第4話

 パタンと窓を閉めたあと、カイン・シュナイゼルは、もう見えない窓の外に横目に振り向いた。


 会話が聞こえる気がする。しかし遠いため定かではない。


 カインはしばらく同じ体勢で動きを止めていたが、内容が聞こえないことで諦めたのか、すぐにベッドに腰かけた。


 カインに与えられた部屋は、アベルよりもひと回り狭い部屋だった。ベッドも古く錆びたパイプがむき出しで、マットレスも薄っぺらく固い。そのほかには木製の椅子が一脚と、壁際には別の部屋で不要になったのであろうインテリアやら家具やらが乱雑に置かれていた。自由に動けるスペースなど無いに等しい狭さである。


 しかしカインは気にしていないのか、ぼんやりと自身の手を見下ろすと、考えをまとめるように口を開いた。


「ルドルフ……公平に候補者を見るための存在だと言っていたけど、たぶん近くに精霊が居た……」


 このリーズバング王国で、精霊が好んで近寄る人間など一人しかいない。それならば「ルドルフ」という名前を名乗ったことにも納得がいく。しかし候補者に近づこうとしている意図は読めない。いったい何を企んでいるのか。


「一度、情報を掴む必要がある。だけど僕は下手に動くことができないし……誰かを巻き込むにも、信用できる人なんて……」


 そもそも、この王宮――ひいてはこの国に、カインの味方など居ないのだろう。


 うーん、と次のことを考えていたカインの正面。壁際に敷き詰められた家具にギリギリ塞がれていない床が突然、バコン! と下から突き上げられた。


 突然床が開き目を丸くするカインの前に、ひょこりと黒い頭が現れる。


 この国では見ない黒だ。カインは自身の父親でしか知らないその色が突然現れて、口まで開けて驚いていた。


「ああ、なんだか隠し通路か。まさか隣と繋がってるとはな」


 そこから頭だけを出し、男は興味深そうにきょろきょろと周囲を見る。


「……あの……?」


「ん、ああ、やっぱり隣の部屋だったか、カイン・シュナイゼル。初めまして」


「……は、はじめまして……」


 男は何も驚く様子を見せず、その穴から出てきた。出てくると想像よりも大きなものだ。闇色の髪、燃えるような紅い瞳、さらには身長も高いためになかなか目立つ男である。どうやってその狭い穴から出てきたのか……カインは興味深そうに見ていたが、男は一度かがむと、その穴の蓋を丁寧に閉めた。


「……僕のことを知っているんですか……?」


「……ああ、知ってる。その話をする前に、俺の前では猫をかぶらないでもらえるか。俺はおまえと、上辺だけの付き合いをするつもりはない」


 男は気さくな様子で、カインが座っているベッドの近くに置かれた椅子に腰かけた。


 大きな男が座ると、その椅子は幾分小さく見える。


「猫……? な、なんのことでしょうか……」


「さすが傾国の王妃の子だ。その儚い容姿を利用して、気弱な青年を演じることを選んだんだろ? 正解だ、そうしてりゃ誰もおまえを危険視しない」


 俺でもそうする。そう続けた男に、カインはおろおろと目を泳がせる。心理学でも学んでいるのか、そうすることでどういう印象を与えるかを熟知している仕草である。


 そんなカインを興味深そうに観察しながら、男は長い脚を組む。


 カインの美貌は、かつての王妃譲りなのだろう。屈強なわけでも平凡なわけでもなく、すべてがバランスよく整っており、思わず見惚れてしまうような魅力がある。しかし髪と瞳は父親譲りなのか、アベルの髪の色と同じく闇色だった。


「……俺はアベル。おそらくおまえの父親に呪われた、この国の第一王子だ」


 ピクリと、カインの眉が揺れた。しかし表情は変わらない。さすがというべきか、アベルでなければ微かな変化にすら気付かなかっただろう。


「おまえの父親はどこに居る。俺はこの呪いを解きたいんだ。ずっと呪いを解く方法を探しているんだが、どうにも分からなくてな」


「……なんのことでしょうか」


「しらばっくれるなよ。この色があの王妃から産まれると思うか? ようやく尻尾を掴んだんだ。父親の居場所を教えろ」


 アベルを見て何かを考えていたカインが、おもむろに立ち上がる。ゆっくりとした動きだ。そのままアベルの元へと向かうと、アベルの額に何らかの紙を貼り付ける。


 アベルは動かなかった。ただ上目にカインの動きを観察し、何かを言うのを待っていた。


「……なるほど。あなたの発言に嘘はないようですね。確かにあなたは父に呪われています」


 額に押し付けていた紙を離し、カインはそれをポケットに入れながら再びベッドに腰かける。


「どうして父であると?」


「……王妃は、俺が産まれて大層怯えていたらしい。幽閉されているとき、衛兵が噂をしていたんだ。『王妃はあの東洋人に呪いをかけられていた。あの男はどこか様子がおかしかったから、自分の腹から何故かあの東洋人の色を持つアベル殿下が産まれて、気が狂ってしまったようだ』と。そうなると『あの東洋人とは誰か』を調べるだろ? そこから、かつての傾国の王妃、リリディアナ王妃殿下が東洋人と駆け落ちをしたということが分かった。王宮で噂されるほどの東洋人ともなれば、駆け落ち相手だという推測は簡単にできる」


「そうですか。……それで、どうして"僕の"父であると?」


 カインの表情には、最初のような気弱な雰囲気はない。アベルはそれに満足げに笑いながら、寛ぐようにゆったりと背もたれに深くもたれた。


「俺は昔からこの呪いの解き方を探してる。呪ったのは東洋人ということは分かっていたから、東洋の呪いを中心にな。そうしたら東洋には興味深い呪いが多くあって……まあ、今は省略しよう。この本を、マクィア国で見つけた」


 アベルは、マクィア国の本屋で譲ってもらった古びた本をカインに見せた。


「マクィア国には、例の東洋人が逃亡していた可能性が高い国として滞在していたんだ。ちなみに、目星をつけた最後の国だった。そこの本屋で偶然見つけた。店主いわく、十年前、怪しい男に『これを求めて来た男に渡してやってくれ』と押し付けられたらしい。この本のタイトルは、上から書き換えられた跡がある。『呪われた王子へ』……俺へのメッセージだ」


 その文字が読めるのか、カインはじっと本の表紙を見ている。そんなカインには無視をして、アベルは本を開いて見せた。


「ここを見ろ。章タイトル『カインとアベル』。興味深い内容だった。カインはアベルを殺したが、神はカインに守護を与えたようだ。『カインを殺す者には、七倍の復讐を与える』と」


「それで」


「これは、おまえと俺だ。俺の呪いにはおそらくおまえが絡んでいる。……おまえの父は、陰陽師なんじゃないのか」


 そこで初めて、カインはふっと口元を緩めた。


「そうですか。そこまで知っているんですね」


「おお、案外素直に認めたな」


「ええ。……ですが残念ながら、父は亡くなっているんです。この国の王……シリウス・ユースタント・リーズバングに、処刑されたもので」


「…………ああ、なるほど」


「あれ、案外素直に受け入れるんですね」


「いや、繋がった。なぜその男がこの本を古本屋に託したかが分からなかったんだ。死ぬ予定があったなら納得だ」


 椅子の背に深くもたれていたアベルは今度、前のめりに頭を抱えた。


 呪いを解くための道がひとつ消えた。必死に生き延びながら情報収集を始めて、小さな情報を元に国を渡り歩いてようやく今、それでも十五年を要した。それがたった一瞬で水の泡だ。カインに会えば何かが分かると思っていたのだが。


「ところで、あなたはなぜ僕がその東洋人の子だと分かったんですか? さっきのは明確な答えではありません。まさか、本当に章タイトルだけでここに来たわけではないでしょう」


 はぁ、と深いため息をつき、アベルは頭を抱えたまま口を開く。


「……今日まで、おまえのことは知らなかった。ただ、例の東洋人に子どもが居た場合、今回確実に呼ばれているだろうとは思っていた。おまえも察してるだろ。後継候補だと集められたのは、王家が邪魔に思っている存在だ。この後継争いで殺してやろうって魂胆なんだよ。それなら、俺やおまえは一番に名前が挙がるだろうからな。思った通り、ここに来るときに聞いた名前の中で、おまえの名前にだけ爵位がなかった。そのときから見当をつけていたが……この本を読んで納得したという感じだな」


 ふっと、空気が揺れた。カインが微かに笑ったようだ。気弱な青年からは程遠い、勝気な笑みである。


「そうですか。僕が居るだろうと踏んで、呪いを解くためにわざわざ会いに来たんですね」


 何かを考えるような間を置くと、カインはその目をアベルへ滑らせる。


「あなたには利用する価値がありそうです」


「馬鹿か、俺が利用するんだよ。俺は俺の呪いを解く。おまえの目的は」


 ギラリと、挑むような目がアベルに向けられた。儚い容姿からは想像もつかないような、燃えるような何かが瞳の奥で揺れている。


「僕は、復讐を」


「……いいじゃないか。俺も乗る。全員ぶっ殺してやりたいくらい憎いんだ」


「気が合いそうです」

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