白黒の天秤 ~ヴェルザン、再びの咆哮~
「ミチル。価値審理官の本体が逸れていくよ!」
遠くの空に見えていたルメルがいるはずの本隊が、
明らかに進路を変えた。
「ちっ、奴ら神殿に向かいやがった」
そうならないように派手に動いて見せたが……
一番嫌なところを突かれてしまったな。
ヴェルザンの爺さんが時間稼ぎできるくらい、
回復していたらいいんだが…。
俺は決断を下す。
「本陣は撤退だ。セントリム神殿まで引く」
「里は見捨てるのか?」
リュオがたまらず声を上げる。
風竜たちのざわめきが、山風に混じる。
「神殿を占拠されたら、どの道終わりだ」
その一言に、誰も反論できなかった――。
空が、微かに歪み始める。
胸に、冷たい予感がよぎる。
◇◇◇
風が止んだ。
山道を抜け、神殿を見上げた瞬間――
世界が、まるで書物のページを閉じるように、
静かに終わりを告げた。
空が、音もなく割れた――。
視界のすべてが白と黒の法紋に塗り替えられ、
色が剥ぎ取られるように崩れていく。
息苦しい静寂が、肌を刺す。
吐息すら重い。
「なに……これ……!?」
リサが声を上げた。
その中心に、ひとりの男が立っていた。
白と黒の法衣。
滑らかな仮面。
背には光る“天秤の紋章”。
左右で釣り合うように浮かぶ二つの光球が、
彼の足元を照らす。
『これぞ《秩序の神》の御業――“位相転換”。
混沌を正し、語りを裁く、絶対の秤だ』
低い声が響いた。
それは裁判官の宣告のような冷たさだった。
◇◇◇
「ミチル、どうしよう!
この位相転換、弱点が“本体討伐”しか出てこない!」
ナナの声が震える。
結界は空間ごと神殿を閉ざし、
内外の干渉を完全に遮断していた。
「落ち着け、ナナ。
結界の弱点にこだわらず、思考を広げろ。
例えば――お前が“解術不可能”と言ったこの結界もだ」
「……?」
「《偽りの鏡》。一部でいい。穴を開けろ」
俺の掌から黒い鏡が現れ、空間層を反射する。
瞬く間にひび割れ、砕け散った。
だが――
人が通れるほどの亀裂が、生まれた。
「こうして侵入できる。わかるか?
正解は一つじゃない」
「わかった。やってみる!」
◇◇◇
ミチルは仲間たちを見渡した。
「そして――ミナ。
ここに残って、ドラゴンたちと神殿を防衛してくれ。
いざとなったら隠蔽を使って、お前だけでも逃げるんだ」
「でも――」
ミナはバルガスに追い回され、肝心の足を負傷していた。
「俺は勇者と違う。お前を置き去りにはしない」
「ミチル……」
「ジンはお前のためにゴリラと戦ったりしないだろう?
もう十分、借金返済の働きはしてくれた。
気に病むことはない」
「わかった。
期待されない程度に頑張るわ」
ミナは笑った。
けれど、その声は少しだけ震えていた。
◇◇◇
そして、リサに向き直る。
「リサ。お前には悪いが、最後まで付き合ってもらうぞ。
シルクがいないと、俺は丸裸と変わらないからな」
「皆まで言わなくていい。
お姉さんに任せておきなさい」
「よし――行くぞ!
竜の長老とシルクを助けに!」
◇◇◇
神殿の奥で、古びた鐘が鳴った。
瓦礫を越えたその先――
焦げた鱗と、灼けるような気配を纏った老竜が立っていた。
「……おじいちゃん!」
生贄の儀式により、白龍へと変貌させられたシルク。
その姿は神聖でありながら、どこか痛々しく、
“語り”を剥がされた者の哀しみが滲んでいた。
四肢を神殿から伸びる結晶に拘束され、
生きながら全ての価値を奪い取られているのだ。
――白い鱗が脈打ち、
血の滴る傷口から、淡い光が漏れ出る。
老竜も快癒したわけではない。
片翼は炭化し、角の片方は折れたままだ。
それでも、瞳の炎は消えていなかった。
「……シルク……悪かったな」
「お爺ちゃん……ごめんなさい、
私がもっと強かったら……!」
「謝るな。語りは続いておる。それで十分だ」
ヴェルザンは、黒白の空を睨み上げた。
「――ルメルよ。我ら竜族はまだ終わらぬ!」
白黒の天秤が輝き、
神と竜の意志がぶつかり合う――。
遠くで、ルメルの仮面が静かに微笑んだ。
――戦いの幕が、再び上がる。
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