第1章
第1話
ユセフは産まれたときから特別な存在だった。
幼い頃から精霊の姿が見えていたし、その言葉を聞くこともできた。このリーズバング王国は精霊と共に生きてきたという歴史があり、だからこそ、自身の子がその精霊に愛されていると知り、国王と王妃はたいそう喜んでいたものだ。
精霊は自然と同義である。
人間と共に生き、人間が日々侵略してきた。
だからこそ、自然は人間に対し優しくはない。
精霊は天邪鬼だ。気に入った相手にしか姿を見せず、言葉も聞かせない。
しかし精霊に愛されたならば、その精霊が自然の力を貸すという。
ユセフ自身、その「力」がどういうものであるのかはまだ分かってはいないが。
「ユセフ殿下、どうされました」
声をかけられ、ユセフはびくりと微かに肩を揺らした。
少し考えにふけっていたらしい。ユセフは慌てて、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ああ、ごめんリド。少し考えごとをしていた」
「お疲れならすぐに退室しますが……」
「違う違う、大丈夫だから。……そうじゃなくて」
ユセフは、自身を落ち着けるように目の前の紅茶を一口含む。
正面に座ったリドニス・ベルグは特に急かす様子もなく、ぴくりとも動かない無表情で待っていた。
リドニスも、後継候補として王宮に呼ばれた一人である。ユセフとは異母兄弟ではあるが、年齢はユセフよりも七つ上だ。
今日はユセフに呼ばれて、応接間に通された。人払いがされ、室内にはユセフとリドニスの二人である。
「少し、自信がなくなった」
「……どういう意味でしょう」
「私は、後継候補者が集まったあの離宮で、誰一人殺したくはない。候補者の中から正しく、後継者を選びたいと思っている」
「賛同しかねます。国王こそ、ユセフ殿下がふさわしい」
「何もないんだ、私には。……精霊に愛されているということしか持っていない。知ってるだろ、リド。周囲が私をどう見ているか……空っぽなんだよ」
肯定も否定もなく、リドニスはじっとユセフの言葉を待つ。
「誰も死んでほしくないのに……誰かが、死ぬかもしれない。誰も殺させない自信がない」
「……カイン・シュナイゼルですか。確かに彼は、あのリリディアナ王妃殿下の子として国中から嫌われていますし、ここに来てからも冷遇はされていますが……それでも、もしあなたが彼を選んだとしても、陛下と血の繋がりのない彼は王にはなれません」
「……違う。カインくんのことじゃないよ。……リド、君も死ぬな。これから君にも、過酷な未来が訪れるかもしれない」
「? 何をご不安に思われているのですか」
ユセフとリドニスは、実は幼少の頃からの付き合いである。
リドニスが十七の頃、王宮のパーティーをしていると、パーティーホールの外から人の声がした。何が居るのかと様子を見に出たリドニスはそこで、十を迎えたユセフと出会ったのだ。
「今の殿下は、出会った頃と同じ顔をされています。漠然とした不安、焦燥……それをどうしたら良いのかが分からないのでしょう」
リドニスの指摘に、自然とユセフの肩が強張った。
ユセフは精霊に愛されているがゆえに命を狙われる可能性が高いとして国民に顔を隠しているため、リドニスも最初は誰か分からなかった。状況的に迷子になった貴族の子だろうとしか思っていなかったのだが、話すうちに正体が明らかにされた。それは、ユセフがまだ幼く、友人もおらず、パーティーを遠くから見て羨望するほど孤独に慣れていなかったからで、つまりはリドニスと友人になりたい一心で自身が何者かを漏らしたからである。
ユセフがそんな初歩的な失敗をしたのは、後にも先にもこのときだけだった。それ以降は、リドニスがユセフの孤独を埋めたからだ。
「おれにも話せませんか。おれは、あなたに最も近い部下ですが、友人になったつもりでもあります」
何かをためらうような様子を見せたユセフは、少ししてこくりとひとつ頷く。
「……昔、一度だけ話したことがあると思うんだけど……兄さんが、離宮に来てる」
「…………亡くなったと聞きましたが」
「生きていたんだ。何故かは分からない。あんな傷を負って生きていられるわけがないのに、生きていた。間違いない。兄さんは、何かをしようとしている。私に手を組まないかと持ち掛けてきた。……奇妙なことだ。兄さんは私たちを恨んでいるはずなのに」
「……名を教えてください。警戒しておきます。ユセフ殿下は、偽名を使えど内部では派手に動けないでしょうから」
「アベル。その名の男に注意してくれ。誰一人死んでほしくはないが……リド、君は私の唯一の友人だからこそ、絶対に生きていてほしい」
「……ありがとうございます。殿下がそう望んでくださるなら、おれは必ず生き続けます」
リドニスの言葉に安堵したのか、ユセフの肩から微かに力が抜けた。
「どうだか。リドはいつも無茶ばかりするからね。私に過保護すぎるんだよ。言っておくけど、私を庇って死ぬのもなしだぞ」
「それは約束できません」
「約束だ。万が一私が死んでも、絶対に後は追うな。私は、自分の死のせいで君が死んでしまったら、死んでなお自分を許せなくなる」
そんなことは絶対にさせませんと、とっさにそう言えなかったのは、ユセフの目が本気だったからかもしれない。
リドニスはぐっと言葉をのみ込む。そして小さく「分かりました。約束です」と、なんとか小さくつぶやいた。
そこで、控えめなノックの音が届いた。二人は同時に反応したが、リドニスがすかさず確認に出向く。少しばかり扉の外と会話をしていたようだったが、すぐにリドニスが身を引いた。
「ユセフ殿下。失礼いたします」
「ああ、どうしたの、ルーズベルト」
やってきたルーズベルトはリドニスと共に、テーブルで寛ぐユセフの元にやってくる。
「『精霊祭』について報告です」
「……あ、それ、カインくんに伝えてなかったでしょ」
「……彼は出席いたしませんので」
「この精霊祭は、候補者の人たちの顔合わせも兼ねてると聞いたんだけど?」
「そのつもりです。しかし、カイン・シュナイゼルとアベル殿下におかれましては、精霊祭には出ないほうが良いでしょう。その場には陛下と妃殿下もいらっしゃいます。平和と安寧を願う精霊祭で、お二人の不安を煽りたくはありません」
ユセフの珍しく不機嫌な表情にも怯むことなく、ルーズベルトは相変わらず読めない目でまっすぐにユセフを見ていた。
「……一旦聞くけど、報告って?」
「はい。明日より、精霊祭が開催されるエヴァリーチェ大聖堂の装飾が開始されます。その後リハーサルが並行しておこなわれ、一般公開は精霊祭の翌日から一か月程度の予定です。全体のスケジュールは昨年と変わりませんが……ユセフ殿下のリハーサルは、昨年は一週間ありましたが、今年は一日しかありません。これは、候補者が集まっているため、何かを仕掛けられる可能性を警戒した結果です」
広い王宮の敷地内の一角に、精霊の住処といわれる平和の象徴「エヴァリーチェ大聖堂」という大きな建物がある。毎年そこで、精霊と共に生きるという誓いを立て、精霊と共に生きられるという喜びや誉、感謝を精霊に伝える、いわゆる儀式にも似た催しがおこなわれている。
精霊に愛されているユセフはもちろん出席だ。顔は見せられないため聖布という布で顔は覆われているが、この精霊祭の目玉とされている。
だからこそリハーサルもある。毎年のことだが、ユセフは「分かった」と続きを促した。
「もっと日程を取ってほしいなどありますか?」
「ないよ。これまでと同じことをするんだよね? 昨年までが私のリハーサルに時間をかけすぎだったんだ。一日で充分」
「そう言っていただけると気も楽になります」
「ところでルーズベルト。……兄さんが来てた。生きていることを知っていたのか?」
ルーズベルトの目が、ちらりとリドニスに流れた。
「リドは知ってるよ。私の協力者だからさっき伝えたんだ。……ルーズベルト、どうして兄さんが生きてることを言わなかった」
「……ユセフ殿下には、アベル殿下が生きていようとも関係がないからです。誰が生きていようと、誰が後継者候補として集まろうとも、あなたが王座に座ることは約束されています。ユセフ殿下は何も気にされずお過ごしください」
「そんなわけにはいかない! 絶対に誰も殺させない。こんな馬鹿げた非道な招集があってはいけないんだ。……王になるのは私じゃない。もっとふさわしい誰かがこの国を統治したほうがいい。みんなそう思ってるだろ! みんなが真に国王に望んでいるのは、」
「ユセフ殿下」
通常よりも強い声で、ルーズベルトは珍しくもユセフの言葉を遮った。リドニスも止めたかったのか、ルーズベルトの背後で緩く首を振っている。
沈黙が流れる。二人は睨み合って動かない。
「それ以上は言われませんよう。王になるのはあなたです。あなたこそが王にふさわしい」
「……私は王にはならない。私みたいな何もない人間が、王になる資格なんかないんだよ。傀儡の王は要らない」
「いいえ。あなたは王家の誇りです。傀儡でも良いではありませんか。この国の安寧のためを思えば、王としてただそこに立つことにすら意味はあります」
「……だから嫌なんだ。お父様もお母様もルーズベルトも、私が精霊に気に入られていることばかりに目を向ける! 私自身には何もないだろ。私は、この国の未来を思うからこそ、傀儡であれ、私が王になるべきではないと言ってるんだ」
ユセフが立ち上がると、大きな音を立てて上質な椅子も大きくずれた。
「王は傀儡がなるべきじゃない。私は絶対に、集められた中から正しい後継者を探す」
「いくら抗おうとも、陛下と妃殿下……ひいては国民の決定は覆せません。みなに望まれているのですよ、ユセフ殿下」
どちらも引かない空気の中、ユセフは自身を落ち着けるように、ひとつ大きな息を吐いた。何かを諦めたような表情である。
「ルーズベルトは、どうして兄さんが生きていることを知っていたの。どうせ、ルーズベルトが連れて来たんでしょ」
「……後継者候補を決められると陛下が決定された際、誰を招集するかは私に一任されました。その際、念のためアベル殿下のことも調べたのですよ。ずっと違和感はあったのです。野犬に食われて死んだのは二名。そのうち一名が愚かなオルド・フィリップ、もう一名はアベル殿下です。その後、せめてご遺体を埋めて差し上げようと思ったのですが……現場に戻ると、アベル殿下のご遺体だけが消えておりました」
ルーズベルトは再び、ちらりとリドニスを一瞥する。その目は「他言無用だ」と強く語っていた。
しかしリドニスは承知しているのか、軽く頷き続きをうながす。
「正直、アベル殿下が生きているのかは半信半疑でしたよ。私もこの目で見るまでは信じておりませんでしたが……マクィア国にて黒の髪に赤い瞳の男の目撃証言があり、念のため出向いたのです。目を疑いました。まさか、アベル殿下本人だとは思ってもいなかったので」
「……分かった。今はその言葉を信じるしかない。だけど私は、兄さんも含めて、絶対に誰も殺させないから」
「……いえ。アベル殿下にはあまり関わられませんよう。あなたも覚えているでしょう。十五年前、アベル殿下は確実に死んでいました。私は二人の絶命をこの目で確認したのです。あの惨状で生きていられるはずがありません。アベル殿下の正体が分かるまでは不用意に近づかないでください」
「お父様やお母様は、兄さんが生きていたことに何か言ってた?」
「そうですね。陛下も妃殿下も喜んでおられましたよ。大切な第一子ですから」
「うそだ。お父様もお母様もルーズベルトも、私が兄さんに近づくことを異常なほど嫌がっていた。……兄さんのことも殺したくて呼んだんだろ。そしてお父様もお母様も止めなかったんだ。自分の子どもなのに」
ルーズベルトは一拍間を置くと、時計に一度目を向けた。時刻を確認し、ゆっくり口を開く。
「ユセフ殿下、会話の途中となりますが、次の予定がございますので私はこれで失礼いたします。精霊祭につきまして、よろしくお願いしますね」
ユセフの苦言など気にも留めず、ルーズベルトはそそくさと応接室を後にした。
ユセフは拳を強く握りしめる。
「ユセフ殿下。大丈夫ですよ、おれが協力します」
「……うん、ごめん。情けないところを見せたね」
「いえ。……ですが、アベル殿下を警戒すべきだということは、先ほどのやり取りを聞いただけですが、おれも賛成です。候補者の中ではおれが動きますから、ユセフ殿下はあまり深く介入しすぎないようにお願いします」
「……分かった。だけど、本当に無理はしないで。そして、兄さんとカインくんのことは特に私に教えてほしい。二人が気がかりなんだ。後ろ盾もなくいきなりこんなところに放り込まれて、訳も分からずに殺させるわけにはいかない」
ユセフがここまで気にするということは、二人はそんなにも気弱な人物なのだろうかと、二人を知らないリドニスはただ「承知いたしました」と答えることしかできなかった。
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