第3話

 八月吉日。


 月が映えて星の見えない晩だった。


 夜に本領を発揮する妖怪たちを撒くために夜明け前の時刻に家出を決行することにしていた。万が一バレた時、朝日が追っ手の足を止めてくれるはず。


 普通ならところかまわず酒盛りのどんちゃん騒ぎをして庭まで騒がしいのが常だったが、熱を出し寝込んでいる末弟を心配して屋敷の妖怪のほとんどが弟の傍につきっきりの状態だ。夕飯にこっそりと一服盛っていて正解だった。


 それでも馬鹿正直に玄関と正門を通る訳にも行かず、梯子を使って塀を乗り越える。箒で飛べば一発だけど、魔力を使うと屋敷の妖怪たちに感づかれてしまうから使えなかった。


 やっとのことで塀の外に飛び出すと、私は律儀に門の前まで歩いてみた。


 燈篭の灯と月明かりに照らされて辛うじてぼんやりと姿の見える石段を背にし、まじまじと家の門と表札を見る。あれほど出て行きたいと思っていた家も帰ってこないと思うと中々感傷的になってしまう。


 ま、だからと言って出て行くことは変わらないけどね。


 最低限必要な荷物を詰めたカバンを持つ手にギュッと力を込めた。こんなこっそり出て行くんじゃなければ、もっとちゃんとした荷造りができたんだけど、それはこの際言いっこなし。


 カバンとは反対の手に持った箒に魔力を込め、いざ出発!


 …と意気込んだところで私は出鼻をくじかれてしまった。


「亜夜子様」

「っげ。弥三郎…」


 後ろを見ると、そこにはいつの間にか真っ黒の着物に黒の襷と前掛けをした男が立っていた。


 こいつは父の家来の一人で正体は鴉天狗と言う妖怪だ。所謂ところのお目付け役というべき存在で、父を除けばこの家で一番関わるのが苦手な妖怪と言ってもいい。


「どちらにお出かけですか?」

「…家出するの。行き先は言わない、言ったら意味ないでしょ」

「…」


 私は正直に告白して動揺を誘いながら、旅行カバンを置いた。嘘をついたところでコイツと私の付き合いじゃ、秒よりも早くばれてしまう。だったら強硬手段しかない。


「そうですか。お気をつけて」

「へ?」


 反対に私が動揺して混乱してしまった。こんなに呆気なく引くような奴じゃ絶対ないのに。


「と、止めないの?」

「目が本気でしたので。それとも止めたら思い留まってくれるんですか?」

「いや、絶対に出て行くけど…」

「じゃあ止めたって仕方がないじゃないですか」

「なら何しに来たの?」


 当然の疑問を投げかけた。すると弥三郎はとてもしんみりした表情になった。


「これでもお目付け役として、亜夜子様と長らく過ごしてきたんですよ。今日辺りに出て行くというのは予想はつきましたし、行き先は分かりませんが出て行く理由は大方検討がつきます」


 質問に答えている様で答えていない。まあ、こいつが飄々としているのはいつものことだけど…。


「ですから、その…せめて別れの挨拶と激励くらいは、と思いましてね」

「う、そ……でしょ」


 意外すぎる。そんな乙女チックな感傷がコイツにあったなんて。是が非でも止めるか、自分もついていくくらいは言うと思っていたのに。


 そしてポケットから一つのお守りを取り出すと、そっと手渡してきた。


「せめてこれをお持ちください。私の代わりに」

「いや、こういうダサイのはいらない」

「でしょうね。そう仰ると思いました」


 しんみりとした顔は一瞬で元通りになり、すぐさまお守りを引っ込めた。そして代わりと言わんばかりに厚手の封筒を取り出すと、今度は無理矢理にそれを持たされた。


 封がしていなかったので、簡単に中身は見えた。


 そこそこ…いやかなりの額の現金が綺麗に収まっている。


「こっちは…貰ってくね」


 私だって貯金はある程度頑張っていたけれど、中学生の努力など高が知れている。皆の目を躱しつつ蔵の物品をネットで売ってようやく、家で費用をため込めたんだ。先立つモノはいくらあったとてあり過ぎることはない。


「はい。どうか、お身体だけはご自愛ください」


 私は箒に跨ると、その言葉を合図に浮かび上がった。もう一度振り返ろうかと思ったが、そうしてしまうと決心が揺るぎそうな、そんな気になったから意地を張った。


「亜夜子様。いつでも私に会いに来てください」


 弥三郎のその言葉を聞いて、結果として意地を張って良かったと思った。思わず涙腺がズキっとしたから。


 家に帰ってこい、と言わないところが実に私のことをよく知っている弥三郎らしい。


 私はひとまず月の方角を目指して飛んでいった。


 ◆


 その私の後ろ姿を見ていた弥三郎は、スマホを取り出すとどこかに電話を掛け始めた。


「もしもし、弥三郎です。亜夜子様が今お出になりました。後のことはよろしくお願いいたします」


 結果として、この時の私は意地を張らずに振り返るべきだったのだ。

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