第4話 企業の影

「はぁ……はぁ……今日はっ……どうでした?」


「サイガ、もう十分戦えるレベルになったゾ」


 模擬戦を始めてから六日が経過していた。


 毎日ぶっ通しで行われるしごきに耐えきり、俺は紫電の能力をある程度ではあるが引き出しながら戦うことができるようになった。


 俺のレベルが上がるたびに隊長もそれに合わせて段階的に手加減を解放するので、まるで追いついた気がしないが。


 隊長は一度も遺物の能力を扱うことなく、徒手空拳のみで俺をいなしている。それほどの力を持つ人が、統轄機構の中ではどれくらいの位置にいるのだろう。

 ふと気になって尋ねることにした。


「隊長ってほんと強いですよね。統轄機構の中でも指折りの実力を持ってたりするんですか?」


「んな訳ねぇヨ。オレはカテゴリーⅥだからな」


 カテゴリー…………。確か俺の職員IDにも書かれてたっけ。確か俺のカテゴリーはⅠだったはず。


「カテゴリーって具体的にどういったものなんですか?」


「カテゴリーっていうのは単純な戦闘力と遺物の熟練度とかを総合して出した一種の指標みたいなもんダ。Ⅰ〜Ⅹまでの一〇段階で分けられた、まぁ格付けってとこだナ」


 (これだけ強い隊長でもⅥ?カテゴリーⅩは一体どんだけ強いんだよ)


「カテゴリーⅩのことでも気になってんのカ?」

「バレました?」


 隊長は「バレバレだっつうノ」と呆れたように破顔しながらも、考え込むように顎に人差し指を添えた。


「まぁカテゴリーⅩは統轄機構の中でも指折りの実力者って考えりゃ良いんじゃねえカ」


「…………一体どのくらい強いんですか?」



「簡単に例えるなら……そうだナ。単騎で先進国と戦争出来ル」



「単騎で戦争を?」


「あァ。だがカテゴリーⅩの中でもさらに選りすぐりの奴らがいル。それがS.P.E.C。こいつらは俺たちが束になっても敵わないような化け物と単独で戦う事を想定された、正真正銘の最高戦力。ま、その力ゆえに普段は遺物を没収されて軟禁されてるらしいんだがナ」


「それだけ強いんだったらガンガン任務に出せばいいんじゃないですか?」


「じゃあ例えばの話だが、もし核爆弾のスイッチを持っているのがそこら辺にいるようなパンピーだったらどう思ウ?」


「ちょっと怖いかもです」


「上の連中も同じ事を思ってるわけダ。例え、そいつらがそんな人間じゃないと思ってたとしても、表面上は人々を安心させなきゃなんネェ。それに、遺物の存在は秘匿しなきゃなんねえのに、バカみたいな火力を投入したらすぐにパニックに陥るだろうしナ」


 一個人が単身で一つの国を終わらせられる力を持つ。確かにそれはとても危ういものだと思った。もし、その人の大事な人が傷つけられたら、その力を躊躇うことなく放ってもおかしくないわけで。


「色々と思うところはあるかもしれんが、そういう仕組みだって受け入れるしかなイ。それに、S.P.E.Cの奴らが酷い扱いを受けてるわけじゃねえからナ。そこまで気にしなくたっていいゼ」


 隊長の少しズレたフォローに笑ってしまう。

 この人は本当に不器用だなぁ。


「オイ。今バカにしたロ」

「そんなことないですよ」

「嘘ダ!」


 視線を交差しているうちに二人して笑ってしまう。

 こんな馬鹿みたいな日々がずっと続けばいいのに。

 胸の内でそんな事を思う。戦いなんか無くて、ただこうやってささやかな日常を大切にしながら人生を満喫する。それがきっと、幸せってことなんだろう。


「まぁイイ。とりあえずメシにしよウ。アイリスが作ってくれたんダ」


 頬を上気させながら、隊長は恒例の如くバスケットを差し出した。


「明日はサイガの初任務ダ。気合い入れろヨ」

「……はい‼︎」


 とうとう明日。俺の統轄機構職員としての第一歩が始まる。


 ここまでの隊長の不器用な気遣いに感謝しながら、バスケットの中からたまごサンドを取り出して勢いよく頬張った。

 

          ♢

              

 プロジェクターと会議用の円卓がポツンと置かれた狭めの個室で、俺と雛は席に着いていた。


「それじゃあブリーフィングを始めル」


 プロジェクターに映し出された地図と建物の写真を隊長が指示棒で指しながら俺たちに任務の詳細を語り出した。


「今回の任務の概要については東京大田区にある加茂物流センターの調査、及び原因特定の際はその排除。おそらく今回の原因については、鏖惚企業連bloodbath companyの傘下。近隣で因果律改定値の上昇、並びに行方不明者の増加が確認されたことから回ってきた案件ってとこダ。調査の名目で堂々と門戸を叩いてやレ。んで誘き出されたクソッタレmother fuckerの顔面にパイをご馳走しロ。ブリーフィングは以上ダ。なんか質問あるカ?」


 雛が眉尾を吊り上げながらも粛々と右手を上げる。


 (怒ってるのかな?)


 まだ会って間もないが、彼女のその表情が怒気を孕んでいることぐらいなら分かる。


「隊長。本当に私と篠沢の二人で行くの?」


「あぁ、もちろんダ」

「正気?篠沢はまだ遺物に触れてから一週間でしょ。私にこの人の面倒を見れるような実力は無いよ」

「オレは二人にとってこの任務は成長のためにベストだと判断しタ」


 雛は顔を顰めながら額に手を置く。

 言われるまでもなく俺が足手纏いになってしまうことは分かっていた。

 ……分かっていたつもりだったが、やっぱり面と向かって言われると多少は傷つく。


「すみません俺が弱いばっかりに……」

「君は悪くないよ。気にしないで」


 雛は少し表情を柔らかくして、出来るだけ優しくしようとしたのであろう声音で諭すように俺をフォローしてくれた。

 クールな感じだけどこの人の本質は優しさにあるんだろうな、と思った。


「とりあえず行ってみて、ヤバそうだったら引き返セ」


「…………分かった」


「決まりだナ」


 ニッ、と破顔する隊長を恨めしそうに雛は見つめる。

 雛の反応は至極当然だ。入りたての新人を連れて命懸けの戦場に放り出されて、気分のいい人間はきっと存在しない。

 それでも、この一週間で学んだ事を最大限に活かして雛のためになるよう頑張ろうと思った。この人は俺のことを危険を顧みずに助けてくれたのであろう人だから。





 

 隊長は予定があるらしく、早々に会議室を去った。

 もう少しだけ居てくれてもよかったが、引き留める間もなく足早に行ってしまった。

 二人だけの部屋には静寂が流れる。

 雛は動画でも見ているのか、スマホを横画面にしている。

 一方の俺は手持ち無沙汰で視界を右往左往させながら、いつ口火を切ろうかと思考を巡らせている。


 二人きりの状況。


 次に二人きりになれるのは明日の任務。そうすれば個人的な話ができる機会は無いだろう。

 感謝の意を伝えなければ。

 俺のことを救ってくれた恩人に、あらん限りの感謝を。


 それでも、まだ会って日の浅い彼女の性格が掴めずにいる俺はどう切り出したらいいものかと四苦八苦している。ダサいと言われてもおかしくないのは分かっているが、どうしても距離感を計りかねている人と話すのは苦手だ。

 ずっと押し黙っている俺にチラリと視線を寄越した雛は怪訝な表情を浮かべた。


「何?」


 唐突に放たれた一言に、咄嗟に視線を右にずらしてしまう。

 いや、でも話すキッカケ自体はできた。このチャンスを活かさないでどこで活かすってんだ。

 俺は一呼吸おいて、出来る限り視線を交差させた。

 真っ直ぐな瞳で見つめられたからか、雛は恥ずかしそうに前髪をいじった。


「海還島で助けてくれたのは双月さんですよね?」

「そうだけど。あと敬語じゃなくていいよ。それに、雛でいい」


 思ったよりも淡白な返事に拍子抜けする。すぐに、いけない、と自分を律して言葉を続ける。


「その、本当にありがとう、雛。あそこで助けてもらわなかったら俺は死んでた。俺に選択肢を与えてくれて、本当に感謝してる」


 言い切った。

 俺が抱えてきた、言いたかったことを全部出し切れた。

 自己満足、とは言わないが多少言えたことでスッキリすることができた。

 それが嬉しくて頬が上がってしまう。


「別に。それが仕事だから」


 相変わらず雛はクールな態度を貫き通すが、それでも別に構わない。


「明日、足手纏いにならないように頑張る。だからってわけじゃないけど、よろしく」

「こちらこそ」


 雛はほんの少しだけ、微笑を浮かべて俺が差し出した手を取った。

 彼女の手は華奢でありながらも、傷だらけだった。


          ♢


 芳醇なアールグレイの香りが、部屋の中を循環する。


 漆塗りの施された年季を感じさせる木製のインテリアに囲まれた部屋で、デイヴィッドはソファに身体を沈めていた。


「明日の任務、なにもヒナちゃんとサイガくんの二人に任せることはなかったのではなくって?」


 ティーカップに丁寧に熱々の紅茶を注ぎながら流し目で問うアイリスに、視線を向けることなく天井を見上げたままデイヴィッドは豪快に笑う。


「ギャハハ‼︎もっともだナ‼︎」


「確かに、遺物の力を引き出すには実戦が一番なのは認めます。でも、もう少し簡単な任務からでもよかったと思いますわ」


 鈍色の髪を抗議するかのように振りながら、アイリスは音を立てずにティーカップをそれぞれの場所に置く。

 デイヴィッドは一頻り香りを楽しんでから、紅茶に口をつけた。


「ジークはどう思ってんダ?」


 デイヴィッドの前に座ったアイリスの後ろで静かに佇む白髪の男に話題を振った。

 考え込むように目を閉じ、しばらくしてから石のように動かなかった唇を開く。


「私個人の意見としましては、アリかと」

「もうっ!ジークまで!」


「申し訳ありません。出過ぎた真似であることは承知しております、アイリス様。ですが、これは彼らがこれから戦い抜く力を身につけるために必要なことだ判断いたしました」


「お嬢は心配性なんだヨ!これはあいつらに必要なことなんだゼ?どうせだったら笑顔で見送ってやレ!」


「はぁ…………分かりましたわ。あなた方の意見を受け入れますわ。ですが、お二人に危機が迫ればワタクシとジークがすぐに駆けつけますからね!」


 アイリスは怒った様子そのままに、アールグレイを啜った。

 アイリスが不安な気持ちは、デイヴィッドも重々承知しているつもりだ。だが、甘やかしてばかりいれば、それは彼らを殺すことに間接的に繋がってしまう。

 そんな事態になることを避けるために、子を谷底に落とすような真似をしたのだ。


(お前ならきっと乗り越えるぜ、サイガ)


 デイヴィッドの目論見が成功すれば、あの二人は親睦を深めた状態かつ、戦闘能力を大きく向上させた状態で帰ってくる。

 デイヴィッドの目には希望に満ち満ちた未来しか見えていない。


(強くなれヨ……)


「なんだか嬉しそうな顔してますわね。先程までワタクシと舌戦を繰り広げていたというのに」

「楽しみなんだヨ。どんな顔で帰ってくるカ」


「趣味が悪いですわね」


「うるセェ」


 既に中身が空となったティーカップには未だ、熱が篭っていた。

 

          ♢

 

 二〇二五年 一一月二〇日

 加茂物流センター前 一二時四六分

 

 澄み渡る青空を背景に、その建造物は鎮座していた。


 まだ可能性の域を出ないものの、違法遺物取引、人身売買が行われているかもしれない場所。またはその拠点。東京に存在するとはいっても、付近には工場などが建ち並ぶばかりで、自信満々に東京だとは言えない場所だ。


 まるで自身が潔白であると主張するかのような、真新しい純白の壁が光をことごとく反射して眩しい。


 ブリーフィングで得た情報だけでも、身体に強い熱を感じたが、実際に建物を目の前にして俺の身体はかつてないほどの熱を帯びている。


「大丈夫?顔が赤いけど」


「ごめん。ちょっとブリーフィングの内容復習してた」


 雛は「そっか」とだけ呟くとアタッシュケースに偽装した巨大な銃を弄り始めた。


「私の遺物のこと、言ったことあったっけ」


「無いよ」

「んじゃ、ちょっくら説明するね」


 偽造IDカードやら、弾やらを取り出しながら雛は自身の持つ人智を超越した能力について説明を始めた。


「私の持ってる遺物は二つ。虚妄の聖痕プリテンド・スティグマ千の時の葉ルザ・ミルフィーユ


 彼女は見せつけるように右手中指と人差し指に嵌められた指輪を突き出した。

 白銀の輝きを持つ、意匠が施されていないシンプルなデザイン。それがかえって指輪の美しさを際立てていた。


虚妄の聖痕プリテンド・スティグマは私の触れた物にちょっとした大きさの穴を開けられるの。そんで、それを移動させられる。でも遺物を扱う奴らはそんなの簡単に避けちゃうから、銃弾に能力を付与して避けることを困難にしてる。あと、この穴は一時的なもので一時間以内に綺麗さっぱり消えちゃうんだ。だから虚妄」


「その穴って問答無用でつけられるの?」

「うん、だから結構強力な部類だよ」


 雛の能力はかなり強そうに聞こえた。当たらなければ意味を為さないが、銃弾に乗せることで弱点を補っている。

 彼女の背中が今まで以上に頼り甲斐に溢れたように見えた。


「そして中指の方が、千の時の葉ルザ・ミルフィーユ。こっちは私の起こす行動アクションを圧縮するんだ」


「どういうこと?」


「簡単に言うと、本当なら三秒かけてやる動作を一瞬で起こすってとこかな。サイガは三秒あれば何が出来る?」

「寝てる状態から起き上がったり?」

「もし、側から見たらそれを見てどう思う?」

「急すぎて反応出来ないかな」


「それを戦闘中に引き起こせる。それが千の時の葉ルザ・ミルフィーユ。ま、三秒限定だしインターバルもそこそこあるしで良いことずくめってわけにはいかないんだけどね」


 雛の作業が終わったようで、彼女は立ち上がって身体を伸ばした。


「俺の遺物は——」


「知ってる。映像とか見せてもらった。まだ実戦レベルってわけにはいかないから、もし敵と遭遇したら後ろに下がってて」


 俺も役に立てる。


 そう反論しようとしたが、直前で口を塞ぐ。雛の話を聞く限り彼女は相当強いようだし、俺は邪魔だってことは察せられた。


「そんな悲しい顔しないで。必ず並び立てる日は来るから」


 優しく、そこで待っててと言われたような気がした。

 それは見放されたのと同義に、おれの中で決定づけられる。

 でも、彼女が正しい。

 俺は慎ましく、出来ることを探すことに決めた。


「それじゃあ行こう」


 雛のあとを辿るようについていった。






 

「すんなり入れたな」

「拒否る理由が無いからね。それに、ここで穏便に済ませられたら、向こうもそれに越したことはないんだよ」


 俺たちは堂々と建物の正面玄関から入った。

 内装は一般的な商社のロビーと大して相違のない、普遍的なデザインで構成されていた。

 雛は足取りを緩めることなく受付らしき女性の方へと向かった。


「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか」

「内部調査で電話していた双月です」

「少々お待ちください」


 受付の女性はしばらくファイリングされた資料に目を通す。


「確認できました。こちら、臨時IDとなります。紛失にはご注意ください。右手の自動ドアを進みますと待合室となりますので、そこで案内担当の者をお待ちください」

「ありがとうございます」


 手際の良いチェックインを終え、雛と共に自動ドアの内部へと入る。


 狭い部屋で二人で並んで座る。


「ここからどうするんだ?」


「今建物のスキャンをしてる。案内担当が来てから隙を見て侵入しよう」


 俺は既に心臓の鼓動が頭に響いてうるさいのだが、雛からは緊張の色が一切伺えない。

 きっとこういった俺にとっての非日常は、彼女にとっては取るに足らない日常のうちの一つなのだろう。

 それこそ、路傍に転がっている石と同じように。


「お待たせしました。本日案内を務めさせていただきます、仲村です。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 案内係としてやってきたのは、ふくよかという言葉では収まらない腹囲を持つ、柔和な笑みを浮かべた中年男性だった。

 仲村の誘導に従って倉庫へと足を踏み入れる。無機質ではあるが、照明が明るいこともあり暗い印象は抱かなかった。平日であるのにもかかわらず、伽藍堂であることだけが引っかかるが。


(本当にこの場所で違法行為が行われているのか?)


 俺の胸中には疑いたくないという気持ちが芽生え始めていた。ここまでで出会った人々をは皆、一様に優しさを滲ませた笑顔で迎えてくれた。


 そんな人たちを、俺は本当に疑っていいのか?


 自分の中の疑心暗鬼と真っ向から向き合っていたその時、嫌な予感が肩を掴んだような、そんな感覚が身体に響いた。


「サイガ。外に通じる扉が全部閉められてる。それに——」


 前を進む仲村に聞こえない程度の声で雛がボソッと俺を呼んだ。


「因果律操作の痕跡が見つかった」


「⁉︎」

「二階の部屋から反応がある。極小だけど、でも確実」


 嫌な予想が当たってしまった。


 信じたくない気持ちが先行しそうになるが、それを必死に抑え込む。

 きっと彼女も、俺と同じで積極的に争いたいわけじゃない。

 彼女が耐えているんだ。俺が耐えないでどうする。


 雛は一切動揺せず、次の行動に移った。


「ぐっ⁉︎」


 雛はもはや美しさすら感じるほどの軽やかな動作で仲村の首を絞める。

 仲村はポケットから銃らしきものを取り出そうとしたが、それよりも早く思考の幕引きがやってきて、無骨な拳銃を床に落とした。


「クロだね」

「…………はい」


「落ち込まないで。こういうことはよくある。性善説は、私たちの間では通用しないんだ。それに殺したわけじゃないから気負う必要はないよ」


 雛は極めて冷静に仲村を見えない位置に安置すると、迅速に巨大な銃を展開する。


「行こうか。私から離れないように」

「はい‼︎」


 雛の走力はおおよそ人間とは思えないほどの膂力によって凄まじいものとなっていた。

 一歩進むたびに八メートルをゆうに超える跳躍が為される。


 まさに、プロフェッショナル。


 俺とは年季の違う身体捌きに感嘆の息が漏れた。


 だが、ついていける。


 この一週間でものにした様々な技術に想いを巡らせながら、一歩一歩に魂を賭けるように力を込める。雛との距離を一定に保ったまま、自動車に匹敵する速度で、決して広いとは言えない倉庫内を駆け抜ける。

 どこから攻撃されるか分からない今、全速力で敵のもとへ向かう雛の判断はまさに最適解と言えた。


 階段を一秒で登り切り、直線の廊下に出る。


「奥から三番目だよ」


 雛の示した部屋まで、約六〇メートル。

 こちらを振り向いた雛にグッドサインを送った。その時だった。


「ぐあっ⁉︎」


「雛‼︎」



 血が。雛の右肩から鮮烈に飛び散った。



(何も……‼︎何も見えなかったぞ⁉︎)


 遺物で強化された視力。それは銃弾ですら捉えられるようになる、まさに超人へと至る力。そのはずだ。

 にも関わらず、雛の肩は刀にでも貫かれたような裂傷が与えられていた。


「彩我‼︎下がってて‼︎」


 痛みで巨大な銃を持ち上げるのにも凄まじい激痛を伴うはずだ。にも関わらず、彼女は顔を顰めながらも銃を盾のように構えながら、敵の存在するであろう方角へ疾走を始めた。


「ぐぅっ……‼︎」


 何度か銃へ衝撃が走る。目を凝らしても、攻撃と呼べるようなものは一度たりとも認識できなかった。

 まさに、不可視の攻撃。


(でも、もうすぐで部屋にたどり着く‼︎)


 そうすれば彼女の遺物で一方的に戦いを進められるはずだ!




 あと二〇メートル。出会い頭に聖痕を食らわせられれば、雛の勝ちは揺るぎない。




 あと一〇メートル。雛が銃を構える。圧縮された三秒間で生み出される数十の聖痕が、敵を捉えるまであと少し。






「そう簡単にやらせるかよ」






 雛の右側の壁面が。赤毛をオールバックにした偉丈夫の張り手とともに脆くも崩れ去った。突き出された右手は、吸い込まれるように雛の顔面に正確無比に向かう。


 突然の事態に雛は硬直してしまっていた。


「逃げろぉぉぉぉぉぉ‼︎」


 俺は必死に声を張り上げる。しかし、そんな声など瓦礫の崩れ去る音とともに虚しく掻き消された。


「っ‼︎」


 雛の顔面を掴んだ偉丈夫は、その速度を緩めることなく左の壁をぶち抜いた。

 偉丈夫は壁の先にある倉庫中央へと飛ぶ。


「化粧してやるよ」


 雛を掴んだまま偉丈夫は大きく右腕を振りかぶり、雛の顔面を思いきりコンクリートの床に叩きつけた。


「雛ぁぁぁぁぁぁ‼︎」


 倉庫内に埃が舞う。

 雛の状態は確認できないが、無事ではないことは確かだった。


(降りて、あいつと戦うしかない‼︎)


 ぶち抜かれた壁から下に飛び移ろうとした。


「来るな‼︎君の手に負える案件じゃない‼︎」


 雛の一喝に足を止める。


(クソっ‼︎俺は何もできないのかよ⁉︎)


 埃の中では既に戦闘が始まっているようで、時折銃声や打撃音が聞こえた。




 俺は、悔しくて。悔しくて。




 気づけば唇から血が溢れていた。

 

          ♢

 

「クソッ‼︎」


 双月雛は極端に視界の悪くなった倉庫内で、既に孤立していた。


(能力が割れてない以上、下手に動けない‼︎)


 先程から何度も奇襲をかけられ、もろに打撃を喰らってしまっている。顔面を掴まれた体勢から抜け出すのに千の時の葉ルザ・ミルフィーユを既に使ってしまっている。インターバルが終わるまでもう少し待たなければならない。


 それに、聖痕を動かせる持続時間はせいぜい三〇秒程度。弾の節約も考えて、放つのであれば直で当てるのがベスト。

 だが、狙いは既に埃によって阻害されている。

 敵は相当場慣れしている。かつてないほどの危機に、雛は怒り心頭ながらも極力冷静に思考をフル回転させる。


(落ち着け‼︎目で捉えらんないなら、耳があるだろ‼︎)


 瞳を閉じ、音のみが点在する世界へと足を踏み入れる。自分にとっての死神の足音が、倉庫内を駆け巡る。




 ザッ




(後ろ‼︎)


 強化された聴力で男の足跡を正確に聞き分ける。雛も幾度となく死線を繰り広げてきた猛者である。




「当たれぇぇぇぇ‼︎」




 引き金に指をかける。と同時に一〇を超える弾丸が一斉に放たれ、雛は防御体制に既に移っている。


「危ねえな」


「なっ⁉︎」


 敵はすんでのところで姿勢を低くして弾丸を回避すると、曲げた膝をバネにして雛に飛び掛かる。

 既に防御体制にはいっているとはいえ、雛は冷や汗をかいていた。


(まだ敵が能力を見せていない)


 そのことが気がかりだったが、そんなことを考えている暇など彼女には存在しない。

 偉丈夫の右蹴りを受けるべく、腰を落とした瞬間、雛の右脚が崩れ落ちた。


「えっ」


 視界が降下する。

 エネルギーを最大限に携えた右脚が左からやってくる。


(あ、これヤバい)


 咄嗟に腕を上げてガードしようとする。だが、それよりも先に右足が雛の側頭部を捉えた。


「PKってとこだな」


 頭の中で骨が軋む音がこだまする。メリッと嫌な音を立てて衝撃が頭蓋を撃ち抜いた。

 吹き飛ばされた雛の身体はいくつもの荷物を突き破り、六〇メートルほど吹っ飛ばされた。


「はぁ……はぁ……」


 ボロボになった身体を無理やり立ち上がらせる。既に立っているだけでも苦痛が身体を苛むようになっていた。


(私、ここで死ぬのかな?)


 偉丈夫が弾丸と見紛うほどの速度でこちらに向けて拳を振り抜く。


(こんなところで終わるのか)


 雛の脳裏に昔の記憶が溢れ出した。




(…………走馬灯?)

 

          ♢

 

 私の家族はザ普通って感じの、中流階級って言葉がよく似合う人たちだった。

 住む場所も、ご飯も困ることはなかったし裕福とまでは言わないけれど、好きなものもねだれば買ってくれた。


 今思えば、あの時が人生の絶頂だったのかも。


 でも、終わらない幸せなんてないんだ。


 あれは一〇歳の誕生日だった。


 九月の半ばで、少し涼しくなってきて夜は肌寒かったから長袖を着てた。

 両親は医療従事者だったからいつも帰りが遅かったんだけど、その日は私の誕生日だからって早く上がってくれて。

 なかなか家族一同で食卓を囲むことが出来なかったから淋しかったけど、その日は本当に嬉しかった。


 焼肉を一通り食べ終えてお腹いっぱいだったけど、台所から出てきたものを見て、またお腹を鳴らした。


「雛ちゃん。誕生日おめでとう」


 昔から憧れてたアイスケーキが出てきた時は、一生の思い出だねって三人で笑い合った。

 ハッピーバースデーを歌ってもらって、パパとママは私の向かい側でスマホを構えて動画を撮ってた。


「さ!ロウソク消して!」

「うん!」


 言われるがままに、全身全霊で息を吸った。

 部屋に充満してる幸せのカケラを寄せ集めるみたいに。


「ふーっ!」


 ロウソクの火が消える。部屋には私たちのはしゃぐ声が響く。


 はずだった。


 でも、そうはならなかった。


 照明がなくなると同時にベランダの方のガラスが勢いよく割れた。

 こういう時って絶叫すると思ってた。

 でもこの時の私、怖くて動けなかったし、声も出なかった。

 辛うじて動かせた目をガラスの方に向けた。

 そこには月光に照らされた、バカみたいに背の高い、何かの仮面を被ったスーツの男が立ってた。


 右手には黒曜石で作られた、人を苦しませて殺すための形をした剣が握られてた。


 パパもママも動けてなかった。


 そりゃそうだよね。いまだに私だって動ける自信ないし。


 目をパチクリしてたら、気づいたらパパの胸から血が滴ってた。黒曜石にも負けない赤黒い色だった。

一瞬の出来事に誰も反応できなかった。


「逃げ…………ろっ‼︎」


 パパは入ってきた男を少しでも抑えようと胸に刺さった武器を掴んだ。

 そんなのは無駄で、一瞬で胸が縦に引き裂かれたんだけどね。

 頬に血飛沫がかかって、ようやく私たち二人は思考を取り戻した。

 ママは頑張って私を抱き抱えて玄関に全速力で向かった。


「痛っ‼︎」


 胸の中で、ママから零れ落ちた命の温度を感じた。

 ママは私に覆い被さるようにして、廊下に倒れた。

 男は容赦なく黒曜石の剣をそのまま奥に差し込んだ。

 ママがいたから助かったけど、それでも私のお腹にも刃は刺さってた。


 痛かったけど我慢した。


 男がパパの方へ向かって行ったから。


 多分私を仕留められてないって気づいてない。

 だから、ここで泣き叫べばパパとママの苦労が水の泡になるって分かってたから。

 二人は自分のことをつゆほども考えてなくて。きっと私の無事だけを祈ってた。


 あの時は永遠にも感じたよ。だから正確な時間は覚えてない。

 でも、本当に本当に長い時間が経って男がベランダから出ていく音が聞こえたの。

 震えながら、痛いのを我慢しながら二人の様子を確認した。


 ママは出血がひどくてもう息がなかったから、パパのところに行った。


 最後の希望だと思ってた。


「…………パパ?」


 パパの胸に大きな穴が空いていた。


 本当ならそこに脈動するものが抜き取られた状態で。


 じゃあその臓器をどこに?


 それはパパの顔面の上で、主人を失ってなお脈動してた。


「うっ…………うぉええええ」

 あまりの匂いと凄惨な光景に、食べ物を全部吐きもどす。


 幸せと夢と一緒に。


 次の日の朝に異臭騒ぎになって、やってきた警察に保護された。

 私はパパの隣で座り込んで動かなかったらしい。

 心神喪失?とかいうやつで、私は完全に廃人になってた。


 それからしばらくして統轄機構に引き取られて、ちょっとずつメンタルも安定してきて、ちょっとだけ幸せだなって思えた。


「ヒナ‼︎向かいの店でメシを食おウ‼︎」


 隊長。もうちょっと色々と付き合ってあげればよかった。


「今日は良い茶葉が買えたんですのよ!」


 お嬢の淹れる紅茶、また飲みたかったなぁ。


「申し訳ありません。冗談だと気づきませんでした」


 ジークが笑ってるところ、見れなくて残念。


「助けてくれて、本当にありがとう」


 彩我。先輩なのにカッコ悪いところ見せちゃった。




 ごめんね、ダメな先輩で。




 ちょっと冷たくしちゃってごめんね。




 真正面から君と向き合おうとしなくて、ごめんね。




 いっぱいいっぱい




ごめんね。




 

          ♢

 

 土埃が晴れた。


(雛はどうなった⁉︎)


 視界の中を必死で探す。


 すると奥の壁に人影が見えた。

必死に目を凝らす。


「…………嘘だ」


 俺の視界の先には身体中から血を垂れ流している雛が、壁にめりこんでいる姿が映った。

 指先一つですら力が全く入っておらず、ぐったりとしている。


 負けた?


 雛が?


 到底受け入れられない事実が、頭の中で嵐を形作る。


 また間に合わなかった。


 何で?


 俺が躊躇ったから。


 何で?


 弱いことを言い訳にしたから。


 何で?


 俺が最低最悪のヒーロー気取りだったから。


 あの日、俺は誰かを守れる力を全力で使いたい。そう思った。


 だが、実際はどうだ?


 仲間の一人を助けることすらできず、見殺しにした。


 それでいいのか?




「いいわけっ……ないだろっ」




 再び助けられるずに終わるのか?


「終わらせない……」




 ならばそれを証明してみせろ




「言われなくとも……」


 飛び降りて、一階に立つ。

 拳を握る。手首を回す。


 愛ても物言わぬ紫電へと俺は語りかける。


「なぁ……お前もこんなところで終わりたくないだろう?俺の渇望が選んだんだったら、俺を満たすためにその力を寄越せ‼︎」


 目を限界まで開き、眦を目の前の男へと突き刺す。

 男がこちらに気づき、ゆっくりと振り返る。

 その目には期待が込められているように見えた。


「中々イイ眼、してんじゃねえか。名前は?」

「篠沢彩我」


 既に戦闘体制に入った俺は、紫電との繋がりを握り、極度の集中状態に入っている。

 研ぎ澄まされた思考の中、男の声が耳朶に響いた。


「サイガ……イイ名前だ。俺はシュヴァルツ・デンプヴォルフ。お前の知りうる最後の者の名だ」


 沈黙が倉庫内を支配する。


 土埃が完全におさまった。


 同時に、二頭の虎は一斉に飛び出した。




 両者の拳は全く互角の速度とパワーで、互いの顎を粉砕せんと振り抜かれた。


(痛み分けになってもいい‼︎紫電の雷さえ叩き込めれば電撃で行動不能にできる‼︎)


 彩我は確信に近いものを感じていた。

 彩我はデイヴィッドとの訓練の中で、たとえ遺物で身体能力を向上していたとしても電撃による筋肉硬直を完全に取り払うことができないことを既に発見している。

 故に、この戦いはいかに紫電を喰らわせるかが肝になる。


(いける‼︎今だ‼︎)


 完全に直撃軌道に入った紫電に、紫紺の雷撃を纏わせる。電撃を伴う右ストレートはシュヴァルツに手痛い打撃を与える。ことができなかった。


「危ねえな。お前ら物騒だぞ」


 シュヴァルツは見切っていたと言わんばかりの速度で首を捻り、紫電の軌道から離脱している。


(マズイ‼︎)


 痛み分けどころか圧倒的に不利になる状況。

 彩我は全てのエネルギーを脚へと集中し、シュヴァルツの万力の一撃を紙一重でかわしきった。


新人ルーキーのわりにはやるじゃねぇか。だが——」


 ザクっと嫌な音がする。鋭利な痛みが、鮮烈な熱とともにコンマの時間も置かずに、脳へと到達する。右脚から血がツーと流れ落ちていた。


「ぐっ⁉︎」


 やはり、不可視。


 痛みと同時に脚へ眼を向けるも、武器と呼べるようなものは何も無かった。

 その隙をシュヴァルツが見逃すはずもなく、間髪入れずに腕を振りかぶる。


(痛みがっどうだってんだよ‼︎)


 痛みを存在しないものとして扱い、全霊をもって後方へ跳躍。すぐさま体勢を立て直す。


「こっちは当たったら負け。ったくお前ら二人してクソゲー押し付けてきやがって……」


 余裕綽々の男の様子に、彩我の額から玉のような汗が滑り落ちる。

 脳裏を支配するのは敗北の可能性。


 だが、彩我の頭の中に『諦め』の二文字は存在していない。


(必ず不可視の攻撃にはカラクリがあるはずだ。あいつの動きを、一瞬たりとも見逃さない)


「っ⁉︎」


 シュヴァルツは彩我の予想外の行動に目を見開いた。


 彩我は倉庫上部の壁を蹴り続けて速度を維持しながら、シュヴァルツを見下ろす。

彩我は俯瞰することによってシュヴァルツの攻撃の正体を見極める選択を取った。


(こりゃ参ったな。さっき脚を刺してやったはずだろ)


 行動を大きく阻害する損傷を与えたはずの、まだ若さが目立つ青年の先ほどまでと一切変わらぬ動きに、シュヴァルツはもはや畏敬の念すら抱いていた。


(つくづくイカれてんな。あいつの狙いは俯瞰による俺の能力の見極めだな)


 シュヴァルツは不敵に笑う。


 彼を満たすのは充足感。


 戦いの中で生きる者の宿命。


「良いぜ。乗ってやるよ」


(あれは……影が蠢いている⁉︎)


 シュヴァルツの周りの影が、彼に指示されるように動き始めた。


(あれが不可視の攻撃の正体‼︎)


 彩我が感づいたのを察知し、シュヴァルツは影を一斉に解き放った。




 




 咄嗟に自身の影を避けさせようとする。

 だが、慣れない影を意識した移動がうまくいかず、彩我は身体中に傷を負う。


「ぐっ⁉︎」


「全部当てたつもりだったんだがな。半分以上避けちまったみたいだ。だが、次は外さない。俺の暗澹たる折据アンブラ・ピクチャラムに対応することなど不可能だからな」

 —————————————————————

暗澹たる折据アンブラ・ピクチャラム

使用者:シュヴァルツ・デンプヴォルフ

〈カテゴリーⅢ〉

 詳細:一枚の純黒の羊皮紙の遺物。自身が触れている影をその体積の範疇で操ることができる。影と現実世界を同期させることで実像である現実世界の物質に干渉することができる。

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 敵は正真正銘の怪物。このまま惰性で飛び回っていてもそのうち失血で倒れるだろう。


(勝負はここで決める)


 だが決め手が無い。


 相手は自身の攻撃を容易く避けてしまうだろう。

そうなれば今度こそ全身を貫かれる。


(何かないのか‼︎起死回生の一手は‼︎)


 倉庫内を見渡す。

 何か使えそうな物がないか、必死になって眼に映し出そうとする。

 そうして見開いた彩我の眼窩に一筋の光が射し込んだ。


(……あれなら、もしかすると)


 上手くいくかどうかは正直賭けだ。だが、やらなければ敗北は必至。


(やるしかない‼︎)


 シュヴァルツは彩我が覚悟を持ったのを感じとる。

 彩我が敢行しようとしている一世一代の大勝負が何なのかは分からない。


 ただ一つ言えるのは、乗ってやりたい。


 かつてない異質の強さを持った彩我という存在に、シュヴァルツは惹かれきっていた。


「来い‼︎魅せてみろ‼︎」


「うおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」


 先ほど打ち込んだ数倍もの数の鋭利な影を広域に展開。時間差で打ち込む。

隙のない影の刺突が彩我に死を宣告するべく、一斉に飛びかかった。


「は⁉︎」


 影は彩我の身体を幾度も刺し貫いた。だが倉庫の荷物の一角に跳躍した彩我を止めるには至らなかった。


(チッ‼︎やっぱり止めらんねえか。にしてもこいつ一体どこに向かってんだ?)


 彩我は崩れた荷物の方向へ迷うことなく直進している。その意図が、シュヴァルツには紐解けない。たとえエモノを持ったとしても自分に勝てる可能性は限りなく低いままなのだ。


(まあいい。このまま別の影を着地してから叩き込んでやる)


 彩我が荷物の海に飛び込んだ。それと同時に三六〇度全方位から影が押し寄せる。


「チェックメイトだ‼︎」


 彩我の身体に裂傷が刻まれる——よりも先に彩我が垂直に飛び上がった。それにより影の包囲網を抜け出した彩我は、損害を最低限に抑えた状態で天井へと真っ直ぐに向かう。


 その右手には可燃性ガスを梱包した缶が所狭しと詰め込まれた段ボールが握られていた。


 紫電に雷撃が収束する。


「これでもチェックメイトか?」


 彩我は大きく腕を振りかぶり箱を天井に叩きつける。同時に雷撃を、箱に打ち込む。

 静電気によってガスが引火し、火が勢いよく燃え上がった。


 人工雨が倉庫の一角に降り注ぐ。


 (…………スプリンクラー?)


 シュヴァルツの顔に初めて焦燥が表れた。


「お前……まさか⁉︎」


「そのまさかだ‼︎」


 先ほどチャージした電気を、完全に解放する。

 雷撃は水滴を伝い倉庫内に伝播する。

 電気が伝わる速度は音すらも置き去りにする。

 遺物で強化した身体でも避けることの出来ない速度で、シュヴァルツを穿った。


「ぐおおおおおおおっ⁉︎」


(身体が動かねえ⁉︎言うことを聞いてくれねえ⁉︎)


 肉体の主導権を電気に奪われ、シュヴァルツは敗北を覚悟した。

 だが、その視界の隅に捉えた。




(いや、‼︎)




 慣れない放電という攻撃を行った彩我は、電気を制御しきることが出来ず、自分自身にすら雷撃を打ち込んでいた。


 ここからは我慢くらべ。


 ダメージが少ない俺の方が有利だ。


 シュヴァルツは勝利をその瞳に写す。

 意表を突かれたものの、揺るがぬ勝利に感電しているにもかかわらずシュヴァルツは笑う。


「「うおおおおおおおおおおおおお‼︎」」


 焼かれるような痛みの中二人は視線を向け続けた。


 放電が終わる。


 彩我が膝から崩れ落ちた。


 一方シュヴァルツはギリギリ立ち続けていた。


(出し切った…………もう打つ手はない)


 彩我の視界は既にぐわんと揺れ、意識を失う一歩手前まで差し迫っていた。

 シュヴァルツが体を引きずるように前進する。


「はあ……はあ……なかなか手強かったぜ。あばよ」


 シュヴァルツが右手を彩我にかざす。

 影が今度こそ彩我の命を刈り取るために襲いかかった。






 バン。





「……………………は?」






 シュヴァルツのみぞおちあたりに、が空いていた。


 破裂音の方向に、ぎこちなく視線を向ける。

 先ほど自分が叩きのめしたはずの女が、寝たままの姿勢で自分に銃を向けていた。

 あまりの激痛にシュヴァルツは顔面をくしゃくしゃに歪める。


「————このクソアマがあああああああああああ‼︎」


「化粧のセンスないから、地獄でやり直してこい」


 影を最大スピードで雛へと向かわせる。

 間に合わないことなど分かっていた。

 それでもシュヴァルツは一縷の望みに縋らずにはいられなかった。




 バン。




 予備動作すらなく放たれた銃弾を捉える間もなく、身体にいくつも穴が開く。


 シュヴァルツの耳に最後に残ったのは破裂音だった。


          ♢


 目が覚めると、清潔感のある真っ白な部屋のベッドにいた。


 手首からは管が伸びおり、輸血でもしてくれているんだろう。


(私、何日眠ってたんだろう)


 最後に残ってる記憶は、アイリスが来てくれたところで途切れていた。




 やっちゃったなあ。




 後輩にカッコ悪いところを見せてしまったことを思い出し頬が上気する。

 恥ずかしさに悶えながら、一旦顔でも洗おうと立ちあがろうとした。


「?」


 膝あたりに重みがある。

 寝転がっていたから気づかなかったが、多分結構大きい物。

 上半身を起こして、ゆっくりと確認する。


「げっ」


 膝あたりの布団を枕にして、件の後輩が疲れ切った顔で眠っていた。

 状況的に私のことを看病してくれていたんだろう。


(バカなやつ)


 きっと私が今生きてここにいるのは、彩我のおかげなのだろう。

 だけれど、きっとバカなことをしたはずだ。だから簡単に肯定してあげようという気持ちにはなれなかった。


 でも、助けられたのは事実だから。


 最低限感謝は伝えてあげようと思う。


 頑張った人には、労いが必要だと思うから。




「————ありがとう」




 陽光に照らされた病室の一角で、二人は心地よい静寂の中で眠りに落ちた。互いの健闘を讃えて慰めるかのように。

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