第6話 辰砂と竜殺し

一二月一三日 渋谷 一〇時二五分


 肌をくすぐる冬の風が、身体から熱を奪っていく。


 いや、違うな。緊張が熱を冷ましてるんだ。


 二度目の任務なのに、俺はなんで緊張してんだよ。

 喝を入れるために頬をバチンと叩く。


 心なしかマシになった気がした。


「緊張してる?彩我」

「いや、大丈夫だ」


 雛の問いかけに、強がりながらも明るく返す。

 そっか、と呟いて雛は装備の点検を再開した。


 俺たち四人は渋谷封鎖区画の前で作戦開始の号令を待っている。

 今回の作戦では渋谷の一画を工事のため、という建前を使って封鎖している。土御門グループの社員が全員遺物を扱う犯罪者ではないのだ。


 一般人を巻き込まず、罠を張った人間だけがここに残る。


 もはや互いに逃げ隠れという選択肢は無い。


 俺たちの担当以外のビルにはそれぞれ東京駐留部隊が突入。その内の一つは隊長が単騎で制圧するようだ。


 敵がどの程度いるかは分からないが、少なくともシュヴァルツと同等か、それ以上。楽に片付けられる任務ではないのは確かだ。

 加茂物流センターでの経験を経て俺も遺物に対する理解を深め、さらに練度を向上させてここにやって来た。


 前回のように足手纏いになるつもりはない。


(静かだ……)


 土曜日のこの時間帯は本来、人だかりで溢れることだろう。

 しかし、今日この瞬間だけは、この世界に俺たちだけしかいないという錯覚を覚えてしまう。


(集中にはもってこいの環境だ)


 各々遺物や武器を装備し、準備を完了する。


「こちらアイリス班。準備完了しましたわ」

『了解。作戦開始までその場で待機してください』

「了解」


 いよいよ、という実感がさっきまでの身体の冷えを消し去り血液を沸騰させる。

 目を閉じて、助けられなかった人、助けられた人、その全てを思い起こす。


(行ってくるよ)


 眼窩に光を取り込む。


 空気がピリつくのを感じ、力を足にこめた。


「現時刻一〇時三〇分。作戦開始ですわ。各位、土御門ホールディングスまで最大速度で行きますわよ」


 アイリスの号令により、一列に並んだアイリス班は隊形を乱さずに走り出す。


 俺の二度目の死線が瞳孔に映った。


          ♢


 同時刻 土御門ホールディングス最上階


「あいつら、隠す気が無いのか?」


 土御門ホールディングス本社ビル最上階で、飛高はこれから死闘が控えているとは思えないほど優美な食事を摂っていた。

 一汁三菜の形式を律儀に守った金目鯛の煮付け定食は、素朴でありながらも高級感を伴って机上に威風堂々と並べられている。

 部屋を満たす香りは鼻腔をくすぐり、食欲を意図せず誘発する。


 それをものともせず無私の表情を貫き通す睡蓮はタブレットで情報を整理していた。


「本日この区画は大規模な工事が行われるものとして、事前に封鎖されることが告知されていたようです。その範囲は土御門グループのビル五つを囲って余りあるほどです」


 的確に情報を伝える睡蓮の言葉を、手を止めることなく耳に入れ、飛高は楽観的に言う。


「向こうも罠だって分かって来てるみたいだね。飛んで火に入る夏の虫って言葉を誰かに対して使う機会があるとは思わなかったよ」


 食事を終えた飛高はナプキンで口元を拭う。

 睡蓮は主人の食事終了のタイミングを見逃すことなく、手早い動作でテキパキと机上から皿を下げた。

 飛高は睡蓮が机に残したタブレット端末を手に取り、これから相対することになるであろう者たちの顔を一瞥した。

 顔写真とともにある程度のプロフィールが掲載されており、企業の情報収集能力の高さを窺わせる。


 その中に一つ。飛高の目に止まる顔が。


「この篠沢彩我ってやつ。つい最近統轄機構に入ったばかりの雛鳥じゃないか」


 他の者と違いほとんど情報の載っていない空白の目立つ彩我のプロフィールは悪目立ちしていた。

 今回自分たちのところにやってくるのが精鋭ばかりで固められていたにも関わらず、その雛鳥はメンバーに選定されている。


 飛高の瞳が細まる。


「その方が気になるのですか?」


「ああ。期待の新星とかいうやつじゃないか。こういうやつのキャリアを潰してやるのが、結構楽しいんだよね」


 飛高は窓際に向かい、渋谷の街を一望する。

 普段ならば活気に満ち溢れているはずの街並みは、今や寂しい通り風を吹かせるだけの空白と成り果てている。

 粒のように見えていた人の波も、今は凪いでいる。


(決戦には相応しい雰囲気だ)


 緊張の糸が張り巡らされた雰囲気に、飛高は胸を高鳴らせる。

 飛高は口元を扇子で覆い隠し、嗜虐心を自身のうちに閉じ込める。

 これから起こる鏖殺を、飛高は確信を持って、やってくると信じている。


 それは自信ゆえか。はたまた世間知らずがゆえか。


 主人の邪魔をすることを申し訳なさそうにしながら睡蓮が肩を叩き、飛高は彼女を見やる。


「飛高様。溝口様から連絡がきました。統轄機構職員と思しき集団が、周辺の土御門系列のビルにそれぞれ向かっているようです」


 従者の一報を耳に入れ、飛高はとうとう我慢できず、口端を吊り上げる。


「分かった。それぞれ指定位置につくよう連絡してくれ」

「了解しました」


 ついに始まる戦いに、飛高は笑顔で飛び込もうとする。


 初の実戦。そんな緊張感など露知らず。


 飛高は胸を大きく張る。


「勝つのは僕だ」


 大きく広げられた飛高の和服は、陽光を浴びて煌めいている。


          ♢


 俺たちは正面のガラス張りのエントランスから堂々と土御門ホールディングスへと入りこんだ。


 アイリスを先頭にして、俺、雛、ジークの順で入り込み、即座に全周囲を警戒出来るようにと事前に示された警戒方向を各々担当する。


 清潔感にあふれるガラス張りのエントランスは普段ならば活気付いているであろうことがありありと浮かぶほど広いが、今この瞬間においては沈黙を貫いている。

 ただ清潔感にあふれているかと言われればそうではなく、観葉植物や暖色の照明がうまく調和し、暖かみのある空気感を演出している。


 侵入者として来ていなければ、どれだけ良かったことだろう。


 少し、罪悪感を覚えた。


 しかし、そんなことを考えているほど、俺たちに余裕はない。


 ここは既に敵のテリトリー。


 雑念を払わなければ、いつ死んでもおかしくないだろう。


 何より一人の油断によって仲間を死なせるかもしれない。

 そんな結末を迎えさせないために、俺は全力で警戒方向に意識を向ける。


「行きますわよ」


 各人の方向に異常がないことを確認したアイリスの号令によって、俺たちは一列で吹き抜けの先にあるガラス張りの階段へと足を踏み入れる。


 土御門ホールディングスは三四階建てのガラス張りのビル。


 吹き抜けが特徴的な内装スタイルであるためこちらの動きが筒抜けであり、いつ奇襲がかけられてもおかしくない状況だ。

 そのリスクを最小限にするため、俺たちが取った策は、最高速度でトラップすらもブチ抜く。


 一見、作戦として成り立っていないかに思われるが、どういった遺物が待ち構えているか分からない現状において、最も優れたリスク回避方法だ。

 全員が警戒態勢を維持しつつ、一階、また一階と駆け上がる。


 きざはしを下方へと置き去りにするたびに、因果律改定値が上がっていく。


(この先に敵が……)


 敵が迫っている実感が肌を突き刺す。

 俺のこれまでの全てをぶつけるつもりで臨もう。

 俺が唇をひき結んだ——その瞬間だった。


「停止」


 九階地点でアイリスがこちらに手のひらを向けて、静止を促す。

 後続の俺たちは、彼女の右手の方から彼女が視界にとらえているものを目に映す。


「————なんだよ、あれ」


 視線を向けた先は廊下だった。

 様々な部屋への戸が配置された大廊下。

 俺たちから四〇メートルほど離れた場所にそれはいた。


 が、独りでこちらにおぼつかない足取りで向かって来ていた。


 所々に血痕が斑点を形成している白いワンピースを身に纏うその姿は、酷く冒涜的な行為の末に生み出された物である事は、一目で分かった。


 分かってしまった。


「無力化しますわ。下がっていて」


 アイリスは一歩前へ出ると、右手を少女にかざす。

 すると、彼女の周りに液状の銀が現れ始めた。

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銀髄変質の理オルタレイト・メルクリアリス】 

使用者:アイリス・R・ロードナイト

〈カテゴリーⅤ〉

 詳細:アイリスの触れた銀を、銀と水銀の状態を好きに変更し、操る遺物。

 実際は銀色の金属を銀と水銀の状態に変質させている。

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 アイリスから放たれた銀の奔流が、人形へと向かい、その身体に纏わりつく。

 人形は抵抗と呼べるような行為を全くとらなかった。

 その代わりに、絞り出したように掠れた声を出した。


「マ……マ、クラ、イ……ヨ」


「…………」


 その場の全員の表情が陰る。


 年端のいかない少女だったであろう人形の声音が、脳裏でこだまする。

 しかし、アイリスは冷静に少女を壁に張り付けて銀を固める。


「行きますわよ。こんなところで立ち止まっていても何にもなりませんわ。ご安心くださいませ。あとで必ず弔いましょう」


 アイリスの鼓舞に、俺はハッとした。

 そうだ、俺たちに迷っている時間は無い。

 今ここで前を向いて歩くことが、彼女のような犠牲者を減らすことに繋がるんだと、あらためて気付かされる。


 アイリスの気丈に振る舞う姿にあてられ、雛の顔にも一層情熱の色が窺える。


「警戒態勢を解かずに進みますわ」


 再び俺たちは一塊になって躍動を開始する。

 もう迷いはいらない。

 あらためて引き締められた隊の雰囲気は、さらに強靭なものになっていた。






 

 順調に歩みを進める中、アイリスのもとへ一報が入る。


 一七階を過ぎたあたりでの出来事だった。


 一旦足を止める。


 ここに来るまでに何人かの蝋人形を拘束し、大した異常が起きることのないままにここまでやって来られた。


 いや、、と言うべきだろうか。


 不気味な沈黙が滞留するビルの内部で俺は不安感を積もらせていた。

 他のメンバーも同様のようで、怪訝な表情を浮かべている。

 もはや、俺たちは既に敵の術中なのではないかと思ってしまうほどの不気味な空気に、連絡を伝えるアラーム音が恐怖心を煽る。

 アイリスは通信機器に顔を近づけて報告を受ける。


 その表情から察するに、悪い知らせなのだろう。彼女の顔色はみるみるうちに青ざめていった。


 通信が終わり、アイリスは俯き気味に口を開く。


「こちらに三〇〇を超える人形が向かっているという連絡を受けましたわ。地下やトラックの荷に身を隠していたようで、統轄機構の封鎖網内部に元々居たようですわ」


 伝えられる絶望的な状況に俺は息を呑む。


 (三〇〇?多すぎんだろ⁉︎もうビルに入ってる俺たちは挟み撃ちだ‼︎)


 アイリスの額を汗が伝う。


 ここまで冷静沈着にリーダーとしての責務をこなしていた彼女が初めて見せる焦燥に、俺は目を向けていられなかった。


 やがて意を決したように、眦を向ける。


「ワタクシが一階に戻って足止めします。みんなはその隙に最上階へ」


「無茶だよお嬢!なら私も行く‼︎」


「ヒナちゃん。今は駄々を捏ねている場合ではありませんわ。何を優先するべきかをしっかり考えなさい」


 雛の激情を、ソプラノの声音で諭す。

 雛は反論しようとするが、言葉が詰まって出てこない。

 悔しそうに唇を噛む彼女の頬を、アイリスは優しく包む。


「ご安心を。必ず合流すると約束しますわ」

「…………約束だよ」


 ええ、と明朗な笑顔を向けると、アイリスは俺とジークの方に視線を沿わせる。


「サイガくんとヒナちゃんをお願いね。ジーク」

「お任せを。——どうかご武運を」

「ええ。あなたもね」


 ジークとアイリスは互いに最低限ながら、長年の信頼関係を覗かせるやり取りで、両者を労った。

 アイリスが十七階という高所から、一階のホールへと飛び込む。


 無事に着地するのを見送ってから、俺たちは走り出した。


          ♢


「久しぶりね。ルリ」

「しばらく会わないうちにまたオシャレになったかな。エディス」


 東京湾を一望出来る港で、無骨な船舶たちに似つかわしくないほど眉目秀麗な女性二人が対面していた。

 瑠璃は片手間に荷物の搬入指示を出しつつ、目の前の女性から視線を外さない。


 エディス・バートリー。


 鏖惚企業連bloodbath companyで、溝口瑠璃と同等の地位に若くして鎮座する、才気にあふれた前途ある若者。


 一見すると痛々しくなっしまいそうな紅のドレスは、彼女の美貌によってまるで彫刻のような硬派な美しさを含んでいる。


 背後に佇む豪華客船とのコントラストがそれを証明しているようだった。


「あなた、土御門の所に手を貸しているんじゃなかったかしら」


「もちろん援軍を送っているとも。多いとは言えない数だがね」

「あいつがいるの、渋谷でしょ?二〇キロ以上離れているじゃない。操作はちゃんと出来るの?」


「問題ないよ。私の蝋人形子供たちの優位性は射程距離と同時操作可能数にあるからね」


「あいも変わらず化け物ね」


 侮蔑の視線を送るエディスを気にも留めず、瑠璃はタブレットを操作する。

 エディスはその様子を見て、苛立ちを覚える。


「あんたが何を言いに来たかは分かってるわ。このまま待ってても世間話が長引きそうだから言わせてもらうけど、飛高を乗せてほしいって言いに来たんでしょう」


「そうだよ」


 瑠璃は目尻を下げ、薄目にエディスを見る。

 そこには何の感情が潜んでいるのか分かったものではない。


 企業内においても彼女は異質だ。


 それを如実に語るのが、彼女の遺物だろう。


 人類生存理由レギオンデートル。最高に趣味の悪い遺物だ。

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人類生存理由レギオンデートル

 使用者:溝口瑠璃

〈カテゴリーⅧ〉

 子供の死体を加工して作られた人形を傀儡にする遺物。人形一人一人に軽度の因果律操作能力が付与されており、身体能力が強化されている。人形の能力はカ概ねテゴリーⅠ程度に収まる。

溝口瑠璃が愛を持って接した者を加工した人形でなければ操作する事ができない。

 幼少期を人形と過ごした少女が辿り着いた、ニンゲンの形。

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 自身の目的を隠そうとすらしない彼女の図々しさにこめかみを抑える。


「頭痛かい?痛み止めの持ちあわせはあったかな」

「いらない。何が入ってるか分かったもんじゃないわ」

「心外だな。私はそこまで外道ではないよ」


 冗談っぽく言う瑠璃を睥睨へいげいする。


「お断りって言いたいのかい」


 言葉を発することなく意思表示するエディスに、まいったな、と瑠璃は苦笑してみせる。

 瞳を閉じるのに沿わせるように、顎に人差し指を沿わせて思案する。


「何言ったって無駄よ。無理なものは無理」

「君は断れない。私の提示する物はいつだって人々を欲望の渦に引き込んできたからね」


 瑠璃の口角が歪む。


 エディスは我慢ならず、遺物を起動した。


 明らかに空気が重圧を増し、周囲の従業員たちの手が止まる。

瑠璃は手ぶりで指示を出し、それぞれの業務に戻らせる。


「あんた、いい加減にしなさいよ」

「まあ聞いてくれよ。私が君に提示する物は一つさ。私の受け持つ輸送ルートを三本、君に贈呈する」


「…………正気?」


 輸送ルートを譲渡するということは今の利益を手放し、ライバルに塩を贈るに等しい。

 そんな事をするメリットはどこにもないはずだ。


 エディスは困惑を隠せなかった。


 そんな様子を見て、瑠璃は続ける。


「正気だとも。その代わり、飛高を追ってきた統轄機構と戦わせてほしいんだ。もちろん破壊された物や人がいれば補填はこちらでする」


「魅力的な条件ね。でも、分からないわ」


 瑠璃は、なぜ?と目を丸くする。


「なんで飛高をそこまで統轄機構と戦わせるようにしてるの?愛弟子なんでしょう」


「愛弟子だから、だよ。あの子は才能があるが、今まで伸び悩んでいた。何故か分かるかい?」


 エディスが首を横に振ると、瑠璃は虚空を見つめながら語った。


「あの子はね、絶望が足りないんだ」

「…………」


「ぬるま湯に浸かってきたから自分や遺物の本質に迫れない。たしかに日常で小さな絶望を積み重ねてはきただろう。でも、それじゃあ足りないんだ。真の絶望は、実戦と挫折の中で生まれる」


 なんとなく、彼女の言いたいことが理解できた。

 愛弟子を絶望のどん底に突き落とし、成長を促す。


 最も最低で、最も悪辣な修行。


 彼女は年端もいかい青年にそれを強要しているのだ。

 つくづく性格の悪い女だ。


 だけど————


「いいわ。あんたに乗せられてあげる」

「ありがとう。持つべきものは友達だね」


 張り付けたようなペラペラの作り笑いを瑠璃はする。

 それを遮るようにエディスは肩を掴んだ。


「最後に一つ聞かせて」


「なんだい?」


「あんた、援軍少なくして負けるように仕組んでるでしょ」


「そんなことは無いよ。多く送ったところでカテゴリーⅩが出張る口実にされてしまうだけさ」


「最初から負け戦ってわけね」


 もういいわ、と言ってエディスは豪華客船へと足を向ける。

 背後で瑠璃が手を振っている気がしたが、無視した。

 あんな化け物と関わっていたら、自分まで腐る。


 エディスは荷物のリストに、一つ空白を作った。


          ♢


 アイリスの遺物が無くなったことで、俺たちは人形を制圧せざるをえなくなっていた。

 断末魔にも似た悲鳴を上げる事もあれば、助けを求める事もある。


(ごめん……ごめん‼︎)


 少年少女を組み伏せた時の感触が、ずっと手から離れてくれない。


 悲鳴が耳から離れない。


 俺は本当に正しい事をしているのか?


 疑念は尽きる事を知らない。


 だけど。


(アイリスに教えてもらったんだ‼︎今立ち止まったって意味ない‼︎今の俺に出来る事を、出来るようにやるんだ‼︎)


 アイリスの言葉を胸に、俺は立ち続ける。

 決して負けないように。


「サイガ、大丈夫か」

「はい、なんとか……」


 普段口数の極端に少ないジークが、代理で隊長をしているからか、俺のことを気にかけてくれた。


 本当に恵まれたな、と思う。


 支えて、支えられて。


 俺もいつか恩返ししなきゃなって思った。






 二七階で、吹き抜けの階段は途切れた。


 登り切った正面にオフィスが乱立しており、それを抜けた先に、上層へと通じる階段が見えた。


 周囲に敵影は見えず、因果律改定値も変化していない。

 生活感を色濃く残すこの地は、異物である俺たちを強く拒んでいるように見える。

 ジークは躊躇うことなく机に足を乗せ、足場にする。


「行くぞ」


 ジークが先行してトラップが無いかを確認し、安全をある程度担保する。

 俺たちは机を踏み台にしながら、障害をものともせずに突き進む。

 未だ資料や真新しいパソコンが残るオフィスを踏みつけるのに抵抗を覚えつつも、なるべく汚すことのない最短ルートを駆け抜ける。


 階段まであと少し。


 オフィスを抜けた先にある階段の輪郭がハッキリとしてきた。

 ガラス張りの壁から入る陽光が、凛々としたジークを照らしている。




 あと五メートル。そのタイミングだった。




「下がれ‼︎」


 ジークの怒号が耳朶を叩く。


(敵か⁉︎)


 音も気配も感じ取れない。

 だが、ジークの指示を頼りに身体を急速に動かす。

 踏み出そうとした足を反転させ、反応が遅れた雛を胸に抱えながら後退する。


 数メートル下がった時、後方から裂帛れっぱくが聞こえた。


「ぐっ‼︎」


「ジーク‼︎」


 雛の悲鳴が、後方で起きている惨劇を伝える。

 後退する最中、俺は視線を後方にやる。

 俺の視界がとらえたのは、胴を斬られ、鮮血を吹き出すジークの姿だった。


「飛高様の邪魔はさせません」


 一秒もかからず、ジークに幾重もの斬撃が浴びせられる。

 ジークを斬り伏せたのは、改造制服を着用し、刀を振るう青髪の少女だった。

 ジークは机同士の間にドサッと落ちる。


 ジークが、死んだ?


 俺の思考が停止した。


 目の前の光景がうまく認識できなくなり、白いキャンバスのようになっていく。


 その中で、ただ一人。視界に映る。


 返り血を浴びた少女は、後光を受けているからなのか、死神のように見えた。


「彩我‼︎今はとにかくこいつを倒して先に進まないと‼︎」


 雛の言葉で思考を取り戻し、彼女を降ろして戦闘体制を取る。


 後悔ならあとからすればいい。


 ここで感傷に浸っていたら、それこそ仲間たちに失礼だ。

 怒りを押し殺し、努めて冷静に俺は少女に飛びかかろうとした——その瞬間、一閃。


「なっ⁉︎」


 少女の後方から白銀の一閃が繰り出される。

 その牙は的確に首を捉えるも、少女が攻撃に気づき、すんでのところで受け止める。


「ジーク⁉︎」


 少女へ斬撃を繰り出したのは、先ほど斬り伏せられたはずのジークであった。

 幾度となく太刀筋を浴びせられた筈の彼の身体には、斬撃など無かったように怪我の類が消え去っている。

 少女は信じられないというように瞠目している。


「ここはお任せを。私は死にませんから」


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凋落せし竜殺しバルムンク】 使用者:ジーク

〈カテゴリーⅢ〉

 詳細:五分間限定で不死性を与える遺物。統轄機構の所有する数少ない神話兵装の一振りであり、その真の能力については未だ不明。

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「行こう、彩我。上を早めに片付けてすぐに援護に来ればいい」


 少し躊躇っているのを見抜いてか、雛は俺を鼓舞してくれる。

 俺なんかよりもよっぽど覚悟の決まった眼差しに射抜かれて、俺はあらためて喝を入れるために頬を叩く。


「ああ!すぐに戻る!」


 俺と雛は拮抗状態にある二人の隣を抜け出して上階へと向かう。

 伏兵もトラップも無く一階、また一階と歩みを進める。


 感じる。


 近づくたびに、肌に突き刺さりそうなほどのプレッシャーを。

 シュヴァルツよりも、もっと大きな力の奔流を。


「…………着いた」


 とうとう三四階へと、俺たちは到達した。

 大きな両開きの木製扉は威厳を具象化したようなプレッシャーを放つ。


(なんだ……これは……クソっ)


 同じ人間が放っているとは思えないほどの重圧が、扉越しに伝わる。

 あまりの重々しさに、歩幅が極端に狭くなる。


 膝がガクガクと震える。


(動け……動けよ)


 膝を全力で叩く。


 何度も叩き続け、やがて震えがおさまった。


「行ける?」

「ああ。もちろんだ」


 恐怖は口から出さない。


 同じく恐怖に煽られている雛も、気丈に振る舞おうとしているのだから。


「開けるぞ」


 俺は眦を決し、重厚な扉に手をかけた。


          ♢


 上から駆け上がっていく音が響いている。


「気合い入れませんと」


 身体を動かし、軽いストレッチを施す。


 ワタクシはこちらに向かってくる人形たちを制圧するべく、一階ホールへと降り立った。

 報告によれば人形一体一体に軽度の因果律操作能力があることが認められているとか。


 やりづらいですわね。


 これだけの範囲の能力を使っているにも関わらず、渋谷内から大きな因果律改定値は検出されていない。

 裏から糸を引いている人物がいるのは、誰の目から見ても明らかだろう。

 事態は思ったよりも悪い方向に行っているのかも知れません。

 そんな事を思った。


 それでも、ワタクシはやらないといけない。


 だって、可愛い後輩たちが平和のために邁進しているのだから。

 先輩のワタクシが逃げ腰だったら示しがつきません。


 ガラスが小刻みに震え始めた。


 音の方角に視線を向ける。


「来ましたわね」


 ガラス張りだからよく見える。


 蝋の貌を持った三〇〇を超える人形の一団が、自動車程の速度で一直線にこちらに向かっていた。

 各々が武器を装備しており、チープなホラー映画のような様相を呈している。

 ワタクシは瞳に緞帳を降ろして、先ほどサイガに強がりで鼓舞した事を思い出す。

 あとで必ず丁重に埋葬させていただきますわ。




だから——




「どうかワタクシのことを——お許しくださいませ」


 ビルの一階に存在する金属が、アイリスに平伏する。

 そのカタチを変質させ、彼女の思うように蠢く。


 銀髄は寄せ集まって、波濤を形成する。


 人形たちが全方位からガラスを突き破ってやってきた。

 抑留された魂の解放を願うかのように、呻き声を洩らす。


「タ……スケ……」


「オナ…………カ、ヘッタ」


「ソ、レヤ、ダ——」


 瞳孔を開く。


 すぐそこまで迫っている腕をしゃがむことで回避して、水銀の波で押し退けた。

 眦を決して、凛々しい面持ちで宣言する。


「ええ、必ず解放して差し上げます」


 葬送のための闘いが、幕を上げた。


          ♢


 二七階のフロア内には、絶えず剣戟の音が響いていた。

 剣がぶつかり合うたびに火花を散らし、風圧がオフィスを散らかしていく。

 形式は違えど剣を持つ両者の死闘は拮抗状態を極めていた。

 睡蓮は虚を突かれたものの、すぐに態勢を立て直し、その刃をジークへと突き立てていた。


(相手の刀……あまりにも切れ味が高すぎるな)


 ジークはこの数分間で睡蓮の攻撃を観察し、細部に至るまで分析していた。


 視線を足場にしている机群に向ける。


 本来であれば簡単に切り裂くことなど不可能な筈の鉄製の机が鋭敏な裂傷を受け、見るも無惨な様相を呈していた。


(おそらく、これが能力を導き出すヒント)


 ジークは戦闘を行う側、脳のリソースを割き、敵方の能力解明に注力する。


 分かっていることは三つ。


 第一に、世界に干渉するような遺物ではない。それができるのであればとっくに使用している筈だ。ここで出し惜しみする理由は無い。


 第二に、肉体を変質させるような遺物でもない。彼女の身体能力は一般的な遺物使用者のそれと大差はない。


 第三に、凋落せし竜殺しバルムンクと相剋した時に、彼女が瞠目していたこと。


(ここから導き出される答えは——)


「硬度の無視——」

「⁉︎」


 彼女は瞳孔を大きく開き、後ろに飛び移る。

 刀をさらに強く握りしめて、切先をさらに鋭利な角度で向け、ジークの陰影をなぞる。

 自身の能力が割れたことで、ジークへの警戒度を引き上げた様子で睡蓮はその水晶の瞳を細く、切れ目にする。


(この男性、思ったよりも厄介ですね)


 柄を握る力が知らぬうちに強くなる。


「図星だな」


 分かりやすい反応に助けられ、ジークは睡蓮の遺物の能力を断定する。

 斬撃を加えるとき、その物の硬度を無視して攻撃を行える。

 なるほど、とジークは思った。

 強い能力を発揮するわけではない。故に奇襲に走ったのだ。


「先ほどの一撃で片を付けるつもりだったのだろうが、それは通用しない」

「口を開けばペラペラと——」


 言い切る前に、睡蓮はジークへと刃を振りかざす。

 ジークは難なくそれを受け止める。

 睡蓮の表情に焦燥が見え始めた。


 当初の計画では睡蓮が後に合流する手筈となっている。

だが、ジークの戦闘能力の高さにより戦局は膠着し、大幅な遅れが出てしまっていた。


 飛高が敗北するなど微塵も思っていないが、言いしれない不安感が睡蓮の双丘の奥深くで根を張る。


「大方初めての実戦といったところなのだろう。研鑽は長く積んだようだが。故に遺物の能力同士が拮抗することを知ってはいたが、自身の能力に自信があった」


「ええ、その通りです。先程は戸惑いましたが、今なら分かります。その剣そのものが遺物なのだと。遺物で強化された程度の武器であれば私の遺物で叩き切れますから」


「ああ」


 あっさりと認めるジークに、睡蓮は不快感を隠しもしない。

 睥睨されていることを意にも介さず、ジークは唇を固く引き結ぶ。

 剣を扱う者同士の滞留した空気。

 切先の先に佇む敵を、互いに視界に収める。

 机から紙がずり落ちる。




 同時に二者はその刃を首元へと滑らせた。


          ♢




 扉の先に、男がいた。




 ビルの一室というにはあまりにも広い、けれども棚や机などで埋められた大きな執務室の奥に、同じくらいの歳に見える和服の青年がこちらを一瞥している。


 やんちゃな印象を与えがちな茶髪は、正統派な日本人顔の容姿端麗な青年に被さることによって近代的な和式の様相を見せつけている。

 こちらの姿をまじまじと見つめた後、青年は口を開いた。


「やあ。ここまでよく来たね。篠沢彩我君」


 目の前の青年が自身の名を呼んだことで、俺は思わず双眸をカッと開く。


(なんで俺の名前を⁉︎)


 隠すことのできない動揺に、俺は取り繕うことすら忘れてしまった。

 その様子を見て青年は心底愉快そうに口元を扇子で覆い隠した。


「そんなに驚くなよ。ちょちょいと調べただけさ」


 まるで蛇のような絡みつく視線に射すくめられ、呼吸をする事も忘れる。

 やがて俺は思考の手綱を握り直し、青年と再び目を合わせる。

 青年は変わらず微笑を振り撒いていた。

 相好を崩した青年の所作が、神経を逆撫でしていく。

 目の前に現れた青年の底知れなさに、身体をぶるりと震わせた。

 肌に突き刺さるようなプレッシャーが、敵は圧倒的に格上だということを教えてくれる。


「お前が土御門飛高か?」


 震える身体を強く抑えつけ、精一杯の虚勢を張って青年に問うた。


「ああ、いかにも。逆に聞くけど、それ以外無いと思うけど。聞く意味あった?」


 眼前に敵がいるのにも関わらず一切の焦燥が浮かび上がらない飛高の不気味さに、俺も雛も、迂闊に動くことが出来ない。

 余裕綽々としてはいるものの、プレッシャーはとめどなく押し寄せ、戦意を折りにかからんと殺到する。


(この場から逃げたい————でも)


 下層で闘っている仲間たちの顔がありありと網膜に映る。


 みんな、頑張ってる。


 みんな、命を賭けてる。


 みんな、闘ってる。


 だから————


「土御門飛高、お前を拘束する」


 俺の言葉を受けて、一瞬表情を固めたが、すぐに取り繕う。


新人ルーキーに啖呵を切られるなんて…………舐められたもんだ。本当に勝てると確信して言ってるなら——君は本当に命知らずの、ビギナーズラック君だ。新人なのに成果を出して名が上がっててるから凄いやつなのかな、なんて思ったけど、とんだ勘違いだったみたいだね。そこの女も大した事無さそうだし」


「…………は?」


 頭に血が昇っていくのが分かる。


 今怒りに身を任せたって敵の思う壺なのは分かってる。

 それでも、仲間を侮辱されたことを、許すわけにはいかない。


 一歩前へ進もうとした時。


「彩我、気にしないで。今挑発に乗ったって何の役にも立たない」


 雛の諫言かんげんに、俺は理性を取り戻す。


(そうだ、今やるべきはこんな事じゃない)


 挑発に簡単に乗ってしまいそうだった自分を戒めつつ、俺は飛高を睨む。


「いいね、コンビって感じだ。でも、これで泣き別れだね」


 口端を扇子で隠し切れないほどに吊り上げる飛高から、俺は目を逸らさない。


 ここで逃げるわけにはいかない。


 紫電越しに拳を全霊を以て握りしめる。


 俺が覚悟を決めたのを察して、雛が挙銃する。

 背後に視線を送ると、雛は笑みを浮かべていた。


「いこう、彩我。私たちなら出来る。あいつを馬鹿にし返してやろう」


 雛の言葉に背中を思いきり蹴飛ばされる。

 こんなところで止まれない。


 俺と雛は飛高の扇子が閉じるのを皮切りに、飛高に向けて攻勢を行う。

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