにいじめられたせいですごいムラムラしてるんですよ、なかなかこんなにムラムラすることなんてないんですからね、触ってないのにちょっと歩くだけでぬるってして気持ち悪いんですってそういうことじゃなくて!!」
「お、おう」
ふううぅぅぅぅぅ、と奏は深く深呼吸をした。一度鞄の中を見て、改めて明良の目をしっかりと見つめる。
「あの、夏休み、二人でどこかへ出かけませんか」
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