第二話
馬車に乗らない外出は、ただそれだけでハノの好奇心をくすぐる。肌で感じる風も空気も、降り注ぐ日射しさえ屋敷の中で感じる物とは全く違っていた。どれもが瑞々しく、生き生きとした生命力を感じるのだ。季節は夏を迎えつつあるのか、濃い緑のにおいが鼻腔をくすぐる。
「屋敷で見るより、樹の緑とか、花とかきれいな気がする」
「そりゃいいことに気付いたねえ、ハノ。これが本当の自然というやつだよ」
そう、ロートが両腕を大きく広げ、唄うように言うのでハノは思わず笑ってしまった。
屋敷での暮らし、ライナーの守られている現状に不満があるわけではない。でもこうして外の空気を吸い、生き生きとした緑などを目にすると、生きていることをより実感できる気がした。
両親が健在の時でも、ハノは庭以外の緑に触れたことがなかったので、いまこうして目の当たりにする自然や景色が新鮮に思え、楽しくて仕方ない。
そう思えば思うほど、どうしてライナーがハノを屋敷から出さないようにするのか、隠すようにするのかがわからない。ハノは何も悪い事をしてはいないはずなのに……そんな不満がくすぶり始める。
「ねえ、ロート」
「うん?」
「どうしてライナーは僕を外に出さないようにするんだろう。外はこんなに楽しくて気分が良くて、何も悪いことはないのに」
ハノがくすぶりかけている気持ちを吐露すると、ロートは「そうだなぁ……」と、困ったような顔をしてそっと視線をハノから外す。その仕草が何か隠し事を彷彿とさせ、ハノはさらに言い募ろうとした。
その時、「……ヴェルグ様?」と、明らかにハノ――正確にはハノの家を――を指す言葉が聞こえ、ハノの足が止まる。
声のした方に振り返ると、凍り付いた蒼ざめた顔をした中年の女性が、抱えていた野菜を取りこぼして呆然としている。
ハノの一家は総じて周辺の平民たちにヴェルグ様と呼ばれていた伯爵の家柄だ。一年近く前まで六歳だったハノが知る家についての情報はその程度で、少しずつ父が遺した書物を読んで勉強をしている最中だ。
とは言え、現状ヴェルグ家の主はハノであることに違いはないため、女性の方を振り返り軽く会釈をする。そうするのが通例だとマナーの書物に書いてあったからだ。
だからてっきり女性からも礼を返されるものだと思っていたのに、彼女はハノの姿を見るなり悲鳴をあげ、すぐ傍の家の中に飛び込んでいく。
「え、なに? なにがあったの?」
ハノが戸惑いながらロートに尋ねると、ロートは渋い顔をして女性がいた方を見つめている。そうして、「……なるほどな、やはりそういうことか」とひとり呟いた。
「なにがそういうことなの? 僕、何か悪い事した?」
不安に駆られてハノが再度尋ねると、ロートはやれやれと言いたげに溜め息をつきつつ肩をすくめ、答える。
「なに、お前さんは悪いことは何もない。ただねぇ……あのカチコチ頭の判断があながち間違っちゃいなかったってことだな」
カチコチ頭とは、おそらくライナーのことだろう。頑なにハノを屋敷から出そうとせず、屋敷の中にも人を寄せ付けまいとしていたことを指しているのだろう。
しかしそれが、ハノにはよくわからない。何せハノは今日賊の襲撃以来、初めて外出したと言ってもいいくらいなのだから。
「ライナーが間違ってなかった、って……どういうこと?」
そう、ハノがロートに問うていたその時、女性が飛び込んだ家の中から複数の人々が出てきた。皆その手には畑仕事で使う
明らかに、ハノは歓迎されていない――そう認識した瞬間、ぐいっと横に腕を引かれた。ロートが腕を引いて走り出していたからだ。
一体何が、と問い返す間もなく、先程家から出てきた人々が怒声をあげながら追いかけてくるのが聞こえた。
「待ちやがれ! この疫病神!!」
「お前たちのせいで村はえらい目に遭ったんだぞ!!」
ハノたちのせいで、村に何か災難が起きたというのだろうが、ハノたちだって凄惨な目に遭ったのだ。しかしそう弁明しようにも、追いかけてくる村民たちの様子は殺気立っている。
状況を把握しようにもそれどころではない事態に、ハノは困惑し、ロートを見上げる。ロートは相変わらず
騒ぎを聞きつけた周辺の人々がわらわらと通りに出てきて、追いかけているものがハノであると知ると、やはり皆一様に追いかけてくる。尋常ではない状況に、ハノは何かを察し始めていた。
(なんで? なんでみんな僕を、怖い顔をして追いかけてくるの? 疫病神って、どういうこと?)
自分の存在が、ヴェルグ家が周辺の住民たちに、ここまで憎まれている記憶はハノにはない。家族がいた頃のたった数度の外出時でも、こんな罵声を浴びることも、追いかけられることもなかったのだから。
何かがおかしい。でも、それが何かはわからない。ハノが屋敷にこもっている間に、周囲に何が起こっていたというのだろうか。
ロートにその理由を訪ねようかどうか迷いつつ走り続けていると、「ハノ!」と、名を呼ぶ声がする。声の方に顔を向けると、前方にライナーが抱えていた農作物を放り出して佇んでいた。
「ライナー!」
ハノが思わず名を呼ぶと、ロートもまたそれを見やり、片頬をあげる。
「ああ、ちょうどいいところに来てくれた。ちょっと加勢してもらおう」
そう、ロートが呟き、パチンと指を鳴らすと、ライナーが腰に刺していたナイフを取り出す。そうして地を蹴って高く飛んだかと思うと、ハノ達と追いかけてくる人々の間に立ちはだかった。その手にはナイフではなく、大きな真剣が握られている。どうやら、ロートが魔法でナイフを剣に変えたようだ。
「どけ! お前も牢にぶち込むぞ!」
「火あぶりになりたいかのか?!」
足止めされた人々から罵声を浴びせられたが、ライナーが道を譲る素振りはない。ハノたちはそれを少し離れたところで振り返り、様子を窺う。
ライナーは剣を構え、苦悩した顔で苦々しく呟いた。
「俺だって世話になったあんたらに剣を振るいたくない。人死にが出る前に退いてくれないか」
それは警告というよりも懇願に近い言葉で、剣を構えつつもライナーに殺気を強くは感じられない。それでも威嚇するような雰囲気は並のものではなく、追いかけてきた人々はグッと押し留められている。
しかし血の気の多い者は治まりがつかないのか、「うるせえ!」と叫びながら人垣から飛び出し、ライナーに向かっていく。
長い木の棒を振りかざして飛び掛かっていくその男を前に、ライナーがどう対処するのか、ハノは恐ろしさで見ていられず、思わず目をつぶった。
「ぐあっ!」
呻く声と鈍い衝突音が響き、棒が地面に転がる音がし、ハノは恐る恐る眼を開ける。ライナーの前方の足許には、先程の男が肩を押さえてうずくまっていた。
ライナーはどうやら剣の刃ではなく、
血しぶきが飛ぶかと思っていたハノはその様子にほっと息を吐いて安堵したものの、剣からナイフに戻ったそれをケースに納めながら、こちらを睨み、こう言った。
「ハノ、帰ったら話がある。ロートもだ」
有無を言わさぬライナーの剣幕に、ハノはもとより、さすがのロートも茶化したり言い返したり気はないらしく、「……仕方ないな」とだけ頷いた。
初めて見るライナーの怒りに満ちた様子に、ハノは気分が萎れていくばかりだった。
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