第7話 陰陽五行世界

前回の闘いでは俺が足手纏いだったのが、大きな損害を被った原因だ。


 だが、今回は違う。


 俺は紫電への理解をさらに深め、半人前ではあるものの制御できるようになった。

 雷を数メートル先までなら正確に撃ちこむことが出来る。


 事前に行ったブリーフィングでは雛と共に連携を取ることを決めていた。


 今日までの時間を無為に過ごしていたわけでは、決して無い。

 俺は雛と模擬戦を共同で行い、連携スタイルを確立した。

 格闘が得意で遠距離攻撃手段を持たない俺が前・中衛を担う。俺は遠距離攻撃にめっぽう弱いので、高みの見物をされたら歯が立たないだろう。


 それを補うのが雛の銃撃。


 雛の遺物はインファイトを不得手とするが、支援に徹するとなれば無類の強さを誇る。

 俺と雛は互いの強みと弱みを相互に補完し合うことで格上との戦闘を有利に進められると、低カテゴリーでも通じると、確信していた。


 現に隊長との模擬戦でも、彼に遺物を使わせる事自体は叶わなかったが、何度か冷や汗をかかせるまでに至った。


 俺たちの戦術は格上に通じる。


 故に俺が今取るべき行動は————


「おいおい、いきなり突っ込んできて不用心が過ぎないか?」


 間髪入れずに前進を選択した俺を見やる飛高は侮蔑を孕んだ笑みを見せた。

 だが、飛高は現在油断している。

 押し通るなら今が好機だ。

 カーペットを踏み締める右脚に、さらに力を込める。

 さらなる加速を得る事によって、油断している飛高の懐に一気に飛び込む。

 視線を一瞬外していた飛高が俺の踏み込みの音で、こちらに急速に視線を送る。


(もう遅い‼︎)


 俺は飛高の三メートル手前まで既に近づく事に成功。


 あとは雷撃を叩き込むだけだ。


 勢いをそのままに右拳を大きく振りかぶる。


 虚を突かれた飛高は目を大きく見開いたまま硬直していた。




 いける。




 そう確信して栄螺殻こぶしを振り抜いた、その瞬間。


「っ⁉︎」


 俺と飛高の前に褐色の壁が、床から勢いよく生えて俺の一撃を受け止めた。

 拳を受けて崩壊する壁はよく見ると木目がついており、止まった思考の中でも、木が急激な成長を促されたのだろうと分かった。


 飛高の方向に視線を向ける。


 崩落する壁の隙間から僅かに見えた彼の表情は、愉悦一色に染まり切っていた。


「彩我‼︎離れて‼︎」


 足元からボウっと音がした。

 パチパチと鳴る音は何処で聞いたことがある。


 そうだ、焚き火の音だ。


 そう気づいた瞬間に俺は崩落していない下部の木壁を足場にして、後方に飛び退く。


(なんで木が燃えてんだよ。これも飛高の遺物なのか?)


 飛び退いて俯瞰した時に、どういう状況かがはっきりと見えた。

 俺が崩した木壁の欠片の一片一片が激しい燃焼を開始していた。


 何の外的要因を受けることなく。


 俺はこめかみから滴る汗を拭う。


 かつて隊長が言っていた遺物の能力についての説明を無意識に再生した。


 遺物の真骨頂。


 それは外的要因を施さずに世界に働きかけること。

 飛高は無から有を生成したように見えた。

 それはデイヴィッドの話した、遺物の体現者であり、もっとも遺物らしい遺物。

 格上であることなど、とっくに分かっていたつもりだった。




 だが、ここまでとは。




 俺の攻撃をノーモーションで受け切り、笑みを絶やさない目の前の青年が正真正銘の怪物であることを再認識する。


「もう終わり?」

「まさか。こっからだよ」


 萎縮しかけている俺を他所に雛が啖呵を切る。

 俺はその意図を、完璧に理解した。

 雛は俺のために精一杯の虚勢を張ってくれているんだ。


 情けない俺を奮い立たせるために。


 俺はこの程度の壁を前に立ち止まるのか?


 そんなんじゃねえだろ。


 俺が立ち向かうって決めたのは、この程度のもんじゃねえだろ。


「雛、ありがとう。また世話になった」

「いいってことよ」


 そうだ、俺には仲間がいる。


 負ける道理なんが何処にも無い。


 俺は再び飛高を照準し、紫電を構える。


「俺が飛高の遺物の能力をなるべく引き出す。だから援護しつつ解析してくれ」


 雛に耳打ちする俺たちを飛高はこちらを暇そうに見つめていた。

 彼にとっては俺たちなど取るに足らない存在なのだろう。

 だから、思い知らせてやる。

 お前が馬鹿にした人は、お前よりも強いのだと。


 だから、俺は逃げない。


 俺は床を全力で踏みつける。


 部屋全体を轟かせるほどの衝撃が伝播し、家具も人間も、全てが宙へ舞った。


(家具を撃ち込んで隙を作る!)


 俺の周囲に点在する箪笥や机を片っ端から殴って飛高へ飛ばす。

 飛高はそれを木の矢を生成して射出する事によって防いだが、それによって視界が大きく制限された。

 俺は飛高の死角を縫い、左手の空間へと駆け抜ける。

 雛の銃撃が箪笥や机を撃ち抜いて飛高へと差し迫る。


 飛高の意識は前方へと注がれていた。

 そこには先ほどまでの笑みなどとうに無くなっており、眉間に陰影が濃く落とされていた。

 俺は射線が確保されたのを認識すると同時に、紫電の両掌を合わせた状態で飛高へと向ける。


 まだノーモーションで雷撃を放つことは叶わないが、それでも照準すれば精度は格段に上がる。


 紫電がバチバチと唸る。


 部屋に紫紺の輝きが満ちた。


「いけええええええええ!」


 稲妻が飛高へ向かって一直線に空を切る。

 完全に直撃コースに入った。

 そう確信して、俺は飛高へ向けて跳躍した。


「舐めるなよ」

「がっ⁉︎」


 視界が、瞬きする暇すらなく床へと移ろう。

 身体が下に打ち付けられ、何が起きたのか分からない俺は身動きが取れない。

 辛うじて視線を右へ移すと、雛も同様の状態だった。


 一瞬の出来事だ。


 打ち付けられたのも、動けなくなったのも。


 にも関わらず俺たちを照らしたのは、煌々と輝くモノだった。


「太…………陽?」


 眩い光を受け、見上げる。


 振動が収まったにも関わらず、俺は動けなくなった。


「おいおい……さっきまで屋内だっただろ」


 天井と壁があったはずの場所には既に何もなく、代わりに晴れ渡る青空が雲ひとつなく俺たちを見下ろしていた。


 周囲を見渡す。


 ボロボロに崩れ去って面影はないが、さっきまで俺たちがいた部屋だ。

 状況から推察するに、俺たちは部屋ごと上層階へと上げられたのだろう。

 これならば下に打ち付けられた事にも納得がいく。


 だが、それは絶望的なまでの戦力差の表れを如実に示したものだ。


 俺と雛が四つん這いになっているのを、飛高は心底鬱陶しそうに見下す。


「舐められたままじゃあ、溜飲が下がらない。遊びはここまで。ここからは狩りだ」


 飛高の瞳に、初めて明確な殺意が込められた。

 それでも、俺は反抗の意思を瞳に宿して眦を決する。


 飛高は蛇のような切れ目をさらに細くする。


「大人しく脱兎みたいに逃げ出せばまだ許してあげた。でも、もうダメだ。僕は今、久しぶりにキレてる」


 飛高は俺たちを取り囲むように樹木や金属、水のツタを生成する。

 まるで闘いはここからだとでも言うように。




 飛高が扇子を軽く振るのと同時に、戦闘が再開された。

 俺と雛は左右に散り、様々な物体で構成されたツタの僅かな空白部分を縫う。


(ダメだ!完全には避けきれない!)


 頬を鋭い蔓の刃先が掠め、体組織を易々と切り裂く。

 鋭敏な痛みに顔を顰めると、待ってくれることのないツタの攻撃が次々に迫っていた。


(さっきまでとは能力の範囲が段違いだ!)


 飛高の宣言は決して眉唾物ではなく、事実であることを告げられる。

 飛高は一歩も動いていないが、俺たちは必死に回避を続けている。


 このままじゃジリ貧だ。


 体力的にも能力的にも俺たちはほとんど全てにおいて飛高に負けている。

 何か打開策が無ければ勝ち筋は見えない。




(それでも……やるしかない!)




 たとえ勝ち筋が無かろうと、俺たちに諦めの二文字は無い。

 俺は回避しつつ、確実に飛高へと肉薄出来るルートに当たりをつける。

 雛は俺とは逆に、飛高から距離を取りつつあった。


 雛と視線を交錯し、目配せを交わす。


 言葉など無くとも、俺と雛の思惑は一つに集約された。




 俺は迷わず、最速で飛高へと向かう。

 身体中至る所が、ツタを避けきれずに裁断され、熱くなる。


 でも、この痛みは既に知ってる。


 加茂物流センターで打ち倒したドイツ人の偉丈夫の姿を思い起こす。

 シュヴァルツの遺物の攻撃は、この程度のものではなかった。

 およそ避けることなど不可能なのではないかとすら思えてしまうほどの密度で迫る影の刃を経験した俺たちは、この程度で止まることはない。




 過去が俺に力を与えてくれる。




 過去の教訓から、なるべく地面から離れ過ぎないような軌道を描く。


 一本一本、確実に回避していく。


 だが、飛高もそこまで甘くない。


 脚を正確に狙うツタが何本もやって来た。


(飛んで回避するしかない!)


 俺は避け切れるギリギリを攻めて跳躍した。


「はい、おしまい」


 回避した先にツタが口を開けて待っていた。


 飛んで回避した俺は宙にいる。


 避けきれない。


 せめて頭部を守ろうと腕で顔面を覆うと同時に鉄のツタの根本に孔が開き、先端が力無く落下した。


「彩我‼︎行け‼︎」


「ありがとう‼︎」


 雛の援護により、俺は九死に一生を得た。

 まだ鼓動が普段よりも速く脈動しているが、今はそんな事に構っていられない。

 雛の聖痕により俺の道を阻むモノが次々に打ち砕かれていく。


(心強い‼︎)


 ツタは適宜再生しようとするが、それよりも速く俺が駆け抜けていく。


(いける‼︎)


 ツタの最後の一本を抜けきり、包囲網を突破した。






 瞬間。






 身体中のさまざまな場所に鋭い痛覚がこだました。


 勢いが、完全に死んだ。


 鈍い痛みによって身体が完全に停止した。


 震える顔をゆっくりと下へと向ける。


 俺の身体は無数のレイピアによって背後から貫通していた。


 後ろを見ると、ツタからそれぞれそのツタの特性とは違うレイピアが生成されていた。雛によって破壊されたにも関わらず、残った部分から生えた、意識外からの攻撃。


 俺の瞳がとらえた光景は、既存の物理法則のどれにも当てはまらない不思議な光景だ。




 土から鉄が。




 鉄から水が。




 水から木が。




 おおよそ繋がりを見出すことなど出来ない不可思議な現象が思考を停滞させた。

 愕然としていると、ツタの残骸が全て木製へと変化する。


 それは急激にレイピアへと伝播した。


 そして、全てのレイピアが木製へと変遷する。




 まずい、炎が来る。




 直感的にそう思った。

 壁を生成された時の経験と、今の状況が最悪なパズルのピースになる。

 それを認識した瞬間、世界の時が遅く、鈍くなった。


 後ろの方で援護射撃をしてくれていた雛が何かこちらに向けて叫んでいるようだが、何も聞き取れない。


 五感の多くが鈍重になり、緩慢となった俺に、業火がチリチリとやってくる。

 それを抵抗もできず、見つめることしか出来ない。


 炎に覆われる直前、俺の視界に映ったのは、扇子で口元を覆い隠す飛高の姿だった。


          ♢


 彩我が膝から崩れ落ちる。


 力無く倒れ込むドサッという音は、晴天を浴びる乾いた屋上内に反芻した。

 私は瞠目しながらその様子を見て、叫ぶことしか出来なかった。


 肉が焦げた臭いが鼻につき、吐瀉物が込み上げてくるが、それを必死に飲み込んだ。

 彩我の身体からは鼠色の煙が際限なく上昇していく。

 その様子を飛高は満足そうに頷いて眺めていた。


 彼が扇子が閉じるのと同時に周囲を取り囲んでいたツタが動作の一切を停止する。


 困惑する私を見下ろし、飛高は嗜虐的な微笑みを作る。


 最悪に不快な笑みだ。


「さて、邪魔なルーキー君も消えたことだし、ようやく二人きりで話が出来る。双月雛」

「…………話って?」

「存外冷静なんだな。僕はてっきり半狂乱で襲いかかってくると思ってたけど。いいよ、大人びた子は好きだ。特別に先に話させてあげよう」


 私は極めて冷静に、野原みたいに落ち着いた様子で飛高との問答に臨む。




 ここで時間を稼いで少しでも生存率を上げる。




 今の私を満たすのは二人で生き残るためにどうすればいいのか、という思考に他ならない。

 怨嗟に駆られて無闇に攻撃したところで土御門飛高という存在に勝つことなど夢のまた夢だ。


 私はあいつに比べたら圧倒的弱者だ。


 だけど、弱者には弱者なりのやり方がある。


 幸い彩我はか細くはあるが、その引き締まった胸を上下させている。


 まだ、希望は潰えていない。


 私はうまく回る舌を信じて口を開いた。


「あんたの能力。物体を変化させる原理がどこかで見知ったことがあるような気がしたんだ。根拠もなにも無かったし、自信を持って言えるわけじゃなかった。だけど、さっきの彩我への攻撃で確信に変わったよ。自分の能力に自信を持ってくれてて助かった。バカみたいに自分の力をひけらかしてくれる」


「僕は今機嫌がいいからね。今回はその戯言も見逃してあげよう。僕の話にも付き合ってもらうしね」


 飛高の顔から笑顔が取り払われない。

 彩我は元から気に入らなかったんだろう。

 だから反抗的な目をしただけで執拗に狙われた。


 だけど、こいつは私を舐め腐ってる。


 時間稼ぎにはうってつけな相手だ。

 私は心底安堵する。

 この調子で行けばジークかアイリスが合流するか、彩我が起きるか、どっちが早いかっていう、そういう話だ。





「火が土砂に、土砂が金属に、金属が水に、水が樹木に変質する。あんたの能力はこのサイクルでしか変化させられない。事前のブリーフィングであんたの名前を聞いた時に、苗字にピンと来たんだ。土御門は陰陽師の系譜を持つ一族のもの。ここから導き出されるのは、あんたの遺物は陰陽五行説の理念を汲むものだって事」




 昔に見た本に、陰陽五行説の記載があった。




 世界は五つの要素から成り立っており、全ての物質は変質して回っているのだと。

 飛高の引き起こす事象はそれに非常に酷似している。

 飛高は御名答といった様子で肩をくつくつと揺らす。


「そう、正解だ。それで……探偵ごっこはもうおしまいかい?」


 飛高の眼窩に呆れの一文字が刻まれているような気がした。


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五行抄本ごぎょうしょうほん

使用者:土御門飛高

〈カテゴリーⅤ〉

 陰陽師である土御門家に代々伝わってきた、扇子型の遺物。

 その能力は使用者の周囲の物理法則を陰陽五行説に基づいたものに上書きするというもの。

 その影響力は凄まじく、実戦をほとんど経験していない土御門飛高がカテゴリーⅤに認定されているのはこのためである。

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 色を失ったような漆塗りの瞳がこちらを射る。


 ただそんなことを聞くためだけに時間を浪費したのかとでも聞きたげに。


 しかし、逆鱗には触れていない。


 少しでも時間を稼げるのなら本望だ。


 このままいけるところまでいってやる。


 そこで少し胸につっかえる。


 違和感。




 飛高の表情は依然として変わらない——はず。

 にもかかわらず、私は背筋にゾッとするものを感じざるをえなかった。




 氷海に放り出されたような感覚に蝕まれるのを必死で堪え、飛高と視線を交わらせる。




「じゃあこっちのターンだね。君の遺物のことなんだけど。それ、すごい珍しいタイプだよね。一見するとどういった遺物なのか分かりづらいし、分かったとしてもそれは表層上の現象しか捉えられない。そりゃそうか。孔を開けて移動させられるなんて効果を聞いただけじゃ分からない」




 飛高が何を言いたいのか、本気で分からなかった。

 私の遺物のことを語ったところで、それは私の時間稼ぎにしかならない。

 飛高の行動は私にとって有利に働いてしまうのに、彼はそれを承知の上で何かを企んでいるようにその羽織をたなびかせる。


「何が言いたいのか分からない、とでも言いたげだね。無理もないか。君の所属は統轄機構で合ってるよね」

「…………そうだよ」




「なら知ってるよね。バチカンに本拠地があるイカれた聖職者のこと」




「————聖伐十三議席イスカリオテ




 飛高の言動の全てが一つの結論を、明確な輪郭を持つ疑念を描画する。


 聖伐十三議席イスカリオテ——それはバチカン市国に本拠地を置く、かつての十字軍を継ぐ武装組織。

その実態は未だ掴めておらず、大きなアクションを起こした事がないため不明瞭だ。彼らの目撃事例はヨーロッパ圏でしか確認されておらず、その目撃情報も極めて少ない。


 だが、噂はかねがね耳にしている。


 主の名のもとに組織や教会に都合の悪い人々を粛清することが日常茶飯事。彼らは経典に則って生活しているが、敵を人として認めないために、非道な行いをすることを正当化している。


 教会側もよく思っていないのだが、圧倒的な武力を前に発言力など無意味に等しい。数え切れないほどの聖職者が歴史の闇に葬られてきたのだという。


 その戦力は統轄機構の最高戦力S.P.E.Cにも匹敵すると言われるほどだ。


 彼らは信徒を名乗っておきながら、その実、残虐行為を行って教会の権威を失墜させている。


 故に彼らはこう呼ばれるのだ————イスカリオテのユダ背信の徒だと。


 今まで考えもしなかった。


 いや、逆になぜ今日まで疑問を抱かなかったのだろう。


 少し考えれば分かることだったはずだ。


 自分のバカさ加減に呆れて笑ってしまう。


 私の遺物は——聖痕スティグマを刻む物なのだ。


 何度も耳にした聖職者の話。


 それにもかかわらず私は遺物の事と結びつけることが出来なかった。

 それでも、私は明確な繋がりがあるとは思えなかった。

 それに、ハッタリをかけられている可能性だってゼロじゃない。


 だから、一縷の希望に手を伸ばす。


 たとえそれがイカロスの蛮行を蒸し返すことになるとしても。


「それがどうしたっていうの」


「強がるなよ。彼らの噂は耳にしているだろう。僕は君のことを聖伐十三議席イスカリオテに教えることだって出来る。そうすれば君は放っておかれないだろうね。それは明らかな聖遺物だ。聖伐十三議席イスカリオテも聖遺物を多く保有しているかと問われればノーと答えるだろう。いっぱいあるんだったら死に物狂いで探してたりしない。そして噂でしかないが、空席が存在しているなんて話もある。どうなるかは目に見えてるんじゃない?。勘違いするなよ。僕は脅したいんじゃないんだ。あくまで取引を持ちかけているに過ぎない。これでも商人の端くれをやらせてもらってるからね。交渉のテーブルには行儀よく着くのさ」


「統轄機構は聖伐十三議席イスカリオテと戦争してまで私を助け出そうなんて思わない。それに、たかだかカテゴリーⅢの最底辺を命をかけてまで救おうなんて人はいない」


「いいや、統轄機構は来なくても、君と親交のある人間なら来る。さっきまでの仲間とのやり取りを見ていたけど、とても強い絆で結ばれているみたいだね。そんな人々が仲間をむざむざ見捨てて安全策を取るようには思えないな」


 悔しいけど、飛高の話すことは事実だ。


 私が連れ去られたってなったら、どこに行こうと迎えに来てくれる。

 だからこそ、飛高の持つカードがより重みを増していく。


 交渉、なんて言葉を使っているが、彼は私を確実に見下している。


 これは交渉なんかじゃない。


 交渉という名の脅迫だ。


 私が断るわけがないと、そう高を括っているんだ。


 それでも。


「分かった。条件はなに」

「素直だね」

「どうせ私に最初から拒否権なんてないんでしょ?だったら抗うだけ無駄だって、そう思っただけ」


 飛高は心底愉快そうに破顔する。

 整った容貌が、逆光に照らされて影を落とす。

 明るい顔のはずなのに、彼の顔からはひしめく闇のようなものを感じた。


「こっちは君の聖遺物のことを黙秘する。君とお仲間も帰してあげよう。だから君は統轄機構の基地のデータとカテゴリーⅩの所在地について教えて欲しい。末端の君が知っているとは思えないけど……抜いてくるくらいなら造作もないだろ?」


 飛高の柔和な笑みは、弓形に歪曲しており、とても信用できたものではない。

 それに、カンパニーの人間がこんなに簡単に契約を成立させるわけがない。

 かつての事例を模索しても、これほど懐疑的思考を抱かずにはいられない事案はそうないだろう。


 迷った。


 正直ここで一旦引いて体勢を立て直すのが先決に思えてならない。


 だけれども、それが統轄機構職員として正しい行いなのか?


 本当にそんなことをして部隊のみんなを納得させられるか?


 なにより、私自身がそれを許せるのか?




 否。




 断じて許容することは出来ない。


 私の、統轄機構の尊厳にかけて、こんなところで膝を折って地に跪くわけにはいかない。


 彩我は未だ起き上がる気配を見せない。


 それでも私は彼が起きることに、託すことにした。


「分かった、条件を呑むよ」

「良い子だ。じゃあそこに武器を置いて一旦戻ってもらおう。連絡手段は……こちらから使いを送る」

「分かった」


 私は愛銃をゆっくりと地に下ろす。

 まだ飛高は油断していない。

 落ち着け、必ず機会はやってくる。


 まだまだ。


 視線が。飛高の視線が一瞬、流れてきた葉に移ろう。


ここだ。


 私はこのチャンスをものにすべく、自分の持てる力を全て掌に集中する。




 飛高の不意をつくには千の時の葉ルザ・ミルフィーユを使った一撃必殺を除いて存在しない。




 勝負はここで決める。



 

 中指の飾り気のない無骨な銀麗の指輪に神経を向ける。


 既にインターバルは過ぎていた。


 いける。


 指輪が私の時を圧縮し始める。


 たった三秒。


 それが私に許された絶対空間せかい


 全ての空間が停滞する。


 光と私を除いた全てが凍りついたように静寂を奏でる。


 一秒もかけずに挙銃。




 残り二秒。




 引き金を許される限り引き続ける。




 残り一秒。




 飛高の方向へ無数の銃弾が、聖痕スティグマを刻まんと青年へと飛躍する。


 そして、時間はあるべき流れを取り戻す。

 乗算しているように加速する時間と共に銃弾が飛高を捉えた。


「チッ‼︎」




 しかし。




「クソッ、当てきれなかったっ‼︎」


 私がもてる全霊をぶつけた。


 それでもなお、飛高にはあと一歩、及ばなかった。

 飛高の脇腹を撃ち抜いたのはたった一発。

 飛高はその怪物じみた反射神経で急ピッチで木壁を造り出し、その多くを回避していた。


(しくじった‼︎)




 一世一代の大博打。




 どうやら、私はとことんついていないようだ。


 心の中で諦観まじりのため息を吐いていると、木壁が崩れて、苦痛に塗れた喘ぎを漏らす飛高の貌があらわになった。

 血走った眦に射すくめられて、私は身体を硬直させてしまう。


 これが現実。


 弱者の私にはこの程度しか出来ない。


 でも、ここで諦めれば全てがおじゃんだ。


 だから醜く抗おうと思う。


「来いよ。クソ野郎」


「図に乗るなよっ、小娘が‼︎」


 せめて、彩我の目覚める時までは時間を稼いでみせる。


 飛高の扇子が大きく花びらのように開き、それに呼応するように屋上のありとあらゆる物質が彼の掌握下に置かれる。


 絶望的状況。


 でも絶対に悲観しない。


 彩我が起きた時に、不安にさせないために。

 一緒に笑って帰るために。


 だから、私は笑って立ち向かうのだ。


 たとえそれが永夜のような、先の見えない暗闇だったとしても。


「上等だよ」


 こうして私は笑顔で、死に戦に向かった。


          ♢


 気づけば俺は、木漏れ日にイタズラされて目を覚ました。




「ここは……」




 妙に軽い身体を持ち上げて、周囲を見やる。

 暖かい日差しに軽く目を細め、慣れてきたところで双眸を開く。


 俺は、言葉を失った。


 レンガが暮らしたものたちの足跡を残しているように傷つけられた、お世辞にも大きいとは言えない建物。

 花々が悠々と咲き乱れる野原。

 忘れるはずない。

 ここは俺が過ごしてきた孤児院だ。


 子供たちが野原で遊んでいる声が、雄大な自然に囲まれた孤児院一帯に響き渡る。

 何で自分の家のこと忘れてたんだろう。

 昨日だって夏の宿題を手伝ってやったのに。


「俺は何をしてたんだっけ」


 よく思い出せない。


 なぜだが記憶にもやがかかったような、陽炎のように揺らめいているような、そんな感覚。


 記憶を手繰ろうとすると、こめかみあたりに痛みが走る。

 その痛みから逃れるように、俺は抵抗を辞めた。




(夢と現実が混ざっちゃったのかな)




 そんなことよりも、子供たちを見ておかないと。


 夏も終わりに近い。


 あいつらは放っておくといつも喧嘩だ。

 年長の俺が見守っててやらないと。

 ベンチから立ち上がって遊声の方向へと足を進めた。









 子供たちはかけっこをして遊んでいた。

 うちは結構庭が広いから、こうやって遊ぶことが多い。

 俺も昔はこんな感じで遊んでいたな、なんて少し感傷に耽る。

 俺が向かってくることに気づくと、子供たちはなぜか怪訝な表情を浮かべた。


「彩我兄ちゃん、その腕のやつ何?」

「腕?」


 聞かれた瞬間に、腕に重みが走る。

 びっくりして、俺は腕を持ち上げて視線の先に置いた。




「なんだこれ」




 腕の重みの正体は、肘下まである、烏の濡れ羽色をした、ガントレットだった。


 俺は困惑した。


 全く身に覚えがない、と言いたいのだが、なぜだが記憶のどこかにある気がしてならない。

 でも孤児院でこんなものを見たことがないし、なにより正弘さんが危なそうなものは置いておいたりしないだろう。


 こんなに刺々しいのだから。


 頑張って思い出そうとしたが、途中で諦めた。

 その場で腕から取り外して放り投げる。

 金属音が、なぜだか悲しく響いた。

 今は子供たちを見守ることが先決だ。

 俺はいつも通り子供達の輪の中入っていく。

 遠くの山からひぐらしの声が聞こえた。










「もう夕暮れだな」

「ええー」

「彩我兄ちゃんもうちょっと遊んでちゃ駄目?」


「正弘さんにまた怒られちゃうぞ?ほら、帰ろう。もう夕飯の時間だ」


 不貞腐れたように頬を膨らませる子供たちに苦笑しつつ、俺はみんなの手を引いて孤児院に戻った。


「遅かったな、彩我」

「ごめん、ちょっと駄々こねられちゃってさ」

「まあいいさ。子供は遊んで寝るのが仕事だからな」


 俺の方を途中で見やると、正弘さんは二度見した。


「その腕のやつなんだ?」


腕?と聞き返すと、再び腕にガントレットが取り付けられていることに気がついた。


「俺にもよく分かんない。昼寝してたらいつの間にかついてた」


また外そうとした。だけど、さっきよりも取りづらく感じた。


無理矢理外して、再び放り投げる。


 正弘さんは怪訝な表情をしていたが、やがて崩して食事の用意に戻った。

 正弘さんは厳つい外見とは裏腹に、可愛らしい犬がプリントされたエプロンを着用して台所に立っていた。


 食事を用意してくれるのはいつも正弘さんだ。


 洗濯や清掃は他の職員がやってくれるが、彼らにも帰るべき家がある。

 だから、家主である正弘さんが自ら手料理を振る舞っているのだ。

 俺はいつもの日常のページを捲るように、子供たちに手を洗わせて長机につかせる。


 俺も子供達と同様に手を洗っていると。




 パチっと音がした。


 


 どこかが断線しているのかと思いコード類を一通り点検するが、異常は見つからなかった。


 でも、その音が俺の中でつっかえて、モヤモヤとした雲を心に落とした。





 

「ほら、出来たぞ」


 今日のメニューは子供たち共同で育てていたそら豆を使った料理たちだ。

 鼻腔をくすぐる香りが子供たちの頬を緩めさせる。


「それじゃあ手を合わせて」


 俺の掛け声とともに全員が合掌する。


 正弘さんに礼儀を特に躾けられてきた俺たちは、日常の些細なことでも欠かさない。

 今ここで息をさせてもらえることに、命をいただく行為にあらん限りの感謝をこめる。




「「「「いただきます!」」」」




 決して裕福とは言えない生活だ。


 だけれど、これが俺にとって最高の幸福だ。


 俺が傷心した子供たちの幸福の一助になれたらと、心の底から思う。


 食事を元気よく頬張る子供たちの表情が、俺の瞳を弦のように曲げる。

 いつまでもこの日々が続いて欲しいな、なんて過ぎたことを思う。


「兄ちゃんなんで笑ってんの?」


「なんでなんで?」


「なんでもないよ」


「彩我、たまには素直になったらどうだ」


「…………」


 思わずはにかんでしまう俺を、正弘さんは破顔して見つめる。

 そのせいで俺は余計に顔を紅潮させてしまった。

 孤児院のみんながその様子を見て笑顔に包まれる。


 暖かい空気が、ひたすらに心地よかった。


 違和感があることを除けば。


 違和感に気づいた瞬間、脳裏に稲妻が走ったような、そんな感じがした。











「みんな寝たかな」


 大部屋で寝かしつけをしていた俺は、最後の一人が寝息をたて始めたのを確認してから外に出た。


 不思議と今日は眠気が襲ってこない。


 昼間に眠ったせいだろうか、と思案しながら屋上へと向かう。

 屋上とはいっても三階にあたる部分だが。

 孤児院の内装は主に木で造られており、暖色に囲まれて、いつでも暖かな雰囲気を醸し出していた。


 ギシギシと鳴る床板が、積み上げてきた歴史を語る。


 これまで一体何人がこの床を踏み締めてきたのだろう。

 永久に答えの出ない問いを、自分自身に投げかけてみる。


 俺はこの手の哲学を考えるのが好きだった。


 俺は忍耐強い方だから、長兄の責務を負っても、それが苦に感じたことはないし、考え続ける事を、辞めたいと思った事もない。


 それは当然のことだったし。


 それでも、たまには誰かの胸を借りたい時もある。

 そういう時はいつも決まって、屋上へ向かうことにしていた。






「ん?、彩我か。また悩み事か?」


 屋上にポツンと、正弘さんが鉄柵にもたれて佇んでいた。

子供が寝静まっているからか、口から紫煙をゆっくりと吐き出した。


 俺はいつも、正弘さんとの会話の時間を楽しみにしていた。


 数少ない個人の時間であるのと同時に、憩いの場でもあった。


 恥ずかしい限りだが、俺は大して強くない。


 だから正弘さんのように強くなりたかった。 

 正弘さんは一からこの孤児院を作って、全てをゼロから積み上げてきたのだ。


 彼が語る世界の話や、考え方、その全てに、俺は惹かれた。


「正弘さん。ちょっと聞いてほしいんだ」

「いつになく真剣だな」


 正弘さんは軽薄なところもあるけれど、決して人のことを馬鹿にしたりしない。

 そんな姿が俺をより一層、憧れの渦に巻き込んだ。


「それで、どうしたんだ」


 星夜に照らされた横顔を、ひたすら見つめる。


 そして、俺は違和感を語った。




「もし、さ。今見てるこの世界が夢だと思う、なんて言ったら……信じてくれる?」




 それは、美しい日々をぶち壊すような、重みを持って放たれる。




 俺は多分、どこかで理解していた。




 具体的なことは思い出せないけど、今日一日が夢なんじゃないかって、どこかで気づいてた。


 時計が進むたびに、何度も戻ってくるガントレットの事が頭から離れなくて、正弘さんがここにいることに強烈な違和感を抱いたりした。

 今までこんなことは一回だって無かったから、何となく気づいていた。


 それに俺の思い出せない、大事な人たちの顔が、泡のように浮かんでは消えていたんだ。


 この日々が泡沫であることを囁くように。


「…………そうか」

「変なこと言ってるのは分かってる。でも、信じてほ——」




「信じるさ。彩我がそう思うなら、きっとそうなんだろ」




 あっさり受け入れられて、少し拍子抜けしてしまう。


「そんなに簡単に信じるの?俺、みんなのこと否定してるのに……」


「そんなことない。悲観したら世界はその色を帯びるが、前向きに見たら、それだけ世界は彩りを増すもんだ。それに、その黒い腕のやつ。大事なもんなんだろ」


「うん……よく思い出せないけど、大切な誰かとの繋がりだと思う」


「お前にいい友達ができたってことかな。お前には不自由な思いをさせちまった。これからは好きに生きろ」


「…………ありがとう」


「お前の名前は〝我を彩る〟だろ。自分を見失うな。お前が信じる道を進め。でも、自分を蔑ろにしすぎるなよ」


「……うん」


 正弘さんの胸に抱き止められる。


 俺は子供みたいに肩を振るわせた。


 正弘さんの体温が、感触が、少しづつ失われていく。


 失われていく体温が、欠け落ちた記憶の断片となって俺の脳裏にピースのようにハマっていく。


 形成されていったピースはかけがえのない輝きを放って、鮮烈で、残酷な記憶を俺に提示する。


 そうだ、正弘さんはもう————


「そろそろお別れみたいだな」


「待って!まだ、伝えてないことが山ほどある!俺、信頼できる仲間が出来たんだ。みんな全然違うけど、お互いが信頼しあっててすごく良いチームで。その人たちに助けてもらってから、俺の人生はまた動き始めた。でも、それでも、俺にチャンスをくれたのは他でもないあなただ‼︎」


 慟哭が星空にこだまする。


 行ってほしくない。


 一緒にいたい。


 また、食卓をみんなで囲みたい。


 そんな子供じみた願望が頭の中で渦を巻く。 

 正弘さんはそんな俺の様子を見ても幻滅せず、むしろ地母神のような微笑みを投げかけてくれる。


 その優しさが、俺には痛いほど刺さった。


 お別れを言わないと。


 そう頭では分かっていても、口に出せない。


 ここで口に出してしまえば本当に二度と再会は叶わないような、そんな気がして。


 でも、ここで言わなかったら。


 永遠に後悔することなんて、そんなこと分かってる。


「そんなに悲しそうな顔するな。いつかまた、会えるさ」

「そう……だね」


 正弘さんの身体が光の粒子みたいに分解されていって、透明になっていく。


 ああ、本当にお別れなんだ。


 実感が波のように押し寄せるけれど、必死に涙を堪える。

 ここで泣いたら正弘さんが安心して眠れなくなる。


 そんな俺の様子を汲んでか、正弘さんが最後の教訓を伝えてくれた。


「彩我、最後に一つ伝えておく。みんなで協力してできない事があったとしても、諦めるな。協力では無理でも、一丸になる事で出来るようになることもある。もし壁にぶち当たったらこの言葉を思い出してくれ。じゃあな。遠いどこかでまた会おう」


「ありがとう」


 正弘さんは俺の感謝の言葉を聞いて、満足げに頷いてくれた。

 もう、彼の身体を抱き止めることはできない。


 正弘さんの残滓が完全に溶けて消えていく瞬間、俺は惜しむように呟いた。






「さよなら」






 西の空がひび割れる。


 その亀裂は俺の目の前まで怒涛の勢いでやってきて、静止した。


 ここからは自分の選択で進めってことか。


 でも大丈夫。


 俺はもう迷わない。


 この幸せな世界を誰よりも望んでいるけれど。それでも。


 偽りに塗れて幸せになるのは嫌だった。


 俺は苦しくても現実を見てみせる。


 思い出した大切な名前を、崩壊しかける世界に向けて呟く。




「雛。今行く」




 ガントレットが紫紺の輝きを煌々と纏う。

 俺はもてる全身全霊を使って、世界のひびを、ぶん殴った。


 亀裂が世界を引き裂き、俺は目を開けていられないほどの眩い耀光ようこうに吸い込まれた。


          ♢


「もうおしまいだ。降参したらどう?」


「はあっ…………ぐっ!」


 今の私は無様と形容するに相応しい状態に陥っていた。

 身体にツタが巻き付いて、離してくれない。

 鞭みたいなツタが私の視界を覆っていた。

 虫みたいに逃げ回って時間を稼いでいたけど、すぐにツタに捕まっていたぶられた。


 嬲られて、ボロ雑巾みたいな様相を呈している私は、さぞ面白い見せ物なのだろう。

 飛高の趣味の悪いニタニタとした笑顔がそれを示していた。


 体感、稼げた時間は三分程度。


 私にしてはよくやったかなって感じだけど、間に合わせられなかったから実質私の負けだ。


 失敗したなぁ。


 ここまで時間を稼げたのも飛高が私で遊んでくれたからで。


 もう既に興味なさげに私を見下ろす双眸が、もう必要ないと言わんばかりにこちらを射る。


「降参したところで、なるべく苦しんで死んでもらうことは変わらないけど」


 飛高の向こう側を覗かせる孔は未だ健在だが、大したダメージは与えられていない。

 そもそも飛高は近接戦闘を行うタイプではないのだ。


 孔を開けたところで、あいつの行動を阻害することなんて出来ない。


だってあいつは一歩も動いてない。


 自分の無能さに心底腹が立つ。


 私は結局一人じゃ何も出来ない。


 身体中から血液が流れ出し、体温を奪っていく。




 寒い。




 大気が、という話ではない。


 体温がまるで砂時計みたいに流れ落ちて、命のカウントダウンを刻んでるみたいに私の意識を少しずつどこかに持っていく。


 もう長くは動けない。


 何か自分に出来ないかと必死になって詮索する。


 たとえそれが無駄だと知っていたとしても。


 ここで諦めれば、彼の矛先は他の人間に向いてしまう。


 それだけはなんとしても避けなければならない。


 時間を稼ぎ、注意をひきつける。


 それが無能な私に許された唯一の選択なのだから。


 これは最後の悪あがき。


 もう飛高は喰らわないと思うけど、それが私に出来ることだから。




千の時の葉ルザ・ミルフィーユ——」




 それが醜く抗うことに他ならないと知っている。


 それでも、私は進むのだ。


 一瞬にしてツタを振りほどき、純黒の殺意を飛高へと突き立てる。


 これで、弾丸は尽きる。


 だが、どちらにしてもこれで終わりだ。


「鬱陶しいなあ‼︎」


 私が同時に放った弾丸は、総勢一三発。


 飛高は私の右手の動きを見切っており、私が攻撃した瞬間にはすでに防壁を築いていた。

 聖痕が、虚しくも木壁に刻まれていく。




 最後の一発が撃ち込まれた。




最後に開いた孔から飛高が顔をのぞかせる。


「同じ戦法が通るわけないだろ」

「そうみたい……だね」


 飛高の表情は余裕を取り繕ってはいるものの、苦痛に歪んでいる。


 ざまあない。


 私の攻撃は虚妄で終わるとしても、あいつの記憶の中で一生残るんだ。


 上出来だな。


 扇子が振るわれる。


 無数の悪意の束が、私を狩りとらんと手を伸ばす。

 私は瞼の緞帳をおろした。


















 

 バチッ。


















 音が響いた。


 視界のない状態だったから、よく聞こえた。

 晴れているから、決して聞こえるはずのない音色。




 青天の霹靂。




 まさかと思って、ゆっくりと視界を広げる。

 眩しいかと思ったけど、そんなことはなかった。


 陽光と私の間に、広い背中が、ボロボロになった革のジャケットをたなびかせている。


 その腕に紫紺のいかずちを纏わせて。




「彩…………我?」




 毅然とした面持ちで飛高を睨む彩我の姿がそこにあった。


 衣服には傷の凄惨さを伝える赤黒い結晶が散らばっている。


 見るに堪えないほどの出血だ。


 本来立ち上がることすら叶わないだろう。


 それでも、彼は立ち上がった。


 胸に熱いものが込み上げてくる。


 遅いよって言おうと思ったけど、やめた。


 彼は死の淵から生還したのだ。


 もっと相応しい言葉がある。


 私は空気をいっぱい吸い込んで、思い切り風に乗せた。




「おかえり」




「ただいま」




 笑顔で返してくれた彩我の表情を視界にとらえて、目尻に雨粒が流積する。


 変だな。今日は雨なんか降ってなかったはずなのに。


 でも、不思議と悪い感じはしなかった。


 むしろ暖かかった。


 私を囲んでいたツタは焼けこげて、帯電しながら力無く墜落している。


 彩我は、遺物を扱うものとして、次のステージへと至ったのだ。


 紫電の煌めきがそれを証明するかのように唸る。


 デイヴィッドとの訓練の時よりも明らかに精度が増している。


 飛高の表情は、紫電を視界に入れて、酷く不快そうに歪んだ。


「おい、何起き上がってるんだよ。僕がズタボロにしてやっただろ。いいから大人しくそこで倒れてろよ‼︎」


 激昂を隠そうともしない飛高を、彩我は寸分変わらぬ真剣な面差しで捉える。


 それが飛高を、怒号の渦に引き摺り下ろした。


「なんなんだよ……どいつもこいつも。これだけカテゴリーに差があるんだぞ。覚醒したのかなんだか知らないけど、それでも僕に到底及ばないんだ。なのに、なんでまだ立ち上がる。諦めれば優しく殺してやるのに」


「お前は勘違いしてる」


「は?」


「人の強さは単純な力の強さだけじゃないんだ。本当に強いと言われる人たちは、心が強い。何者にも侵されない、不屈の自我を持ってるからこそ、他者から強いと言われる」


「…………馬鹿馬鹿しい」


 飛高の呟きと同時に屋上のありとあらゆるものが怒っているかのように震える。


「そんな精神論がまかり通ってなるものか‼︎そんな理論は力を持たぬ弱者の戯言に過ぎない‼︎篠沢彩我、口をついて出てしまったのかは知らぬが、その譫言せんげん、遺言としてやる‼︎」


 もはや対話は無意味。


 互いにそう悟る。


 私は一歩退いて、彩我の邪魔にならないようにしようとした時。


「雛。ちょっと耳を貸してくれ」


 呼び止められた。


 なんで呼び止められたのか分からないまま、とりあえず近くに寄って、耳を口元に向かせる。


「——————」

「えっ」


 あまりに突飛な内容に、私は思わず声を漏らした。

 飛高は怪訝な表情でこちらを見ているが、あくまで自分が強者だというプライドからか、黙ってこちらを見ている。


 私に出来ることはないと思ってたけど、彩我が一つの可能性を示してくれた。


「出来るけど、大丈夫なの?」

「ああ、なんとかしてみせる」


 彩我の決意は堅かった。


 彼の瞳に宿る闘志は、鋭敏さを増している。


 少し恥ずかしいけれど、その真剣さに当てられて、私は微笑む。


「分かった。二人で協力してやってみよう」


 違う、と彩我が言った。


 なんでだろう、と疑問が脳天をつく。


 少し不安げに眉を寄せる私の頭に手を置いて、彩我は言った。


「二人一緒にやるんだ」


 初めて知った、彩我の意外な一面。


 こいつ、意外と恥ずかしいセリフを簡単に言っちゃうタイプだ。


 でも、そんなところも愛しいと思う。


 だから————


「————なんのつもりだよ。イチャイチャしやがって」


「「イチャイチャはしてない」」


 私は彩我におぶってもらう体勢になった。


 もっとも、私は支えなしでしがみついている形だけれど。


 ハモってしまったのが恥ずかして、赤面してしまう。


 きっと今の私、耳まで真っ赤っかだ。


「ふざけやがって————燼滅だ‼︎塵芥一つ残すものか‼︎」


 もはや飛高の言葉は耳に届くことはない。


 私と彩我の世界は、誰にも邪魔なんて出来ない。


「やろう、彩我‼︎二人一緒に‼︎」


「ああ‼︎」


 私たちは飛び出す。


 一丸になって。


 私たちは抗う。


 無意味を罵るものに。


 私たちは笑う。


 触れ合うのが嬉しくて。




 もう誰にも、邪魔させない

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