第4章
第1話
*
ユセフと話し合ったリドニスは、今度こそユセフに「動かないように」と釘を刺して応接室を出た。
それでもきっと、ユセフは動こうとするのだろう。リドニスは険しい表情を浮かべ、離宮へ戻る。
すると、荷物を運ぶ使用人とすれ違った。
ちらりと見えた襟元には、ウィッドニー家の紋章のバッヂが付けられている。
リドニスは少し考えたが、すぐにサクリスの部屋へ向かった。
「ウィッドニー、なぜ荷物を運んでいる」
ノックをしてすぐ、サクリスが顔を出した。やけに上機嫌な様子だ。
「領地に帰ることにしたんだ。オレは後継候補を降りる」
「……どういうことだ?」
今回の候補者の中で、サクリスとジルデオが特に王になるのだと息巻いていた印象があったのだが……リドニスは突然意見が変わったサクリスに、訝し気な目を向けた。
顔だけを覗かせていたサクリスが、仕方がないなと言わんばかりに外に出てきた。扉が少し開かれると、奥のベッドで眠るレイティアの姿が見える。しかしサクリスはリドニスの目から隠すようにすぐに扉を閉める。
「レイが結婚を認めてくれたんだ。だから王になる必要がなくなった」
「……ベルマン令嬢の悲鳴が聞こえたと報告があったが、おまえまさか……」
「心外だな、オレじゃない。レイが突然歩けなくなったんだ。もう使用人として働けないだろ? だから結婚することになった」
「……突然歩けなくなった……?」
「はぁ……まあ最後だしな、おまえとは別れの挨拶もしたいと思っていたんだ。明日の午後にはここを出る予定だから、朝、少し時間を取れるか? 新しい茶葉を用意させる」
この場ではもう話すこともないのか、サクリスは上機嫌に部屋に戻った。
「……突然、歩けなくなった……そんなことがあるのか……?」
それが激痛を伴うものなら、悲鳴を上げたということも理解が出来る。なんらかの病だろうか。
リドニスは考えながらも背を向け、来たばかりというのに離宮から出て王宮に向かった。
翌朝、リドニスは、離宮のサクリスの部屋でティータイムと取りたいとサクリスに希望を出した。サクリスは都合が良かったのか二つ返事で了承し、すんなりとリドニスを招き入れる。
サクリスの部屋は広く、家具も装飾も上質に揃えられている。部屋の真ん中に置かれたベッドもクイーンサイズの広さがあり、今は顔色の悪いレイティアが、綺麗なドレスを着て座らされていた。リドニスとは目が合わない。うつろな目はうつむいている。
リドニスはレイティアを一瞥しただけで、すぐに、室内にあるテーブルセットに腰かけた。
「おまえにも世話になったな。まあ誰が王になるかは分からないが、結果だけは教えてくれ」
「突然歩けなくなったとは、何が起きたんだ?」
リドニスが単刀直入に聞けば、サクリスは呆れたようにわざとらしく肩をすくめた。
「オレにも分からない。突然レイが痛いと言いだして……肌が溶け始めたんだ。レイの肌を溶かすおかしな何かが見えたような気はしたが、気のせいかもな」
ノックの音が聞こえると、控えていた使用人が、外から持ってきてもらった茶器を受け取った。そのまま二人の元へとやってきて、紅茶の準備を始める。
「おかしなものか……それでおまえは、ベルマン令嬢と共に領地に帰って療養すると」
「ああ。オレはレイのために王になりたかっただけだからな」
「ラングラン公爵はどうする。あの人はおまえが王になることを望んでいたように思うが?」
リドニスは腕を組み、サクリスの回答を待つ。サクリスはリドニスほど重くとらえていないのか、すぐに口を開く。
「ラングラン公爵には説明するよ。オレのことを可愛がってくれてる人だから、きっと分かってくれるさ。それにベルマン侯爵家とも正式な繋がりが出来れば、王にはなれなくてもそれなりに見返りはあるからな」
「……それだけで納得するなら、そもそもラングラン公爵がおまえのこれまでの求婚をベルマン令嬢に受け入れさせているんじゃないか?」
鋭い一言に、ぴくりとサクリスの眉が揺れる。
「ラングラン公爵は、ウィッドニー家とベルマン家が繋がることに意味を見出していない。だからこそ今回、ユセフ殿下が正式な後継者として内示が出ていると聞いて、陛下に申し立てた。そして候補者が集められる運びになったんだろう?」
「……頭のお固い男だな。浮かれた友人を少しでも祝えないのか」
「おれが気にしているのは、ラングラン公爵が納得するかどうかだ。納得しなかった場合、また厄介な会を開かなければならなくなる」
紅茶を蒸し終えたのか、使用人が茶器を二人の前に置き、上品な仕草で紅茶を注ぐ。
「オレは降りると言っただろ。もう一回があっても来ない。それに、ラングラン公爵があまりにしつこいなら後見人をやめてもらってもいい」
「相手は四大公爵家だぞ、伯爵家であるウィッドニー家が物申せるわけがない。ラングラン公爵はおまえにメリットを見出して後見人になり、ここに送り出している。つまりおまえが王になる以上のメリットがなければ、ラングラン公爵は納得しないだろう。これからも同じように後継者の話になるたびに噛みついてくるぞ」
分かっていながら面倒くさくて考えたくなかったのか、サクリスはうんざりとため息を吐いた。
落ち着くためか、サクリスはカップを持ち上げる。口を開いたのはリドニスだった。
「この状況でラングラン公爵を納得させる道は、二つしかない」
サクリスは紅茶を一口含んだ。
「一つ目は、おまえが王になること」
しかし次には、サクリスはカップを落とす。カップはソーサーに落下したが弾かれて転がり、純白のテーブルクロスをオレンジに染めていく。
「もう一つは、おまえが死ぬこと」
椅子から落ちて床に倒れ込んだサクリスは、息がうまくできないのか必死に酸素を吸い込もうと口を大きく開けている。その目だけはリドニスを睨んでいたが、やがてのたうち回ったサクリスは、泡を吹いて動きを止めた。
そばに立っていた紅茶を入れた使用人は、その様を見届けてすぐ、次にはレイティアの元に向かう。
「……なにをするの、触らないで」
「ベルマン令嬢。先日は、素晴らしい毒をありがとう。ベルマン家の毒草がどれほど優秀か身をもって分かったよ」
「触らないで!」
リドニスが席を立つ。すると使用人は、歩けず抵抗も出来ないレイティアを引きずるように運び、それまでリドニスが腰かけていた椅子に座らせた。
「あなたにとって、地獄はどちらだろうか。生きて、ウィッドニーと結ばれることか。それとも、一緒に死ぬことか」
まさかと、レイティアが震える瞳でリドニスを見上げる。
「あなたがウィッドニーを煙たがっていたことは周知の事実だ。だからこそ筋書は完璧に整えられる。ウィッドニーが強引に結婚の話を進めた、それを嫌がったベルマン令嬢がウィッドニーを殺し自害した」
「……この男と共に死ぬくらいなら、地獄に落ちたほうがマシですわ」
「地獄を選ぶならその紅茶を飲まなくてもいい。ただし、ウィッドニーの死因はベルマン家の毒だ。一度ティーパーティーでも使用されていて、その成分はすでに明らかになっている。あなたはこれから、歩けなくなっただけでなく、おれへの殺人未遂と、ウィッドニーの殺害の罪すらも背負うことになる。どんな人生になるのかは、考えなくても分かるだろう」
リドニスの手がレイティアの震える指先に添えられると、その手はレイティアの手をそっとカップへと導いた。
「好きな地獄を選ぶといい。あなたはもう、生きても死んでも地獄だ」
「わ……わたくしが、何をしたというの……! ずっと好きでもないこの男に人生の邪魔をされ続けて! 嫁ぎ遅れだと揶揄されて! わたくしは何もしていないの! この男がすべて悪いんじゃない!」
「あなたの境遇には同情するが、残念ながらおれには関係がない。ただ、ユセフ殿下が王となるために、ラングラン公爵を納得させる必要がある。そこに、ウィッドニーとあなたは邪魔だ」
「わたくしは関係ないじゃない!」
テーブルの上で、強く握り締められたレイティアの拳が震えている。
「いいや、あなたは強かだ。誰と手を組んで、何をしでかすか分からない。ティーパーティーでの毒の件も、ウィッドニーの指示であると明言したのは嘘で、誰か別の者と手を組んでいたんだろう。ウィッドニーとはティーパーティーまでにも会話をしていたが、分かりやすいウィッドニーにしては、あなたに毒殺を頼んだというような片鱗は見せなかった。怪しい動きもなかったからな」
レイティアの前には紅茶がある。レイティアは改めてそれを見て、ごくりと喉を鳴らす。
「あなたは、紅茶を飲んだほうがいい。これから先、誰に殺されるかと怯えながら、地獄を生きる必要はない」
ゆっくりと、レイティアの手がカップに向かう。震える手でそれを持ち上げると、紅茶が小刻みに揺れていた。
使用人はサクリスを元通りに椅子に座らせていた。テーブルに突っ伏すように配置し、それまで楽しいティータイムがあったのだろうと思わせる余韻を残す。
ガチャン! と音がした。レイティアも倒れそうになったが、使用人が素早く支える。
やがてレイティアも泡を吹き、動かなくなる。使用人はレイティアもサクリス同様、テーブルに突っ伏すように整えた。
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