第12話 絶望の底

「あ、見てくださいよ春香さん! 猫ですよ、猫! こんな絶望の未来になってもやっぱ居るんですね、猫。可愛いなぁ〜。まあでも私、犬派なんですけどね! あはははは!!」


「え、ああ、そ、そうなの……?」


 車を走らせてから、およそ10分。

 真白は助手席の窓から身を乗り出してキャッキャとはしゃいでいた。


「はい! あ、この車って音楽とかかけられないんですか? なんかかけましょうよ! この時代ってどんな歌流行ってるんですか? ノリノリのJ-popとか? それとも一周回って演歌とか!? あはははははは!!」


「ま、真白ちゃん……? 大丈夫?」


 つい先ほどまでメソメソと泣いていた真白の突然の豹変に、春香は心配そうに声をかける。


「はい、私は大丈夫です! さっきはごめんなさい、空気暗くしちゃって……。

 春香さんこそ大丈夫ですか? 竹中さんとか長浜さんとか、ずっとお世話になってた人が亡くなって、住んでた街も無くなって……。

 私で良かったら、いつでも相談乗りますからね! 任せてください、私、お姉ちゃんなので!」


 真白は胸に拳を当てて、えっへんとドヤ顔をする。


「……まあ、じゃあその時がきたらね」


「はい! ……あっ! あのコンビニ、私の村にもあったやつですよ! やっぱ東京にもあるんですねぇ……。まあ家からはちょっと遠かったんですけど、ちょうど学校への通学路の途中にあって、よく帰りに——」





「ぅ、うぉぇ……! お、おぅ、うぇ……」


 真昼だというのに薄暗いとある路地裏にて。

 真白は壁に手をついて蹲りながら、胃の中の全てを吐瀉物として吐き出し続ける。

 何度も、何度も。胃の中が空っぽになってもまだ、何度も何度も。


 春香には、「ずっとあのテロリスト達に拘束されててトイレに行けていないから、ちょっとそこら辺で用を足してくる」と伝えているのでついては来ていないはずだ。

 

「はぁ、はぁ……、ダメだ、もっと、明るくしないと……笑顔、笑顔で……」


 ガンガンと痛みの鳴り響く頭を押さえながら、真白はブツブツと呟く。


「だめ、このままじゃ、春香さんに迷惑かけちゃう……! 春香さんだって、辛いんだ。私が、私が明るくしないと……! 明るく、あかる、く……ぅ、おうぇ……」


 もう、真白の精神は限界に近かった。

 そんな真白のギリギリの精神をすんでのところで繋ぎ止めているのが、春香だった。

 春香の迷惑になりたくない。春香の邪魔になりたくない。その為には、ずっと一緒に居ても楽しい明るい子にならなければ。


「真白ちゃーん? 遅いけど、大丈夫?」


「ッ——!」


 バッと、勢いよく後ろを向く。

 そこには、路地の入り口からひょっこり顔を出して様子を伺っている春香の姿。

 真白は急いで自分の体で地面にへばりついた吐瀉物を隠し、


「はい! 大丈夫です! ごめんなさい、なかなか拭く紙が見つからなくて……。あっ! 勿論ちゃんと拭きましたからね! そこは安心してくださいね! 

 さっ、戻りましょっか! ほら行きましょ行きましょ!」


「え、うわ、ちょ、ちょっと……?」


 真白は、春香に話す隙も与えずにグイグイと両手で春香を押し出し、さっさと路地裏から追い出す。

 アレを春香に見られるわけにはいかない。春香は優しい人だ。きっと心配させてしまう。それはダメだ。

 明るく振る舞うんだ。元気に見せるんだ。そうしたら、全部うまくいくんだ。

 

「聞いてくださいよ春香さん! さっき路地裏にこんなデカい虫いたんですよ! しかも3匹も! やっぱ人の手が入らない所の生き物って巨大化するもんなんですね……。あっ、虫といえばですね、村にいた頃——」


 休む間もなく、ペラペラと真白は口を動かし続ける。そうしていないと、笑顔を保てる自信が無かった。

 ガンガン軋む頭と、絶え間なく鳴り響く耳鳴りで、何を喋っているのか自分でも分からない。それでも口を動かし続けないと、何かが決壊しそうで。


「…………」


 その横で。

 チラリと春香は横目で真白の居た路地裏を盗み見る。

 そこには、真白が撒き散らした吐瀉物が建物の影から僅かながらに見えていた。

 

「…………ッ」


 春香は、罪悪感の籠った顔で目を逸らす。

 春香だって節穴じゃない。真白が今どんな状態なのか、春香にだって分かっていた。

 そう、分かっている。分かっているのに。


「あの……春香、さん? どう、したんですか……?」


 真白が、心配そうに春香の顔を覗き込んでくる。

 春香は、その未だ幼さの残る丸い瞳から逃げるよう、再び目を逸らす。

 そして、


「……いいや、なんでも」


 自身もまた、真白と同じように笑顔を取り繕った。


(……そうだ。決めたんだ。何を犠牲にしても、私は——!)


 踏み出す足を一歩一歩力を込めて。春香は、ギュッと拳を握りしめた。





 次に車が停まったのは、あちこちが錆びて茶色くなっている人気のない廃工場の前だった。

 半開きになっている入り口のシャッターから見える中は真っ暗で、ちょっとしたお化け屋敷のような雰囲気を放っていた。

 

「ここは……? あっ、もしや春香さん秘蔵の秘密基地とかですか!? こういうこともあろうかと用意していたのだ、的な!」


 真白は車を降りながらキョロキョロと辺りを見渡し、春香に問いかける。


「んー……まあ、そんな感じかな? ほら、先入ってて良いよ。私はちょっとこの子の整備してから行くから」


「はい、わかりました! じゃあ、中で待ってますね!」


 ひらひらと手を振りながら車のボンネットを開ける春香に背を向けて、真白はスタスタと工場の入り口まで歩いていく。

 そして、ちょうど胸あたりくらいまで上がった半開きのシャッターを潜ろうと、真白は身を屈める。

 

「……っ」


 覗き込んだシャッターの先は、1m先も見えないほどの暗闇だった。

 真白の脳内に、真っ暗な部屋で行われた翠からの拷問が勢いよくフラッシュバックしてくる。


「う、うぅ……!」


 ガンガンと頭がかち割れるような痛みと眩暈が真白を襲い、ついその場に座り込んでしまった。

 それでも、なんとか後ろにいる春香にバレないよう急いで取り繕い、すぐに立ち上がる。

 チラリと後ろを見てみれば、春香はボンネットの中を弄るのに夢中で真白の方を見ていない様子だった。


「ふう、落ち着け……笑顔、笑顔……」


 真白は大きく息を吸って吐き、再び笑顔を顔に貼り付ける。

 そして真白は、真っ暗な廃工場の中へと足を進めた。

 その中は、


「ん……? 何もない?」


 暗くてよく見えないが、思ったよりも片付いている。いや、そんなレベルじゃなく物が無い。

 あの散らかったガレージのような場所を想像していた分、なんだか肩透かしを食らった気分だ。いやまあ片付いてる分には良い事ではあるのだが、また春香の作った機械を見たかったというのも少なからず本音だった。


 本当にただの緊急時の一時避難場所、というだけ普段使い等はしていないのだろうか。

 まあ外から見た限りかなり大きな工場だと思われるので、入り口だけ片付いてて奥の方は相変わらず、という可能性も全然あるのだが。

 真白は目を細めながら、暗い工場の中を歩き続ける。


 すると突然、


「うわっ!」


 パッと眩い光が真白を襲い、つい反射的に真白は両手を前にかざして目を瞑ってしまう。

 電気がついたような様子では無かった。それよりも、強めの懐中電灯を真正面から浴びせられたような——


「貴女が花咲真白さん、ですね?」


「え?」


 強い光のその向こうに、1人の長身の男性が立っていた。

 男は黒スーツにオールバックとメガネという、理知的な様子で真白を値踏みするように見つめる。

 

「あ、あなたは……?」


「申し遅れましたね。僕は神山かみやまみつる。政府直属の警察機関ハウンドにて二番隊の隊長を務めさせてもらっています。お見知りおきを」


「えっ、ハ、ハウンド……!?」


 真白はその名を聞くや否や、真っ先に後ろを向いて一目散に走り出す。

 どうしてここにハウンドが? まさか先回りされたのか? とにかく早く春香と合流しなければ。


「人が話してる途中なのに帰るって、何考えてるわけ? やっぱダメだね、マトモな教育すら受けてない病原菌は」


「え——? うわっ!?」


 振り向くと、真後ろから蛍光色の赤白いビームが真白の体を焼き払おうとマグマのような熱量で向かってきていた。

 真白は咄嗟に体を横に倒して転がり込み、間一髪で直撃を回避する。

 この攻撃、そしてあの口調。間違いない、あそこに居るのは——


「アイツ、渋谷の……!」


「はあ。相変わらずちょこまか動くね、君。それ以外取り柄ないの?」


 倒れ込む真白を見下すように立っていたのは、真っ赤なモールドの光る黒色のロボット。渋谷で真白たちを追い詰めた、四番隊のリーダーその機体だった。

 手に持ったライフル型の銃口から、眩いウェポンライトが真白を照らす。

 気がつけば、真白を取り囲むように無数のレイドロイドとタマムシがライトを真白へ向けていた。

 どうやら先ほどからのこの光は、これが原因らしかった。


「……橋野はしの君。勝手な行動や発言は慎んでもらいたい。君はもう隊長では無いんだ。その自覚が足りないようでは些か困る」


 神山が呆れたようにメガネの位置を直しながら黒いロボットに向け苦言を呈す。


「はぁ? 神山、お前誰に向かって口聞いてるわけ? この女の情報、誰のおかげで入手出来たのか、もう忘れたって言うの? 思い上がりも程々にしといた方が良いよ? アンタが昇級したのは全部僕のおかげだってことをもっと自覚したら? 第一お前は——」


「……橋野君。同じことを二度は言わせないでほしい。——黙れ」


「っ——!」


 神山のまるで屍に群がるハエでも見るかのような冷たい視線に、橋野は思わずコックピットの中で後ずさる。

 辺りに、ピンと張り詰めるような緊張感が走った。

 だが、真白にとってそれはチャンスと変わりなかった。橋野含め、ハウンドたちが固まっている今こそ、逃げるチャンスだと。


 真白は倒れ込んだ体勢からゆっくりと姿勢を変え、クラウチングスタートの形をとる。このまま敵同士で歪みあってる間に一気に走り去れるように。

 真白は辺りを俯瞰してタイミングを見計らう。

 もう少し……もう少し……! だがその時、何者かの気配が真白の背後に現れた。

 驚き、パッと振り返ると、そこに居たのら無表情で佇む春香だった。


「春香さん……! だ、だめです来ちゃ! 逃げましょう、先回りされてました! ここは危険です!」


 真白は一目散に春香の元へ駆け寄り、その手を引いこうと春香の右手に触れる。

 だが、真白はすぐに違和感を覚えて触れた手を引っ込めてしまった。春香の手には、渋谷で使っていたあのビームピストルが握られていた。


「……いや、大丈夫だよ」


「え?」


 春香の言葉に、真白はつい呆気に取られる。


「え、だ、大丈夫って……そんなわけ無いじゃないですか!? 私たちを追いかけてきたんですよ!? もしかしたら、し、渋谷の復讐に来たのかもしれ——」


 捲し立てる真白を黙らせたのは、カチャ、と音を立て無言で向けられた銃口だった。


「え——? は、はるかさ……なにを——」


 春香の行動が理解できずに、真白は後退りをしながらしどろもどろに問いかける。

 だが、春香は何も答えない。ただ無言で、銃口を真白に向けたまま、動こうとしなかった。


「は、春香さん……? そ、そんな冗談やってる暇ないんですよ……? ほら、早く車に戻りましょう? あの車なら逃げられますって。ねえ、春香さん、何か答えて——」


 そう必死に語りかける真白を、スピーカー越しに聞こえてくる高らかな笑い声が遮った。


「あははは! 君、まだ気づかないわけぇ? お前はなぁ、売られたんだよ。その女にな!」


 声の主は橋野だった。

 ロボットのアーマー越しからでも伝わるそろ嘲笑に、ピクリと真白の眉がひりつく。


「……何言ってるわけ? 春香さんはそんな人じゃない! 何も知らないくせに春香さんを悪く言わないで!! 

 ね、春香さん、冗談ですよね? もう、人が悪いなぁ。早く逃げましょう? 春香さんなら、もっと安全な場所知ってますよね? ほ、ほら早く行きましょうよ? 

 ね、春香さん……!」


 真白は優しく春香に語りかけ、拳銃を突きつけてくる春香の右手を自身の両手で包み込みながら微笑みかける。

 だが、


「……冗談なんかじゃないよ」


「————え?」


 パシッ、と春香は真白の手を冷たく払い除ける。

 そんなに力の入った行為では無かった。だが、この未来にやってきてからのどんな怪我よりも、真白は痛みを感じていた。

 なぜ? どうして? 頭の中がぐるぐるこんがらがる。


「私は……ここでハウンドの連中が待ち構えていることを、知っていた。知っていて、私はここに真白ちゃんを連れてきた。その意味、わかるよね?」


「え、え……? 知ってた、って……な、なんで、そんなこと……」


 絞り出した声は震えきっていて、ドクドクと鳴り響く心臓の鼓動と連動して身体中から脂汗が溢れ出してくる。


「何でって……、一つだよ。ここまでしてまだ分からないの?」


「わかんない……わかんない、わかんない、わかんないよ!」


 淡々と無表情で告げる春香とは正反対に、真白は声を荒げる。

 嘘だ。本当は分かっていた。ただ、認めたくなかった。これを認めてしまったら、ギリギリの所で繋ぎ止めている真白の心が、帰ってこれなくなる。

 

「……そう。じゃあ私が言ってあげる」


「ダメ……ダメ、やめて……」


 真白はペタリとその場に座り込み、震える手で両耳を押さえつける。


「私は——」


「嫌だ! やめてよ! 言わないでってよ!!」


 まるで幼い子供のように、真白は喚き散らす。

 それを見た春香は少し目線を落とし、顔を歪めてから、



「……私は、ハウンドと繋がっている。真白ちゃん、貴女を騙していたんだよ」



 その瞬間。プツリと、真白を引き留めていた細い糸が、引きちぎられた。

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