第39話 怪物

「行ってきます」


 待って。

 そう口にしたいであろう二人の喉からその言葉が出る前に、俺は霧の中に足を踏み入れた。

 一つの形を為す霧を切り裂き、一歩一歩慎重に進む。

 先の見えない恐怖、早く二人を助けたいという焦りが自然と足を進める。

 うるさい心臓を隅に置き、俺は辺りの音に耳を澄ませる。

 唸るように風が鳴き、パラパラと舞う小石の音に混じって……聞こえる。

 霧の中にいる生き物の呼吸、足音が。

 息を潜めて、バレないように……爪先から這うように歩を進める。

 目をガンガンにかっ開き、ピンと耳を立てる。


 ……ここだ。


 俺は体毛に引っ掛けておいた鉄のトゲを口で挟んで取り、前足に持つ。

 手で掴むのと同じように鉄のトゲを握り……静かに跳び上がった。


「……ちう?」


 チュウリンがこちらに気づいたのか、戸惑いの声を漏らす……が、もう遅い。


 霧の中、わずかに揺らぐ影に向けて……


「ぢッ……」


 俺はチュウリンの身体に着地し、落下の勢いを乗せて額に鉄のトゲを突き刺した。

 チュウリンの身体から力が抜け、大の字に広がって地面に腹をついた。


 ……死んだ、だろうか。


 鉄のトゲを持っていない方の前足で自分の口を抑え……鉄のトゲを突き刺したまま手前に引いて背中まで切り裂き……抜いた。

 抜いた拍子に紅い血が飛び散り、腹が軽く濡れる。

 まだ息が残っていたのか、それとも神経の反射によるものか、チュウリンはビクンッと震えた。


 ……急所をつけば、モンスターもすぐ死ぬんだ。

 手を血で濡らしたまま、しばらく動けなかった。

 息を吸うと鉄錆の匂いが奥に刺さり、目を閉じてため息を一つ吐く。


 ……気配はもうないな。


 遅れてチュウリンの身体が光の粒子と化し、自分の身体についた血も光になって吸い込まれていく。

 匂いだけがその場に留まり、俺は目を開けられないでいる。


 ……もう、死体だったかもしれないチュウリンをさらに傷つけた。

 俺……自分のためだったらそういうことできる人間だったんだ……いや、もうモンスター、か。

 ……木の実、持って帰らなきゃ。


 俺は鼻をスンスン鳴らしながら、青臭い匂いがする方に進む。

 チュウリンを倒して数メートル歩いて、前足に何かがぶつかる。


「あった」


 元いた世界のリンゴに瓜二つ、リンガの実を見つけた。

 俺は口を大きく開いて歯を食い込ませ、リンガの実を持ち運ぶ。

 

 周囲に敵の気配はない。


 それを確認してから、俺は来た道を走って引き返した。

 遠くからでも耳を澄ませば聞こえる、苦しそうな二人の息遣い。

 聞いているだけで自分も飲み込まれて沈んでしまいそうな、痛い音。


 耳が良くなっても、いいことばかりじゃないな。


 そんなことを考えていたら、突然視界が白飛びして目がチカチカする。

 すぐに視界は正常を取り戻し、チュウリンの身体を借りて立つガルタと萎んだサクラが見えた。


 もう霧を抜けたのか。霧に突入してからは馬鹿みたいに長かったのに……そう感じていただけか?

 ……はやく、木の実渡さなきゃ。


 俺は地面を強く蹴って跳び、地面を擦ってブレーキする。

 三人固まってるところでちょうど止まり、下の歯を使って前歯に刺したリンガの実を外して地面に置く。


「早く食べろ」

「ウサミ、怪我は……んぐ」

「いいから、さっさと食え」


 俺は両足でリンガの実を掴み、ガルタの口に押し付けた。

 ガルタはそのまま一口齧り、何度か噛んでゴクリと飲み込んだ。

 すると、ドクドクと脈打つガルタの腕の断面が更に強く蠢く。

 ガルタは息を荒くしながら膝をつき、息を整えようと目を閉じる。


「うっ……ぐ……ぁぁ……」


 しばらくして、赤い肉の糸が絡まるように伸び、骨の白が顔を出す。


 俺も、こんな感じで生えてたのかな……気持ちわる……。

 でも……よかった。ちゃんと生えてくれて。


「サクラ……も」


 ガルタはリンガの実を千切ろうと両手を向かい合わせるも、片方の手がないことにハッとして俺の方を見る。


 口をあんぐりさせて目をパッと見開き……いや腕片方ないっていう深刻な状況なのにそんなコミカルな驚き方しないでくれよ。

 ちょっと怖い。

 これから生えるんだろうけどさ。


「生えるまで食べてください、残りを貰いたいっす」

「……ありがとう」



◇◇◇◇◇



 無事木の実を食べ切り、ガルタの腕は元通りに、サクラの呼吸も正常になった。

 ガルタは肘を伸ばしたりして動きを確認してから、サクラの側に寄って声をかける。


「サクラ、大丈夫?」

「はいっす! オイラは欠損はなかったすから……表面の傷と魔素さえ回復すればなんとかなるっすよ」

「そっか……ある意味、サクラは探検隊に向いてるんじゃないかな?」

「へ? 何言って……」

「だって、少しの木の実ですぐ全回復できるし急所だって分かりにくい。それってすごいことだよ!」


 サクラがハッとする。


 確かに、俺やガルタは木の実をほとんどまるまるひとつ食べないと回復しきれないが、骨や肉、血や毛さえないサクラはすぐに回復できる。

 ……どういう身体の構造してるんだろう。普通に意味不明だな。

 モンスターって不思議だ。


「よーし! それじゃあ気を取り直して先にすすもーう!」

「……ガルタ」

「ん? どーしたのウサミ」


 ……言っていいのかと、散々悩んだ。

 もしこう言ったら皆がどんな反応するかとか、全部なんとなく分かる。

 本当はいけないことだ。

 ……やっぱり、言わない方が……いや、言わないと、これは言わないと。

 みんなのため……ううん、自分のために。


「もう……脱出しよう」

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