第3話 デイヴィッドクインテット

「おはようございます、篠沢様」

「おはようございます」


 俺が統轄機構入りを決意してから五日目の朝だ。この狭い部屋で寝るのにも慣れ始めてきたところで、目覚まし時計などないこの無機質な空間でも問題なく規則的な生活をおくれるようになっていた。


 毎朝起こしに来てくれる女性には、何度かお世話になった。衣服の希望を聞かれたり、採寸をしてもらった。身体検査の時も彼女に案内してもらった。


「留置は今日までとなります、お疲れ様でした」

「こちらこそ、色々としていただいて、本当にありがとうございました」

「いえ、業務ですので」


 一切の感情の起伏すら見せる様子もなく、彼女は言い放つ。


 この五日間、この人が感情出してるの見てないなぁ。


 怪訝な表情を隠しきれていない彩我が視界に入っていないとでもいうような様子で、彼女はおもむろにトートバッグを差し出した。


「これは?」


「あなたの要望に沿わせてチューンアップを施した戦闘用の衣服と、職員IDです。篠沢様は実績がまだございませんのでカテゴリーⅠからのスタートとなります」


 差し出されたトートバッグを手に取り、中を覗き見る。


「すごい、要望どおりですね」

「当然です、開発部門が手ずからもって制作していますからね」


 中に入っていたのは純黒のライダースジャケットとシャツとジーンズだ。

 身体を動かすということで、動きやすい、かつなるべく肌を露出しすぎないものを選択しろと言われて、悩みに悩みぬいた末に思いついた渾身のアイデア。


 まさか数日でここまでイメージ通りのものを作ってくれるとは思っていなかった。


 …………統轄機構恐るべし。


「では私は扉の前で待機していますので着替えが終わりましたらお呼びください。ゴッドスピード様のもとまでご案内いたします」


 彼女は礼儀正しい作法で会釈すると、音を立てずに部屋をあとにした。


 彩我はトートバッグから使用感の無い、皮の香りの強いライダースジャケットを取り出して掲げた。


 (懐かしいな、晃大とよくツーリングに行ったっけ)


 風、排気ガスの臭い、エンジンの音。チラつくのは晃大と共に走った海沿いの道だ。どれだけ願っても既に届かなくなった思い出に胸を馳せたって、きっと誰も文句は言わないだろう。


 シャツを着て、未だ冷たさを孕むジャケットに袖を通す。軽く服装のバランスを整えて深呼吸をする。


「行ってくる、晃大」


 ドアノブに手をかける。

 その時、聞こえるはずのない声が、聞こえたような気がした。


 (——行ってこい、無理はすんなよ)


「————あぁ」


 きっとこの先で俺が歩む道は一歩一歩が命懸けになるのだろう。それでも俺は迷いの無い足取りで、胸を張って歩んで行きたいと思う。だって、晃大達と過ごしたこの世界はこんなにも美しいんだから。それを守る奴が必要だろう。


 窓のない施設内にもかかわらず、ドアの先から射す照明は日光と見紛うほどの鮮烈な光を放っている。


 それは彩我を祝福しているような、そんな優しい光だった。

 

          ♢

             

「おはようございます、隊長」

「ヨオ。なんだか久しぶりだなぁ、サイガ」


 女性に案内されたのは薄暗い大廊下だった。案内されている最中、何度もエレベーターを使ったので自分が何処にいるか分からなくなってきたが、女性が迷いの無い足取りで進み続けるのを見て、俺はただ羨望の眼差しを向ける事しか出来なかった。


 五分ほどした頃に一本の通路に出て、しばらく直進し続けているとデイヴィッドらしき人物が見えてきた。デイヴィッドは鉄製の、両開きの引き戸の前で暇そうにしていた。


 彼はこちらに気付くと大きく手を振って、こちらに小走りで合流する。


「こちら、頼まれていた物になります。では、私はこれで」

「サンキュー、またよろしくナ」


 深々と会釈をすると、女性は元来た道を辿り直す。またあの迷路を進まなきゃいけないと考えると、なんだか申し訳なくなった。


「どうだ、服の調子ハ?」


「絶好調です。こんなにデザインと利便性を両立した服は着た事ないです」


「だロ?うちの装備はスゲェからナァ。もっと褒めてもいいゼ?」


「いや、隊長は使う側じゃあ…」


 細ケェ事はイイんだヨ、なんて言いながら彩我の言葉を右から左に流し、デイヴィッドは先程女性から受け取った資料のような物に目を通す。


「それ、なんなんですか?」


「ん、これカ?この前身体検査やっただロ、その結果とか諸々が書いてあんだヨ」


「それと今からやる事が関係しているんですか?」




「もちろんダゼ?なんてったって今日はお前に遺物が与えられる重要な日なんだからナ!」




「…………え⁉︎」


「おいおい、何も伝えられてねぇのカ?ったくこれだからお役所仕事の連中は苦手なんダ……」


 話が唐突すぎやしないか?


 俺はどうやら一人だけ置いてけぼりになっているようだ。


「悪いナ……そんじゃ、あらためて今日はお前に遺物が与えられる記念すべき日ダ!喜べ!」


 俺が留置されている間、統轄機構に関する資料を読み漁っているときに、〝遺物〟に関する取説があったのを思い出す。


 初めて読んだ時は遺物を蒐集する組織がなぜ遺物を扱うのか?と疑問に思ったが、今ならその理由が分かる気がする。凄まじい力を持つ遺物に対抗するためには、遺物を使う以外の選択肢は無いんだろう。


 いわゆる、毒を持って毒を制する、というやつだ。


 そこで、煩雑な情報の中で点と点が繋がる。


「もしかして、この扉の向こうに遺物が格納されているんですか?」


「あア。ちと遠いが、自分の遺物に最初に触れるのは本人であるべき、って俺の持論を優先されてもらっタ」


「この扉の奥に、俺の遺物が……」


「開けてみロ。きっと驚くゼ?」


 まるで自分のことのように嬉しそうな表情のデイヴィッドにつられ、頬が緩む。俺は無骨な扉を、いっぱいの期待感を伴って開いた。




「…………すごい」




 扉の先にあったのはいかにも研究施設といった雰囲気を纏う、純白の壁に四方を囲まれている巨大な、ラボ兼倉庫と見ただけで分かる部屋だった。


 至る所に頑丈そうな、透明なケースに入った遺物と思しき物が棚に安置されており、空いたスペースにはおそらく実験に使うのであろう機械が等間隔で置かれている。


 遺物の姿形に共通点は一切無く、ただの石ころに見える物もあれば、装飾品のような物まで多岐に渡る。


 奥に視線を移すとその先にも同様の規模のラボが一枚の壁を挟んで、渡り廊下の先にあるのが見てとれた。


「スゲェだろ、統轄機構ハ」


「はい、すごく……」


 だろ?、とデイヴィッドは嬉しそうに語りかけると、奥へと向かい始め、こちらに手招きした。

 どうやらここは統轄機構の研究部門の所有するラボのようだ。統轄機構は大きく分けて三つの部門に分類できる。


 研究部門。


 開発部門。


 そして、俺が所属する事になる戦闘部門。さらに細分化出来るが、あまりにも多岐に渡るので詳しいことはよく分かっていない。

だが、それだけ力を持った組織だということは分かった。


「サイガ、遺物を使うからにはお前も俺たちが戦ってる敵について知っとケ」

「分かりました」


 様々な遺物や機材に目を奪われ、心ここに在らず、といった様子の俺に、デイヴィッドは歩みを緩めることなく説明をし始めた。


「俺たちが戦ってるやつらは……まぁ色々いるが、主要なとこは〝代弁者〟と〝鏖惚企業連合bloodbath company〟だろうナ」


 やはりというべきか、統轄機構に来てからの恒例行事かのように出される聞き慣れない単語の羅列に眉を顰める。


「訳わかんねぇと思うから、一個ずつ説明すんゾ」


 デイヴィッドはそれまでと打って変わって、俺の先を進むのではなく、右隣に並んで、説明しやすいような位置に陣取る。


「代弁者から説明するゼ。代弁者ってのは俺たちと同じ姿をしているが、遺物を用いずに因果律操作が可能な生物の総称ダ」


「それって……」


「あぁ、もはや奴らは生ける遺物と言っても過言じゃなイ。知性も俺たちと同レベか、それ以上ときたもんダ。それに、奴らは人外故に凄まじい能力を持ってル」


 そんな人外の生命体と、この先戦っていけるのだろうか。言いしれぬ不安感が氾濫し、ネガティブな考えを流し込む。そんな俺を見かねてか、デイヴィッドは俺の肩に腕を回す。


「そんな心配そうな表情すんなっテ。基本的に俺たちは一人で戦うことはなイ。ま、一部除いてだがナ」


 デイヴィッドの不器用なのか器用なのかよく分からない慰めに、波濤の如く押し寄せたこの数日の心労が優しく取り除かれ、思わず涙が目尻に溜まってしまう。


 こんなとこで泣いたらカッコ悪い。


 ただそれだけを強く念じて、俺はグッと堪えた。


「代弁者については分かったんですけど……その、なんたらカンパニーってのはなんですか?」


鏖惚企業連合bloodbath companyナ。こいつらは……まぁ、言いづらいんだが、人間ダ」


「……テロリストってことですか」


「半分正解で半分間違いってとこだナ。カンパニーの連中は遺物を売り捌いたり、逆に依頼を受けてテロを起こしたり、遺物に関わる様々な事業を展開してル。中には人身売買をする奴も所属してル」


 カンパニー。人間でありながら、利益のために同じ人間を簡単に蹂躙するような資本主義の悪い意味での優等生。その後もデイヴィッドの口から語られるカンパニー関連の話題は、嫌悪感を抱かせるには十分すぎた。

 

 会話もひと段落ついたところで、デイヴィッドは大きめのテレビほどの大きさの、壁に埋め込まれた液晶パネルの前で立ち止まった。


「着いたナ。ちょっと待ってろ、すぐにお前に遺物を渡ス」


 デイヴィッドはこういった機材を扱うのに慣れていないのか、マニュアルとパネルを右往左往している。


「えっと……いや、これじゃネェ…………あっタ!これダ!」


 パネルとの悪戦苦闘の末に、遂にお目当てのものを発見したようだ。無邪気に喜ぶデイヴィッドの姿は、見た目こそ人と大きく違うが根本的には同じなんだと、そう教えてくれているような気がした。


 デイヴィッドがパネルの操作を終えると同時に、床のタイルの一面が隆起し、無機質な純白の直方体が現れた。


 俺が呆気にとられていると、ガコンガコン、と機械音がして上面が開いた。中の空洞から昇ってきたのは、手で抱えられるぐらいの大きさの箱だ。


「来たぞ、サイガ。開けてみロ」


 デイヴィッドに促されるままに、俺は箱までの数メートルを一歩、また一歩と踏み締める。


「……開けます」


 蓋を開いて、邪魔にならない位置にそっと置く。中は包み紙で満たされていて、中はまだ見えない。少しずつ、形を確かめるように触りながら包み紙を解いていく。


「——これが、俺の遺物」


 中から現れたのは、刺々しいデザインの、烏の濡れ羽色をしたガントレットだった。


「一回つけてみロ」


 言われるがままに、ガントレットを両腕に通す。関節ギリギリまで覆う純黒の遺物は、確かな重みをこの腕に残す。


「似合ってるじゃねぇカ」


「そうですかね?」


「あア。本当によく似合ってるゼ。統轄機構に入るって実感、湧いてきたんじゃないカ」


「はい、いよいよって感じですね」


 これから非日常が、俺の日常になっていく。その実感が沸々と湧く。不安な反面、嬉しさもある。


(ついに俺も——誰かの役に立てる時がきたんだ)


 今まで成し得なかったことをこれから成していくと考えると頬が弛緩し、思わずはにかんでしまう。


「その遺物のこと、知りてえだロ?」


「はい!」


 デイヴィッドは笑顔でありながら、どこか神妙さも感じるような不思議な表情で、寿ぐことほぐようにこの遺物について語り始めた。


「そいつの名前は【紫電】。読んで字の如く紫色の雷をガントレットから発生させる遺物ダ。そいつの使い方は今から手解きしてやル」


「今から⁉︎」


「あア。もう何日かしたら早速任務についてもらうしナ。最低限でも仕込んでおかねえと危険すぎるってもんダ」


「でも、俺本当に何も分からなくて……」


「?。だから今から教えんだヨ」


(話が急すぎる…………)


 本当に俺には何も知らされていない。さっきまでの期待感は何処に消え、本当に大丈夫なのだろうか、と思ってしまった。


「ってなわけで、向かうゾ!」


「……はい」


 今この瞬間だけはデイヴィッドの無邪気さが恨めしかった。

 

          ♢

               

 着いたのは何も無い、隔壁で囲まれた部屋だった。一辺が約三〇メートル程の正立方体状の、扉以外埃一つ無い真っ白な部屋。


 先程の迷路のような道を再び使い、長時間歩いた末にたどり着いた場所は遺物の影響を極限まで留める施設だった。主に戦闘シミュレーションや遺物の起動実験に用いられるのだそう。


デイヴィッドに位置を指定され、そこまで移動する。デイヴィッドは反対側一〇メートルの位置に立ち、こちらを向く。


「オレは遺物の能力を使わねエ。シンプルな身体強化だけでお前に戦い方を教えル。例えんなら赤ん坊に歩き方を教えるみてえなもんダ」


「遺物の能力を俺は使ってもいいんですか?」


「バカ言エ。そんなに簡単に引き出せたら苦労しねえヨ。てか、それに出せたとしてもチョロっとダ。大して使い物にならネェ。——まぁ、出せたら使ってもいいゼ」


 そう言うとデイヴィッドはポケットから手を出し、こちらを睨む。俺は紫電を装備しているが、デイヴィッドは武器と言えるようなものは何一つ身につけていない。


強いて言えば鋼鉄で構成された身体だろうか。


それでも、最低限の構えしかとっていないはずの彼からは、海還島のあの化け物をはるかに上回るほどのプレッシャーが放たれている。


 訓練だとは分かっているが、こめかみから汗が滴り落ちる。


 何者にも阻まれることのない閉じた空間の中で俺とデイヴィッドは真剣でありながら、どこか気楽に相対している。奇妙な沈黙の中、デイヴィッドが口火を切った。


「いいカ。難しいことを考えて遺物を扱おうとするナ。初めから難しい能力を扱おうとするナ。自身の身体能力が飛躍的に向上しているイメージを持テ。遺物での戦闘は因果律操作による身体強化が基本ダ。準備出来たらいつでもこイ」


「はい‼︎」


 瞼を閉じる。


 イメージしろ。


 強くなった自分を。


 あり得ざる事を引き起こす、超常の力を行使する自分を。


 意識を深い集中の海に沈め、紫電との繋がりを持とうと、トランス状態に入る。


 すると、少しづつではあるが紫電との間に言葉にできないような、細い何かが生まれたような感覚に包まれる。それは微弱で、雑念が混じれば簡単に零れ落ちてしまいそうなほどにか細い繋がりだ。


 だが、絶対手放さない。


 もう、チャンスを手放したくない。


 勘を頼りにその細い糸を手繰る。それを察してか、デイヴィッドも微動だにせず見守ってくれている。


(期待に応えろ!ここで出来なかったらこの先一生出来ない覚悟で!全身全霊で!)


 双眸をゆっくりと開き、デイヴィッドに眼差しを向ける。


「————ベリーグッド」


「ぐっ…………はぁっ……!」


 糸を手繰った先にあった核心。それを掴んだ瞬間、パチっと音がした。

 再び世界を見渡す。視界の端には、まだおもちゃのようではあるが、紫色の稲妻を少しだけ走らせている紫電の姿。


(この電気!維持するだけで精一杯だっ!)


 指先一つ動かしただけで、細い紫電との繋がりが消えてしまいそうになるが、必死に集中を保って、かろうじて維持し続ける。

 デイヴィッドは喜色を頬から滲ませていた。


(ここまで遺物との回路を繋ぐのが早い奴を見んのはいつぶりダ?)


 デイヴィッドの眼差しには、見込みを遥かに上回る成果を一発で生み出した彩我に対する、憧憬にも似たものが写り込んでいる。


(スゲェ!いくら一番適合する遺物だからってこんなに早く遺物に受け入れられる奴なんざ初めてダ!)


 デイヴィッドは先ほどまで抱いていた、赤ん坊に歩き方を教える、という程度の認識を恥じ、あらためて彩我に宣言する。


「サイガ!先に謝らせてくレ!お前に教えんのは赤ん坊の歩き方なんて生ぬるいもんじゃねエ!赤ん坊の身体のままで走り方を教えられると思って————死ぬ気でこイ!」


「——はい‼︎」


 一歩。


 また一歩。


 距離が近づく。


 間合いに入っても両者は睨み合い続ける。

 デイヴィッドは俺から仕掛けるのを、愉快そうに待っていた。


「——行きます‼︎」


 五感の全てに意識を移す。無駄な思考を取り払って、自身の持ちうる全てをぶつけるべく、右腕をデイヴィッドの顔面に向かって打ち込む。


 俺は驚愕した。自身がおおよそ人間とは思えないほどの速度で体躯を動かし、その動きをはっきりと目で追えていることに。


 そして、その目ではっきりと、デイヴィッドが真正面からお互いの拳を相剋させようとしていることも。


 互いの拳が寸分違わずぶつかり合う。拳を起点として軽い衝撃波が生まれた。


「サイガ、お前センスあるゼ‼︎」


 集中のあまり疲労が張り付いている俺とは違い、デイヴィッドには余裕の笑みを浮かべている。


(勝てるとは思ってなかったけど、格が違う!)


 目の前の相手が、本物の戦士である事を再認識する。


彼の眼窩には熱意の燈が灯っていた。


「さぁ、こっからが本番ダ‼︎」


 嬉しそうなデイヴィッドの様子に、釣られて笑みを溢してしまう。

 俺は奥歯を強く噛み締め、再び躍動を開始した。

 

          ♢

              

「随分動きが良くなったゼ。ここいらで終いにするカ」


「…………はい」


 疲労感に抱きとめられるように床に大の字になって寝転がる。


「疲れたぁ……」


 腕時計を確認すると、既に部屋に入ってから三時間が経過している事を知った。

 デイヴィッドは手心というものを知らないようで、この三時間の間、容赦の無い徒手空拳の応報が絶え間なく交わされた。


 それでも、俺は途中でギブアップすること無く模擬戦を続けることができた。デイヴィッドに教えてもらったことを応用して、動き続ける事をイメージした結果なのだろうか。


(これが遺物の力……)


 今回の模擬戦で、雷を維持するのに集中をそこまで割くこと無く戦う事が出来るようになった。


 それでもクタクタだが。


 これだけの時間体を動かしても息一つ切らしていないデイヴィッドの姿にもはやため息が出る。


「サイガ、軽く片付けしてから出るゾ」


「分かりました」


 デイヴィッドと共に汚れた部分を軽く清掃し、白亜の輝きを取り戻してから部屋を後にした。


「そういや、サイガは昔格闘技でもやってたのカ?」


「そうですね。やっぱり分かりますか?」


「分かるも何もあんだけ遺物使った格闘が早く出来るようになんのは才能だけじゃ片付けられねえしナ」


 デイヴィッドは戦闘行為を仕事にしているだけあって、その分析眼は確かなもののようだ。

 戦いの最中、デイヴィッドは宣言通り一度も遺物の能力を使う事なく、シンプルな体術のみで何度も俺を組み伏せた。


 実力も本物。


 あの化け物たちを簡単に葬ることができるのも納得の強さを、彼は持っている。

 これほどの強さを持つ人々が多く所属している統轄機構という組織の力をあらためて知った。


「だが遺物の能力を引き出す方はまだまだってとこだナ。遺物の能力を引き出すためには、その遺物の指向性に対する理解を深める必要があル。一朝一夕で身につくモンじゃネェ」


「遺物の指向性?」


「あア。遺物ってのは強い指向性を持ツ。知能があるか無いかとかはまだよく分かってねえんだが、一つだけ分かってることがあル。それが遺物が何かの目的を持ってるってことダ。」


「遺物が目的を持ってる?知能も無いのにですか」


「詳しいことをオレは知らン。ただ、遺物は特定の目的に向かうプログラムが仕込まれてる、みたいな感じらしイ。まぁ、これは受け売りだがナ」


 デイヴィッドにもよく分かっていないのか、懊悩したような表情を見せた後、投げ出したかのように「やめダ」と言って手を上に向けた。


「ここで伝えたいのは指向性がどうのってんじゃなくて、戦いの中で自分と遺物の繋がりをより確固たるものにしろってことダ。理解を深めれば遺物も自ずとお前に力を貸してくれるようになル」


 なるほど、と俺は頷く。


 まだ使い始めたばかりの俺が雷の能力をうまく扱えないのも納得だ。

 俺は紫電のことを何も知らないし、逆もまた然り。

 そこで気になったことを俺は質問する。


「どうすれば理解を深められるんですか?」

「戦いの中で……ってしか言えねえナ」


 デイヴィッドの曖昧にも程がある解答に思わず顔を顰めてしまう。


(戦いの中で見つける?一体どうやって?分からないことが多いなぁ……)


 とりあえず説明してもらうことは諦めることにする。多分これ以上質問しても核心に迫ることはできないだろうから。


「まぁなんて言うんダ?その、土壇場で発揮した力をそのまま使えるようにすればいいんじゃねえカ?」

「そんな適当な……」


 少しもそんなことは思っていないだろう屈託の無い笑顔で「悪い悪イ」と言うデイヴィッドの姿に、どちらが先輩なのかを思わず忘れてしまう。


(隊長、結構適当なところあるよなぁ)


 心の中で悪態をつきつつも、どこか楽しさを織り交ぜたような不思議な感情が胸の内を満たしていくのを感じる。

 久しく感じていなかった楽しいという感情を噛み締める。


(こういう時間を大事にしていきたいな)


「ン?サイガ、なんか嬉しそうじゃねぇカ?」

「?。そうですかね」


 デイヴィッドは首を誇張気味に縦に振り、つられたように笑ってみせる。

 無機質な廊下の中で、優しいそよ風が吹いた。

 

          ♢

 

「サイガ。一日のうちに何回も連れ出して悪いが、ちょっと来てくれるカ」


 デイヴィッドが再び部屋を訪ねてきたのは模擬戦からしばらく経った午後八時のことだった。

 疲労感も後押ししてか、俺は帰ってきてから直ぐに眠り込んでいたようだ。

 昼寝後特有の頭痛にこめかみを抑えつつベッドから身体を思いきり引き剥がす。


 あれだけの事をしたのに、デイヴィッドは疲労の疲の字も無いようにケロッとしていた。


「今からお前を連れてかなきゃいかん用事があってナ。疲れてるのは分かるが、来てくレ」

「分かりました。ちなみに何ですか?」


 俺の質問にデイヴィッドは口に人差し指を当てて、ニヤニヤとした笑みを作る。


「秘密ダ!」


「秘密……」


 一体なんの用なのかも分からぬまま、俺はライダースジャケットを着直して最低限の身なりを整えてからデイヴィッドの後に続き、部屋を後にした。

 

 着いたのは新宿の街を一望できるビルの一角。正しくは統轄機構新宿支部の地上部分の五〇階にあたる施設だ。


 都内でも有数の高さを誇るビルは、数多のビル群の中でも突出した景観をほこる。内装は一般的な企業といった風貌ではあるが、表の顔は財団のようなものなので、案外擬態としては正しいのかもしれない。


 エレベーターを上がって初めて自分が居た場所が地下だったことを知った。

 既に日は落ちており太陽との再会は叶わなかったが、久しぶりに見渡す東京の街並みに目頭が熱くなった。


「サイガ、ここダ。開けてみロ」


 感慨に耽りながら歩いていると、どうやら既に目的地に到着したようだ。


〈第三談話室〉という表示板が扉の上に設置されている、温かみのある木製の扉が目的地のようだ。


「あの、ここで合ってるんですか?」

「大当たりだゼ」


 デイヴィッドは地下からここまで来る間と変わらぬニヤニヤとした笑みで、早く開けろと言わんばかりに腕を組んでいる。


(本当になんだろう……)


 談話室ですることなんて見当もつかない。

 恐れることはないのに、俺は少しビクビクしながらドアノブを回す。


 パンッ‼︎


「うわっ‼︎」


 扉を開くと同時に眼前で破裂音が炸裂し、俺は思わず尻餅をついてしまった。


「「「デイヴィッドスクワッドへようこそー‼︎」」」


 瞼を上げると三人の男女がクラッカー片手にこちらを覗き込んでいた。

 驚いて目を見開いて何も言えなくなっている俺に、デイヴィッドが手を差し伸べてくれた。


「サイガ、あらためてデイヴィッドスクワ……いや、クインテットになったんだったナ。まあ、とりあえずようこソ!」


「あ……ありがとうございます!」


 会議室の中に目をやると広めの会議室のような内装が、様々な装飾品でカラフルに彩られており、手間ひまかけて準備されたことが直ぐに分かった。


「さサ。主役はここだゼ!」


 デイヴィッドに手を引かれ、俺は八人くらいが使えそうな長方形のテーブルの、いわゆる誕生日席と呼ばれるであろう位置に腰掛けた。デイヴィッドら四人もそれに続いて椅子に腰掛ける。

 机上にはピザやポテト、寿司などホームパーティにはピッタリのメンツが勢揃いしており、このところまともな食事にありつけていなかったので思わず唾液が溢れそうになってしまう。


「さあ、まずは自己紹介からだナ‼︎先陣はオレが切るから、オレから時計回りで自己紹介していくゾ!」


 デイヴィッドは嬉々として立ちあがり、三人の男女は盛り上げるように拍手と歓声を送っている。

「オレはデイヴィッド・ゴッドスピード。この部隊で隊長をやらせてもらってル。年齢は三四、アメリカ出身。矜持は、諦めない、ダ!」


 パチパチと拍手が鳴り響く。

 この場には五人しかいないのに、すごく盛大にパーティをしている気分になった。

 デイヴィッドの隣に座ったボブカットの女性が「次は私だね」と言って立ち上がる。


 黒い厚手のジャケットを羽織り、ピッチリとした黒いスキニーパンツを着こなしている、既視感のある姿。


 俺はその姿を知っていた。


 さっきまでは混乱していて気づかなかったが、間違いない。


 海還島で俺を助けてくれたあの女性だ。


「私の名前は双月雛。日本出身の一九歳。好きなものは甘いものと猫。これからよろしく」


 お世辞にも愛想がいいとは言えない自己紹介だったが、彼女の話し方や仕草からは優しさが垣間見える。愛想がよくないといっても、彼女の微笑はこの世の何よりも温かく感じられた。


 きっとあの時も、俺が気絶している間の面倒も彼女が見てくれていたのだろう。


 後で折を見て感謝を伝えなければと心に誓う。


「次はワタクシですわね」


 雛の前に居た女性が柔和な笑みを携えながら腰まである銀の長髪を優雅にかきあげながら立ち上がる。

 白亜を擬人化したかのように透き通る白皙は穢れを知らぬかのように輝いている。彼女の身に着けている白を基調とした、所々に黒い意匠が施された豪奢なロングワンピースは、クラシカルでありながら現代的な印象をも持っている。


 あまりに流麗な姿形に思わず唾を呑む。


「ワタクシの名前はアイリス・R・ロードナイトと申します。イギリスから参りました。気軽にアイリスとお呼びくださいませ。歳は二三で、特にアールグレイティーが好みですの。これからよろしくお願いいたしますね」


 アイリスの隣に座る長めの白髪を後ろで纏めた、仏頂面の大柄の男がアイリスに促され、重い腰を上げた。

 端正に整えられた執事服からの上でも分かる、引き締まった筋肉が見て取れる。

 彼は立ち上がって少しフリーズしたかと思うと、急に顔をこちらに向け自己紹介を始めた。


「ジークだ。アイリス様の執事兼ボディーガードをしている。これからよろしく頼む」


 簡潔に最低限の情報を伝えると、ジークは無表情のまま機械的に椅子に座った。


「最後はお前だゼ」


 デイヴィッドに言われ、俺は立ち上がってさっきまで考えていた自己紹介を繰り返すように口にした。


「篠沢彩我です。日本出身の二六歳です。好きなことは身体を動かすことと、色んな作品を見ることです。まだ入りたてなので迷惑をかけることもあるかもしれませんが、精一杯頑張ります!」


 深々と頭を下げ、自己紹介を終える。

 頭頂部に拍手と歓迎の言葉がかけられる。久しく受けていなかった祝福に少し、涙が目にたまる。


「さぁ、まずはカンパイからだナ‼︎」


 デイヴィッドは机に乗り出し、右手に持ったグラスを掲げ、俺たちもそれに続く。

 デイヴィッドは屈託のない笑みを浮かべながら、乾杯の音頭をとった。


「サイガ入隊を記念しテ‼︎」


「「「サイガ入隊を記念して‼︎」」」


 五つのグラスがカチンと音を立ててぶつかる。

 気がつけば五人全員が天井を見上げてそれぞれ笑っていた。


「「「「「カンパイ‼︎」」」」」


 光を反射し、何物よりも強く輝こうとする五つのグラスたちが作り出した光景は、鮮烈に目に焼き付いた。


 これが、俺の始まり。


 これから歩む、旅路の始発点。


 気づけば俺はグラスを強く握りしめていた。

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