第15話 かわいい人

 ブランディーヌの空色の瞳が見上げる先で、ジスランの緑青色の瞳はいまだ見開かれたまま。風が白銀の前髪をさらいその瞳の色があらわになってしまっていることも気に留めることなく、ただただ真っ直ぐにブランディーヌのことだけを見つめている。

 そんな彼の様子に、いきなり多くのことを伝えすぎただろうかと思わず苦笑をこぼしてしまったブランディーヌは、あえてジスランに背を向けてこう続けたのだった。


「あまりにも急すぎましたね、すみません。まずはガゼボでティータイムにいたしましょう。ポレットも今日のために特別な茶葉を用意して――」


 けれど全てを言い切るよりも先にドレスの袖を軽くつままれたような感覚がして振り返ると、そこには予想通りほんのわずかな布地の面積を指で小さくつまみながら、どこか不安そうに眉尻を下げつつこちらを見ているジスランの姿があった。それはまるで、迷子になって行き場のなくなってしまった小さな子供のようで。


(かっ……!)


 けれどそんな彼の様子に気づいた瞬間、ブランディーヌは慌てて口元を両手の指先でおさえる。こうでもしなければ感情がたかぶりすぎて、思わず叫び出しそうになってしまったからだ。


(かわいいーーっ!!)


 だが当然、それで心の中まで制御できるはずもなく。表情にも態度にも一切出さないが、代わりに彼女の本心はこれでもかというほど荒ぶっていた。


(まぁまぁまぁまぁ……! まさかわたくしの婚約者が、さらにもう一段階かわいらしい癖をお持ちだったなんて……!)


 小首をかしげながら瞬きをするその無防備な姿も非常にかわいらしかったが、今のこの姿はその非ではない。線が細くスラリとしているとはいえ背丈はこんなにも高いというのに、そんな男性がまるで小さな子供のように見えてしまうというのだから、その破壊力は推して知るべしといったところだろう。

 これはなおさら幸運だったかもしれないと思いながらも、彼女は感情の波が高すぎると叫び出したくなってしまう自らのこの癖を必死に抑え込む。そう、ブランディーヌにもまた、無意識下で行ってしまうような癖が存在していたのだ。

 彼女の場合は、その癖を自覚していた。だからこそ普段から感情を制御し気をつけることで、今まで大事だいじには至らなかったというだけのこと。実際は心の中で叫ぶことだけは止める術がないので、最終的には下品に見えない程度に物理的に口を封じてしまうという力業に落ち着いてしまったのだが、今のところこの形で困るようなことは特に起きていないのでそこまで問題視もしていない。


(あぁっ……。これはもう本格的に、ジスラン様を愛でるしかないようですわね……!)


 ただ困ったことにブランディーヌはその対象がなんであれ、かわいい存在というものにめっぽう弱かった。そしてこの瞬間ジスランをかわいい人だと認識した彼女からすれば、愛でない理由などどこにもないのだ。

 そんなブランディーヌの様子には一切気づくことなく、その雰囲気同様に不安そうな声色で、ジスランはおずおずと問いかける。


「ほ……本当、ですか……? 本当に……私のこの瞳の色がお嫌ではない、のですか……?」


 それはおそらく、今まで否定され毒とまで言われてきた彼の自己を認識するための要因のひとつが、大きく塗り替えられる瞬間でもあったのだろう。それを理解していたからこそ、ブランディーヌはしっかりとうなずいてみせるのだ。


「もちろんですわ。むしろこんなにも美しい色を、どうして嫌いになどなれましょう」


 それは彼女の本心からの言葉だった。

 実際ジスランの緑青色の瞳はとても美しく、もしも彼がしっかりとした教育を受け貴族として社交界に顔を出していれば、きっとその珍しさも相まって有名になっていたことだろう。そしてその事実を知っていれば、彼ももう少し自己肯定感が上がっていたはずなのだ。

 だが残念ながら、そんな日は今日まで訪れなかった。だからこそ、こんなにも自信のない伯爵家の嫡男が誕生してしまったのだから。


(けれど、今からでも遅くはないはず)


 変わろうと思えば、人はいつからでも変われる。なによりジスランは、人とのかかわり方で言えば子供と変わらない経験値しか持たないのだから、本当にこれからなのだろう。


(そのためにも、まずはわたくしが婚約者として対等な立場で接してしっかりと仲を深め、そのうえでジスラン様からの信頼を得る必要がありますわね)


 彼を変えていくことができるのは、自分しかいない。そのことを自覚したブランディーヌは、まずはその第一歩としてそっと手を差し出す。


「気になることがあれば、なんでも聞いてくださって構いませんよ。わたくしたちは婚約者なのですから、遠慮など必要ありませんもの」


 彼女の言葉にその手と顔を交互に見ていたジスランは、やがてようやく意味を理解したのかブランディーヌの差し出していた手を急いで取ると、自らその隣へと立つ。そうして彼女の白く細い手を自分の腕に乗せることで、エスコートをする姿勢を見せた。


「ふふっ、そうですね。まずはそこから始めましょうか」

「は、はいっ……!」


 今までとは違い少しだけ背筋が伸びたように見えるジスランの姿に、まるで子供の成長を見ているようだと感じたブランディーヌは思わず微笑ましい気分になってしまう。

 そうして彼らは今までよりも少しだけ縮まった距離感で庭園の中をガゼボへと向けて歩き出し、さらにはこの日以降なるべく時間を合わせ息抜きと称して、こうして時折二人で庭園を歩くようになったのだった。



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