かつ丼

冬部 圭

かつ丼

 かつ丼が好きだって言ったら、恋人になってくれたばかりの日和はとんかつ専門店に連れて来てくれた。日和は少しぽっちゃりしていることを気にはしているみたいだけど、だからと言って大好きな揚げ物を控えたりやめたりなんてできないみたいだ。なので、おいしい揚げ物のお店をいくつか知っているらしい。紹介してくれたお店は「とんかつならここで間違いなし」との自信があると言っていた。

「とんかつが分厚い」

 僕が今まで食べてきたとんかつは何だったのだろうと思いながら感動を口にしたら、日和は機嫌を良くしたようで、

「そう。良かった」

 と言ってヒレカツ定食に箸をつけた。ヒレカツもおいしそうだ。

 おいしいかつ丼だったのだけど、何か引っかかっていたのはこれかと気づく。こんな豪勢なとんかつは定食だったらもっとおいしいかもしれないと思ったから、純粋にかつ丼で満足できなかったんだ。それは僕がとんかつの食べ方として定食の方が丼より高尚と感じているということの証左のような気がした。罪深いというか欲深いというか。

 ほんの少し満足できなかったことに日和は気付いたみたいで、

「あれ、何か駄目だった?」

 と聞いてくる。

「ぜいたくな悩みなんだけど、かつ丼にしてはとんかつが上等すぎる気がするんだ。ほら、かつ丼ってジャンクな食べ物でしょ。上等なとんかつはミスマッチというか」

 下手な説明だったけれど日和にはなんとなく伝わったみたいで、

「なるほど。このままではかつ丼よりとんかつ定食の方が好きになってしまいそうだと」

 そんな簡単なことで失われるアイデンティティなんてあっても無くても同じような気もするけれど、そこを失うと僕は変わってしまいそうで少し嫌だ。

「ほら、小学校の卒業文集とかで、好きな食べ物『かつ丼』って書いたのに、今じゃとんかつになりましたじゃ、あいつは変わってしまったなんて言われちゃうかも」

 そんなこと気にする友達がいるわけないと思っているけれど。日和は苦笑いして

「続きはお店を出てからね」

 と言う。出されたかつ丼に対する批評だからあまり大きな声で議論しない方がいいか。おいしいとんかつのお店を教えてもらったお礼に二人分の昼食代は僕が払ってお店を出る。

 駅に向かって歩きながら、さっきの続きを話してくれる。

「ハンバーガーでもおんなじ話を聞いたことがあるよ。めちゃくちゃおいしいハンバーグがあったとして、それでハンバーガーを作って満足できるかって話。私はめちゃくちゃおいしいハンバーグはハンバーグとして食べた方が幸せだよねって思う」

 日和の喩えは具体的だ。とんかつとかつ丼に通じるところがある。

 駅に着いて、電車に乗って話を続ける。

「とんかつもハンバーグもそれだけで料理として成立しているから、それ自体のできがいいとかつ丼の卵とじやハンバーガーのパンが足を引っ張るなんてことがあるかもね」

 日和の指摘に同意しつつそんなことを言う。

「ジャンクな食べ物にはそれ相応のランクの物の方がいいってことかも。なるほどね。勉強になる」

 こんないい加減な知識というか見解と言うかがどこかで役に立つとは思えないけれど、日和があまりに真剣なので微笑ましく感じる。

「ということはかつ丼の研究家としてはどこかお薦めのお店があるってことかな」

 そんな風に聞かれて考え込む。今までで一番おいしかったかつ丼はいつ、どこで食べたやつだろう。一番おいしかったってのは考えたことが無かった気がする。

「一番印象に残ってるのは婆ちゃんのかつ丼かな。婆ちゃんちにお邪魔した時に好きなものは何って聞かれてかつ丼って答えたんだ。兄貴は牛丼って言った気がする。婆ちゃんは多分結構困ったんだと思うんだけど僕たちのためにかつ丼と牛丼を作ってくれた。人参とか葱とか入っていて不思議な感じだったけどおいしかった。あれが一番おいしかったかって聞かれると自信はないけど」

 婆ちゃんが作ってくれたって言う嬉しさもあるのかもしれない。日和は面白そうに頷いて、

「なるほどね。一番印象に残っているのが一番おいしかったかどうかは分からないかも」

 と呟く。

「日和だって今までで食べた中で一番おいしかったものって聞かれても答えられないんじゃない?」

 少し日和に意地悪してみる。

「確かに一番は選べないかな。おいしくて記憶に残っているものはいくつかあるけど」

 そう言っておいしかったものをいくつか教えてくれる。

「かつ丼はおいしい。順番なんてない。それでいいんだ」

 とんかつだけの方が更においしいかもしれないなんて気分になったことは置いておいて。仮にとんかつだけの方がおいしかったとしてもかつ丼のおいしさが損なわれるわけではないし。

「じゃあ、ちょっと思いついたことがあるから今度私が作ったかつ丼を食べてくれる?」

 日和がそんな提案をしてくれる。

「私、揚げ物には自信があるから」

 小さく胸を張る姿が可愛らしい。どんなかつ丼を食べさせてくれるのだろうか。

「楽しみにしてる」

 日和が降りる駅に着いたので今日はここまで。なかなかに楽しい会話をさせてもらったなと思いながら日和を見送った。


 それからしばらくして、日和は本当にかつ丼をごちそうしてくれた。

日和の作ってくれたかつ丼のとんかつは普通のとんかつより薄いように見える。卵は半熟。福神漬けが添えてある。見た目からおいしそうだ。僕の分と日和自身の分の二つがテーブルの上に並べられている。

「どうぞ召し上がれ」

「いただきます」

 さっそくかつ丼を口にする。とんかつだけ先に食べるなんて邪道なことはしない。僕はかつ丼を食べるのだ。かつと出汁と卵とごはんの調和を楽しむのだ。なんて大仰なことを考えながら口にする。衣に出汁がしっかり染み込んでいておいしい。薄いとんかつはこれが狙いか。とんかつ、出汁、卵、ごはん。ひとつひとつの要素はお店で食べるようなものには及ばないかもしれないけれど、調和している。

 かつ丼はとんかつがメインだけど、主張しすぎていない。前食べたかつ丼はとんかつが「オレを引き立てろ」みたいな自己主張が激しかったけれど、今日のかつ丼はとんかつが「みんなでおいしいかつ丼になろう」と他のメンバーと協力して引き立てあっている感じがする。

「おいしいよ。かつ丼としての完成度は前のとんかつ屋さんのかつ丼より上だ。日和は料理のセンスがあるね」

 あっという間にかつ丼を食べてから日和を褒める。

「あの時話してヒントをもらったからね。おいしいとんかつを食べたいのか、おいしいかつ丼を食べたいのかで求められるとんかつの姿が違うんだって」

 そんな話だっただろうかと少し疑問だったけれど、多分日和はそういう風に受け止めたんだと思うことにする。目的によって理想の姿が変わるなんてことはよくあることなのかもしれない。とんかつに対してそんな風に考えるなんて思ってもみなかったけれど。

「多分、同じものに対して場面ごとに求められる役割が違うんだね。とんかつはヒーローなのかもしれないけれど、あんまり頑張りすぎると足を引っ張っちゃうってことだね」

 何のことを考えているのか若干混乱しながら、そんなことを口にする。日和の言いたいことは良く分からないけれど最高級のとんかつがあれば最高級のかつ丼ができるわけではないことは理解した。

「かといってどんなとんかつでもいいわけじゃないから。とんかつはとんかつなりに頑張らないといけない。他のメンバーと調和する方向で頑張る必要があるんだと思う。かつ丼の時のとんかつはスーパーヒーローでなくていいんだよ。調和のとれた関係が大事なんだと思う」

 日和はそこまで言って一旦区切った後、悪戯っぽく笑ってから

「その上で聞きます。あなたは最高級のとんかつを目指しますか?それともおいしいかつ丼の一構成員であることを目指しますか?」

 と聞いてきた。

「それはもちろん」

 迷いなく日和の望む答えを告げることができるのは、日和の作ってくれたかつ丼がとてもおいしかったからだと思いつつ、これから先の二人の関係を想像した。

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かつ丼 冬部 圭 @kay_fuyube

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