フォルクマン商会と小さな実習生
カイルが七歳になった年の夏。
ヴァルモット辺境伯の居城は、珍しく穏やかな喧騒に包まれていた。
城の中庭に、長旅の埃を被った頑丈な荷馬車が何台も並び、屈強な護衛たちや、日焼けした商人たちが慌ただしく荷下ろしの準備を進めている。
七都市同盟に拠点を置く、中堅どころのフォルクマン商会。
彼らは、このヴァルモット領で産出される良質な鉄鉱石や薬草を買い付け、代わりに王都や南の国々の品々を卸すために、年に数度この地を訪れる、領にとっては重要な取引相手だった。
カイルは、辺境伯である父レオンの隣に立ち、その商会長を出迎える場に同席していた。
七歳となった彼は、貴族の嗜みとして、こういった公式な場への同席を求められることが増えていた。
もちろん、その内側にいる三十六歳の精神にとっては、退屈極まりない時間でもある。
だが、カイルはこの時間を、生きた情報を得るための絶好の機会と捉えていた。
「辺境伯様、ご無沙汰しております。フォルクマン商会のグスタフと申します。今回も良い品を揃えてまいりました」
隊商の先頭に立っていた男が、深々と頭を下げる。
商会長のグスタフ・フォルクマン。
恰幅のいい、人の良さそうな笑顔を浮かべているが、その瞳の奥には、鋭い商人らしい抜け目のない光が宿っていた。
カイルの父、レオンは、そんな彼を鷹のような鋭い目で見据えながら、重々しく頷いた。
「うむ、グスタフ殿。長旅ご苦労だった。道中の無事を何よりとする」
そのグスタフの隣。
父親の大きな影に隠れるように、しかしその瞳は好奇心に満ちて、まっすぐに前を見据えている一人の少女がいた。
柔らかな栗色の髪を、乱れないようにきっちりとサイドで三つ編みにしている。
大きな蜂蜜色の瞳は、まるで何かを吸収するかのように、城の造りや、父の鎧、兵士たちの立ち姿まで、あらゆるものを観察していた。
彼女こそ、グスタフの娘、クロエ・フォルクマンだった。
歳はカイルと同じ七歳。
服装は、貴族の令嬢が着るような華美なドレスではなく、上質だが動きやすい、実用的な旅装だ。
その小さな手には、使い込まれた革表紙の手帳と羽ペンが握られており、父親と辺境伯の会話を聞きながら、時折何かをさらさらと書き留めている。
彼女は、ただ父親についてきただけの子供ではない。
未来の商会長としての、厳しい実地研修の真っ最中なのだ。
父同士の形式的な挨拶が一段落し、グスタフは誇らしげに娘をカイルの前に押し出した。
「こちらは、我が娘のクロエです。どうしても商売の勉強のために、と聞かなくてな。クロエ、カイル様にご挨拶を」
「クロエ・フォルクマンと申します。カイル様、お見知りおきを」
クロエは、スカートの裾を優雅につまむと、大人顔負けの完璧な淑女の礼(カーテシー)を見せた。
その洗練された所作は、七歳の少女のものとは到底思えない。
その時、初めて二人の視線が、真正面から交差した。
(……同い年のはずだが、マリアとは全く違う種類の人間だな)
カイルの脳裏に、太陽のような幼馴染の顔が浮かぶ。
マリアならば、きっとこんな場では、好奇心のままにあちこち走り回り、父に叱られている頃だろう。
目の前の少女は、その対極にいた。
静かで、理知的で、そして、どこまでも冷静。
カイルは、彼女の蜂蜜色の瞳の奥にある、年齢不相応な落ち着き払った光に、少しだけ驚いていた。
そして、強い興味を抱いた。
彼は、もはや日常の習慣となった【神眼】を、そっと彼女に向けて発動させる。
この、マリアとは違う不思議な少女の「情報」を、もっと知りたい。
ただ、純粋にそう思ったからだった。
【対象:クロエ・フォルクマン】
【種族:人間】
【年齢:7】
【ジョブ:商人見習い Lv.3】
【スキル:鑑定(初級)、交渉術(初級)】
【状態:緊張、強い好奇心】
(商人見習い、か。なるほど、面白い)
カイルは、自分とよく似た「大人びた子供」に、純粋な興味を抱いたのだった。
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