《《6 分不相応の女》》
夕食時に静は家族が箸を動かしているのを見ながら、
「 中津はんな、…… 」と調査報告を始める。
「 仕事にそれほど熱はないようなんやけど、かといって遊び歩いてもおらへんねん。会社への往復と休みの日ぃに食料品の買物をするくらいなんや。ただ気ぃになるんは、高級志向なんや 」
「 ブランド買いか? 」一心が口をもぐもぐさせながら訊く。
「 へぇ、確かに着てるものや身につけてるものは高価やと思うんや、けど買いに行くとこ見たことおへんのや、それにな、ここの五倍も十倍もしそうな高級マンションに住んどるんや。玄関から立派で、セキュリティがしっかりしとってあてはよう入られんかった 」
別に僻んでる訳じゃないけど羨ましいという気持ちが言葉に出てしまったと静は自嘲する。
「 じゃ、ネット買いじゃないか? 」
一心に言われた途端、指摘が的を射ていると感じる。
「 あーそうやわ。何回か荷物届いとった 」
―― さすがあての旦那はんや ……
静は夫を愛してもいるけど、こういう機知に富んでいるところを尊敬もしている。
「 ふむ、分不相応ってやつだな 」
「 へぇそうやな。そこはレンタルやおまへんのや買取りと聞いてびっくりや。億の声を聞いとるらし 」
「 えー、だって普通の《OL》だろ? 親の遺産か? 」と一心。
「 せやから、陰でなんやしとるんとちゃうかと思ぉて、明日から尾行しよ思うねん 」
「 良いけどよ、退社してからなら夜にかけてだろ。ひとりじゃ危ないな 」
「 ふふふ、あんさんがひとりなら危のうおますが、あては大丈夫や。小まめに連絡いれるよって。それに夜中までかかるようやったら応援頼むさかい、えぇやろ? 」
一心はちょっと困った顔をしたが肯いてくれた。
翌日から夕飯の支度を五時には済ませて、静はさっと食べて片付ける。
いざ出陣、となって改めて自分が着物姿なのに気付く。結婚当初からずっと着物を通してきたが、尾行にはどうかと思う。
あれこれ思いを巡らせ、相手もまさか着物姿で尾行はないだろうと考えるはずだ、と結論付けてそのまま事務所を出る。
一心は笑顔で送り出してくれた。
……
会社から直帰する日が続く。
いつもは浅草駅から人通りの多い馬道通りのアーケードを通って事務所の立ち並ぶオフィス街を歩く。浅草警察署の交差点を北へ進んで五分程でマンションの立ち並ぶ住宅街へと入る。そこに中津の自宅マンションはある。
―― 今日も直帰やな …… と浅草駅を出てアーケード街へ入ろうとして中津がいつもの角を曲がる。
静も角まで小走りに行って覗こうとしたとき、後ろから誰かの肩がぶつかって転びそうになり壁に手をつく。
見知らぬ男だった。「 あ、失礼 」そう言って角を曲がって行ってしまう。
静も手の汚れを払い落して角の先に目をやる。
―― あらっ …… もう、中津の姿はなかった。
あっと思い急いでタクシーを拾って中津のマンションへ。
部屋の灯りは点いていない。 ―― えっ、どこや? ……
あん時、男はんさえぶつかってこなかったらと思ってしまう。
静は仕方なく、「 わやにしてもうた 」と一心に報告する。
「 ははは。静、タクシーだから先に着いちゃったんじゃないの? 」
一心に笑われて、 ―― そうやろか? …… 半信半疑。
二十分ほど待ってると徒歩で近付いてくる中津が目に入ってほっとする。
次の日も尾行を続けたが変ったことはなかった。
一心からは、
「 中津には何も無いんじゃないか? 親の財産があったとかじゃないか? 」
そう言われると気持ちが揺らぐ。
―― せやけど、美紗は、親の遺産見当たらんって言っとったし ……
迷いつつも、―― もう少し、もう少しだけや …… と尾行を続けていた。
数日が過ぎ、尾行していてふと前を行く男に目が止まる。その男も中津を尾行しているように見える。
見たことのあるその男の顔、記憶を辿って、
―― あ、こないだあてにぶつかって来たおひとや ……
一心に応援を頼む。
十分ほどで数馬と一助が来てくれた。
少し遅れて一心も来た。静も持ってるGPS発信器の位置情報から居場所はたちどころに掴めるのだ。
静は尾行者を指を差す。その先を中津が歩いている。
*
「 声かけるか? 」数馬が言う。
一心は、
「 いや、今日は尾行だけにしよう。静は中津を、俺らは尾行者を尾行する 」
中津は浅草署の交差点を北へ向かって渡ってゆく。静が、「 自宅方向やわ 」
信号が点滅を始め静が急いでゆく。
そのタイミングで男がこっちをちらっと見て東向きの赤信号を無視して駆け出した。
「 あれ、気付かれたか? 」
一心らは青信号を待つ。どんどん遠ざかる姿にイライラ。静は信号を渡ってそのまま北へ。
青になると同時にダッシュ。男は南へ曲がり姿が見えなくなる。
数百メートル走って、「 俺、もう限界だ、あと頼むじゃ 」音を上げる。
「 お、年寄りはゆっくり休んでな 」数馬が言って一助と南へと駆けて行った。
一息ついてると、
「 こっちはいつも通りマンションに着いたで、そっちは? 」と静から。
「 ああ、男に気付かれたみたいだ。今、数馬と一助が追ってる 」
汗でべたつくスマホに向って言う。
「 ほな、あんさんはどないしたん? 」
「 ははは、俺、もう限界…… 」
「 ふふふ、しゃーないな、あても戻るよって一緒に帰ろ 」
シャワーを浴び、静とコーヒーを啜っていると数馬らのぶつぶついう声が階段を上がる足音に混じって聞こえてくる。
「 見失ったじゃ 」ふてった言い方の一助が事務所のドアを押し開ける。
「 どの辺りだ? 」一心が訊く。
「 浅草署から信号三つ目を南へ曲がって、んーと、あ、見失ってすぐ北道大学見えたぜ 」
数馬の言葉に一助が肯く。
「 ほなら、浅草八丁目付近やな 」静がどこからか地図を持ち出してきて指を差す。
「 美紗、監視カメラ…… 」一心が美紗に言おうと目を向けると、
「 ほら、顔はわからんけど走る姿はばっちりだから、雷門辺りのカメラの映像と《歩行動作照合アプリ》で顔のわかる映像を見つけちゃる 」一助の写した映像を見ながら美紗が言った。
すでに作業を始めていたようだ。
「 あまり人相のえぇ感じやなかったえ。反社的な感じやったな 」
翌日、四月十九日の朝、浅草八丁目の北道大学浅草分校近くの空き地の茂みの中に、男の変死体が発見されたとニュースが流れた。
「 免許証などから野士穣(のし・じょう)三十八歳とわかった 」とキャスター。
「 あれ、また男の遺体って例のか? …… 」
一心は呟くと同時にスマホを握る。
丘頭警部によれば、遺体は、胸骨が折れ心臓を傷つけたことが死因。全身にも打撲痕があって、『遺体から微かにジャスミンか藤の花の良い匂いがした』と第一発見者は言ったそうだが、鑑識や警部はそんな匂いは感じなかったようだ。
「 五件目だな。惨殺 」一心が言う。
「 被害者は覚せい剤で刑務所に三年いて二年前に出所してるのよ。ビル解体業を営む《虎ケ崎興業》の社員だったけど、事件後首になってる 」
丘頭警部は腹立たしげに言う。
浅草で未解決の殺人事件が三件もあるのに、さらに四件目が起きてしまったからだろう。
「 じゃ、今は何してんだ? 」
「 女さ、風俗嬢のひもになってた 」
警部は呆れたって感じの言い方をして、
「 被害者から覚せい剤の成分が検出されたわ。抜けきらないらしい。
それと犯行現場に残された犯人と思われる足跡のサイズが二十五センチ。被害者の身体のあざなどから拳の大きさが幅八から九センチ。だから比較的小柄の男性と結論付けたの 」
と続けた。
「 じゃ、格闘技が強い、小柄な男か、以前の想定通りだな。……ひょっとして殺し屋って線もありそうか? 」
話の途中で美紗が三階から降りてきて、「 おーいたぞ。こいつだ 」
一枚の写真を置いた。
「 えー、なんでこいつなんだ 」一心も静もびっくり。
一心はすぐスマホに喋る。
「 警部、今朝の遺体、夕べ尾行してたやつだ 」
「 え、間違いないのか? 」
「 ああ、美紗の《照合アプリ》使って、二つの監視カメラの映像を照合した結果だ 」
「 そうなら間違いないな。で、どうしてあんたらが尾行なんか? 」
「 ああ、長くなるからこっち来んか? 」
「 で、なんで尾行を? 」丘頭警部は片手を上げながら事務所に入って来て、挨拶代わりに言った。
「 ニセコの事件の関係者調べてて…… 」
……
一心が事の子細を説明する。
話が終わると警部は、
「 そうか、じゃひょっとしてニセコの事件と今回の事件は関係があるってことだな 」
「 いや、警部そこまでは断定できんが、同じ関係者が絡んでいることだけは確かだ 」
丘頭警部が静と少しの間談笑して帰った後、
美紗に訊くと、崎田らに絡まれた女性の行方は未だわからないと言う。
対象者が数千人に上るというからいくら《アプリ》を使うといっても時間はかかる。
現場を立ち去る顔の判別のできない映像を顔の写ってるものとを《歩行動作照合アプリ》でマッチングするのだが、歩行の速度や関節の曲がり具合、左右の違い、癖など数十項目を比較するので、一件当たり三分、五千件なら、単純計算で二百五十時間、つまり十日間は必要という訳だ。
警察は似顔絵でホテルを聞き歩いたようだが、発見には至っていない。
週を跨いで美紗の結果が出た。
あるホテルの玄関に入るところを捉えた映像とマッチした。
一心はすぐに清水警部に写真を転送し氏名を確認するよう伝える。
翌日、清水警部から電話で、
「 大野冴子(おおの・さえこ)ちゅう浅草の高校三年生どした。自宅も浅草と書かれとったから桃子には知らせときました。ほんにおおきにな 」
「 こんにちわー 」いつものように元気一杯の丘頭警部の声と良い匂いが同時に事務室内に流れ込む。
都合のいい時だけ鼻の良い子供らがどどっとソファに腰掛けて、「ごちそうさまー」
まだ、警部は何も言ってない。
静は早々とアイスコーヒーをテーブルに並べる。
「 はい、おまたせ 」警部がテーブルに置いたのは、仲見世通りでも有名な串団子、みたらしなど幾種類もをずらりと並べている。
「 情報ありがとうな。お陰でニセコでトラブった女性が判明した。事情も訊いてきた 」
警部は家族を見回して明るい顔で言った。
「 そっか、ひとりは家で調べたから名前知ってるけどもうひとりは? 」
「 ああ、頼御寺愛美(らいおんじ・まみ)という、女性。私は何回か会ってる 」
「 え、その名前…… 」一助が素早く反応した。
「 ああ、高校生殺しの被害者の恋人よ 」と、警部。
「 それに、女子高生殺しの時には一緒にいたって、確か、第一発見者だ 」
と美紗が言う。
「 ああ、お前たちの言う通りだ、驚きだな。じゃ、五件の事件で四件に関係してるってことだ。警部、どういうことだ? 」
「 もう一点あるんだ 」警部が得意げな顔で言って、
「 その愛美を尾行している男がいたんだ。それが誰だかわかるか? 」と続ける。
「 早く、そんなわかる訳ないじゃん 」数馬がせっかちに言う。
「 寺守正輝なのよ。どう、驚いた? 」
「 え、殺された崎田がニセコへ行った時の添乗員か……でも、なぜ尾行なんか? 」
一心の頭の中に疑問符がいくつも漂う。
「 それが言わないのよ。『別に尾行してた訳じゃない』の一点張りなの 」
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