第四話
「あいつがお前さんを抱いたのは、ただの無鉄砲でも同情でもない。ちゃんとあいつなりに考えた上での行動だ」
「そう、なの……?」
潤んだ眼で瞬きながらハノが問うと、ロートはライナーに発情熱の解熱方法を話したこと、それが命がけであることを説いたこと。そしてその上でどう対処するのか、ライナーに考えさせたんだと言う。
「もちろん、私だって鬼畜ではないからね。いくら研究対象だからって、命がけであることを、是非ともやれ、とは言えなかったさ」
そう苦笑しながらロートは言い、ハノを見つめてくる。紫の夜明けの色はやさしくも悲しみを含み、そこに映し出されているハノの姿は何とも痛々しい。乱れて荒れた髪も、肌も、萎れたように垂れた尻尾も、ハノの何もかもが悲しみに濡れていた。
「じゃあ、なんでライナーは……僕を……」
ハノの命を案じ、ライナーが自らの命を賭してまで性交を行ってくれたのは何故なのか。その理由がわかるようでいて確証が持てないままなのはどうしてなのだろう。ああそうなのか、と心底思えず、どうしても自分の責任にしか思えない。そう思わないといけない気がしてならないのだ。
何故ならハノは、ライナーを愛していたのだから。
「僕、ライナーが好きなのに、好きな人とひとつになれたのに、そのせいでライナーを死なせちゃった……それでも、僕のせいじゃないって言えるの?」
「ハノを救いたいと思い、ハノと交わったのはライナー自身の意思だ。お前さんが強要したのなら話は別だが……そういうわけではないだろう?」
あの時、ライナーは何と言っていただろうか。熱に浮かされて苦しむハノを抱きしめ、口付けつつ、甘く囁いてくれた言葉を思い出す。
「案ずるな、ハノ。俺が君をきっと楽にしてやる」
「ハノ、愛してる……」
「だいじょうぶ……俺が、愛したから……君は、死なない……」
ライナーは確かにそう何度も言ってくれた。やさしく、しかし力強くはっきりとハノに伝えてくれていた。そうして本当に、ハノの体を熱から解放して楽にし、愛してくれたのだ。
ハノはライナーの言葉を思い返し、また新たに涙をこぼしながら、冷たいままのライナーの肌に触れる。あの時確かにそこにあった熱は、いまハノの中に注がれ、命となって巡っている。
(そうか、ライナーは僕の中にも宿っているんだ……)
自らの裸の胸に手を宛がい、鼓動する命を確かめる。そこにある熱は、確かにライナーに与えられたものと言えた。
「ライナーは、僕を楽にしてくれて……そして、熱を下げて、救ってくれた……」
「そう、それこそがあいつの願いだったんだ。それが叶ったんだから、お前さんが自分を責める必要はない」
ロートの言葉に頷きはしつつも、それでもハノの中に空いた、埋めようがない淋しさが解決したわけではない。先に失った家族以上にそばにいて、寄り添い命を懸けてくれた彼がいないこの先を、一人で生きていけるのかがわからなかった。
「僕はこれから、一人で生きていかなきゃなんだよね。ロートの命をもらった分も、償うつもりで」
ハノが力なく、泣きそうな顔で微笑みながら呟くと、ロートが「……ハノ、その事なんだが」と、真剣な面持ちで切り出す。
「お前さん、光の願いを知ってるかい?」
「光の願いって、満月の夜に叶うっていう話? ライナーから、少しだけ聞いたことあるけど……」
「そうか、それなら話は早い。そいつを利用してみないかい?」
思ってもいない提案にハノが瞬いて驚いていると、ロートはハノの頭を撫で、それからライナーの方を見やって呟いた。
「満月の夜に生まれ変わりを願われた死者は、いつかの満月に再び巡り会うことができる――そう、私のかつて暮らした国では言われていてね。それがいつしか光の願いと言われるようになったんだそうだ」
ロートはかつて、大陸の南にある砂漠の国に暮らしていたという。そこで様々な魔法を学び、その頂点に立ち、やがて国の
「私の魔法が人殺しに使われている……その事実に日に日に耐えられなくなっていってね。おかしくなりそうだった。そんなときに知ったのが、満月の夜の光の願いだ」
魔法では命を作り出すことは禁じられている。でも、満月の不思議な力にすがって願えば、殺めてしまった命を蘇らせられるんじゃないだろうか――そう、ロートは考えたと言う。
それからは満月のたびに月に願い、そのためであれば様々なことを試した。新月から次の満月まで断食をするとか、眠らないで祈り続けるとか、兎に角あらゆることを。
「……願いは、叶ったの?」
「いや……叶った、と言えるのかはわからないんだよ。なにせ本当に私の魔法で命を落としてしまった人々は並の数じゃないからねえ……」
だから、ロートは放浪の魔法使いになって、研究をしているの?
その研究って何を研究しているの?
もしかしてそれは――光の願いが叶うものかどうかを調べているの?
尋ねたい言葉が一気に口を突いて出そうだったが、ハノは何も言えなかった。ロートがあまりに悲しげな顔で微笑み、月を見つめていたからだ。
ロートはきっと、この先もずっと、その罪を背負い続けていくのだろう。そしてそれはきっと、おわりなんてないのかもしれない。
飄々と明るく振る舞っているように見える彼の背負うものを知り、ハノがうつむいていると、「それに条件もあるんだ、ハノ」と、不意に明るい声で呼びかけられ、顔をあげる。
「条件?」
「光の願いを叶えるためには、願った者は闇の孤独に耐えなければならないんだ。お前さんに、それが出来るかい?」
「僕に?」
「私はどうにもその闇の孤独に耐えられるほどの意気地がなくてね……だから、別の条件で願いを叶えられないか探しているのさ」
ロートの話にハノは瞬きも忘れて瞠目していると、紫の瞳にうつされている姿が潤んで揺れる。
「僕が、ライナーに会いたいって……願える……?」
「そうだな。それをあの月に向かって願ってみるといい。闇の孤独に耐えられるのであれば、叶うかもしれん」
そう、そっと肩を叩いてくるロートの顔を見上げ、ハノは横たわるライナーを見つめる。願いが叶うかどうかも、叶ってもそれがいつになるかもわからない。何より闇の孤独に耐えられるかもわからない。それでも、会いたいのだろうか。
一つだけ言えることがあるとすれば、それはハノには悠久の時間があるということだけ。そしてただひたすらに待つことだけしか、いまのハノにはできない。それが闇の孤独に耐えられるかはわからないが。
「私が生きている間に見られたなら、万々歳って感じだろうが……まあ、その時はその時だな」
どうだろう? と、顔を覗き込まれ、ハノは月を見つめる。夏の盛りの青い月の光は美しく、やさしい。それはまるで、かつてハノを抱きしめてくれた母のぬくもりにも似ていた。
声もなく、新たな涙がこぼれ頬を伝っていく。しかしそれは悲しみのものではない。
ハノはそっと頬と目許を拭い、ロートの言葉に頷いた。そして月に向かって祈りを捧げるように手を組み、願う。
「僕は、光の願いを願う。闇の孤独にも耐えてみせる。だから……いつかまた、ライナーに会わせてほしい。そして、今度こそちゃんと愛しているって伝え合いたいんだ」
静かに紡がれたハノの願いは、月明かりの中にさらさらと解けるように消えていく。言葉の一つ一つが月の砂となって夜に降り積もり、やがて溶けていった。
「きっと叶うだろうよ。まあ、気長に待っているといいさ」
そう、ロートに言われ、ハノはこくりと頷きライナーの頬に触れ、それから屈んでそっと口付ける。すると不思議なことに、ライナーの体もまた月明かりに溶けるように、さらさらと消えてしまったのだった。
そうしてヴェルグ家の屋敷にただ一人残されていた竜人の子は、それから永きにわたり、失った想い人を待ち続けることとなる。
屋敷全体がツタで覆われ、姿が見えなくなり、庭木が大木になるほどに成長しても尚、彼は待ち続けた。やがて周辺の村人の記憶の中からも竜人の存在が消えてしまうほど永く、彼は想い人が現われて愛を言い交わせることを願っていたという。
――――そうして、数百年の孤独な時間が流れていった。
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