第5話 土御門飛高

日照りが落ち着き、枯れ葉が風に運ばれる日本庭園。


 都内某所に、その和風建築は佇んでいた。


 歴史を感じさせる外観とは裏腹に、その周囲を囲む広大な塀には幾つもの防犯装置が取り付けられている。

 そんな建物の一角。和室には似つかわしくない機材が幾つも設置された部屋で、若い男は渋面を作りながら肘をついてホログラムに囲まれていた。


『次の議題に移ろう。飛高、日本における貿易拠点が多数襲撃を受けている件だが、お前の傘下の現場監督の敗北による座標流出が主な原因と見られている。これについて————』


「問題ありません。少々部下がでしゃばっただけに過ぎません」


 飛高が食い気味に弁論すると、それをよく思わなかった者たちの罵詈雑言が彼の耳朶を叩いた。


『土御門が地に堕ちたもんだなぁ⁉︎あんだけ日本拠点の運営は任せておけって息巻いてたくせして‼︎』 

『所詮は落ちぶれた陰陽師崩れってことですよ』

『この大事な時に…………計画が滞ったらどう責任を取るつもりだ?』

『私語は謹んでください。会議が進みません』


 大小様々なホログラムが土御門飛高を置き去りにして話を進める中、彼の胸中には着実に怒りが蓄積する。

 堪忍袋の緒が切れた様子で、語気を強めながら口を開く。


「何度も言うようですが、一部で起きた事案が我々を脅かすことはありません。ましてや計画に大幅な影響が出ることなどありえない」


『それはお前が決めることではないだろう。脅威になりうるかは君の主観で判断されるべきではない。既に日本における重要な拠点が脅かされているのだ。それに、物流が停滞したことによる計画の遅延が既に懸念されている』


「…………はい」


『今回の事案の発生理由は、統轄機構の遊撃部隊が日本に滞在していることが挙げられる。飛高。汚名を晴らしたくばこれを撃滅しろ』

「——了解」


『今回はこれにて終了。各々速やかに業務に移行してくれ』


『役立たずが、死んじまえよ』

『あはは!精々迷惑かけないように頑張ってね!』

『失敗は許されませんよ?』


 一際目立つ老獪のホログラムが消えるとそれに続くように周囲のホログラムも一つ、また一つと恨み言を呟きながら消える。


 最後の一つが消え、部屋の灯りが飛高の顔に影を作るように点いた。


 彼の脳内には嘲笑が響き続けていた。


 眉間に寄せられた皺は、彼を苛む全てがのしかかっているかのように深く根付いている。

 ふと、障子にゴソゴソと動く影を見つける。


「睡蓮。外で待たなくていい。僕のところに来てくれ」


 飛高が視線を向けた障子から、いつからいたのか分からない、改造制服の大和撫子といった装いの少女がうやうやしく入ってきた。

 自身と数歩の距離を保った位置で正座をし、悔しそうに唇を噛んでいる。


「…………飛高様」

「いい。気にするな。あいつらは僕の能力を認めたくないんだよ。自分の席が奪われると思ってね」

「はい、その通りです。飛高様のお力は私が一番存じております」


 従者の賛辞にはにかみながら、飛高は口元を扇子で覆う。


「統轄機構の部隊は強力だ。叩くには相応の準備が必要だな」


 鏖惚企業連bloodbath company内において神跡遺物統轄機構というのは目の上のたんこぶであるという共通認識が生まれるほどに、企業は痛手を負わされてきたのだ。


(上層部が焦る気持ちも分かるな)


 現在進められている


 これには莫大な資源と資金がかけられている。


 企業による一大プロジェクトを前にして、今回の事案が起こってしまったのは飛高にとって不幸以外の何者でも無かった。


(でも、これはチャンスだ)


 統轄機構の部隊を見事撃滅した暁には自分の評価はより一層上がることだろう。こんなこともあろうかと用意しておいた策を引き出しから取り出す時が来たのだ。

 日本という平和を体現したような国でここまでの準備をしているのを嘲笑われたこともあるが、そいつらも僕の活躍を知れば尻尾を巻いて逃げてしまうことだろう。


 くつくつと肩を揺らす。


 それを睡蓮は不思議そうに見つめていた。


「何か策があるのですか?」


 睡蓮の疑問を一蹴するかのように飛高は歪曲した笑みを浮かべる。


「ああ。協力してくれるか、睡蓮?」

「——喜んで」


 命令を噛み締めるように睡蓮は顔を伏せた。

 東京上空には灰色の雲が街を翳らせ始めていた。

 

          ♢


 どんなに厳しい環境に身を置く者でも、甘いものは好きなのだ。


 私、双月雛は同じ部隊の仲間たち四人でスイーツ食べ放題の店にやってきていた。

 渋谷の街中で目立つことこそないが、ゴシックな雰囲気が往来する人々の目を引き寄せてやまない。

 店内には若い女性、いや女子っていうべきかな——がほとんどで私たちの姿は少しだけ目立っているような気がした。


「何をボーっとしてるの?時間は有限ですのよ」

「ああ、ごめんよ。お嬢」


 ほら食べて食べて、と急かすアイリスからチョコケーキをあーんで食べさせてもらって、その美味しさに舌鼓を打つ。

 最近の食べ放題はすごいなあ、なんて思いながら自分で取ってきたスイーツたちにも順々に手をつけていく。


 プリンにケーキに、マカロン。


 どれも一級品だ。舌が肥えているわけではないが、それでもこのスイーツたちに勲章でも贈りたいと思える。


「ほら、ジークと彩我も食べなよ」


 大量の甘味を前にして尻込みしている二人に急かす。

 こんな機会なかなか無いのだから遠慮なんてしなくていいのに。


「そうですわよ。特にサイガ。今日の主役はあなたなんですのよ!」

「言われてみれば……」

「なんで忘れてるんですの……」


 つい二週間前の加茂物流センター制圧、及び彩我の初任務の成功を祝うのが今日の主目的なのだ。

 それなのに、そのことをすっかり忘れていた後輩に呆れてジーっと見つめる。

 私の眦を受けて、彩我は頬を引き攣らせる。


「ご、ごめん」

「はぁ……あの時はカッコよかったんだけどなあ」

「あの時はってなんだよ」


 私たちのやりとりを横目にアイリスはクスクス笑いながら紅茶を口に運ぶ。

 イギリス名家出身というだけあって、アイリスの所作は彼女の生まれの高貴さを物語っている。

 その整った顔立ちも相まって、彼女が本当は神の使いなんて言われても信じる人が出てきそうだ。

 隣で自分が食べるよりも、アイリスのサポートに徹するジークの存在も、彼女の神秘性に拍車をかけている。


「そういえば軽く話しておきたいことってなんですか?」


 恥ずかしくなったのか、話を逸らすように彩我はアイリスに話題を振る。

 アイリスは思い出したかのようにティーカップを置いた。


「そうでしたわね。お祝いもひと段落ついたことですし、今が頃合いですわね」


 アイリスは白い本革のショルダーバッグからスマートフォンを取り出し、私たちに見せる。

 そこには地図の座標と名簿が載っていた。


「これって……」


「ええ、お察しの通り次の作戦についてですわ」


 地図を読み解くと、渋谷にあるいくつかのビルにピンが刺されている。

 いずれのビルにも〈土御門〉が頭文字についていた。


「今回の作戦は東京近郊にいる統轄機構武装職員を結集して行いますの。今回の作戦の目的は土御門グループを率いている日本財政界の新星〈土御門飛高〉の拿捕。彼が日本における鏖惚企業連bloodbath company進出、及び事業の展開を扇動した人物として名が上がりました。ワタクシたちは土御門ホールディングス本社ビルをこの四人で担当することとなりましたわ。何か質問はあるかしら?」


 土御門飛高。


 あまり経済とかに精通していない私でも知ってるくらいの有名人。


 彼が展開する事業は、巧みなSNSの運営によりいずれも成功を収め、莫大な利益と経済成長をもたらしている。


 容疑者とはとても思えない。


 だから私は疑念を包み隠さない事にした。


「そいつが犯人だって確信は?」


 一般人を巻き込むのは絶対にごめん。


 その一心でアイリスに質問を投げかけた。


「二週間前に雛ちゃんたちが押さえた加茂物流センターの通信履歴から様々な拠点が割れたのはご存じでしょう?その全てが土御門グループの系列でしたの」


「うーん……それだけじゃ理由、弱くない?」


「土御門ホールディングスの最上階で因果律改定値が検出されてますの。これで充分ではなくって?」

「なら確定だね。でも、わざわざこのタイミングで遺物をチラつかせたってことは……」

「ええ、罠でしょうね」

「だよね」


 あまりにタイミングが良すぎるし、何より餌がこんなにも簡単に目の前に垂らされるわけがない。


 私たちは魚ではないのだ。


 目の前の餌を考えなしに頬張るほど、馬鹿ではない。


 だが————


「でも、乗るしかないんだよね」

「ええ、これで日本における事件を大きく減らせる可能性がありますから」


 バカだね、なんて悪態をつきながら椅子をこぐ。 

 どこまでいっても私たちは馬鹿の集まりなんだ。

 世界を影から守りたいって本気で思ってる愚か者の集まり。


 でも、それも悪くないかなって思った。


 目の前のスイーツたちを作る人たちが、日々を楽しく過ごしてくれるのなら、それに越したことはないのだ。

 それが万人から見たら一笑に付すような理由だとしても。


「なんで雛嬉しそうなんだ?」

「なんでもないよ」

「嘘つけ」


 彩我の怪訝な視線を右から左に流しつつ、私はコーヒーゼリーを頬張る。


 甘味と苦味の狭間で、私は深呼吸した。


 鼻腔をくすぐる香りが心地よかった。

 

          ♢


 都心から少し離れた閑静な住宅街が立ち並ぶ街で、その建築物は一際異彩を放っている。


 料亭『柚子』。


 かつてミシュランにも掲載されたことのある、一〇〇年の歴史を持つ由緒正しい日本料理店だ。

 柚子が擁する美しい庭園は、土御門の屋敷と見比べても遜色ないだろう。


 政界の大物も利用するこの店で、僕はある女性の呼び出しに応じてやって来ていた。


「いきなり呼びつけて……何のようですか?」


「なに、失態を晒した愛弟子の顔を拝みにきただけだよ」


「相変わらず性格の悪い……」


 完全個室の二名用の部屋は、和室の体を成しているが、そのじつ、防音やスモッグミラーなどによって、スパイ行為に対する要塞と化している。


 飛高は自身の前に座った黒いパンツスタイルのスーツをスラリと着こなす、鋭い瞳を持った女性に、萎縮した様子を隠せないでいた。


 一見温厚に見える彼女は溝口瑠璃。


 鏖惚企業連bloodbath companyにおける重鎮の一人であり、戦闘要員としても高い地位に属する、正真正銘の魔女だ。


 僕の遺物練度の向上に大きく寄与したことは否定しないが、彼女の性根はどこまでいっても腐っている。

 出来れば関わりたくないというのが本音だ。


 それを理解した上で彼女は僕にいやらしい視線を向ける。

 狐のような瞳に、僕は体を縮こませた。


「聞いたよ。こっぴどく会議でなじられたそうじゃないか。私用で出席出来なかったのが悔やまれるよ。君、一体いくつの拠点を失ったんだい?」


「…………」

「黙ってても何にもならないよ」

「…………三割」


 目の前の女性は瞳孔を大きく広げたかと思うと、肩をプルプルと振るわせ始めた。


「ぷ……くく……この大事な時期に三割もかい?それはとんだお笑い草だねえ。さぞ幹部級の面々も怒り心頭だっただろう」


 運ばれてきた茶碗蒸しを丁寧に受け取り、女性は合掌してから手をつける。

 腹黒さとは裏腹に、彼女の所作はひどく美麗だ。

 そういうところが、彼女が幹部にまで至れた理由なのだろう。


 やられっぱなしなのもムカつくので、少ししっぺ返ししてやろうという気持ちで、僕は彼女にジトーっとした視線を向ける。


「そういう瑠璃さんはどうなんですか」

「どうって?」


「とぼけても無駄ですよ。最近忙しそうにしているみたいじゃないですか。あなたにも声がかかってるんでしょう。——マンハッタンの事業の事」


 飛高が言葉を口に出したその瞬間、瑠璃は机に乗り出し、飛高の唇を人差し指で優しくつぐむ。

 瞬きの合間に行われた行動に、髪の揺れ一つすら捉えることのできなかった飛高のこめかみを汗が濡らす。


 心臓の鼓動がうるさい。


 生命活動すらも握られたような感覚に、吐き気が込み上げてくる。


 瑠璃の顔は柔和な様子を保っていたが、纏う雰囲気が明らかに冷たくなっていることを、飛高は背筋を伝う悪寒で理解した。


「君、そういうところじゃないかな?軽薄で浅はか。若さゆえの特性だね。でもね、若いから、が免罪符で通じるのは未成年までだよ。君は誰の目から見ても大人だ。その本質が、子供のままだとしてもね」


 分かったかい、と言うと瑠璃は自身の席の方に引いていき、再び箸をいそいそと動かし始めた。


 再び呼吸を許されたかのような錯覚に襲われ、飛高は大きく深呼吸する。

 僕は黙って首を縦に振ることしか出来なかった。


「うん、にしても——やはり和食はこの料亭に限るね」


 先程までの出来事を無かったことにしたような様子を、飛高は恐怖に包まれながら窺う。


(化け物が…………動きが全く見えなかったぞ……)


 目の前の女が、自身を遥かに超越した化け物であるという事実を、あらためて叩きつけられる。

 かつて彼女のもとで教えを受けていたとはいえ、一向に縮まる様子を見せない圧倒的な差に、僕は苦虫を潰したように眉を寄せる。


 飛高のプライドは連日の出来事でズタボロにされていた。


 そんな様子を意に介さず、どこかおどけた調子で瑠璃は続ける。


「そういえば……今日、君を呼んだ理由を話していなかったね。知りたいかな?」

「なんでしょう」


「はあ…………つれないなあ。まあいいか。君が統轄機構の遊撃隊にどうやって一泡吹かせるつもりなのか聞いておこうと思ってね。なに、ただの好奇心から来る質問だ。気軽に答えてもらって構わないよ」


 飛高は先程までとは打って変わって自信ありげな表情を浮かべる。まるでその質問を待っていたと言わんばかりに。


「順を追ってお教えします。まずは三日前に僕の持つ五つの渋谷のビルの最上階で同時に一瞬だけ遺物を起動しました。これにより統轄機構は僕の所に部隊を差し向けるでしょう。拠点の持ち主を辿ればいずれ僕に行き着きますしね。そして、五つのビルに入ってきた部隊を閉じ込めて分断。トラップを用いてジワジワと追い詰めていき——あとは僕が率いる精鋭たちで一人ずつ始末していきます」


「それで?」


「これで終わりです」


 瑠璃は絶句する。


 自分の弟子がここまで考えなしだとは思わなかったのだ。

 眉間を押さえる手をそのままに瑠璃は口を開く。


「君は統轄機構を舐めているのか?私はダチョウに物を教えていたつもりはないんだがねえ……」


「…………」


 二人の間に静寂が流れる。

 互いに何と言えばいいのか、探りあぐねている。

 やがて痺れを切らしたように瑠璃が口を開いた。


「しょうがない。私が手伝ってあげよう。直接手を貸すつもりは無いがね」

「本当ですか⁉︎」


「君が無駄死にするのを黙って見ているのもバツが悪い。ただし、私の私兵を使わせてあげるだけだ。他は何もしない」


 飛高の表情がパァッと音を立てたかのように明るくなる。

 瑠璃への信頼を全面に出したような表情に瑠璃は頬を朱に染めた。


「あなたが手を貸してくださるのなら心強いです‼︎」

「そうかな?いやあ、いくつになっても褒められると嬉し物なんだねえ」

「あなたの人類生存理由レギオンデートルがあれば、我々の勝ちは決まったようなものだ‼︎」


 愛弟子の万雷の如き讃美に、瑠璃は鼻を高くする。

 久しく味わうことのなかった感情にしばし身を委ねる。


「じゃあ私の遺物も組み込んであらためて作戦を立てよう」


「はい。分かりました」


 二者はビルの内部構造の3Dモデルを表示し、自身の見解について述べ始める。




 相剋まで、あとわずか————




          ♢


 土御門飛高拿捕作戦まで残り二日




 デイヴィッドは統轄機構新宿支部の深奥——支部長室へと足を運んでいた。


「君がデイヴィッド君だね?噂はかねがね耳にしているよ。ささ、遠慮なく席に着いてくれ」

「んじゃ遠慮なク」


 威厳を擬人化したかのようなプレッシャーを放つ老人は、年齢を感じさせないほどの隆々とした体つきを、スーツの下から滲ませていた。

 髭のよく似合う顔は深い皺が彼の歴史を象徴するかのように深く刻まれているが、圧力のような物を感じさせない、どこか優しさすらも感じる表情を浮かべている。


 お茶をデイヴィッドに差し出し、彼はその対面に座る。

 行儀正しく座る彼の姿を見て、デイヴィッドは自分のラフな座り方を少し恥ずかしく思った。


「あらためて自己紹介だ。私は不破星斗。統轄機構の日本での活動全般を取り仕切らせてもらっている」


「知ってるゼ。サイガのことも色々と融通をきかせてくれたそうじゃねえカ。本当に感謝してル。あいつにチャンスを与えてくれてナ」


「礼には及ばない。彼がこの道を進みたいというのなら、それをサポートしてやるのが先駆者としての役目だろう」


 違いねエ、と笑うデイヴィッドを不破は嬉しそうに見る。

 互いに政治的意図を一切孕まないやり取りに、二人は安堵の表情を浮かべているように見えた。


「彩我君のその後はどうだい?」


「順調に成長してるヨ。あいつはセンスがあル。部隊のやつとも上手くやってるみたいだしナ」


「そうか、それは良かった。頼れる仲間が増えるのは良いことだ」


「あんたも元遊撃隊だもんナ」


「嬉しいな。私はそんなに有名かい?」


「ああ。日本で唯一のカテゴリーⅩだロ?知らねえやつの方がどうかしてると思うけどナ」


「今は前線を退いた、ただのおいぼれさ」


 不破星斗は現在の日本支部に駐留する職員の中で唯一のカテゴリーⅩ。

 かつて遊撃隊で前線を戦い抜いてきた彼の勇姿を知らぬ統轄機構職員など存在しないだろう。


(日本人と話してるって感じすんナ)


 目の前の男の建前とも本音ともつかぬ発言に、先ほどまでの安堵はどこかに消え去りデイヴィッドは笑ってしまう。

 彼は何か企んでいるわけではないのだろうが、そう思わせてしまうほどの礼儀正しさだ。

 とてつもない強さを持つ彼の謙虚さを少し見なうべきかもな、なんてデイヴィッドは少しだけ思った。


「そういえば君の出身はアメリカだそうだね。君は最近のニュースを確認しているかい」

「ああ、マメにナ」


 不破の顔に神妙さが纏われ始める。

 デイヴィッドはそのプレッシャーに思わず背筋を少し伸ばした。


 おそらく、ここからが本題。


 デイヴィッドは直感的にそう思った。


「今日は君に意見を求めようと思ってね。わざわざ足を運んでもらったんだ。率直に聞こう————アメリカとロシアが新たに結ぶ条約についてどう思っている?」


 不破の質問にデイヴィッドは顎に手を添える。

 上層部や役者仕事の職員でなく、現場の人間の意見を求めるところに、デイヴィッドは好印象を抱いた。

 それは彼がたたき上げのエリートだからなのだろう。

 デイヴィッドは彼に対して、真摯でいようと、心の中で決めた。


「マンハッタン条約のことだロ?詳しい内容は知らないが——話が出てから署名日決定までが早すぎるナ。まるで、あらかじめ結ぶことが決められてたみたいダ」


「ああ。まだ両国の署名がなされていないのだが、あと一月で締結されることになっている」


 只事ではない、と不破は語る。

 まるで大きな陰謀が渦巻いているようだと。 

「今回の条約の内容は主に二つ。一つは両国における交易の強化だ。表面上は両国の関係改善の象徴とするためとなっているが、鏖惚企業連bloodbath companyが最も繁栄しているのはロシアだ。さらに、ロシアは秘匿こそされているが国際遺物取締条約を受け入れていない。これはアメリカに堂々と企業の魔の手が伸びると捉えられてもおかしくない内容。にも関わらず政府はこれをのんでいる」


「アメリカ側は何か握られてんじゃねえカ?」


「私も最初はそう考えていたよ。だが、二つ目の内容を知ったときに、それはひっくり返った」


 デイヴィッドの瞳に困惑が滲み出す。

 弱みを握られたわけではないのであれば、いったい何が祖国を破滅へと突き動かしているのだろうか。

 耳を塞ぎたくなるのを押さえつけ、デイヴィッドは固唾を飲んで不破の次の言葉を待った。


「二国間で国際治安維持部隊を新編するそうだ。名は〈遺物猟犬relic hound〉。任務内容は世界の治安維持、及び超自然現象の鎮圧。これは統轄機構に対して宣戦布告していると捉えられてもおかしくない内容だ。堂々と遺物を扱う部隊を世界中で合法的に動かそうとしているんだからな。一般人は超自然現象が何の事か分からないが——統轄機構や各国首脳は遺物である事に気づく。そして理解するわけだ。アメリカは世界に対して刃を向けているのだとね」


「…………統轄機構に成り代わろうってカ?」


 デイヴィッドは帽子を目深に被り、ツバで顔を覆い隠す。

 この仮説が正しいとすれば、アメリカは傲慢にも、自身が世界情勢を動かすほどの権力を握ると宣言しているのと同義だ。


 デイヴィッドは一縷の希望に託し、不破に問う。


「はっきりとは言えねえが……俺の国は黒ダ。だが、信じたくねエ。他に証拠は無いのカ?」


「加茂物流センターから得られた情報によると、多くの拠点がアメリカに向けて荷を送っていたそうだ。押収された物品は大量の遺物と、死体と——生きた子供だそうだ。これらは遺物を使った儀式を執り行う際に用意される物。そして、署名式に参加するロシア側の要人に鏖惚企業連bloodbath companyの指名手配犯の名が掲載されているのを確認している」


「…………アメリカ側は統轄機構になんて言ってんダ」


「統轄機構は違法行為は許されないと勧告した。だが注意勧告に対して、無視を繰り返している。さらに、ニューヨーク支部の駐留員に関しては最低限にしろと通達を受けた。流石に統轄機構を追い出すようなマネはしていないが、武力でもって訴えかけてくる可能性は否定しきれない。署名式がマンハッタンで行われることも加味すると、我々の事を相当邪魔に思っているようだ」


 部屋を覆い尽くさんばかりに、デイヴィッドは大きく溜息をつく。

 絞り出したような声音でデイヴィッドは自身の見解を述べる。


「大統領が何考えてんのかは知らねえが、碌でもねえことをやろうとしてんのは分かっタ。極秘事項の遺物のことを一般人にチラつかせてんダ。言い逃れするつもりは無いんだろうヨ。それに、元々アメリカは遺物の力を軍事転用しようとしてたのは言わずもがなダ」


 デイヴィッドは諦観に襲われる。


 自分の愛した場所が、国が、世界を巻き込む何かを起こそうとしている事実に吐き気を催した。


 アメリカは近年、度重なる紛争を止めることができず、『世界の警察』としての立場を半ば失った状態にある。今の状態のアメリカはその権威を取り戻すチャンスがあるのなら、国民すらも平気で薪にくべるだろう。


 控えめにいって、クソだ。


 だが、すぐに思考を切り替え、目の前の事に集中する。

 俺たちに立ち止まっている時間なんてない。


「んで、それをオレに話したってことは、意見を聞きたかっただけじゃないんだロ?お互い腹を割って話そうゼ」


 話が早くて助かるよ、と不破は言い、手を組んで真摯な瞳をデイヴィッドに向ける。


「君たちの部隊に新人が多いことは理解している。だが、今回の任務が終わり次第、アメリカに向かってほしい。何か起きた時の身の安全は……保障しかねる。だが、現在アメリカには多くの統轄機構職員が集結している。君たちもそこに合流してほしい。日本支部から出向させられる人員は非常に限られていてね。だから君たちにお願いしたい。もし、カテゴリーⅩ事案が発生した際の戦力として、マンハッタン条約署名式における緊急出動要員になってほしいんだ。私は少しでも多くの人々を助けられるようにしたい。手伝ってくれるかい」


 少しの間をおいて、デイヴィッドは不敵に笑う。


「おいおい、オレらを誰だと思ってんダ?オレたちは現役の遊撃隊。あんたに言われずともアメリカに行ってやるサ。それに、次の目的地を決めあぐねてたしナ」


 なんてことない調子で語るデイヴィッドに、不破は微笑する。


「そうだったな。我々はそういう組織だった」


 いつの間にか二人の間で滞留していた緊張感がほつれて床に落ちる。


 二者の気持ちは今、一つになっていた。


「土御門飛高拿捕の件では、君にビル一つを一人で担当してもらう事になる。申し訳ない。君たちには損な役回りばかりを押し付ける形になってしまった」


「心配なんかいらねえヨ。それは誰かのためにとっとケ」


「ありがとう」


 デイヴィッドは不破が深く頭を下げるのを力尽くで阻止する。


「オレにそんなもんは要らねえ」


 デイヴィッドは席から立ち上がり、帽子を被り直すと、出口へと一直線に向かう。


 その姿を、不破が呼び止める。


「飛高が逃亡した際は、追跡をお願いしてもいいか」


「任せとケ。行き先は多分一緒だからナ」


 一人部屋に残された不破は息をつく。


「頼むぞ、若者たちよ」


 その瞳には陽が差し込んで、煌々と煌めいていた。

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