君と僕の境界線

松下友香 

プロローグ

「竹村さん、テスト走行で、エンジンルームから水素が漏れています」

 同僚の林田さんがピットに駆け込んで来た。

「すぐに点検しよう! 異常燃焼しているかもしれない」

 一斉に車に駆け寄って、エンジンルームの蓋を開けるとけたたましくアラート音が響いた。水素が漏れ出した箇所を念入りに探る。それでも、正確にはどこから漏れ出しているのかわからなかった。額には汗が滴る。僕は、ハッとして目を覚ました。


「アラート音は、アラーム音だったのか」目覚まし時計を止めた僕は息が乱れていた。最近よく見る悪夢は、仕事への重責からだろう。


 僕は月曜日が嫌いだ。まるで小学生の頃みたいに憂鬱になる。週末の開放感から一気に、社会人として「職責」という枠にはまった息苦しい生活を強いられるからだ。それでもまだ、僕の職種は自由度があるらしく、ハウスメーカーに勤めている親友は、毎月の売り上げ目標に届かない自分を責めて「死にたい」とよく口にするようになった。飲みに行った先で、その言葉を聞く度に、何も出来ない自分を憂い胸の奥が締め付けられる。


「直樹、見えるんだよ。青黒い顔をした目の窪んだ男がこっちを見て薄気味悪く笑うんだ」

「見間違いじゃない?」

「見間違いなんかじゃないって。ようやく青陰ってやつの正体を見たんだ」

「それって卒論で調べた民話の?」

 仁の顔が歪んで見えたのは気のせいだろうか? 旅行に行こうと誘われて、付いて行ったら民話の調査だった。彼は、人文社会学部で民話にも関心を高めたらしい。民話の類いには興味がなかった僕も、当時、仁と一緒にのめり込んだ。


 仁の表情から生気が失われ青黒く光る。高校生の頃は天真爛漫で眩しい奴だったのに。陸上の二百メートル走でインターハイにも出場したこともあるエースだ。彼の口癖は、「努力は裏切らない」だった。

 当時の彼は、みんなを元気にしてくれる頼もしい奴で、誰もが仁のことをスキだったに違いない。だが、今の彼には昔の面影がない。まるで別人のように自信を喪失し、狼狽えている。そんな様子を見ていると、泣きたい気分になる。仁の目に、あの頃のような輝きが灯ればいいのに。


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