後編

 もう、ここいらでいいかな。


 もう70年も生きたし、夫はとっくに先立っているし子供はいないし。

 そう思って、見様見真似で首吊りの縄を準備していた。


 これだと長い。これだと短いと四苦八苦した結果できたのは、ドラマでもよく見る首吊り装置だった。


「うん。我ながら上出来なんじゃない?」


 独り呟くが、もちろん答えてくれる相手はいない。

 50歳という若さでこの世を去った夫がいたなら、「ここが、まだ甘い」とか言ってケチをつけていただろう。


 あの頃はそれがうるさくてうるさくて仕方がなかったけど、今はあの細かい男すら恋しい。


 要するに私は、1人が寂しいから死ぬんだ。

 生きたくても生きられない人がたくさんいるこの世界で、そんな理由で自ら命を断とうなんて悪いことだとは理解している。


 でも、許してほしい。


 長いこと独りでいると、安く買ったカボチャが切れないくらいのことでも絶望してしまうの。


 だから、もう、いいの。


 さて。

 もし、あの世があって夫と会ったら自殺したことを怒るだろう。それは烈火のこどく。


 その時はたくさん言い訳をしてやろう。

 アンタが先に死んだからなのだと、言い返してやろう。


 そう思い、椅子の上に立ち、縄を首に通らせたところで。


 プルルルル、プルルルル……。

 電話がなった。


 トイレで用を出している時とか、ミステリードラマの解決編を観ている時とか、タイミングが悪い時に鳴る電話を憎く感じていたが、ここまでくれば逆に見事だとすら思う。


 どれ。このタイミングでかけてきた人の声を聞いてみようじゃないか。


「はい?」


 受話器の向こうで、何故か息を呑んだような音が聞こえる。

 そっちがかけてきたんだろうに。


 震える男の声が聞こえる。


<ああ……。久しぶり。俺だよ。俺>


 オ、オレオレ詐欺だ!

 凄い! 70年生きてきたけど、初めてだ!

 何だか、有名人に会ったような興奮が芽生える。


「あ。オレオレ詐欺の方?」


 せっかくの面白い展開なのに、向こうがキッてじいそうな反応をしてしまう私。


<そうです。金下さい>


 しかし、オレオレ詐欺くんはまだ私に非日常を与えてくれる。

 これを逃す手はない。


「ハハッ。いいですよー」


 私もお金持ちというわけではない。この国の年金は引くほど安いから。

 でも、どうせ死のうと思っていたんだ。ちょっとくらいいいだろう。


「その代わり、ちょっとお話しましょうよ。私、人と話すの久しぶりで」


<え? あ。でも、後2分くらいできれちゃいます……>


 なんだ。もしかして公衆電話を使ってるのか? ずいぶんと雑……。いや、固定電話とかを使うよりは賢いのかな?


 まぁ、今はいいや。

 とにかく、この男を逃さないようにしないと。


「そうなの? じゃあ、今から私の住所を言うから来て下さいね。えっと、埼玉県……」


 と、私は言い慣れた自分の家の住所を伝えた。

 それから間も無く電話はきれた。


 不用心だと自分でも思う。

 オレオレ詐欺くんが、私に危害を加えにくる可能性も充分にある。


 でも、いいんだ。

 永遠と思えるような退屈よりは、いいんだ。



\

「それはアンタ。訴えれば勝てるんじゃない?」


「そう……ですかね?」


「そうよ! 労働基準なんたらが今凄いんでしょ? ガッポリ違約金貰っちゃいなさい! あと、そのおっさん、私がボコボコにしてやるわ! 連れてきなさい!」


 3時間後。


 本当にきたと思ったら、玄関先でメソメソなくオレオレ詐欺くんを家にあげて話を聞いていたら腹が立ってきた。


 よくも、私を救ってくれたオレオレ詐欺くんに酷いことをしやがったな。


「……ハハ」


 控えめだけと、確かにオレオレ詐欺くんは笑った。


「何がおかしいか!」


「すみません。こんなにエキセントリックな人、久しぶりに見たので……」


 その笑顔は固く、笑い慣れていない人がするぎこちないものだった。


 よし。決めた。


 これからの人生、この固くなった表情筋を和らげるために使おう。

 私は立ち上がり、やつれたオレオレ詐欺くんに言う。


「何はともあれ、ご飯を食べよう! けんちん汁でいいかい!?」


 オレオレ詐欺くんは、ヘニョヘニョの笑顔で頷いた。




-了-

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