エピローグ ホープフルジャーニー
統轄機構新宿支部 地下四階 独房
無音。
ただ無音がひしめいていた。
俺は一体何日間ここにいるのだろう。
西日もさすことはなく、月明かりが優しく包んでもくれない。
こんなクソッタレな場所に、いつまで居ればいいんだ。
赤髪をオールバックにした偉丈夫————シュヴァルツは、遺物を没収され、身動きすら制限されていた。
まるで無菌室のような清潔さ、悪く言えば生活感のない部屋が、シュヴァルツの精神をジワジワと削っていく。
とっくに時間感覚すらも失っていた。
シュヴァルツはかつての母国での暮らしを想う。
平凡な家庭で生まれ育って、反抗期がきて勝手にグレて。
そんなガキが生きていくために、悪事に手を染めるのは当然の摂理だった。
ヤクをキメてるような屑に、ブツを捌いて日銭を稼ぐ。
そんな日々を過ごしていた時、組織がとある企業に買収された。
それが
人身売買、暗殺に違法取引。
この世の悪行の全てを煮詰めたような集団だ。
だが、金払いはいいし、遺物で超人になれた。
楽な仕事だったし、元から戦うのが楽しいと感じる性分だった。
でも、俺がなりたかったのは、こんな醜悪な悪党だったか。
シュヴァルツの中に疑問が生まれたのは、篠沢彩我と名乗った青年が目の前に現れてからだ。
理由は分からないが。
(はぁ……豚箱に突っ込まれてからこんなことばっか考えてんな…………辞めだ)
下らないことを考えてても仕方がない。
そう思ったとき、誰かが通路を歩く音が聞こえてきた。
食事の時間かと思った。
だが、それはすぐに否定された。
「おいおい…………冗談キツいぜ……」
「久しぶりです。覚えてますか?」
「覚えてるも何も……俺はお前にぶちのめされたんだからな」
目の前に、篠沢彩我がいた。
タイミングが悪い、なんて思う。
「おちょくりにでもきたか?」
「違います」
自嘲気味に言うシュヴァルツを、彩我は真っ向から否定した。
少し呆気に取られた。
だったらどうして。
「今日来たのは感謝を伝えるためです。おかしいって思われるかもしれないけど」
「…………」
俺は何もしてない、そう言おうとして、すぐに引っ込めた。
彩我の言葉を最後まで聴こうと思った。
「俺の初任務だったんです。あなたとの戦いが。俺はあの場面で役立たずでしかなかった。でも俺と向き合う時、あなたは俺を一人の戦士として尊重して、卑怯な手を使わずに、なんなら自分の手札を晒した。俺がたった一人になっても立ち上がって、戦おうとしたから。あなたが相手を尊重できる人じゃなければ殺されていたと思う。もちろん、雛にしたことは許せない。けど、それはそれとして、感謝を伝えたいと思った」
なんてバカな奴。
でも、なんて優しい奴。
誰も信用せず、突っぱねてきただけの俺に、なんでそんな明るい眼差しを向けるんだ。
「あなたが俺を強くしてくれた。本当にありがとう」
「……用件は終わりか?」
「はい」
「じゃあ、さっさと帰れ」
「失礼します」
礼儀正しい所作で、彩我は立ち去った。
うぉーん、と音が鳴り、彩我の足音が途絶える。
やがて上の階へと繋がるエレベーターの音が止んだ。
「………………今日は、悪くねえな」
独房に、水たまりが出来た。
決して綺麗とは言えない。むしろ濁っている。
でも、誰一人として、それを醜いとは思わないだろう。
なぜなら、汚れの奥に光るモノを見つけたから。
そそげないほどの罪を重ねてきた。
でも、変わりたい。
そんな想いが芽吹いた。
極光でも、逆光だとしても。
もう一度光を見ていたい。
もう一度立ちたい。
そう思った。
シュヴァルツの貌は、うっすらと笑顔を帯びて、陰を照らしていた。
♢
「遅かったじゃない」
「無茶言うなよ。統轄機構の包囲網を出し抜くのも楽じゃないんだぜ」
「まあいいわ。そこに座らせといて」
「へへっじゃあ俺は戻るぜ」
スキンヘッドの大男は飛高と睡蓮を床に座らせると足早に去っていった。
「エディス……お前がなんで僕たちに構う」
「あら?アレックスから聞いたんじゃないかしら」
「その上で聞いてるんだ。なんで肩入れする」
エディスの方からピキッと音が鳴る。
「あんたふざけてるわけ?ルリが輸送ルート三本と引き換えにあんたを逃す手筈を整えてたってだけの話よ。これで満足?」
飛高は絶望したように、床を殴りつける。
その姿はまるで、雨に濡れた子犬のようだった。
「余計なことを…………あそこで邪魔が入らなければっ……こんなことにはっ……」
「いい加減にしなさいよ‼︎」
エディスの怒号が豪奢な船室の一角に響き渡る。
飛高はビクッとした後、縮こまってしまった。
「邪魔されなかったら勝てたとでも言うの?あんたが舐めてかかって、変なプライドを優先したからこんなことになってるんでしょ?いい年して子供みたいに駄々こねてないで、少しは反省したら?」
「お前に何が分かるっ」
「ええ分からないわ。でもね、こうやって人に迷惑をかけていることを少しは恥じたらどう?あんたなんかに付き従わなきゃいけない睡蓮ちゃんの気持ちにもなりなさいよ」
「飛高様は悪くありませんっ」
「…………悪かったわ。それでも、言わせてもらうけれど、もし、ルリの助けがなかったらどうするつもりだったのかしら」
「あのままあいつらを殺してたさ」
「あれだけボロボロにされておいて、どの口がそんな出まかせを吐けるわけ?」
返す言葉を、飛高は必死に探す。
眼を泳がせ続けるが、ついぞ出てくることはなかった。
「あんたが助けられたのは、マンハッタンで少しでも戦力を保持しておくためよ。それに、私たちカンパニーはライバル同士であるのと同時に、家族なの。だから、今回だけは助けてあげた。それが彼女の望みだから」
「………………」
「私はあなたを送り届ける義務がある。でも、保護する義務はない。だから、自分が蒔いた種は自分でどうにかしてちょうだい」
飛高は不服そうに頬をピクつかせる。
エディスの説教がよっぽど効いたのか、ゆっくりと立ち上がった。
「睡蓮…………行こう…………」
「どうぞ、お手を」
睡蓮に手を引かれて、飛高たちはボロボロの身体を引きずって船室をあとにした。
あいも変わらず飛高は成長しない、そうエディスは思う。
同時に、彼の中の憤怒の奔流も感じ取っていた。
もしもこの船に統轄機構職員が搭乗してきたら、確実に騒動を起こすだろう。
「ここまで全部あなたの手の平の上なの?」
スーツ姿の胡散臭い女性の姿を思い浮かべる。
「もしかしたら、私すらも躍っているのかしらね」
せっかくここまで無難にやってきたというのに、心労尽きない仕事が回ってきたものだ。
エディスは机に置いてあったカップを手に取り、コーヒーを啜る。
スマートフォンで天気を確認した。
「雨じゃない……幸先悪いわね……」
航路上に、大きな雨雲がかかっていた。
♢
「これで最後だ。付き合ってくれてありがとう」
「いいよ別に。私も暇だったし」
俺と雛は、共同墓地へやってきていた。
人形に改造されていた人々、そして海還島で化け物に変えられた人々の供養のためだ。
この数日で回れそうなところに当たりをつけて、一人ずつ手を合わせた。
「君は悪くないのに、律儀なもんだ」
「それを言うなら、付き合ってくれてる君もだろ」
「確かに」
関東圏の様々な場所を巡る道程だ。
せっかくの数日の休みを、ほとんどこれに費やすことになる。
にも関わらず、雛は嫌な顔せず付き合ってくれた。
第一印象から変わらない、本当の優しさがそこにはあった。
「最後に手を合わせたその人が……彩我の親友って子?」
「うん。変なやつだったけど——優しかった」
「…………そっか」
「今でも思う。もしあの時俺に力があればって。でも、ずっと後ろを向いてたら前に歩けない。だから、この思いはどうしても本人の前で直接断ち切りたかったんだ」
「いい心がけだと思うよ」
雛は想いを巡らせるように、瞳を薄くする。
「いよいよ明日だね」
「うん。準備は出来てるよ」
明日、豪華客船ルベライトバートリ号に乗り込む。
一切逃げ場のない海上での任務になる。
おそらく、どちらかが倒れるまで終わらない、地獄のような闘争となるだろう。
だから、悔いは残したくなかった。
飛高はきっと、俺の顔を見つけた瞬間に全力で殺しにかかるだろうから。
「俺さ、海還島で本当に死ぬと思ったんだ。あー、ここで終わるんだなって」
「うん」
「でも、デイヴィッドクインテットのみんながあそこに来てくれたおかげで助かったし、またチャンスをくれた。そしてなによりも————君に会えた」
「…………うん」
雛は反対側を見ていて顔は見えないが、耳は真っ赤になっていた。
その様子を見て、俺も少し恥ずかしくなるが、続けた。
「本当にありがとう。君と一緒だからここまで来れた。最高の相棒だよ」
俺が拳を背中にコツンと当てる。
振り返った雛はすぐに趣旨を理解する。
「お……おう」
俺たちは互いに拳を軽くぶつけ合った。
これからさらに激しい戦いに身を置くことになるだろうが、きっとうまくいく。
デイヴィッドクインテットのみんなと一緒だから。
なにより、相棒がいるから。
そうして俺たちは墓地を背にして歩き出す。
澄み渡った青空は、サファイアのような慈しみをもって俺たちを見つめていた。
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