第9話
「行け、3番、突っ込め!」
山林堂が吠えると、栗毛の馬が馬群を割って前に出て来た。
五番手から四番手。
いい感じと思ったが、前の三頭が壁になって、それ以上、前にいけない。
外に出そうとするが、そちらにも別の馬がいて動けない。
完璧にはまった。
そのうちに、外から黒い馬体の二頭が勢いよくあがってきて、前にいた馬を抜き去った。
ゴール寸前、大勢は決した。
「アカンコワン、先頭でゴールイン。二着にアルファギネス」
実況アナウンサーの声が響いて、馬群がゴール板を駆け抜ける。
赤いヘルメットの馬は、六着か七着だった。
「ああん、もう。悔しい。もうちょっとだったのに」
「前が詰まったね。伸びていただけに、あれが痛かった」
応じたのは、晴彦さんだった。視線は、競馬場内の大型モニターに向いている。
今日、待ち合わせの場所に行ったら、山林堂と晴彦さんが待っていた。遅いと言われたが、約束の時間よりはかなり早かったはずだ。文句を言われるのは腹立たしかったので、思いきり顔をそむけてやった。
それにしても、晴彦さんがまた来るとは思わなかった。よっぽど暇なのか。
「あのペースではどうにもならないね」
直線の攻防がリプレイで映し出された。突き抜けたのは外の二頭で、3番の馬は馬群にはまったまま塊となってゴールした。
「遅すぎて、馬群がばらけなかった。四コーナーを回ったところで、あれだけ団子になったら、内はさばけないよ」
「馬はいいと思ったんですけれど」
パドックで、馬体は1番よく見えた。これなら勝てると確信したほどだ。
「よかったと思うよ。実際、伸びていたし。だけど、それだけでレースは決まらない。ペースや位置取りも重要だ。展開が読めたら、馬券では負けないって言われるぐらいだしね。今日は、流れを読み切れていなかったかな」
「それって騎手が下手ってことよね。ちゃんとレースがわかっていれば、勝っていたって」
「そうは言わないが……」
「そういうことでしょ。バカ、アホ。ちゃんとやれよ!」
山林堂は大地を蹴った。顔は真っ赤だ。
荒々しいふるまいに、驚く。教室にいるときとは、別人だ。誰にでも愛想がよくて、気遣いが達者な女の子はいったいどこに行った。
「あれが、綾音ちゃんだよ」
晴彦さんは笑った。
「思ったことを言って、うまくいかないと、ああでもない。こうでもないと文句をつける。罵倒することも珍しくない。感情表現が豊かというか、まあ……」
「子供っぽいですよね」
「そう。昔からあんな感じ。僕もさんざん文句を言われたよ」
晴彦さんは苦笑いする。それは、どこか楽しげだった。
「学校では違うんだろう」
「はい。言うことは言いますが、回りに気をつかって、うまく場を盛りあげるようにして、皆が楽しめるようにふるまっています」
「それも綾音ちゃんだ。常に気をつかう立場にいたからね」
晴彦さんは僕を見た。その目は、これまでと違って翳っている。
「彼女について、どのぐらい知っている?」
「ほとんど知りません。話をしたことはなかったので」
近づくことすらないと思っていたのに、どうして、こうなる?
「ただ両親が会社の社長というのは、聞いたことがあります」
「正しいね。父親が電子機器メーカーの社長。爺さんが創業して、その後を継いだ。規模は小さいんだけど、技術の高さで知られている。母親は税理士で、そこそこ名前は売れて、仕事も多い。綾音ちゃんはそこの一人娘。そういう立場にいれば、小さい頃から大人に囲まれて生活することになる。自然と自分の立ち振る舞いは制限されるよ」
子供の頃から山林堂は大人の会合に連れて行かれ、そこで社長の娘としてふるまうことを求められていた。愛想よくして、きちんと話を受け答えして、大人にへつらっていく。人に気に入られるのが当り前で、少しでも反抗すると厳しく説教されたようだ。
「与えられた役割をこなすだけの器用さはあった。だが、それがよくなかった」
「どういうことですか」
「うまくやっていこうとして、綾音ちゃんは自分を見失った。本当の自分が何なのかわからなくなってしまったのさ。高校に進学するぐらいまでは何とかなっていたんだけど、最近、事情があって、特にひどくなった。なにせ、僕にもおべっかを使ったぐらいだからね。愛想笑いを浮かべながら。これはまずいと思った」
晴彦さんは、山林堂の後ろ姿を見た。
「放っておいたら、壊れてしまう。だから、あちこち連れ出した。ちょっとでも気分が変わればいいかなと思って。買物にも行ったし、テーマパークにも行った。ほかにもいろいろと理由をつけて引っ張り出した」
「それで競馬場にも?」
「これは、私の趣味かなあ。まあ、自分の知らない世界に足を踏み入れるのはいいことだと思うよ」
いや、さすがに、競馬場はどうかと思う。我田引水が過ぎる。
「でも、おかげで、君と出会えた。あんな感情を出すなんて。よっぽど、君のことが気に入っているんだね。あんなに騒いだの、久しぶりに見たよ」
「こっちは怒られてばかりですよ」
「それがいいんだよ。あの娘は、むしろ笑う方がよくない。どうでもいいと思っている証拠だからね」
「男同士で、何、話しているの。キモい」
いつしか山林堂が足を止めて、僕たちを見ていた。ひどいしかめ面だ。
今日は、スポーツブランドのパーカーに、デニムのショートパンツ、そして黒のキャップという格好だ。顔立ちが整っているだけに、よく似合っている。先刻から振り向く男性客も多い。
「どうせ、あたしの悪口でしょ。うるさいとか、口が悪いとか」
「いやいや、綾音ちゃんはかわいいなあという話をしていたんだよ。なあ、本橋君」
「はっ、えっ」
いきなり言われて、僕はうまく反応できなかった。
山林堂がじっとこちらを見る。その目は鋭い。どこがかわいいのかと言ってみなさいよという空気を漂わせている。
「あ、いや、そのキャップ、似合っているなあと思って」
「はあ?」
「うん。本当に似合っている。素敵」
「あのね。いくら何でも……」
「あと、自分の思ったことをそのまま言うの、とてもいいよ。学校でもそうすれば、もっとモテるよ。かわいい」
「なっ」
一瞬、山林堂は顔をゆがめた。視線をそらして、うつむく。
「バカ。そんなことできるわけがないでしょ。あんたと違って、あたしは……」
話はそこで途切れて、山林堂は沈黙した。
競馬場とは思えないほどの静けさが周囲をつつむ。
だが、それは一瞬のことで、山林堂は顔をあげた。その顔には笑みがある。
「行こう。もうパドック、馬、出ているでしょ」
先に立って歩きはじめる。その足取りは、どこか不自然なように見えた。
もしかしたら、本橋君は天然なのかあという声がどこから聞こえたような気がしたが、よくわからないので、放っておいた。意味がわからない。
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