第2話 神跡遺物統轄機構
「チッ、数が多いな」
双月雛は自身の背丈を軽く超える箱型の銃を構え、不満を漏らした。銃身は唯一の光源である月光を受け、鈍色の殺意を纏っていた。
彼女が撃ち倒さんとする化け物はざっと数えて二〇強といったところ。
(殺るの自体に大した手間は掛かんないけど——問題は真ん中の気絶してる人かな)
本来こんな事に巻き込まれるべきではない一般人が目の前でリンチされている。状況はよく分からないがもたもたしていれば見殺しにするだけになる事など、言われるまでもなく理解出来た。
「とりあえず……邪魔だから、その人から離れてくれない?」
薄手の黒いジャケットを翻し、雛は即座に身体全体の可動域を確保する。化け物達が特殊な能力を持っている可能性を考慮し、即時回避を行えるよう腰を落として、引き金を丁寧に、されど迅速に引く。
銃から伝わる風圧と衝撃がジャケットと、肩口にかかるか、かからないかほどの長さの髪を、銃声に沿わせるように揺り動かした。
「⁉︎」
化け物でも視認する事が不可能な凄まじい速度で、弾丸は主人の敵を撃ち倒さんと飛躍した。
化け物達は目で追う事の出来ない未知の攻撃を受けたことを、音、空気の振動、眩く光るマズルフラッシュで理解し、出来うる最大限の防衛行動を行う事を本能に訴えかけ、強制した。
しかし——
「——————?」
弾丸はその場にいる誰にも、当たることはなかった。
弾丸は彩我達を囲う化け物から二歩程度前の地面を何ヶ所か抉り出しているだけだった。
化け物達は目の前の人間に、脅威が無いことを断定した様子で雛に向きやった。
ぐちゃぐちゃの顔面を歪ませ、かろうじて笑顔なのだろうと推測できる表情を浮かべ、目の前の不穏分子に、化け物達は不細工なステップを刻むように歩み寄る。
全力疾走を行うべく、晃大だったものは右脚に体重を乗せ、新たな標的を肉塊へと変えるべく跳躍を行う——はずだった。
「ガなバっっ⁉︎」
重心はそのまま勢いよく頭頂部へと向かい、晃大だったものは滑稽にも自らの身体を自分自身で叩きつける結果を残すに終わった。
とうに忘れてしまったはずの恐怖を、視界に捉えた超常の現象により思い起こした化け物達は、顔を戦慄で歪めていた。
——右脚に直径一〇センチ大の穴が空いている。化け物達が辿り着いた思考は、まともな生物が行えるようなやわな攻撃では無い、もっと上位の、生命体ですらない
少しづつ少しずつ身体を這い上がり、穴は身体の上部を目指し、躍動を開始した。
「がぁぁっぁぁあ」
肉体が舐められるように、犯されるように、息の根を止めるため、避けようの無い破滅を運ぶ。
その時、その場にいた全ての化け物の身体のバランスが崩れた。もはや人の知能を残していないであろう、化け物にもこれだけは理解する事が出来た。
身体に穴が空いている。
このままでは殺される。
もはや狩られる側となった化け物達は呻き声をあげながら、上がらなくなった脚を引きずって雛から距離を取ろうと足掻く。
「逃すわけ無いでしょ、何期待しちゃってんの?」
無慈悲に雛は再び地面に銃を構え、引き金を引いた。
抉られた地面から数一〇の歪みのない真円を描く穴が、縫うように化け物それぞれの元へとトップスピードで向かう。
「あっっっ」
「うぅ」
「ふうのゆひむぬねねっ」
一匹、また一匹と頭に風穴を開けて息の根を止めにかかる。
その光景を晃大だったものは、ただひたすらに眺めることしかできなかった。
「なんかしぶといね、あんた」
「なっ……なィこデ!」
「最後の最後で絞り出したのがそれ?」
晃大だったものの背中には既に穴が登ってきていた。もはや残された時間など無かった。
それでも、化け物は抗おうとした。
蹂躙されるだけの存在では無いと、たったそれだけの事を証明したくて。
「——無駄だって分かんないの?」
全身全霊だった。手を抜いたつもりなど化け物には毛頭無かったし、そんな事をしようという思考など、片隅にすら存在していない。
——それなのに
——それなのに
——目の前の少女は全力で振りかぶった腕を、赤子をあやしているとでもいうかのように、穏やかに掴んで止めていた。
「言葉分かってるかは知らないけど、最後に一個教えてあげる」
穴が首筋を、頸を優しく撫でた。
「あんた達はそうやって生きる定めで生まれた時点で詰んでたんだよ」
晃大だったものの視界がゆったりと暗転し、意識に幕が下ろされた。
「さて、負傷者回収といきますか」
化け物の排除を完了した雛は身体を労うかのように大きな伸びをした。
(今回の敵は拍子抜けするくらい弱かったし、いつもより楽できたかな)
付近にいた化け物達は既に顔面に風穴を開け、力なく重なって横たわっている。特筆すべき能力すら持たない化け物は、雛にとって敵とすら認識出来ないほどの強さしか持たないが故に、こうなる運命は定まっていたようだ。
「おーい、起きてる?————死んでないよね……」
少しばかりの不安を憶えた様子で、雛は銃を右肩から提げて、生存確認を行うべく彩我の方向に歩を進める。
[因果律改訂値の上昇を確認しました。周囲に警戒してください]
黒いスキニーパンツのベルトループに付けていた、箱型の検知機から音声が流れた。その音声は雛の思考を数秒間停滞させるには充分すぎるほどの驚きを与えた。
「…………は?」
雛は素早く武器をいつでも構えられるように臨戦体制に入る。雛の額を汗の粒が撫でる。一切心当たりのない敵性反応の可能性に、先程までの安堵の表情は既にどこかに消えていた。
しかし見渡しても、検知機を使っても、どこにも発生源と思しき物は何一つとして現れることはない。重圧を伴う静寂に、雛は少しづつ落ち着きを取り戻し始めていた。
(待て待て。さっき検知した敵性反応は全部処理したはず。新たな敵が来ているならもっと早く連絡が来るはず。敵じゃないなら、一体何が因果律改訂値を上げた?)
雛は島に来てからの記憶を整理し、可能性のありそうなものを片っ端から考慮しては破棄をしての繰り返しの中で、一つの可能性に思い至った。
それは受け入れ難い事実として雛にのし掛かる。
(————もしかしてこの人が?)
雛が視線を向けたのは、巻き込まれていた一般人————篠沢彩我その人であった。
認めたくない気持ちを抑えつけ、雛は努めて冷静に状況を分析する。
(状況的に私がこいつに近づいてから警告音声がなり始めた。信じられないけど、さっきまで襲われていたこいつから因果律操作の可能性が検出された——って考えるのが妥当、というかそれしかないかな)
雛は自身の推論を確証へと変えるため、臨戦体制を崩さぬままに、ゆっくりと彩我へと近づいて、検知器を掲げ、ボタンを押して検知を開始した。
[因果律改訂値:八・七二 数メートル以内に危険因子が存在する可能性が高いです。警戒体制を維持してください]
「推理が当たってたのに、こんな嬉しくないことはないよ——」
自分が助けようとした、普通の生活に帰そうとした、ただ巻き込みたくなかった存在が、もはや巻き込みたくないという私情で逃してやれるような浅瀬にいないことを、雛は眼前に突きつけられ、視線を落とした。
雛は強く握り込んだ拳を緩めると先程の検知器とは別の、左手首に取り付けた腕時計型の連絡装置を起動した。
『よぉ、ヒナ。そっちは片付いたカ?』
連絡装置からは機械的な雑音が混じったような男の声が流れ、先程までの静寂を破るように響き渡った。
「こっちは片付けたよ。けど…………」
『どうしたタ?何があったんだヨ』
「一般人が襲われたから助けんだ。けど、そいつから因果律操作の痕跡が見つかった」
『一般人?遺物は持ってないのカ?』
「うん。調べてはないけど、この程度の化け物に殺されかけてるから持ってないとみて間違いないよ」
なるほどな、と電話越しに男は思案するように唸り声を鳴らした。
『うーン…………こっから一番近い支部って東京だったよナ?』
「はぁ……、隊長なんだからそれくらい把握しときなよ。ここから一番近いのは新宿支部だよ」
雛は呆れたと言わんばかりに、ため息を溢した。隊長と呼ばれた男は聞いていなかったかのように、変わらぬ調子で続ける。
『悪い悪イ。ま、とりあえずそいつに関しては逃がしてやるわけにはいかネェ。不本意だがそいつを支部に連れて行こウ。ジークとアイリスにはオレから一報入れとク。合流ポイントは送った通りダ』
「…………分かった」
『この件に関してはお前に非はネェ。だからそう気を落とすナ。それじゃ合流ポイントでナ』
男は慰めの言葉を並べ、通話を切った。
雛は深呼吸をし、彩我の身体に手を回し、軽々と持ち上げた。
「——ごめんね」
誰に届くわけでもなく、雛の言葉は闇夜に溶け消えた。
♢
目が覚めればあの悪夢から解放されると思ってた。
だけどそんな甘い願望は通用するはずがないと、無機質なコンクリートの壁に四方を囲まれた狭い部屋に否定された。
「俺、捕まったのかな……」
彩我が晃大に襲われ、気絶してから目を覚ますと、衣服は囚人の作業着のような物に取り替えられており、この無機質な部屋に閉じ込められていた。
窓と呼べるような物は無く、唯一あるのは飾り気のない机とパイプ椅子だけだ。
心当たりがないと言えば嘘になる。
「あの状況なら俺がやったって思われても仕方ないのかもな……」
あの場所で人としての原型を保っていたのは俺だけだ。大量殺人の疑いがかけられてても何の驚きも無い。
彩我の心には無力感だけがドロっと音を立てて溢れ出す。
(あそこの人達……誰一人助けられなかったんだ。罰を受けて然るべきなんだろうな)
自分が抑留されている理由もわからず、何も為せなかった彩我にとって、もはや自身がちっぽけに思えて仕方がなかった。
彩我の腕に蝿がとまったが、それに気づかず天井を見つめ続ける。
「俺、どうすりゃいいんだよ」
視界が悲しみの粒で歪み始めた。
目尻を濡らす直前、ガチャンと大きな音を立てて目の前の扉が勢いよく開いた。
「感傷に浸ってるところ悪いガ、邪魔するゼ」
入ってきたのは身長一八〇を超す、肩甲骨あたりまである黒い長髪が特徴的な欧米風の顔立ちの男だった。
黒を基調としたガンマンスタイルの服は近未来的でありながら、一目でガンマンをモチーフとしていると分かるよう、各所に特徴を残している。その服装は溌剌とした印象を受ける彼によく似合っていた。
男は目の前の椅子に座り、彩我に向きやった。
「まずは挨拶からだナ。オレはデイヴィッド・ゴッドスピード。よろしくナ」
差し出された手を見て彩我は言葉を失った。彼が差し出したのは明らかに義手だと分かるような金属製の、アンドロイドを彷彿とさせるような無骨な物だったから。
「おいおい、オレの腕が気になるのは分かるけどナ?相手が名乗ってんだから名乗って手を取るのが礼儀ってもんだロ」
デイヴィッドと名乗る男は笑顔を崩すことなく、催促するように再び手を差し出す動作をした。
「篠沢……彩我です。よろしくお願いします」
「おう、よろしくナ。…………警戒すんのは分かるけどよ、もうちょい肩の力を抜こうゼ?お前に何があったかはこっちも把握してるつもりだけどサ」
「海還島でのことについて何か知ってるんですか?」
「まぁナ。お前が悪くないことも知ってるし、どういった事が起きてたのかも把握してル。だからお前には最初にこれだけは伝えておこうと思ってた」
男は話を切りだしたくないといった表情を浮かべたが、すぐに真剣な面持ちで悲しい、悲しい事実を伝えてくれた。
「あの島お前を襲った人間は、全員既に死んでいタ。お前の友人もあの中に居たと聞いている。助けられず、申し訳なイ」
機械音が混ざった特殊な声は、静謐な部屋の中でゆったりと、波紋のようにこだまする。
「…………」
「お前の気持ちの整理を待ちたいのは山々なんだが……本題に移らせてほしイ」
「……本題?」
事情聴取でも始まるんだろうか。
彩我は溢れ出してしまいそうな感情に蓋をして、少しでも冷静でいられるように背筋をピンと伸ばした。
「お前は〝遺物〟と呼ばれる物を知ってるカ?」
「…………遺物?」
「知らねぇみたいだナ。じゃあちょっと説明から始めるが、置いてかれそうになったらしっかり言えヨ」
デイヴィッドは何から話したものかと思案し、少しの間を置いて到底信じられないようなことを口にし始めた。
「まずは俺たちについて話そウ。俺たちは〝神跡遺物統轄機構〟って組織に所属してル。俺たちは遺物って呼ばれている特殊な能力を発現した物品を回収し、世界が正常な形で維持され続けるのを手助けしてル。世界中に支部があって俺たちが今いるのは新宿支部ダ」
神跡遺物統轄機構?
そんな組織聞いた事が無い。でも、普段なら馬鹿げていると一蹴していただろうが、信じる事が出来てしまった。
だって、晃大は化け物に変えられてしまっていたんだから。
「それで……その、遺物っていうのはなんなんですか?」
「オーケー、呑み込みのイイヤツは好きだゼ」
デイヴィッドは愉快そうに笑うと、再び説明をし始めた。
「遺物っていうのは大雑把に言えば、因果律を操作してこの世ならざる力をこの世に発現させる物ダ。因果律操作っていうのは何の原因もなく事象を起こす事が出来る能力の事。例えば、何の道具も使わず火を起こすとかナ」
「……なるほど、万能な力なんですね」
「因果律操作っていうのは万能に聞こえるだロ?ところがギッチョン、そう上手くは出来てなイ」
デイヴィッドは胸ポケットから紙を取り出すと、絵と文字を用いてより詳細な情報を語った。
「一つの遺物には基本的に一つの能力しか無イ。何故か分かるカ?」
「万能な力でも限界があるから?」
「ビンゴ!その通りダ。因果律操作は世界を上書きする力。それには莫大なエネルギーが必要になル。だから遺物は基本的に一つの事象しか起こせないんダ」
デイヴィッドは紙に〇と一〇〇を書き、強調するように円で囲った。
「因果律操作は世界を上書きする力。だから痕跡が残るんダ。それを俺たちは因果律改訂値と定義していル。零が正常で数値が上がれば上がるほど現実が曖昧になル」
先程まで愉快そうな笑顔だったデイヴィッドの顔は、打って変わって先程の真剣な物に移り変わっていた。まるで、教師が重大な選択肢を無情にも生徒に突きつけるように。
その真剣な眼差しに固唾を呑む。
何を言われるか、彩我には全く予想出来なかった。
「言いづらい事だが、お前のその何かを直向きに見つめる様子を見て、オレも覚悟が決まっタ」
「大丈夫です。どんな事でも受け入れます」
彩我は真っ直ぐな瞳で、目の前の男に自分の気持ちを一言に乗せてぶつけた。
「分かっタ。——お前から因果律操作の痕跡が見つかっタ。オレ個人としてはお前に害は無いと思ってるが、上の人間はそうじゃねェ。お前に与えられた選択肢は二ツ。残酷なのは分かっているが、他に選択肢は無イ」
「……はい」
「因果律操作の痕跡が見つかった以上、このまま帰ることは出来なイ。お前は俺たちの監視下に置かれることになル。つまりお前は軟禁状態で過ごさなきゃならんってことダ」
訳が分からなかった。
俺が因果律操作が出来る可能性?
そんな訳が無い。でも、そんな事デイヴィッドだって百も承知だろう。そうする事が世界のためになるんだから。
「分かりました、受け入れま——」
「待てっテ。俺はまだ選択肢一しか言ってないゾ?」
「でも、それが世界の平和のためになるんだったら……」
「焦んナ。オレの話を最後まで聞いてから決めれば良いだロ」
デイヴィッドの圧に彩我は身を竦める。
でも、他の選択肢って一体——
「選択肢ニは、お前が統轄機構に入るんダ」
「…………え?」
「お前が統轄機構に入れば監視下に置けると同時に、戦力を確保できル。上の連中に文句は言わせネェ」
デイヴィッドは不敵な笑みを浮かべながら、彩我に期待の眼差しを向ける。
お前は戦わずにいる事なんて出来ないだろ?、と言わんばかりに。
そんなの、卑怯だ。
でも、身体はあの時失った熱を取り戻し、心の臓は聞こえるほどに強く鼓動を刻む。
やってやるよ。
それしか無いんだったら。
「分かりました」
「もうちょい考えても良いゾ?」
「いえ、気持ちは決まってます。まだ遺物とか色々信用したわけじゃありません。でも、俺に何か出来るのなら、そのチャンスは逃したくないんです」
「すまんナ。善意に漬け込む形になっちまっタ」
デイヴィッドは帽子を目深に被り、ほんの少しだけ俯いた。
「気にしないでください。どっちみち俺はこういう道を選んでいたと思うので」
「…………そうカ」
デイヴィッドは笑顔を取り戻すと、勢いよく立ち上がり、パイプ椅子を思いきり飛ばした。
「おそらくお前は俺の部隊で引き取ることになル。それまでの数日間はここで過ごしてもらうことになると思ウ。身体検査だのなんだのあると思うが、必要なことダ。我慢してくレ」
デイヴィッドは帽子を被り直し、豪快な笑みで再び金属製の腕をこちらに差し出した。
「よろしくナ、サイガ!」
「こちらこそ」
再び取った手は鉄のはずなのに、さっきよりも暖かかった。
彩我の視界の隅には扉から飛び立つ蝿が、しっかりと写っていた。
♢
「ふぅ、悪いことしちまったナ……」
デイヴィッドは彩我と別れ、仮眠室を目指していた。彩我の一件が片付くまで暫く新宿に留まることになるだろう。
新宿支部は研究が主軸の支部だ。俺達のような戦闘員はほとんど駐留していない。
必然的に廊下ですれ違う職員はほとんどが白衣を着ており、自分が場違いであることを突きつけられているように感じ、居心地が悪い。
(早く任務に戻りテェ)
任務は世界中を飛び回る。様々な風土に触れる事ができる自身の仕事が、デイヴィッドは好きだった。
無機質な施設に文句を言う隊員の姿を思い浮かべ苦笑を洩らしていると、仮眠室に辿り着きデイヴィッドは安堵のため息をつき、戸を開けた。
「……すまん、部屋間違えたカ?」
「別に、間違えてないけど」
「じゃあなんでここにいるんだよ、ヒナ」
雛は仮眠室奥の個人用ロッカーにもたれかかっている。どうやら暫くの間待たせていたようだ。
……顔が不機嫌そうだから。
「急に何の用ダ?暫く任務は無いって伝えただロ。設備はお世辞にも良いとは言えねぇが、我慢してくレ」
「そんなの分かってるよ。私だってそこまで子供じゃない。隊長に言いたい事があったから来ただけ」
ムスッとした表情で腕を組む雛は年相応の子供に見えた。その事が少し嬉しいが、今は笑みを浮かべすぎないようにしよう。雛がいつになく真剣な顔をしているんだから。
「あのさ、島で連れてきた人、篠沢彩我だっけ。何で統轄機構に引き入れたの?」
「何だそんなことかヨ」
心底どうでもいいといったような態度に雛は顔を引き攣らせ、ジャケットの裾をグシャっと握りしめた。
「そんな事って何。私はみんなの事を思って言ってるの。得体の知れない人を私たちの部隊に簡単に引き入れちゃって、不用心だって思わないわけ?」
雛の瞳は憐憫と怒りが混ざりあって、グラデーションを描き出している。
デイヴィッドは問い詰められても余裕を崩す事なく、されど真摯に雛と向き合った。
「あいつに選択肢は無かっタ。だがそんなのは不公平だロ。だから少しでもあいつ自身に選択の余地を与えて、あいつの意思を尊重してやりたいと思っタ、それだけダ」
「……何それ、私達のことは二の次ってわけ?一般人を巻き込んでるって自覚しなよ」
「お前の気持ちも分かル。だがあいつは後悔したまま日常に戻してやったら、平穏な日常の中でゆっくりと壊れていくタイプだと思っタ」
「…………」
「ナ?お前もちっとは心当たりあるだロ」
雛は押し黙ったまま、動かない。俯いているから表情は窺えないが、歯を食いしばっていることくらいは分かった。
「安心しロ、あいつはお前が心配するほど弱くなイ」
「別にあいつの心配はしてない」
雛は早口で捲し立てるようにデイヴィッドに言葉をぶつけた。デイヴィッドは嬉しそうにそれを受け止める。
「素直じゃねぇナ」
「うるさい」
雛は俯いたまま扉を蹴り破って出ていった。
「お前が誰よりも優しいってことくらい、分かってるヨ」
デイヴィッドは大きく伸びをしてベッドに勢いよく飛び込み、寝転がった。
(ま、彩我の件に関しては隠し事してっし、実際ぐうの音も出ねぇナ)
デイヴィッドの脳裏に過去の残滓が浮かんでは網膜に張り付く。
あの時の事はよく覚えていない。
ただ一つ覚えてるのは
崩れゆく都市の中、高笑いしながら全てを無に帰す、ある少女の姿だけだ。
「…………代弁者」
デイヴィッドの呟きは誰の耳に聞こえるわけでもなかった。それでもデイヴィッドは構わない。元より誰かに助けてもらおうなどとは思っていない。
必ず見つけ出してやる。
デイヴィッドは眠るわけでもなく、眉根を寄せたままゆっくりと目を閉じた。
微睡に落ちる直前、脳裏に浮かんだのは、新たな仲間を加えた、自分の部隊の未来の姿だった。
強くて、明るくて、誰にも負けない最高の仲間たち。自身の根底にあるものが仲間との日々である事がよく分かった。
デイヴィッドは安堵の表情を浮かべ子供のように寝息をたて始めた。
♢
(……本当に俺、よく分からない組織に入っちゃったよ)
デイヴィッドが部屋を出た後、白衣の女性(多分アジア系だと思う)に統轄機構について詳しく書かれた資料を渡され、暇なら読むように言われていた。
実際、暇で仕方がなかったし気になる部分はあらかた読み終えてしまった。
そこに書かれている内容は到底すぐに受け入れられるようなものでは決してなかった。
〝遺物〟
それは適合した人間にしか扱うことの出来ない、超常の品。
全ての人間が扱える遺物など存在せず、大抵は遺物一つに対して、適合する人間は世界で数人いるかどうかというレベルらしい。
そして驚くべきことに、遺物は人と共に進化するそうなのだ。その人間が成長すれば遺物もそれに応え、さらなる能力の深奥を発現させる。
そして、その能力によってランク分けがなされており、カテゴリーⅠ〜Ⅹで判別されるそうだ。
詳しい選考基準は分からなかったが、凄まじい力を持つ人たちなのは何となく分かった。
——きっと俺を簡単に組み伏せたあの化け物たちをも、簡単に倒してしまうような力を持った人々なのだろう。
「————情報量が多すぎるな……」
何時間も天井を見つめながら情報を整理していた眉間には既に、深い皺が刻み込まれていた。
「そういえば、俺を助けてくれたあの人も統轄機構の人なのかな」
薄れゆく意識の中、はっきりと見えた少女の姿。それは既に忘れ難い大切な
月光に照らされながら、単騎で二〇を超える化け物に立ち向かった、お世辞にも大きいとは言えない体躯の少女。
きっと彼女は自分なんかと比べ物にならないほど勇敢なのだろう。
(いつか会えたらお礼……言えたらいいな)
彼女がいなければ俺はあそこで終わっていたし、未来を再度選択する機会さえも途絶えていただろう。彼女に受けた恩は計り知れない。
お礼なんかで返せるような恩ではないけど、それでも自分の気持ちを伝えることに意味があると思うから。それが自己満足と一蹴されたとしても。
(それにしても、なんでこんなに簡単に受け入れられたんだ)
考えないようにしても思考を上書きし続ける疑問に、彩我は、またか、と頭を抱える。
どれだけ人の善性を信じていたとしてもやはり疑問は尽きないもので、彩我の思考の片隅には取り払いきれない疑問符が浮かび上がることを辞めてくれることはなかった。
(まぁ……俺に選択肢なんて無いんだろうけど)
今の俺に与えられた選択肢は騙されているかもしれなくても、その中でただひたすらに足掻き続けることだけ。
だからこそ、俺が何かと戦おうとすることなど必然でだったのだろう。
自身に呆れた様子で彩我は苦笑した。
自分でも馬鹿だと思うが、それでも今までの生き方を曲げるつもりなんて毛頭無い。
彩我は自分の本質を再度掴んだような、ちょっとした全能感に浸りながら瞼を滑らせ、酷使した意識に幕をおろしてあげた。
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