第2話 ありえざる出会い

ルベライトバートリ号が出航して一週間が経った。


 結論から言おう。




 何も起きなかった。




 本当に何も起きなかった。


 先程見回りから帰ってきた隊長が唸る。


「なんの手がかりもねえじゃねえカ‼︎」


「ヒント無しはキツイですね……」


 イーサンとアイリスによる関係者室の調査も、徒歩による捜索も徒労に終わった。

 無力感に隊全体が支配されていく中、追いうちをかけるように睡眠不足が効いてくる。


 緊張感を持って任務に臨み続けるのはやはり体力がいる。


 ストレスを測る機械がこの場にあれば、間違いなくアラートを鳴らすだろう。


「そう簡単に尻尾を出すわけがないとは思っていましたが……ここまで徹底しているとは予想外です」


「ジークの方も何もみつけられてないんだよね?」


「ええ、彩我様と同様です」


「そっかー……」


 あまりにも収穫が皆無なので、やる気はとうに無くなっていた。

 なんとかしたいとは思うが、そうそう案が浮かんでくるわけもなく、無意に時間を浪費してしまっていた。


 どうしようかな。


 なんて思っていると、扉が勢いよく開いた。

 驚く気力も無いので、みんな無言で首を向ける。


「こんばんはー‼︎」


「何しに来たんだヨ。イーサン……」


「なんか辛気臭いじゃんか⁉︎楽しんでいこーぜえー‼︎」


 隊長に手を広げてイーサンが歩み寄る。


 寝返りを打った隊長に易々と躱されたが、めげることなく近より続けた。 


「なんだヨ。要件があるなら手っ取り早く終わらせてくレ」


「ちぇっ、つれねえなあ」


 イーサンが腕を引っ込めて首を振る。

 隊長は彼を睨め付けて回答を急かした。


「なんも手がかりないだろ?だからさあ、息抜きも必要なんじゃないのって思って」


「遊びにでも出るのカ?」


「その通り‼︎」


 イーサンの提案はとても魅力的で、思わず身体をガバッと起き上がらせる。

 先程まで身体を支配していた疲労感が何処かへ吹き飛んでいってしまった。

 普段おとなしいジークも、心なしか瞳孔がいつもよりも開いているように見えた。


「もう女子ーズにも話はつけあるからさ?今日ぐらい楽しもうや‼︎」


 彼の提案に、隊長も満更でもなさそうな表情を浮かべていた。


「まあ、今日ぐらいならナ」


「決まりですね」


 部屋に一週間ぶりに活気の火種が生まれた。

 少しだけ罪悪感を覚えたが、今日ぐらい遊んだって文句は言われないだろう。


「で、なにするんダ?」


「まずは映画かなー!」











「船の中に映画館なんてあるんだね」


 雛がキラキラした眼差しで映画館のエントランスを見回していた。

 子供っぽさを前面に出してくれているのを見て安心する。

 隊員の中でもっとも疲労が色濃く表れていたが、気力を取り戻してくれたようだ。


「何が上映しているのでしょう?」


「アイリス様、こちらパンフレットになっております」


「準備がいいですわね」


「オレはアニメでも見るカ」


「あ、私も」


「じゃあ、あっしも‼︎」


「決まりだナ。オレとイーサンとヒナでアニメを見よう」


 三人は我先にと足早にチケットの購入に向かった。

 当然残った四人が同じ洋画を見ることになった。


 邦題は分からないが、ある女性の人生を追うストーリーのようだ。


 軽い世間話で時間を潰しながらチケットを購入するためにパネルを使おうとする。


 チケットを買おうとしたところで英語が分からないことを思い出した。

 パネルは全て英語で表示されており、ある程度なら読めるものの、細かい注意書きはさっぱりだ。


 アイリスにその旨を伝える


「あの、俺字幕版が良いです。英語分からないので」


「?」


「何を言っているのですか?」


「え?」




「ワタクシたちはこうやって話せているではありませんか」




 言われてみて初めて気がついた。


 確かに、英語圏で生活していたはずの隊長やアイリスたちと話せているのは不自然だろう。


 日本語が上手いな、なんて思っていたけれど、そもそも彼女らが日本語を話しているのかなんて分かっていなかった。


 驚いた様子の俺にアイリスは笑いを堪えながら説明してくれた。


「説明されていませんでしたのね。遺物には他者とのコミュニケーションを円滑に進める機能が付随していますのよ。だから翻訳機だったりは必要ないのです。文字は効果が薄いのですけれど」


「そうなんですね……勉強不足でした」


「ええ。ワタクシからはサイガくんが英語を話しているように聴こえていますよ」


 冗談ぽく語ってくれた彼女の優しさが恥辱でついた傷に染み渡る。


 俺は赤面しながらチケットを分配して入場ゲートへと向かった。











 結局映画は字幕なしの英語版を選択して四人並んで座った。


 食後の映画なのでポップコーンは誰も買わなかった。


 フカフカのシートに身体を沈める。


 アイリス達と世間話を交わしていると劇場の照明が明度を落としていき、やがて真っ暗になった。

 流れる注意事項に耳を傾けて、俺は映画に集中し始めた。











「うっ…………ひぐ……」


「アイリス様、こちらハンカチになります」


「大丈夫ですか?」


「拙も心配だ」


「ええ……ええ……」


 号泣するアイリスを、男性陣三人で介抱しながら映画館を後にした。

 内容が内容なだけに、アイリスがこんな状態になってしまうのも無理はないだろう。


 それはもう悲惨なものだった。


 いずれ失明してしまう病気を煩う息子の目の治療のために貯蓄を行い、それを奪われた勢いで犯人を殺害。

 死刑を宣告され、最終的に自分の命か息子の治療かの二択を迫られ、迷いなく息子の治療を選ぶ。


 死刑当日、息子の手術の成功を聞かされ、喜びの中で縊死いしした。


 言葉を選ばずに言うのであれば胸糞映画だ。


 自分自身も瞳の光が失われていくなかで、全てを息子のために注ぎこむ彼女の姿は悲壮感に溢れていたし、大好きだった演劇も辞めざるをえなくなる。


 それでも彼女は幸せを噛み締めていた。

 彼女にとって生きる意味、原動力は息子のみであったのだ。


 だが、母を若くして失った少年がどのような路を選ぶのかはなんとなく分かる。


 きっと、破滅的な道程になるのだろう。


 それは、必然であり、もはや止められない事象の流れだ。


 俺は自然災害を目の当たりにしたときのような無力感が胸中を支配していくのを感じていた。


 実際、アイリスを介抱している全員の顔に翳りが生じている。


「どうして、あんなことになってしまったんですの……」


「どうしようもなかったと、拙は思います。そもそも、失明が遺伝だと分かった上で子を成してしまったのも、傲慢ではないでしょうか」


「否定……出来ないですわね」


「ダグザさんの意見も分かるんですけど……それでも、何か道があったとは思っちゃいます」


「それは結果論でしかありません。あの物語の舞台は、前提からして詰みなのです」


「……」


 ダグザの的確な反論に、何も言い返せなくなる。


 彼女の息子は、生まれたこと自体が間違いだったのだろうか?

 決してそんなことはないはずだと、胸を張って言いたいが、当事者でもなんでもない俺たちが勝手に決めて良いことではないように思えた。


 それからは、みんな黙って映画館のホールで隊長たちが出てくるのを待った。

 アイリスの嗚咽は、いつまでもホールに残響した。











「いやあ、お待たせ……って、アイリスちゃん泣いてんじゃん⁉︎」


「どうしたの?お嬢?」


「おいおい、何見たんだヨ……」


 泣きじゃくって説明が出来ないアイリスに変わって、俺が状況を説明する。

 雛がすぐさまアイリスに駆け寄って介抱を交代した。


「……まあ、なんダ。とりあえず切り替えて遊びに行こうゼ!」


「あっしはカジノに行きたい‼︎」


「まったく……まあ、たまには拙の縛りも解放して差し上げるべきでしょうか……」


「来たああああああああ‼︎」


「隊長。私、未成年なんだけど」


「雛は大人っぽいし大丈夫だロ」


「そんな適当にやっていいの……」


 隊長たちのおかげでアイリスもクスッと笑い、場の雰囲気が穏やかになっていく。

 デイヴィッドが隊長たる所以を、ここに見た気がした。


「そんじゃカジノに行くゾ‼︎」











 娯楽施設は一フロアに集約されているということもあり、すぐに辿り着いた。

 もう夜も更けてきたというのに、カジノには多くの人が滞在しており、チップ片手にそれぞれの闘いに身を投じている。


 生まれてから現在まで、賭け事をしたことが無い俺にとって、すごく新鮮な光景に映る。


 ディーラーが忙しなくボールを台に投じる音や、チップが引き摺られる音。


 身近に無かった生活音がなんとなく楽しい。


 隊長格二人は我先にと走って中へ駆け込む。

 俺たちもそれに続いて中に入る。


 俺は勝手が分からないので、アイリスに着いていくことにした。

 俺と同じように、ジークと雛も追随する。


「あら、みなさん座りませんの?」


「俺は大丈夫です」


「私もパスかな」


「私の分のチップをどうぞお使いください」


「いえ、自前の分だけで勝ってみせますわ」


 自信満々にサムズアップをこちらに向ける。


 彼女が選んだゲームはルーレット。


 おそらく、多くの人が目にしたことがあるであろう、カジノの顔だ。

 ルールは簡単で、ディーラーが投げたボールがどこに入るのかを当てるというもの。


 赤か黒か、偶数か奇数か、といったシンプルかつ堅実な賭け方もあれは、数字をピンポイントで当てにいくハイリスク、ハイリターンな戦法を取ることもできる。


 生で見るのは初めてだ。


 アイリスが台に向き合った瞬間を見計らったかのように、ディーラーがボールを台へと投げる。


「プレイスユアベット」


 ディーラーの掛け声に呼応し、席についた客たちが思い思いの場所へチップを移動させていく。


「お嬢はどうするの?」


「ワタクシは堅実にいこうと思いますわ。ですから、まずはレッドに」


「確実に増やしていくんですね」


「ええ」


 宣言通り、アイリスは赤へいくつかのチップを置いた。

 全員の手の動きがひと段落する。


「ノーモアベット」


 チップの動きが禁止される。

 勝利を願う呟きがそこかしこで聞こえる。

 カランと音を立ててボールが入った。


「やりましたわ‼︎」


「おお‼︎」


 ボールはしっかりと、赤の枠にハマっていた。

 外れたチップが次々と回収されていく中で、アイリスに倍率に則したチップが渡される。

 まだまだ多いとは言えないが、これからだ。


 彼女は自信に満ち溢れた表情でチップを握る。


「このまま勝ちますわよ‼︎」


 そう、高らかに宣言した。






「い、一文無しですわ……」


「アイリス様、私のチップを」


「い、いえ。それは流石に……」


 調子が良かったのは最初だけ。


 徐々に負けが込むようになってきて、一か八か全額ベットするものの、見事に惨敗を喫した。


 最後のチップが奪われていくのを、名残惜しそうに手を伸ばす。


 無言の訴えも無視されて、無慈悲にチップは没収された。


 ガクッと肩を落とした彼女はやがて立ち上がってトボトボと隊長たちの元へ向かってしまった。

 俺たちもそれを追いかける。


 視線の先では頭を抱えて叫ぶ三人の男の姿があった。


「オイイイイイイイイイイ‼︎」


「拙の……ポケットマネーが……」


「あっしの小遣いがあああああ‼︎」


 手持ちのトランプを机に叩きつけ、悶絶する隊長たちは、おそらく酷い負けっぷりをしたのだろう。

 こちらに気づいた三人は、アイリスの様子を見て駆け寄る。


「負けたんか?」


「…………ええ」


「お嬢もカ……」


 カジノに訪れたばかりの様子からは想像もできないほどに落ち込む四人組は、何も言わずに出口へと歩いていく。


「バカばっか……」


 ボソッと雛が呟いた。

 その横顔は、確かに微笑の形をしていた。











 世間話をしながら船室へと向かう。


 昨日までの緊張感が嘘みたいに感じられてしまう。

 息抜きに行くことになったのは大正解だった。


 日付も変わろうかという時間帯になっても、人だかりが途切れることはなく、様々な場所に偏在している。

 船内という閉鎖空間だからこそなのだろうが、それでも楽しげな雰囲気がどこにでもあるというのは嬉しい。


 今の所何も起きていない。


 喜んでいいものか悩んでしまうが、束の間の休息だと思おう。


 考え事をしながら歩いていると、ふと視界に映り込んだものに視線を吸われる。




(あれは……子供?)




 広いホールに差し掛かったときだった。


 キョロキョロとあたりを見回しながら不安げにスケッチブックを抱きしめる少女がいた。


 心細い気持ちが、その所作から滲み出している。


 放っておけなかった。


 自分も施設育ちの身で、肉親と離れ離れになる気持ちはよく分かる。


 だから、その手を取りたいと思った。


「すみません。先に帰っててください」


「単独行動は禁止だゾ?」


「あの子を送り届けるだけなので。すぐに戻ります」


 隊長はチラリと少女の方を見て目を細めたが、すぐに笑顔で背中を叩いてきた。


「分かったヨ。すぐ帰ってこいヨ」


「はい!ありがとうございます!」


 その場で軽く会釈をして部隊のみんなに感謝する。

 俺は小走りで少女の元へと向かった。


 中学生と小学生の狭間のような容貌をした少女は、フリルのついた衣服を可愛らしく揺らしている。


 歩み寄るこちらに気がつくと、不思議そうに水晶の瞳をこちらへと向けた。


「キミ、大丈夫?」


「うん。迷子になっちゃったの」


「そっかあ。お父さんお母さんは?」


「いないよ」


 なんでもないことのように屈託のない笑顔で答える少女に、なんと言えばよいのか分からなくなってしまう。


 しかし、この船に乗っているということは保護者がいるということだ。

 一人で乗り込んだというのは考えづらい。


「心配してくれたの?」


 何を言ったものかと黙考していると、彼女の方から話しかけてきた。


「そうだよ。今日は誰と一緒に来たの?」


「お姉さんと来たの!」


「そのお姉さんはどこに行ったの?」


「勝手に遊んでたらはぐれちゃった」


 はぐれた、という単語を発した瞬間に彼女の顔が暗くなってしまう。

 俺は慌てて彼女に声をかけた。


「大丈夫。俺がお姉さんを見つけてあげるよ」


「本当?」


「ああ。約束だ」


 小指を伸ばして彼女の前に差し出す。

 瞳を輝かせながら、指を躍らせるように絡めてきた。


「ありがとう!お名前は?」


「俺は彩我っていうんだ。君は?」


「私はステラ!」


「よろしくね、ステラ」


「うん!」


 そうして俺は彼女の手を取って、心当たりのある場所を巡ることになった。

 これだけ広い船内だ。そう簡単に見つかるわけもなく、かなりの時間が経過してしまった。

 娯楽施設全般にもおらず、廊下等でもすれ違うことはない。


 健気に候補の場所を教えてくれるステラはどんどん自信を無くしてしまっているように見えた。

 少しずつ小さくなっていく声が、胸を締めていく。


 なんとか明るい雰囲気を作ろうと、咄嗟に提案する。


「見つからないから、いっそステラが行きたい場所に行くっていうのはどうだろう」


「行きたいところ?」


「そう。行きたいところ。そこにいれば、お姉さんも、もしかしたらって、見つけてくれるかもしれない」


「うーん……」


 顎に指をそわせて彼女は考える。

 その所作が、年齢にそぐわない大人らしさを醸し出していた。

 やがて天啓を受けたように眼を大きく見開いて手を掴んでくる。


「星が見えるところ!」


「星……甲板かな」


 大きく首を縦に振り、彼女は嬉しそうに笑った。


「早く行こう!」


「分かった。それじゃあ行こう」


 やけに人通りが少なくなった船内を上へ上へと突き進んでいき、淡い光の運河に照らされた。


「綺麗だな……」


「ステラもね、この空が大好きなんだ」


「分かるよ」


 ステラに手を引かれて柵へもたれかかる。

 孤児院は山の方であったが、それでもここまで明るい景色を拝むことは出来ない。

 出航から一週間経過しているので当然といえば当然だ。


 現在地は太平洋のど真ん中。


 営みの燈は遍在することなく、星辰の息吹だけがこの淡い夜闇を照らしているのだ。

 果てしない地平線にポツンと浮かぶ豪奢な船の全容を想像して、少しだけ寂しくなった。


 まるで、今この世界には自分たちだけしかいないんじゃないか。


 そう思ってしまう。


 しかし、それは決してマイナスな感情ではなかった。

 不思議と、心地よさすら感じるほどの、優しい孤独だ。


 届かないと分かっていても、星空に手を伸ばす。


 何も無い空間を掴むのすら、風情があるように感じた。


「〜♪」


 星空に見惚れていると、ステラが鼻歌を歌い始めた。

 カリカリと音がするのでステラを見やる。


「絵を描くのが好きなんだな」


 彼女が描いていたのはゴッホの『星月夜』にテイストの似た星空だった。

 絵を通して彼女の心象を感じ取る。


「うん、大好きなんだ」


「本当に……綺麗な絵だ」


「えへへ。ありがとう」


 破顔する彼女は先程大人びた様子を見せた少女と同一人物には見えないほどに、無邪気で純粋な年相応の子供に映った。




「ステラ様、こんな所に——!」




 俺たちが登ってきた階段の方から声が響く。


 なぜだか既視感があった。


 それも、よくない予感がする。


 俺は恐る恐る振り向いた。


 同時にステラが走り寄る。



 

「スイレンちゃん!ごめんなさい!」




「…………」


「どうしたの……?」


 嘘だと、言って欲しかった。


 俺の頭がおかしくなったのだと諭してほしかった。


 しかし、網膜も、脳みそも、鼓膜も、何もかもがこれを現実であると肯定する。




 俺の目の前に現れたのは——




「皆月……睡蓮……」




「……ステラ様、お下がりください」




 土御門ビル制圧前に配られた資料と寸分違わぬ容貌の彼女がそこにはいた。


 改造制服の少女は、武器の類を携行していないのか、ステラを隠すように守ろうとする。

 彼女の眼差しには、明確な敵意が含まれていた。


(まずい、紫電は置いてきたぞ)


 唐突に訪れた敵との邂逅に、冷や汗がこめかみを撫でる。

 俺たちは互いに構えるが、一歩も動けずに膠着状態を演出する。

 船にやって来てまず初めに叩き込んだ船の地図を必死に脳裏に投射する。


(右はプールだ、逃げることは出来ない。なら、左は?。ダメだ、容易に先回りされる!)


 思考をフル回転させても良い案が出て来てくれない。


 どこへ行こうと、逃げることが出来ない。


 その事実が、俺をより一層焦燥の渦へ落とした。

 ジリ、と後退りをした瞬間に。


「喧嘩はダメだよ!」


「ステラ様⁉︎」


 俺と睡蓮の間にステラが割って入る。

 大の字で睡蓮に向かい合って、震える声で訴えかけた。


「ダメです、お下がりください!」


「ううん!二人が喧嘩してるの見たくない!」


「この方は私たちの敵なのです。ですから、ここで見逃すわけにはいかないのです」


「サイガはステラを助けてくれたもん!」


「それは——」


「サイガは悪い人じゃない!」


 少女の訴えに、俺は構えを解いてしまう。


 それは睡蓮も同じだった。


 互いに沈黙する。


 静寂の中で潮風の音だけが流れていく。

 やがてステラが口火を切った。


「喧嘩しちゃうなら、一緒に遊ぼうよ」


「すみません、私と彼は敵同士で……」


「今日だけお友達になっちゃダメなの?三人で遊ぼうよ」


「……今日だけ」


 睡蓮はしばらく俯いて考え込む仕草をする。

 俺は一旦安堵するが、彼女たちから視線を外すことはしない。


 あくまで可能性に過ぎない段階ではあるが、ステラがカンパニーの一員であることも念頭に置いて行動しなくては。


 頭では分かってる。


 この年端もいかない少女が違法行為に手を染めているわけがないと。




 それでも俺は統轄機構の一員だ。




 個人の勝手な判断で仲間を巻き込むわけにはいかない。


 でも、ステラの提案は魅力的だった。

 俺も無駄な争いはしたくない。


 なにより、俺が一体どんな人と戦っているのかを知りたかった。


 傲慢かもしれない。


 しかし、俺は敵だからといって向き合うのを放棄したくはなかった。


「…………分かりました」


「サイガは?」


「俺も今日だけなら構わない」


「決まりだね!」


 はしゃぐステラの歓呼に思わず身体の力を緩める。

 睡蓮もホッとしたように胸を撫で下ろす。


 意外ではあった。


 彼女は飛高に並々ならぬ忠誠を持っているように見えた。

 飛高の怨敵だといえる俺と行動を共にするなど、言語道断と切り捨てると思ったのだ。


 実際はステラの要求を受け入れ、さらには嬉しそうな顔をしている。

 そこには一抹の哀愁が含有されているように感じた。


 相まみえたのは一瞬とはいえ、彼女の印象がガラリと変わる。


「一つ、約束してください」


 ステラと仲良さげに交流しているのを微笑ましく眺めていると睡蓮がこちらに目線だけを投げかける。

 敵意こそないが、真っ直ぐな瞳に背筋を伸ばす。


「本日のことは帰り次第忘れて欲しいのです」


「もちろんだ」


「それでは、今夜はよろしくお願いいたします」


「こちらこそ」


 差し出された手を割れ物に触れるようにそっと取る。

 鋼鉄の刀剣を握るその手は滑らかだった。


 本来ありえなかったはずの邂逅。


 俺のわがままでもいい。ただ、彼女のことを少しでも知ることが出来れば。


 彼女の瞳は、瑠璃色の深海を映し出し、夜闇に同調していった。

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