第3話 神に背き、愛を誓う
周囲からざわめきが起きる。
「ありえない……死人が話している!」
「神の理に背く者がいる!」
「穢れだ、穢れがここに!」
ざわめきは瞬く間に罵声となり、怒号が広間を満たす。だが、その喧噪は、不思議なほど遠くに聞こえた。
俺の腕の中にある身体――その肌に残る、ひやりとした冷たさ。その冷たさこそが、むしろ俺の頭を研ぎ澄ませていく。
ただ一つ、確かな事実がある。リヴが、戻ってきた──それだけだった。
俺は彼女を強く抱きしめた。
「リヴ……もう大丈夫だ。離さない」
小さく頷く彼女の唇が震え、囁く。
「……クロム様……私、夢を見ていました。暗くて、冷たくて……でも、あなたの声が聞こえて……戻ってこられた気がします」
その言葉を聞いた瞬間、神の理も、禁忌も、どうでもよかった。
彼女を失うくらいなら、世界すべてを敵に回しても構わない。今、胸の中に湧き上がるのは、ただ守りたいという強さだけだった。
ゆっくりと立ち上がり、群衆を見渡す。父、母、ジーノ、サリア、教会の者たち、領民。誰もが恐怖と嫌悪の感情で俺たちを見つめている。
「──俺の行いが神の教えに背くというなら、それでも構わない」
声は震えていたが、覚悟は揺るがない。否定され続けた心が、今ようやく自由を得るように燃え上がる。
「俺は、この力で彼女を取り戻した。それが罪だというのなら、俺は喜んで罪人になる」
沈黙が広がった。その沈黙を切り裂くように、俺は続けた。
「俺はこの家を出る。神に背くと言うなら、俺は
その言葉が放たれると、あちこちから悲鳴と怒声があがった。
「正気じゃない!」
「アンデッドと結婚だと!?」
「穢れが国を蝕むぞ!」
声の渦の中、サリアが鋭く食い下がる。
「クロム! あなた、どこまで堕ちるつもり!? 死人を妻にするなんて!」
その言葉に、胸の奥が爆ぜた。怒りが、熱となって全身を駆け巡る。
「黙れ、サリア!」
怒りが、言葉となって噴き出した。リヴの手を強く握り、俺は一歩前に出る。
「俺がどれだけ傷つき、耐えてきたかをお前に分かるのか。リヴは俺を信じ、支え、命を懸けて庇ってくれたんだ。お前に、リヴを侮辱する資格はない!」
俺の怒声と同時に、騎士たちが動いた。
「穢れた者どもを拘束せよ! 神の名により、ネクロマンサーを討つ!」
十数人の騎士が俺たちに迫る。その剣先が光を反射し、冷たく輝いた。
俺はリヴを庇って前に出ようとした──が、彼女自身が静かに制した。
「クロム様、下がってください。」
その言葉の直後、リヴの右腕が振り抜かれる。
音が、爆ぜた。
突風のような衝撃が広がり、騎士たちが一斉に吹き飛ばされた。鎧が砕け、剣が宙を舞い、床石が割れる。重い衝撃音と悲鳴が連続する。
俺は息を呑んだ。リヴのスキルは【怪力】。しかし、今放たれた力は常軌を逸している。まるで腕を通じて何か大きな力が解き放たれたかのようだった。
リヴは驚いたように自分の手を見つめていた。
「……力が、あふれてくる。クロム様の魔力が……私の中で渦を巻いて……止まらない……!」
死から還った彼女は、もはやただの人ではなかった。俺の魔力と彼女の魂が混ざり合い、何か新しい存在になっている――そんな直感が走る。
その時、甲高い金属音が割り込む。人の波が割れ、サリアが前へ突き出る。純白のドレスをまとい、槍を構えた姿は怒りに満ちている。
「クロム! やめなさい! 今なら私が教会に口添えしてあげる! その女を手放しなさい!」
その言葉に、俺は静かに首を振る。
「もう遅い。俺たちは、もう戻れない」
サリアの顔が歪む。
「ならば――あなたをたぶらかした、その女を討つ!」
槍が魔力をまとい、一直線にリヴへ突き出される。
しかし、届かなかった。リヴはその槍を素手で掴んでいた。鋼が悲鳴を上げ、軋んだ。
リヴはゆっくりと顔を上げ、淡々と、だが確かな愛情を込めて言う。
「……あなたは、クロム様を理解していない。彼は誰よりも優しく、誰よりも孤独な方です。私は彼を愛しています──生も死も越えて」
サリアの歯が軋み、声が震える。
「黙りなさい、化け物! あなたがクロムを惑わせた! 死者の癖に、愛を語るなど滑稽だわ!」
リヴは静かに笑った。
「惑わせた? 違います。クロム様が私を選んだんです。あなたがどれだけ飾っても、クロム様の心には届かなかった」
サリアの頬が紅潮し、怒りで震える。
「……いいえ、あなたがいなければ、クロムは私を見ていたはず! なのに、あなたが――!」
「だったら確かめてみなさい」
言葉と同時に、リヴは掴んだ槍ごとサリアを振り回すように投げ飛ばした。サリアの身体は宙を舞い、柱を砕いて倒れ込む。
広間は恐怖と混乱に満ち、ざわめきが渦を巻く。
その時、父――イグラードが前へ出た。その瞳には、怒りでも悲しみでもない。 燃えるような決意だけが宿っていた。
「……クロム。お前は確かに、我が子であった。だが、神の理を乱し、死を弄ぶ者となった今――、私は神と一族の名にかけて、お前を葬る」
そう言って右手を掲げる。空気が震える。
――【獄炎】。父の象徴であり、強大な炎の力。視界が紅に染まり、周囲の温度が急激に上昇する。皮膚が焼けるような痛みが走り、息をするだけで肺が熱に焦げる。
逃げ場はない。防ぐ手段など見当たらない。絶望が胸を締め付ける。
だがその時、リヴが俺を見つめた。瞳の奥には、かつての優しさと、今の強さがあった。
「クロム様……どうか、私に力を貸してください」
その言葉に、俺は何の躊躇もなく頷いた。彼女の背に手を置き、持てる魔力を注ぎ込む。
魂が軋むような感覚が走るが、止めるつもりはない。俺と彼女の魔力が混じり合い、黒い魔力が彼女を包む。
紅の獄炎が迫る。
だが――、リヴの腕が一閃した。
獄炎が弾け、黒い奔流がそれを呑み込み、空へと吐き返す。
父の顔に驚愕が広がり、母が嗚咽を漏らし、ジーノは膝から崩れ落ちる。教会の紋章旗は焼け落ち、床は砕け散った。
炎の残滓の中で、リヴは俺の手を握っていた。瞳には確かな光が宿り、震える声で言う。
「クロム様……いきましょう」
俺は頷いた。家の誇りも、父の威光も、許嫁の嘲りも、もうどうでもいい。俺を縛ってきたすべての鎖が、いまこの瞬間、焼き切れた。
確かなものはひとつ。ここにいるのは俺とリヴだけ。彼女の存在こそが、すべてを賭ける価値を持っている。
「行こう、リヴ」
その言葉に、彼女は微笑んだ。生前よりも強く、美しい笑顔だった。
「では失礼します」
リヴは俺を抱き上げ、そのまま混乱する広間を駆け抜けた。倒れた騎士を避け、瓦礫を越え、炎を抜ける。
父の叫びが背後で響くが、振り返らない。
屋敷の外の空気は冷たく、夜風が頬を撫でる。月が雲間から顔を出し、淡い光で俺たちを包む。その下で、俺はリヴの手を握りしめた。
「……どこへ行きましょうか?」
リヴが問う。俺は少し笑い、空を仰ぐ。
「分からない。けれど、どこへ行こうと、俺たちはもう自由だ」
彼女は頷き、そっと寄り添う。神に背いても構わない。世界すべてを敵に回しても、この手だけは離さない。
──この日、俺は誓った。
愛する人を守り抜くと。たとえそれが神への反逆であろうとも。
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