⑦ でこぼこを埋め合って

 時計うさぎさんの馬車でドレス工房に戻り、わたしとももちゃんは作業台も兼ねているカウンター席に並んで腰かけていました。モンゴメリさんのお店で買ってきた染料をカウンターの染料スペースに補充し、荷解きを終えたあと、わたしはさきほどコマドリさんの型をとった厚紙をリュックから取り出しました。



「コマドリさんのこの型を見本に、さらに小さなサイズの型を厚紙でつくるね」

 そう言い置いて、ももちゃんと二人、たくさんのタグを厚紙の上に描いては切り取る作業を繰り返し、小さな鳥さんの形のタグがたくさんできあがりました。

 これだけだと、真っ白くて地味です。



「今からここに、『名作ドレス工房』のロゴをいれてほしいんだ」

「りょーかい」

 金の羽のついた、特注ペンに、そっと金色のインクを浸しているとき、

「ねぇ、せっかくだからロゴだけじゃんくて、デザインもかわいくしたらどうかな?」

 そんなことを言いだしたももちゃんの手にはもう、作業用の筆ペンがあります。

「こんなふうにさ」

 ももちゃんが筆ペンを浸したのは、さきほど瓶から染料コーナーに開けた、『華々しい真紅のカエデ』。丁寧にコマドリさんのタグに色をつけて、さらに別の細い筆で、『黄金色のカバ』黄金で羽の部分にいくつか線を書き足し。

 あっという間に小さな鳥さんは、南国の鳥さんのようにあざやかになりました。

 夏服につけるタグにぴったりです。

 見ているうちに、わたしもやってみたくてたまらなくなりました。



『雪の天蓋』でさらに鳥さんのタグを真っ白にそめて、小さなビーズをいくつか『虹のスカーフ』にくぐらせてちらしたら。

 真っ白い羽根の上に、きらきら極彩色に輝く粒たち。ファンタジーにでてくる鳥さんができあがりました。

「夢もセンスあるじゃん」

「いい、これ。すごくいいよ」



 わいわい言いながら、わたしたちは作業を開始しました。

 ときどきおしゃべりしながら。

 ももちゃんはは話しながら手もさくさく動かしていきます。

 たいしてわたしはすぐ片方に集中してしまうので、お話しながらはちょっとたいへんでしたけど。




「夢ってさ、この近くに住んでるの?」

「ええと、そう」

「パパママといっしょに?」

「うんと、お父さんお母さんはいなくて、今はひきとってくれた人と住んでて」

「さっきあたしの履歴書送った上位存在?」

「あ、うん」



 そのときにはふいに手を止めて、わたしは笑っていました。

「でもじょういそんざいとか、そんな怖い感じじゃないよ。優しくて、すてきな人だよ」

「ふーん。なるほどね。男か」

 ん?

 たしかにお世話をしてくれている星崎さんは男の人ですが、それがどうかしたんでしょうか。

 首をかしげつつ紫水晶の染料にぴちゃりと筆を落としたとき、



「もうデートとかした?」

 くちゃりと、思わず手から離した筆が、アメジスト色の海に沈んでいきました。

「えっ?」

 鳥さんの首の部分に、筆先で桜色の点をつけネックレスをつけながら、ももちゃんはすらすらと言います。

「好きなら、積極的にいかないと。すてきな人ならすぐ誰かにとられちゃうよ。それに、電話の声ちょっときこえたけど彼、大人でしょ? とられるどころか結婚とかしちゃうかもよ」

「ふぇぇっ?」

 星崎さんが結婚するかも?

 なんだかよくわからないけれどそうきくと、心の中がきゅっと痛いような感じがします。



 ずずいっとももちゃんが身を寄せてきました。

 桜色のネックレスにさらに黄金色を重ねながら。

 つくづく器用です。

「彼のどういうとこが好きなの?」

「――」

「知りたい」

 ふいに向けられたのは、単純な興味というよりは――肯定や激励なんかも混じっている気のするまなざし。

「え、っと」




 筆の持つところにもついてしまった染料を拭きとりながら、わたしは話しはじめました。

 これが、『むねきゅんもの』の本に描かれている、女の子たちが学校とかでする、恋バナの空気なのでしょうか。

「わたしは、思ったこととか口に出すのが苦手で。そうすると、心が重たくなって、のしかかってくるっていうか。そういう気がするときがあるんだけど」

「だね。なんかいいのがしたときって、自分にそれを言う権利ないみたいなさ。そういう気持ちになってやんなることあるよね」



 相変わらずおしゃれな鳥さんをその手から生み出しながらそんなことを言ってくるももちゃんを、びっくりして見つめました。

 言葉にするのがとてもむずかしいその感覚を、目の前のこの子も経験していたということ。

 それもぽんとお菓子を受け取るように理解してくれたということが。

 理解してくれたと、確信できることが。

 ふしぎでたまらなかったのです。




「……星崎さんがなにか言うと、心を優しくなぞってくれているような感覚になって。これでいいって思えて」

 人並みの幸せをつかめないのは、

 誰にもないものを握りしめて生まれてきたから。

 彼の言葉に今でも、心の栞を挟んで、ときどき読み返しています。



「うんうん。それね、彼が言ってることが、もともと自分の中にも少しはあるからなんだよ」

 はぁっとため息をついて。

 そこではじめてももちゃんの筆が止まりました。

「自分の中の好きな部分を彼をとおしてみてね、好きになってくの……! それが恋なの!」

「……ももちゃんって」

 パワフルでサバサバした子と思いきや……。

 陶然とするその横顔をじっと見つめながら、彼女が本をたくさん読んでいるらしいことが思い起こされました。

「ロマンチストなんだね。それになんか、大人だな」



 わたしのつぶやきに気づかないのか、ももちゃんはちょっとだけ瞳を斜め上にあげて、さらに遠い何かに想いを馳せる表情になりました。

「星空なんか眺めてさ、ロマンチックなこと言われたり。彼が仲間に理不尽なことされて、上級生でも立ち向かっていったときは、自分もいっしょになって戦ってるような気がしたっけ」

 ん?

「えええ?」

 大人、だとは思いましたが、そんなふうに恋した経験があるのでしょうか。

 星空を眺めてロマンチックな言葉? 上級生に立ち向かう? すごい人に恋したのかな。

 ももちゃんも、好きな人いるの?

 そう口に出そうとしたとき、からんからんと扉の音が鳴りました。



 やってきたのは、白いブラウスに、ベージュのプリーツスカートをはいた、長いストレートの髪がきれいな女の子でした。

 年齢はわたしたちと同じ、十歳くらいでしょうか。

「こんにちは!」

 その子は入ってくるなり、こう言いました。

「ここのお洋服、物語のヒロインと同じチャンスが掴めるのよね!」

 どうやら、このお店が栞町の人たちに浸透しているのはほんとうらしいです。

「いらっしゃいませ。『名作ドレス工房』へようこそ」

 わたしが、お客様をテーブルに誘おうとしたとき――。



「物語のヒロインのチャンスを掴みたいってことは、誰か好きな人がいるんだよね?」

 単刀直入にずばっと切り込んだももちゃんに目をみはります。

「そうなの。……あのね、じつは、塾の先生に片想いしてるの」

「おお!」

 店主のわたしが口をはさむ暇もなく、会話を先に進めていくアルバイトさんとお客様。

「彼、テストで満点とったらデートしてくれるって言ってくれてて。ぜったい失敗したくないの」

「うわー、それは大チャンスだね」

「ええっと」

 どうにか、わたしはせりふを差し入れます。




「まずはテーブルでお話を伺いますね。冷たいアイスシトラスティーをどうぞ」

 さっそく洋服を見立てにももちゃんがクローゼットを物色しているあいだに、わたしはテーブルについたお客様の前に、一冊の本を差し出しました。

 来店したお客様にはお急ぎでない限り、物語や紅茶を楽しんでもらうのです。

 今は、とくにこれをおすすめしていました。

 タイトルは『ごんぎつね』

「これ知ってるわ。学校の教科書に出てきたことがあるもの。かみやんが有名な話だからちゃんと勉強しとけって。あ、かみやんって、その塾の先生ね」

 お客様はその本を手に取り、ぱらぱらとめくります。



 ラストシーンの絵を見ているだけでも、ちょっと切なくなります。

 いたずらをしたおわびに、兵十にくりを差し入れ続けるごんぎつね。

 そうと知らない兵十に最後、ごんぎつねは鉄砲を向けられて――。

 わたしが物語に想いを馳せているあいだにお客様はううむと冷静なうなりを一つ、

「でも気になるのはなぜごんは兵十に気づいてもらえないのに、くりを差し入れ続けたのか? 兵十は鉄砲を撃つ前にごんの差し入れたくりに気づかなかったのか? 研究の余地があるわ」

「そ、そう……」




 切ないお話も、このお客様にかかるとミステリーみたいになっちゃうんだ。

 ほんと、本って人それぞれです。

「ぷはぁ。このアイスティーの柑橘の香り、すてき。ちょっとだけ落ち着いたかも」

 さて。

 お客様がそう言ったのを見計らって、わたしは顔をあげました。

「はい。お客様の恋は大事です。でも、もしこのチャンスを掴めなかったとしても、またそれは巡りくるもの。肩の力を抜いてくださいね」

「そうね……。わたしちょっと力みすぎてたかも。ありがとう」

「それで、ですね、お客様。その先生にはいつから」

「じゃぁさ、『赤毛のアン』のちょっと大人になったバージョンのドレスとかどう?」

 クローゼットからハイスピードに事を運んでいくももちゃんの声がします。




「夢、そういうのない?」

「え、あ、ある、けど」

「あ~、これこれ。これだ」

 落ち着いたギンガムのトップスに落ち着いたブラウンのスカート。現代風に太めのベルトもついているデザインです。

「アンは、がんばってクイーン学院の試験に首席で合格するんだよ!」

「それがいいわ!」

 お客様は飛びつくように、ももちゃんからそのセットを受け取りました。

 パフスリーブといってトップスの短い袖が膨らんでいるところがお気に召したようです。

 夏らしいそのセットを、お子様割引で購入し、お客様は満足そうに帰っていくまで、風のような速さでした。



「あの。お客様、よかったら、それと合わせて……」

 わたしが新たな提案をしようとした矢先、

「ほんとうにありがとう。これで必ず、満点をとってみせるわ」

 にっこりそう微笑んで、お客様は工房を後にしてしまわれました。

「あ。ちょっと」

 わたしがなにか言いかけたのを察したももちゃんが、お客様を引き止めてくれようとしますが。

 からんからんと、涼しげで快いはずの音が、なぜかわびしくきこえます。

「……」



 お客様に喜んでもらえるということは、『名作ドレス工房』店主であるわたしのいちばんの喜びのはずなのに。

 ホワイトチョコレートの扉がぱたんと閉まったときから、わたしはなんだか心に細い糸がひっかかったような気がしていました。

 あれ。

 なんだろうこの気持ち。

 ふらふらりとテーブルの椅子に座り込み、開いたままになった『ごんぎつね』と空になったシトラスティーのグラスの傍ら、人差し指で『の』の字をかきはじめます。



「夢……?」

 異変を察してくれたらしいももちゃんが、テーブルに備え付けたもう一つの椅子に座り、斜め下からこちらを覗き込んできます。

 その気づかわしげな視線に、ぽつりぽつりと、ほつれたボタンがとれていくように、言葉がこぼれおちました。

「……タグのアイディアも。今日はじめてのはずの接客のお仕事も、ももちゃんのほうが早くて、お客様も大喜びで」

 ぱちくりと長いまつ毛をあわせ、ももちゃんは直後、ははぁんとうなずきました。



「でもね、夢。見て」

 ももちゃんが示したさきは、カウンター。

 その上には、色とりどりの鳥さんのタグの山が二つ、できていました。

「たしかにあたしは、同時に二つのこともできるほうだし、スピードも速いけど。でも、集中力が欠けてるから失敗したものも多いんだ。その点、夢はスピードは遅いけど丁寧だからほとんどが商品として出せるものになってる」



 徐々に、工房のランプの明かりが瞳に入り込んでくるようです。

 ももちゃんはその手先の器用さとアイディアの匠みさで、わたしよりずっとたくさんの鳥さんを作っているように見えました。

 でも、じっさいは、二つの山は同じ大きさだったのです。



「むしろ、タグのボードを無駄にしちゃったあたしのほうがマイナスじゃん。さっきのお客さんだって、さいしょは、恋にぜったい失敗したくないって意気込んでちょっと周り見えなくなってたのが、夢がシトラスティー出して、本を読んで、だいぶリラックスできてた」

「……」

 気づかなかったけれど、そうだったのでしょうか?



「そう思って、あたしも、ちょっとだけ落ち込んでたんだよ、ほんとうは」

 心持ち目線を下げて語られたせりふに、知らず肩が反応します。

「え? そうなの……?」

 びっくりしたそのとき、ぱたんと再び扉の音が。

 スレートの長髪をなびかせて、さきほどのお客様が戻ってこられたのでした。

「忘れてたっ!」

 どたばたと靴の音をさせながら。

 お客様は言いました。

「塾の部屋、たまに冷房が効きすぎてるのよ。だからね、寒くなったときの対策が必要なの」

「……あ……」



 柔らかな夏のきれいな夕日の日差しが、工房に差し込むのを感じました。

それはまさにさっきわたしが考え提案しようとしていた事だったからです。

「じゃお客様。これはいかがですか!」

 すかさずお持ちしたのは、レースのカーディガン。

『赤毛のアン』ふうの白いキルトで編んであるので、抜け感もばっちりです。

「すてきだわ。ほかにもこういうの、見せてもらえる?」 

 今度はじっくりと、キルトやレースの上着を見比べたあと、いちばん気に入ったものを、お客様は購入していかれました。

 購入した白い花柄キルトのカーディガンをそのまま羽織って、ありがとうとよく響く声でそう言い残し、弾んだ足取りでお客様がふたたび工房をあとにしたとき、

「ほらね」

 ちょっといたずらっぽく、ももちゃんがウインクしました。



「誰かのどういうとこがよくて悪いかなんてさ、案外わかんないんだって。モンゴメリさんも言ってたよね」

 夕日に照らされたわたしたちの顔は、ストロベリーのようにかすかに赤味がさしていました。

「へこんでるとこは違うほど補い合えるでしょ! でこぼこを埋め合ってくにはあたしたち、けっこういいコンビじゃない?」

 ガッツポーズをつくった彼女にふふふと笑いがもれます。

「もう」

 お調子者だけど、なんでかな。

 それはたくさん悩んで、考えてきた子のせりふに思えました。

「ももちゃん、本読むの好き?」

 ふいに、落とし物のようにそう尋ねると、

「え?」

 意外な落とし物を見つけたように、ももちゃんは目を開きました。

「今度は、ももちゃんのことが、知りたいな」

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