苦手②:数字
私は数字が苦手である。
学生時代から数学の学力が極端に低く、いまだに二桁の計算は筆算をするか、スマートフォンの計算機で対応している。意味を持たない数字が苦手で、羅列されている数字を暗記することが苦手だ。
人の誕生日を覚えるのも苦手だ。
いくら親しい友達であっても、恋人でも、家族でも覚えることができない。例外はあって、語呂合わせの記念日(11月22日でいい夫婦の日みたいな)と同じ誕生日なら覚えられる。言葉なら覚えられるのだ。スマートフォンのカレンダーアプリに登録すれば良いと思うかもしれないが、あれは一年で消える。次の年にはまっさらなカレンダーに変わり、また覚えられずに過ぎてゆく。
ありがたいことに友人には恵まれており、私の特性を理解して、私が友人の誕生日を忘れても、友人は私の誕生日を祝ってくれるのである。思い返してみると10年以上の付き合いになるが、この友人の誕生日を祝ったことは学生時代の数回だけである。それでも交友を続けてくれるのだから、本当に恵まれている思う。
先に書いていたが、家族の誕生日もまったく覚えていない。なんなら家族の年齢もわからない。父と私が区切りのいい数字分離れているからかろうじてわかるものの、母やきょうだいの年齢は全くわからないのだ。目に見えて老いを感じた時はさすがに直接年齢を聞くようにしている。
数える、という行為も苦手だ。
物の数を数えると毎回違う数になる。団体でお酒を飲みにいく際、お店に予約の連絡を入れるために発生するのが人数数えで、これが特に苦手。人ではないものが見えているとかでもなんでもなく、ただ何度数えても別の数字になる。こうなると厄介で、一向に予約を取ることができないのだ。歳を重ねると、自分なりのライフハックを手に入れ、近くにいる後輩に「私、お店予約するから何人か数えておいて」と頼むことにしている。そうすれば私は必要事項をすぐに店に連絡できるし、後輩は人数を数えることによって、自分も仕事してる感を感じられる。まさにWin-Winの関係である。
おそらく、私は自分にとって意味があったり知識に基づく数字でないと覚えられず、脳みそのメモリが極端に少ないのだと思う。また、27歳の時に自身がADHDとASDであるといいことがわかるまで、自分はただ阿呆なのだと思っていた。数字が苦手という「特性」があることを大人になってから知り、自分がただの出来損ないではないということが嬉しかった。病気だからできないことを許容してほしい、甘やかしてほしいと言っているわけではない。例えて言えば、眼精疲労に悩んでいて、他にも体がだるいから整体に行ったら「この眼精疲労は肩凝りによるものですよ」と専門家から言われ、「通りで目薬を指しても治らないわけだ!」と納得して帰ってきたようなものだ。
この場合の肩凝りは、一生付き合っていかなければいけないものだが、原因がわかれば対策ができる。とりあえずは言葉の湿布でも貼っておこう。
わたしがわたしを嫌いにならないために まるごん @malgon
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