愛すべき人を愛しましょう

春風ほたる

月並みな日々

 生まれた時から、あるいはその前から人の序列というものはある程度決まっているものらしい。


 その証拠に俺はこの世に生を受けたその時から、いやまあ少なからず自我が芽生えたその時には既に、俺の地位はあの人よりも下だった。


 あの人との喧嘩では必ず俺が敗北を喫し、おそらくだが俺があの人に対して勝ち越している事柄なんて一つも存在しない。


 客観的に見て、俺は出来損ないとかそんな訳じゃないと思う。成績は中の上ぐらいだし、運動もそこそこできる。自分で言うのは恥ずかしいが、顔も悪くない。


 ただあの人が俺の数歩先を行っているというだけの、それだけの話だ。


 そういえばいつだったか忘れたが、幼い頃特有の悪戯心であの人のプリンを勝手に食べたら、後で名前も知らない関節技をきめられたっけ。あれは酷かったなぁ。だってあの人、いくら俺がギブって言って泣いて謝っても止めてくんないんだもん。あの人が満足するその時まで。傍若無人にも程があると思う。その場には母さんもいたのに母さんは何故か止めてくれなかったし。「あらら~、仲良しねぇ~」じゃないのよ母さん、とあの時は思ったね。どう見ても弟である俺涙目になってんじゃん、と。


 俺がいつぞやの惨状を思い出し苦い顔で身震いしていると、まるでタイミングを見計らったかのようにスマホの通知音が鳴った。


 送り主はもう、見る前から分かり切っている。


 相手が相手であるため、未読スルーするわけにもいかず、俺は渋々とカバンからスマホを取り出した。


『あと十分で来なさい。来なかったらあの写真をネットに流すわ』


 全く、あの人は一々脅さないとお願いもできないのだろうか。


 そんなことを思いながら、俺は素早くタップして返信を返した。


『りょ』


 そう送った俺は何気なしに、俺がこんな格好で出歩く羽目になったあの人から送られてきたメッセージに対し、ついでに目を向ける。そこには短くこう書かれていた。


『ここに来なさい。例の恰好で』


 あの人から送られてきたこのメッセージ。例の恰好。それだけで俺は、今からどんな恰好をして外出したらいいのか合点がいった。


 合点がいった……ものの、その格好で出歩かなければならない意味が分からない。俺は決してあの人のラジコンではないため、その後の返信で少しばかりの反骨精神を見せた。


『何故に?』


 そう、これがあの人に対しできる俺の精一杯だ。

 一応そう送ってはみたものの、その後すぐに返ってきたのは無情なまでの一言。


『いいから来なさい』


 これだけだった。

 こうなってしまえば俺は、あの人の命令に逆らうことはできない。もし逆らいでもしたら俺が後で痛い目を見るのは目に見えているからだ。一体どんな目に合わされるか分かったもんじゃない。


 何故俺は男であるのにも関わらず、女であるあの人に力でも敵わないのだろうか。俺は別に非力って訳でもないし。……あの人前世ゴリラなんじゃね?


 そんなことが頭の中によぎりながらも、俺は着々と鏡の前で例の恰好に合うメイクをした。流石にあの格好をしながらすっぴんでは出掛けられない。そんな勇気は俺には無い。


 服が白くて清楚感があるから、透明感はあった方がいいな。とか、ピンク系だけどナチュラルに見えるようにメイクメイクしてない方がいいかな。とか、今回は結構考えながらメイクをした。勿論日がカンカン照りの夏だからということもあり、日焼け止めもきちんと忘れずに塗った。


 正直に言うと、メイクをしている間はちょっと楽しかった。だって久しぶりに自分で考えながらメイクしたし。


 まあそんなこんなでメイクをして、例の恰好に着替え終えて、髪も整えたりなんだりした俺は、最終的には結構いい感じに仕上がったと思う。


 全身隈なく見える姿鏡に映った俺は、正直結構可愛かった。ザ・真夏の少女って感じで。


 自身の姿に満足がいった俺は何度か鏡の前でポーズをとった後、そそくさと「行ってきまーす」と一言言って麦わら帽子を被り外に出た。


 玄関の扉を開けた途端、肌に感じる蒸し暑さ。ムワッとした空気。真夏の外は、思いの外暑かった。


 その時、こういうときワンピースってのは良いな、脚が涼しくて、なんて思ったのはナイショだ。


 目的地に向かって歩いている途中、日傘持ってくりゃ良かったな、と俺は早々に後悔をした。それぐらい真夏の日差しはとにかく暑かった。


 そんなこんなで少し遠回りにはなってしまうが、俺は今商店街の中を歩いている。

だってこっちの方が日陰多いし。気持ち程度しか変わらないとしても、涼しい方に逃げる。それが真夏の人間の習性だと俺は思っている。


 商店街は人目があちこちにあって、正直こっちも避けたかったっちゃ避けたかったが、真夏の日陰には逆らえなかった。真夏の日陰の吸引力は凄まじいと、俺は思うね。


 と、そういやあと十分で目的地に着かにゃならんのか。……結構ギリギリかもな。走って汗かくのも嫌だし、ちょっとだけ急ぎ足で向かうとしますか。


 ――ガッシャーン!


 ん? なんだ?


==========


あわわわわわわ

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