第4話 静かな夜

朝、灰色の光が石にしみ込む。礼拝歌が昨夜は最後までなかった——その翌日の紙は、黙っていない。


蝋燭支給控。

礼拝堂(蜂蝋)……48→本日も48申請。

王の家(蜂蝋)……“祈祷用”でさらに増量。

廊下(獣脂)……据置。

蝋台係の女が、帳の端を指で叩いた。「祈りは短いのに、蝋は長く減る。祈り以外の灯りがついてる夜さ」


厨房の配膳表。

CHILD × 2 ——の行に、黒インクで“1”が上書き。昨日の“1?”は消されず、上から重ねられている。

「誰が書き換えた」

「印章が下りた」厨房頭のホプキンスは短く言った。「皿は1。残りは返却だ」

返却籠には、昨夜と違い手つかずのパンが一つ、蜂蜜の小鉢は封のまま。

数字は言い訳をしない。2→1。それだけだ。


巡診記録は、今日も空白。

医師アルジェンティンは目を伏せ、「呼ばれぬ場所に病はない」と繰り返した。

彼の袖口に薄い灰。礼拝堂の灰ではない。王の家の炉の灰は、炭の粒が細い。


洗濯の控。

点数は変わらず。隅に**「詰め直し」の字が増え、「軽」**の印が添えられた。

洗濯女が言う。「羽毛は抜けやすい。夜が長いと、袋が痩せる」

夜が長いのは蝋が語る。袋が痩せるのは、中身が変わったからだ。


夜警の巡回表。

矢印はさらに内向き。停止点が王の家の扉の前に増える。

老衛兵が唇の端で笑った。「祈りの夜は外を見る。命令の夜は内を見る」

命令は紙から出ない。輪から出る。


昼。水門(トレイターズ・ゲート)。

通行台帳の小舟欄は、印影のみの行が三つに増えた。名はない。

水番が小声で言う。「夜中は潮がいい。灯は低くしろと」

昨夜、灯は一度消えた。今夜は最初から低いだろう。


石段を上がる途中、白塔の影から封蝋の箱がまた現れる。男はタイレル。

副長室へ短く入り、短く出る。

短いのは手際ではなく、責任の輪郭だ。短いほど、紙は薄くなる。


午後、記録所に貸与帳の控えが入る。

上段、白紙。右下に砂消しの粉。

俺は帳の端に残った毛羽立ちを指で撫でた。最近、削りの力が強い。書いた者の手が、焦っている。


夕刻、礼拝堂。

声は一。高い。低いほうはない。

蜂蝋は二本、短くなり方が不規則。祈りの長さではない。出入りの影が灯をいじる減り方だ。

蝋台係の女が囁く。「角(かど)に置いた蜂蝋が減ってる。祈りは角に要らないのに」

角の蝋は見張りのためだ。


王の家の前、衛兵の立ち位置が半身、扉に寄った。鍵穴の高さに目線を合わせる角度。

俺は廊下の陰へ入り、壁の冷たさで風の向きを測る。蜂蝋の煙が扉の下へ吸い込まれる。

——内に、灯りが増えた。


夜。

副長の部屋で、輪が机に置かれた。

ロバート・ブラックンベリーは輪に触れず言った。「親は持ち替えない。子は——書けない」

「KH(王の家)とST(水門)の子?」

「訊くな。覚えろ」

覚える。昨夜は左上の結び。布袋は黒。今日は——

廊下の曲がり角で、同じ袋が移動する。結びは右上。重さが昨日より軽い。

(結びはログ。重さは数字だ。)


王の家の扉の内で、金属が息をする。

鍵が二度、歯を合わせ、一度だけ戻る。

開いた隙間から、蜂蝋の温い匂い。

影が二、扉の中へ沈む。戻る影は一。

廊下の角の蝋が涙を落とし、固まる。数えられる涙が床に残る。


礼拝歌は、今夜も短い——いや、最初からない。

鐘は鳴らない。蝋だけが減る。

衛兵の足音は数えやすい。止まる足と、通り抜ける足。止まる足は中に増え、通り抜ける足は水門へ向かう角度で軽くなる。


深夜前、医師アルジェンティンが廊下の端に現れた。

呼ばれていない医師は、呼ばれないまま立ち尽くす。

彼は扉を見ない。灯りの減りを見ている。

俺と目が合い、彼は首をわずかに振った。診る前に、結果が決まる夜だと。


水門へ。

灯は低い。布を被せた灯の匂い。

櫂の音は昨夜より軽い。乗り手の重さが違う。

通行台帳のその行は、明朝、印影だけで埋まるだろう。

印は名の代わり。名は責任の代わり。印は祈らない。


——静かな夜ほど、数字は大きく動く。

2→1。配膳は正式に1。

声→1。礼拝歌は一人だけ——いや、それも今夜はない。

鍵→子が外され、輪が命令し、袋の結びが右に戻る。

蝋→角で減る。祈りではなく、見張りで。

死体はない。叫びもない。だが、**生活のログは既に“欠落の文体”**だ。


明け方の手前、石が冷え、霧が戻る。

副長が通路に立ち、短く言った。「今日から、歌はない」

俺は頷かない。頷けば共同になる。

観測者は祈らない。足りないものを数える。

明日の朝、川の数字が増える。水門の空白が一つ、また一つ。

“空想”と笑われても、俺は見た。

静かな夜のあとで、川は最もよく口を閉じる。

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