番外編 第2話
第1話
目の前に立ちふさがる女子生徒を見たとき、僕はカバンを持たずに教室を出たことを心底、後悔した。嫌がらせをされていた時には、どこへ行くにも荷物は身体から離さず、授業が終わったら、さっさと帰っていたのに。
ここのところ、おとなしくなっていたから油断した。
階段の中途で足を止めていると、女子生徒が腕を組んで、こっちを見おろす。
視線はきつい。顔立ちは整っていて、目を惹くタイプではあるが、表情の厳しさがすべて台無しにしていた。ウェーブのかかったショートの髪が逆立っているように見えるのは気のせいか。
「遅かったじゃない、本橋。何をしていたの」
「職員室に日誌を出しに行っただけだよ。押しつけられてね」
「知っている。クラスメートなんだから。何、あたしのこと、忘れた?」
「
「わかっているならいい。ちょっと顔、貸して」
高橋が顎を振ったので、僕は大きく息をついた。
「用事があるんで、早く帰りたいんだけど」
「時間は取らせない。いいから来なさい」
いや、それは、まずい。
待たせると、うるさい奴が教室にいるんだよ。
ただでさえ、担任にどうでもいい進路の話をされて、時間を取られているのに。これ以上、遅れたら、何を言われるか。コンビニのソフトクリームだけではすまないかもしれない。
とはいえ、文句を言えば、倍返しだ。舌が回らない自分が情けない。
「どこに行くんだよ」
「付いてくれば、わかる」
先に立って歩きはじめたので、僕は仕方なく後につづいた。
行き先は、校舎の奧にある屋上につながる階段だった。
前にも来たことがある。特別教室の裏にあるので、生徒はあまり近づかない。授業が終わってから一時間が経って、夕陽が校舎に差し込むような時間帯ならば、なおさらだ。
階段まで来たところで、ぼくは女子生徒を追い越して、先に登った。踊り場まで入ったところで、振り向く。
「さて、じゃあ、聞こうか」
「慣れているじゃない。何、ここで告白でもされた?」
「さっさと片づけたいだけ。面倒はごめんだ」
「よく言う」
高橋は、改めて腕を組み、僕を見た。
しかし、言葉が出てくるまでは、思いのほか時がかかった。二分か、もしかしたら、それ以上、じっとしていたかもしれない。
夕陽が高橋の身体を照らす。
すらりとした身体と短いスカートから伸びた足はやはり目立つ。バスケ部ということで、身長は高く、視線の高さはこちらと同じだ。
「聞きたいのは、綾音のことなんだけどさ」
やはりか。
山林堂綾香は、高橋の友人だ。
多分、クラスで一番、仲がいいじゃないだろうか。教室では一緒に入るし、昼食を食べることも多い。アミューズメントパークに行ったという話もしていたような気がする。
ここのところ、山林堂とからむことが多かったので、自然と高橋のことも見るようになっている。やり過ぎると面倒なので、こちらから何かアクションすることはないが、まあ、話していることは自然と耳に入ってくる。見過ぎてにらまれたこともあったが。
「なんて言うか、その……」
「時間がかかりそうなら日を改めて……」
「待ちなさいよ。だから、その……」
息を呑み込むと、高橋は真っ直ぐに僕を見た。
「あのさ、あんた、綾香と付き合っているの?」
「は?」
絶句するというのは、こういうことを言うのか。驚きのあまり、言葉が出てこない。
「どうなのよ」
「どうと言われても……」
「付き合っているの、そうじゃないの?」
「付き合っているのと言われても……」
「馬鹿にしているの? ちゃんと答えなさいよ」
「いや、どこから、驚いたから、何も言えなかっただけ。どこをどう見たら、そう思えるんだ?」
「だって、あなたたち、仲がいいじゃない。今年になってからは特に」
高橋は声を張りあげた。
「教室でよく話をしているし、昼になると、たまに二人でどこかへ行くし。この間は、いっしょに帰っているところを見た。綾香、すごく楽しそうだった」
どこの世界線の話だ? こっちはさんざんいだぶられて、大変な目にあっているのに。
「二人で遊びに行くこともあるみたいだし」
「それ、山林堂から聞いたのか」
「違う。あの子、自分のプライベートはぺらぺら話さない。でも、端々に出てくるから、わかる」
確かに、山林堂と出かけることはある。
だが、それは競馬場で、ただ二人で馬を見ているだけだ。フードコートで食事をすることはあるが、別段、それが特別なこととは思わない。腹が空けば当然のことだ。
僕が山林堂と話すようになったのはたまたま競馬場で会って、そこから思わぬ騒動に巻き込まれたからで、恋愛がらみの何かはまったくない。
関係がつづいているのは、なんとなく居心地がいいからで、多分、それ以上の何かはないと思う。
会って話をしているだけで、なぜ、付き合っているという話になるのか。世界は驚異と不条理に満ちている。
さて、どこから誤解を解くか。
話をはじめようとした時、高橋が視線を切った。
「それに、最近のあの子、ちゃんと笑うようになったし」
静かに語る高橋を見て、僕は口を閉ざした。
「綾香はものすごくいい子。誰でも気さくに話をして、うまく場を盛りあげる。話題に乗りおくれた子が出ると、さっと話題を振って、場に加える。悪口も言わないし、仕切り方もうまい。いつでもグループの中心にいる子……だけど、最後の一線を守って、そこから先には踏みこませないところがある。その壁を越えようとすると、話題をそらすか、笑ってごまかそうとする。それがうまいから、他の人には気づかれないだろうけれど、あたしにはわかった。ああ、最後まで心は許していないんだなって」
「どうして、気づいた?」
「付き合い、長いし、ずっと見ているから。綾香はあたしの憧れだもの」
「……そうか」
気づいていた者がいたか。
それは、よかった。
ちゃんと見てくれている人はいるぞ、山林堂。
「今年の夏から秋にかけては、普通に話をしても、あの笑いでごまかすことが多かった。はっきりみてわかるぐらいに。さすがに、気になったから、何かあったって聞いたけれど、それも笑ってごまかされた。顔色も悪かったし、どうしたものかと思っていたけれど、初詣で会った時には、見違えるぐらい元気になっていて驚いた。本当によく笑って、どうしたのかと思ったぐらい。それは学校に来るようになってからも同じで、安心したんだけど……」
「けれど?」
「一番、いい顔をするのは、あんたといる時なんだよね。やっぱり」
高橋は僕を見た。
「この間、学校帰りに二人で歩いているところを見た。綾香は笑っていて、それが素で、何の気遣いもしていなかった。本当に心を許していて、ああ、こんな顔ができるんだって思ったぐらい。なんか悔しかった」
「……」
「それで気になって、しばらく二人を見ていたら、いっしょにいることが多かったから、付き合っているのかなって思った。だから、確認したかった」
きっかけは、山林堂の笑顔だったか。
確かに、秋口はひどかったが、それは理由があってのことだ。誰だって、あの状況に追い込まれれば、ああなる。
口にできないのも仕方がない。あの時は、一人ですべてを抱えこんでいた。
それが変わって、少しは明るさが出て来たのだとしたら、よいことだ。ちょっとは前を向けて、何よりだ。
僕が笑うと、高橋は目を細めた。
「何よ、その顔」
「いや、何でも」
「それで、どうなのよ。付き合っているの、どうなの」
ちょっと考えてから、僕は応じた。
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