歴史から読み解く桃太郎伝説

霧島猫

インタビュー1

売れない小説家の中村アカリは、締め切りを前に机に向かっていた。

新作の構想は一向に進まない。ふと、幼い頃から聞き慣れた「桃太郎」の物語が頭をよぎる。ごく単純な話だが、どうしてこれほど長く愛されてきたのだろうか。

その答えを求めて、彼女は民俗学者の双海仁教授のオフィスを訪ねた。


「桃太郎ですか」双海教授は微笑みながら、分厚い眼鏡の奥の目を輝かせた。「それは実に面白いテーマだ。単なる昔話ではない。日本という国の成り立ちを読み解く、壮大な物語ですよ」


アカリは懐疑的に尋ねた。

「でも、教授。桃太郎って、歴史上の人物と関係あるんですか?」


「関係どころか、数ある桃太郎の源流の一つでは、その原型は吉備津彦命という実在の人物にあるとされています。神話と歴史が交錯する、まさに古代の叙事詩です。」


教授は資料を広げた。

「時代から見ていきましょう。桃太郎伝説の原型とされる温羅(うら)伝説は、『日本書紀』や『古事記』に記された崇神天皇もしくは孝霊天皇の時代に遡ります。崇神天皇は、神武天皇から続く大和朝廷の支配を確立するため、各地の不穏な勢力を平定しようとしました。そのために派遣されたのが四道将軍と呼ばれる皇族たちです。

この中の西道(山陽道)に派遣されたのが、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)。彼こそが、後の吉備津彦命であり、桃太郎のモデルになった人物とされています。」


アカリは驚きを隠せない。

「桃太郎って、皇族だったんですか…!でも、崇神天皇って、いつ頃の時代なんですか?」


「記紀に記された古代天皇の年代は、そのまま西暦に当てはめるのは難しいのですが、考古学的な知見や研究者たちの間で、おおよそ3世紀後半から4世紀初頭あたりだと考えられています。この時期は、邪馬台国が畿内に発展して大和王権へと移行していく、日本という国の骨格が作られていった、まさに激動の時代です。

吉備津彦命が勅命を拝したのは、崇神天皇が統治を全国に拡大しようとした、そのまさに大号令の一環だったと言えるでしょう。」


アカリはメモを取りながら質問を続けた。

「では、犬、猿、雉は、誰だったんですか?」


「それも伝説の中に名前が残されています。」教授は懐かしむように言った。

「犬は犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)。彼は軍犬などの飼育を司る犬飼部の長でした。

猿は楽々森彦命(ささもりひこ)。彼は、祭祀を司る猿女君(さるめのきみ)の祖先とされ、神意を読み、祭祀を通じて軍の士気を高める役割を担っていたと考えられます。

そして雉は留玉臣命(とめたまのおみのみこと)。彼は鳥による通信や鷹狩りを司る鳥飼部の長で、偵察や伝令といった情報戦を担当していたと推測されます。

彼らはおとぎ話の従者ではなく、それぞれが特殊な技能を持つ軍事顧問団だったのです。」


「なるほど、桃太郎は単なる武力ではなく、情報戦や祭祀の力も利用したんですね…」アカリは感嘆の声を漏らした。


「では、吉備国と大和朝廷の対立について見ていきましょう。」

教授は地図を広げた。

「当時の吉備国は、現在の岡山県を中心に広がる、大和朝廷に匹敵するほどの強大な勢力でした。その力の源は、鉄です。吉備は古くから砂鉄に恵まれ、たたら製鉄によって鉄器を生産していました。

温羅は、その製鉄技術を背景に、独自の勢力を築き上げた渡来系豪族だったと考えられています。

大和朝廷は、国家の要となる鉄資源を独占するため、吉備の支配を必須と考えていました。温羅との争いは、単なる領土の奪い合いではなく、国の命運をかけた資源と覇権の争奪戦だったのです。」


アカリは、古代のスケールに胸を躍らせた。

「その戦いの規模は、どれくらいだったんでしょう?」


「正確な記録はありませんが、当時の古代国家の戦争としては、かなり大規模なものだったと推測されます。

吉備津彦命は当時の情勢から推定千余りの兵を率いて遠征したと考えられていますが、これは大和朝廷の直轄軍と、各地方の豪族から動員された兵からなる、大軍団だったはずです。

一方、温羅もまた、自らの支配下にある民衆や、製鉄に従事する職人たちを動員し、千人以上の規模の軍勢を持っていた可能性もあります。

後世の戦国時代のような大規模な合戦ではありませんが、当時の日本列島では類を見ない規模の戦いだったと言えるでしょう。」


「将兵の装備はどうでしたか?」アカリは質問した。


「温羅伝説では、温羅が岩を投げ、吉備津彦命が矢を放つという描写があります。これは当時の主要な武器が弓と矢だったことを示しています。接近戦では鉄剣や鉄槍も使われました。

また、温羅の拠点である鬼ノ城は、その地形から、落石などの防御を巧みに利用したと考えられます。岩を投げるといった描写は、こうした防衛設備を象徴しているのかもしれません。

そして、吉備津彦命を助けた犬、猿、雉は、それぞれ犬飼部、猿女君、鳥飼部といった、特殊な技能を持つ集団を率いていたとされています。

これは、温羅との戦いが単なる正面衝突ではなく、緻密な情報収集、祭祀による士気の向上、そして奇襲や兵站を断つ戦略といった、多角的な側面を持っていたことを示唆しています。

温羅を討つために、吉備津彦命は武力だけでなく、当時の最新の軍事技術と、人々の信仰までも利用した。

それが、桃太郎という物語に込められた真実だと、私は考えています。」


アカリは黙ってうなずいた。彼女の頭の中で、桃太郎は黍団子を片手に鬼ヶ島を目指す無邪気な少年から、古代日本の歴史を動かした、したたかな戦略家へと姿を変えていた。

彼女のペンは、今、まさに動き出そうとしていた。


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