見上げるとへの応援コメント
しみじみと春の宵に浸る、そんな甘い詩で、POPというか、わりとシンプルに二人称への心地よさを告げる、信頼の告白のような詩だと思いました。
祈りを捧げられるような存在でありながら、優しくて心地いい、その上に切ない、このように形容される君という二人称は、かなりスイートな感覚なもので、その切ない甘さが春の宵という言葉にじん、と響いてくるようなのです。
そしてそれは作者がいつもどこかに見つけてはふと立ち止まる作品の主題とも重なることの出来る存在で、知らなかった世界と既に知っている世界を繋ぐ可能性を持った、非常に重要なピースなのではないかと考えています。
今後、どのように詩の中に祈りという言葉が使われていくのかを、楽しみに思っている私もいたりします。
作者からの返信
人の心の中には誰しも祈りの対象になるものがあり、それは人それぞれですが、ふとした日常の風景の中であったり、自然の中であったりするのではないかと思っています。
そういったものに癒され、いることの安心感を表した詩にしました。
感想ありがとうございます。
休日への応援コメント
逢瀬と、逢瀬の背後にある「疲れ」という感情を表していて見事だと思います。
逢瀬は誰とでも成せるものではなく、比較的永続する逢瀬を渡れる人物は、夫や妻、恋人や少し変わった仲のいい友人、または想い出だったりしますね。
しかし「疲れ」を感じて尚続けられる関係こそが、逢瀬という橋を渡りきれる真実の存在との間柄なのではないでしょうか。素直な感覚と姿が浮かんでくる、よしなに語るささやきのような詩だと感じました。
作者からの返信
休日になると、あれをしよう、これをしようという思いを描かれる人が多いと思います。ですがその期待した予定の多さの中で、最終的には疲れを感じている自分がいるのに、また求めてしまうような、そんな矛盾した心、そしてそれが日常の中にあることのありがたさをこの詩で表しています。
コメントありがとうございました。
窓の外からへの応援コメント
比喩としての風が幻想的です。
暗喩が見事に効いた詩で
実物の日常の風がこれほどの感情を瞬時に動かしたのかという錯覚と、その錯覚が覚めた時にこれは全体が喩えであるという比喩の熟達を思わせる見事な詩だと思います。
私は正直、もっといい詩はいくらでもあると思っていますが、谷川俊太郎さんの「なんでも」という語から始まる詩に近いものがあると思います。谷川俊太郎さんの朗読もニコニコ動画で聞いたことがありますが、自然が最終的に愛の対象となるのは古来からあり、
そこには堕落というものも潜むゆえにデリケートなテーマに挑戦されていると感じます。
美しさと、汚さが裏表なのが愛の世界で、その際どさを詩で、更に自然に熟達をした人物が挑戦するというのは大きな価値を産めると確信します。
作者からの返信
谷川俊太郎さんのような大作家の方を例えに出していただけて、ありがたいという思いと同時に、「なんでも」の中に感じられるものが、私の詩からも感じられていたとは少し意外でした。
そう言われて、改めて自分の詩を読み返してみると、そのように感じられる方も
いらっしゃるかもしれませんし、また自然に向き合った時の私の感情に、特別意識したつもりもありませんが、そのような部分の表れがあったのかもしれませんね。大変参考になりました。
ありがとうございます。
電車内への応援コメント
電車の中で吊り革に捕まってもの憶うhikariさんが見えてくるようでうれしくなります。
電車の棒、『ポール』というのを今調べて初めて知りました。笑
電車に乗ると、ついついドア付近の隅っこに立ってしまう俺ですが、最近ようやく座席に座っても落ち着けるようになりました。やっと自分らしい姿で外に出られているからかもしれません。地味だと、浮いちゃって、多分一生派手髪の俺の感覚からの発言です……(ღ˘⌣˘ღ)……。
作者からの返信
私も電車や地下鉄に乗ると、ついつい入り口付近に行ってしまいます。降りる時にすぐ出られるように。
れんさんは、今はじぶんらしく、しっかりと座ることが出来ているんですね。そのままのれんさんでいてください。
私も掴まるのではなく、れんさんのように、自分らしくしっかりと座席に落着きたいと思いました。
コメントありがとうございます😊
あなたの自然への応援コメント
春を迎える準備が出来ていないな、と読んでいて自分に思いました。
髪を切るようにして、煩雑に錆びた心の金属、ハリガネのようなものを切りそろえて要らないものは取り、清潔に整えられたらどれだけいいでしょうか。
きっと、過去を大切に憶いすぎてしまう人ほどだんだんに荷物が重くなって、金属の枝葉は錆びだらけで重たくなっていく。
己というものから目を離し、自分以外の誰かの傷んだ芯の点検をするように金属の剪定をすること。
そして己自身に対しては、自分を客観的にみて何が必要かを、機身の健康や健全に問いかけて傷んでいるその金属片の捨て方までもを読み切ってしまうことだと思います。
思うに……本当に人間というのは身軽な方がいいのです。存在の不確かな傷んだ金属を捨てていくことが、この季節に必要なことなのかもしれない。
そんな事を、hikariさんの詩から何処となく連想をしました。捨てるものを決めなくてはいけません。いい気付きになる文を読ませて頂けたと考えています。読ませて頂いてありがとうございます。
作者からの返信
れんさん、コメントありがとうございます。とても奥深く読み取ってくださって、正直それを聞いてハッとし、驚いている自分がいます。
私の意識としては、切る=いらないものではなく、それまで積み重ねたものをどう整えて、そして新たな気持ちでどう向き合うかという気持ちが強いです。
れんさんの言うように、人の気持ちは複雑で簡単に整えられるものではありません。私自身がそのような中で、それでも少しづつでも未来に希望があるよう願いを込めたものでした。
でも、読み手の方にしてみれば、れんさんのように思われることもあるでしょうし、それが詩というものなのだと改めて学びになりました。自分以外の誰かの心に目を向けること、自分を客観的に見つめること、この先、強い意識していきたいと思いました。気づかせていただけたことに感謝します。
触れる足先への応援コメント
hikariさん、また来ました。
布団の中の猫さんでしょうか?
hikariさんの詩の読み方が前回のコメントで少しだけ、気付く事ができました。
本当に淡いのですが必ず情感がこもっているのですね。
hikariさんが作中で登場させる「君」という存在。私も、詩を普段書かない友人に「君、と書かれているのは誰?」と聞かれたことがあるのですが、そこが詩の神秘というか、
仮に特定の誰かが居ても、詩は詩として誰もが読めるものとして存在出来るんですよね。
ただ、私はかなり「君」などの二人称を使うときに特定の人物を思い浮かべる方ではある、というより、特定の人物がいないことは先ずない、と言ってもいいのかも。
hikariさんが淡く存在を描かれている「君」という存在も、読み手からは見ることは出来ないのですが、hikariさんの心の中で確かに輝く素敵な誰か、または何かなのだと思うと、
そんな詩というモンスターであれば、薄明の内に見えるところに居てほしいな。
モンスターはこわいだけではないな。
詩もこわいだけではない。そう思います。
感想が長くなり申し訳ありません。最近hikariさんの作品から感じるものが多いためです。
これからも楽しみにしています。読ませて頂いてありがとうございます!
作者からの返信
れんさん、いつも読んでくださりありがとうございます😊
私が詩や短歌の中で登場させる君、もしくはあなたは、作る際にはっきりと浮き上がる大きな存在ではありますが、不思議なものでその存在が一つに対してではなく、幾つかに重ねられる気持ちになることが作っている最中に良くあります。
私の作品の多くはそのように曖昧な色で
出来ており、また読み手の方々にも多様な心を嵌めて読んでいただけたらと願っております。
詩はモンスターと言う言葉が印象深く、そうであるなと思うのと同時に、そのモンスターは私達の心に住んでおり、それとどう向き合い共存し作品に繋げていくのかを深く考えてしまいます。
まだまだ未熟ですが、れんさんのように読んでくださる方々、そして自分自身の為に精進して参ります。
顔認証への応援コメント
自然を描写する詩人の印象の強いhikari さんが、スマートフォンの顔認証を覗き込んで、「あれれ?」と語りかけている様子が浮かんできます。普段顔を合わせている人工物であるスマートフォンの顔認証にも、愛着を偲ばせているhikari さんの意外な一面。これ、俺もよくやってるから分かるんです。笑
作者からの返信
れんさん、コメントありがとうございます✨
確かに自然を映したい気持ちが強いのでそちらに目が向きがちですが、それ以外のものにも触れていきたいとは思っています。
毎日顔を向き合わせるものですから、何とか認証してほしかったけど、なかなか上手くいかなくて焦りました。
すっぴんがいけなかったのかしら⋯(・・?
祈りの行方への応援コメント
純朴な心で「あなた」という二人称へ向かう
少年のような感性が伝わってくる詩です。
見えも、聞こえもしないけれど側いる存在。
必要で求められて、誰の心にも現れ、支えてくれる存在。
幼い頃を憶い出すと、神秘というのはこのように語り合う対象だったのではないかとふと感じました。
目に見えない大切な何かと向かい合う、初心のような感覚をどこか語りかけてくる詩だと思います。
作者からの返信
本当に素朴な思いから書きました。
たぶん常にいる訳ではないのです。しかし、嬉しい時、悲しい時などの強い感情が現れた時にきっと多くの人が浮かべるであろう存在について考え、詩にしたくなりました。
誰の心にも住み、そのカタチは見えなくとも支えられ、必要としているのだと思います。
コメントありがとうございました。