第5話 さやか、はじめての映画鑑賞(ホラー版)

岐阜基地、娯楽室。

休日の夜にしては、やけに人が集まっていた。ホワイトボードには大きな字で「感情学習プログラム:映画鑑賞会」と書かれている。


「……なんでよりによってホラー映画なんですか」

桐生剛が眉間を押さえると、白衣の篠原が不敵に笑った。


「人間の感情を深く学ぶには、恐怖が最適だ。驚愕、緊張、安堵――感情のフルコースが味わえる。データ収集には持ってこいだ」


「データ収集って……私たちはただの被験者ですか」

静香――長瀬一佐が苦笑しながら腕を組んだ。


「おもしろそうじゃないですか! ホラーなんて久しぶりですよ!」

水島莉菜はスナック菓子を抱えたまま、完全にノリノリだ。


「……私も楽しみです」

無表情のまま、さやかが小さく手を挙げた。


海斗――長瀬三佐はちょっとだけ不安を覚えた。AIにホラー映画を見せて大丈夫なのか?



娯楽室の明かりが落ち、大きなスクリーンに古い洋館の映像が映し出される。

雨、雷鳴、軋む扉。ホラー映画の王道の出だしだ。


最初の悲鳴が響いた瞬間――


「うわっ!」

水島がスナックをぶちまけ、桐生は低く舌打ちし、静香はわずかに眉をひそめた。


しかし、さやかだけは真顔でスクリーンを見つめたままだった。


「この幽霊の移動速度は非効率です。逃走経路を予測すれば回避は容易かと」


淡々とした声に、篠原が小さく笑った。「ほらな、冷静だろう」


だが、海斗は気づいた。さやかの手が、ほんの少しだけスカートの端を握っていることに。



二人目の犠牲者が出たところで、水島が半泣きになった。


「ちょ、ちょっと待ってください! この屋根裏のシーン、絶対来ますよね!?」


「……騒がしいな」桐生がぼそりと呟く。


「だって怖いんですもん!」


さやかは依然として無表情だが――


「この人物は、なぜ単独行動を選んだのでしょうか。集団行動の方が合理的です」


そう言いながら、海斗の袖を小さくつまんでいた。



映画が終わると、娯楽室のあちこちから安堵のため息がもれた。


「終わった……心臓に悪い……」

水島が椅子に突っ伏し、桐生は静かに肩を回した。


さやかは立ち上がり、いつもの無表情で一礼した。


「本日はありがとうございました。私は問題ありません」


そのまま無言で部屋を出て行ったので、皆は「さすがAIだな」と感心した。



深夜――


長瀬夫妻の部屋。

ノックの音に海斗が扉を開けると、そこにはさやかが立っていた。


「……一緒に寝てもよろしいでしょうか」


真顔だが、声がほんの少しだけ震えている気がした。


静香と海斗は顔を見合わせ、そして笑って頷いた。


「おいで、さやか」


布団に三人が並んで横になり、さやかは小さく「感情学習データ:安堵……登録しました」と呟いた。



この話を聞いた草薙司令は、なぜか少し誇らしげな顔をして言った。


「怖い時は私のところに来ても良いんだからな」


「司令も一緒に寝たかったんですかー?」

水島がすかさず冷やかす。


「ち、違う! そういう意味ではない!」


部下たちの笑い声の中で、草薙司令はいつもの冷静さを取り戻し、岐阜基地にまた平和な一日が戻ってきた。

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