10.異変

 サハールとビラーロは、シアン達がしていた会話の中で「星砂鳥」の言葉を聞き付け、こっそりと後をつけた。シアンの家まで来ると、見覚えのある鳥の姿を見付けた二人。

 つい先日、せっかくの金づるを自ら逃がしてしまった。それを少しでも取り戻そうと、ぴーちゃんを盗むことを考える。

 こうなったら、たとえ一匹でも売り飛ばさなければおさまらない。

 本当なら、シアンが学校へ行って留守の間に盗めればよかった。しかし、近所の奥さん連中が近くでずっとおしゃべりに花を咲かせ、近付けなかったのだ。

 だったら、いっそ堂々と。

 星砂鳥は一般人が飼うことはできない、という点は知っていたので、それを利用してシアンからぴーちゃんを取り上げることを思い付いた。

 相手は、腕力のなさそうな少年。抵抗されても、こちらは二人。その前に、勢いでまくしたてればいける。

 途中で少女が乱入してきたが、どうとでもなる、と二人は安易に考えた。

 しかし……結果はあの通りである。

 シアンの家にいるぴーちゃんが原因で、あの二人がやって来た。

 それがわかって「普通の鳥ではないらしいとわかったら、すぐに連絡をしなさい」と聴取中にやんわり叱られた。

 そんなこともあり、シアンは「最初に落とし物として交番に届けておいてよかった」と心底ほっとする。

 あの届けのおかげで、シアンが星砂鳥を自分の物にしようとしていたのではない、という証拠になるからだ。

 もっとも、ディシュリーンが言っていたように、彼女の口添えがあれば何とかなっただろう。

 警察に動物の専門家はいないので、まだぴーちゃんの正体は明らかにされていないが、明日になったらちゃんと保護センターに連絡を入れるように言われた。

 そこでぴーちゃんが星砂鳥かどうかがわかるし、違ったとしても何の種類であるかは判明するはず。

 言葉にすれば大したものではないのだが、実際にはとても時間がかかっているし、正直言ってシアンはくたくただった。

「ってことで、とうとう明日に保護センターへ行くことになったんだ。別れを惜しむなら、明日のわずかな時間だけだよ」

 それを聞いたレコルトは、本当に残念そうだった。

「そっかぁ。仕方がないな。ここまで一緒にいられたのだって、実はすごいことなんだろうし。普通の家じゃ、こんなに長く星砂鳥を飼うなんて絶対にできないんだから」

「……レコルト」

「もしシアンが一人でぴーちゃんを育ててたら、きっと今頃ひよこのままで姿が変わらない、なんて言って慌てててるんじゃないか?」

「……レコルト」

「え? ……どうかした?」

 シアンの弱々しい呼び掛けに、レコルトもようやく気付いた。

「ぴーちゃんの様子、変だ……」

 今、ぴーちゃんはシアンの部屋にいる。その様子を見ながら、シアンは電話しているのだが……。

「変? 変ってどんな風に?」

「ぐったりしてる……」

「寝てるんじゃなく?」

「いつもと寝方が違うって言うか……普通に寝てるって感じじゃない。どうしよう、今までこんなこと、なかった」

 シアンの口調が、ほとんど棒読み状態になっている。

 テレビ電話ではないのでレコルトにはシアンがどんな様子かわからないが、それだけ呆然となっているのだ。

「今から行く。ディシュリーンも呼んでおいた方がいいな。後でわかったら、どうして言ってくれなかったんだって、絶対に怒るから。シアン、ぴーちゃんはあまりいじらずに、そっとしておくんだ。わかった? 聞いてる?」

 レコルトの口調は、いつもとあまり変わらず冷静だ。これで彼の口調が慌てたりしていれば、シアンはパニックになったかも知れない。

「うん……」

「じゃ、この電話を切ったら、シアンが最初にすることは?」

「ディシュリーンを呼びに行く」

「あたり。じゃ、今から出るよ」

 電話が切れても、シアンはしばらく受話器を持ったままぴーちゃんを見ていたが、やがて思い出したように立ち上がり、隣の家へと走った。

☆☆☆

「特に異常は見当たらない。たぶん、疲れたんだと思うよ。シアン達と同じように、ぴーちゃんも振り回されたんだろ? 人間の二人が疲れてるんだ、ぴーちゃんは小さいんだから、もっと疲れてるんだよ」

 心配そうにぴーちゃんを見守るディシュリーンとシアンに、レコルトが落ち着いてそう説明した。

「本当? 本当に大丈夫なの?」

「医者を信じなさい」

「まだ正式にお医者様になってないじゃない」

 ディシュリーンは、少し疑いのまなざしを向ける。

「細かいな。そりゃ、正式な診察や治療の経験はないけど、ぼくが見た限りは大丈夫だよ。食べた物を戻したりもしてないし、フンにも異常はない。シアンがぐったりしてるって言うから、俺も心配したけど。エアコンの風なんか、直接当てたりしてない?」

「直接は当たらないようにしてた……つもりだけど」

 暑くなってきたので、エアコンをつけている。でも、温度は下げすぎないように、風があたらないように注意していたつもりだ。

「星砂鳥のいる星砂砂漠は、一年を通して暖かいんだ。あそこだけね。だから、暑すぎても寒すぎてもいけない。もしかしたら、その温度差で体調が少し崩れたのたかも。ぴーちゃんが普通のひよこだとしても、温度調節はうまくできないからね」

「家の中に入れたのが、よくなかったのかな」

 シアン作の鳥小屋で、ぴーちゃんは昼間遊んでいる。庭なので、影ができる位置に置いてはいるが、気温はそれなりに高いはず。

 連れて行かれたりしないように、という心配もあるが、一緒にいる時くらい快適な環境にしてあげようと、夜はシアンの部屋へ入れていた。

 よかれと思ってしていたそういう行動が、実は過保護になっていたのだろうか。

 快適と言っても、それは人間にとってであり、ぴーちゃんにとっては過酷な環境だったのかも知れない。

「でも、途中からそうしていた訳じゃなく、ぴーちゃんの場合、生まれてからそれが当たり前のようになってたからなぁ。それでも平気だった訳で」

「どっちなのよぉ」

「もう少し様子を見ないと、何ともね。何だったら、今から保護センターに連絡してみる? こういう状態だけどって言えば、わかるかも知れない」

 困った状況では、専門家に任せる方がいい。

「その前に、どうして星砂鳥がいるんだってことになったら、事情の説明が大変よ」

「いいよ、連絡してみる」

 時間は十時半を回っていたが、シアンは番号を調べて保護センターに電話をしてみた。

 夜遅くだから、誰もいないのでは。そう思っていたが、夜勤の人が電話に出てくれた。

 シアンは事情を説明したが、電話に出た人は施設の管理をしている人で「鳥の具合がおかしい」と言っても、これといった答えはもらえない。

 だが、待機している飼育員がいるということで、その人に替わってもらった。シアンはそこでもう一度、最初から根気よく説明をすることになる。

「あの事件のひながうちにいて、あ、本当にそのひなかどうかはわからないんですけど、そのひなの様子がおかしいんです。いつもと違って、ぐったりしていて」

「替わって」

 レコルトが、シアンから携帯をほとんど奪うようにして、電話に出た。

「もしもし、あ、すみません。電話、替わりました。えっとですね」

 細かい容体のことは、レコルトの方がずっとうまく説明できる。シアンもディシュリーンも、横で黙って聞いていた。

 電話の向こうの飼育員は、レコルトが調べたようなことを調べてみるように言う。それはやった、と言うと、しばらく考え中のうなるような声が聞こえる。

 実際に調べてみないとわからないが、彼はセンターを離れられないらしく、またぴーちゃんを無闇に動かすのもよくないから、一晩様子を見て朝になったら連れて来るように、と言った。

「結局、わからないままかぁ。俺が診断できたらよかったんだけど。朝になって、ぴーちゃんが元気よく鳴いてくれるのを祈るしかないね」

 重い溜め息が、部屋の中にもれた。

☆☆☆

 がくんと身体がかしいで、シアンははっと目を覚ました。

 部屋の中は、すっかり明るくなっている。カーテンを閉め忘れたので、朝日が部屋へ入っていた。夜が明けたのだ。

 すぐそばには、ディシュリーンとレコルトがベッドや壁にもたれて、それぞれが眠っている。結局、二人は帰らずに、ずっとシアンといたのだ。

 そして、ぴーちゃんはと言うと……。

 エサをつついていた。

 シアンがこちらを見ているのに気付くと、いつもの元気な声でぴーぴーと鳴く。まるで、昨日のことなど何もなかったように。

「あ……よかった……元気になったんだ。ディシュリーン、レコルト、起きて」

 シアンは二人を揺さぶって起こし、それからぴーちゃんを抱き上げた。

「ほら、元気になってる。ぴーちゃん、元気に鳴いてるよ」

「あー、本当。よかったぁ。もう、昨夜はどうなるかと思ったんだからね、ぴーちゃん。あんまり心配させないでよ」

 ディシュリーンが、そっとぴーちゃんの身体をなでる。こころなしか、目がうるんでいた。

「やっぱり、疲れが出たってところだったのかな。何もなかったみたいな顔してる。人騒がせだよな、ぴーちゃんも」

 ずれたメガネを直しながら、レコルトもほっとしたように息をつく。

「ねぇ、ちょっと……これって、もしかして……」

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