【近未来シミュレーション小説】シックス・デイズ・テンペスト〜2036年日中開戦〜

実相寺振人

第1話 2026年10月

問題は「カメラをどこに置くか」ということさ。たとえ同じ被写体を映すとしても、ロングショットかアップショットか、たったそれだけの違いで悲劇としても喜劇としても描くことができる。そして、ここでもっと重要なことは、僕ら観客の側が「何を見るか」と同じくらい「どう見るか」を問われている、ということなんだ。

                  ――チャールズ・スペンサー・チャップリン



「秋はすっかり消えてしまった」そんな言葉が飛び交うようになって既にどれくらいの年月が過ぎただろうか。ともあれ10月ともなれば、夏と変わらぬ暑い日差しの中にも一陣の涼しげな風が交じるようになる。2026年の夏は、物価高とエネルギー危機、そして“戦争の足音”の噂で常にざわめいていた。


東京霞が関。環境庁の庁舎の正門をスラリとしたタイトなスーツに身を包んだ一人の男がくぐり去った。竹頭葵たけとうあおい。43歳。前職は探偵。さらに前々職はゲームデザイナー。現在は歴史解説YouTuberとして活動しながらアジアハコガメ専門のブリーダー業も行っている。


竹頭はやや急いだ足取りで近場のカフェへと入っていった。愛人の三尾陽子みつおはることの待ち合わせ場所だ。若干であるが、もう時間は過ぎている。


「5分の遅刻ね。葵」


「いや、まだ4分45秒さ」


三尾は36歳。職業は弁護士であった。いわゆる人権派弁護士というやつである。元来、竹頭と三尾は思想的にあまり反りが合わなかった。しかし、それは別にして、二人は時に敵として、時に仲間として法廷の場で向き合い続けた腐れ縁の仲である。そして何より、二人は身体の相性が良い。


「で、どうだったの?プレゼンの方は」


「ナシのつぶてってやつさ、役人連中ときたら、ロクにものも知らない癖に、頭が固すぎるよ」


「じゃあヤエヤマセマルは…」


「”天然記念物だから””絶滅危惧種だから”の一点張りさ。いや二点かな。希少種だからこそ、商業ベースでの民間繁殖が”種の保存”につながると資料まで作ってプレゼンしたのに…」


「そう…。残念ね。で、取扱業の方は?」


竹頭は肩をすくめてみせた。


「そう、そっちも」


「ああ…。”国会審議を経て決まったことだから”の一点張りさ。それどころか連中、”ホワイトリスト方式とブラックリスト方式”というワードにすらピンときてない様子だったぜ…。よくあれで役人が務まるもんだ…」


「全く連中ときたら、何がしたいのか全くわからんぜ。奴らがやりたいのは生物多様性の確保なのか、動物愛護なのか、それとも利権の確保なのか…。そもそも国会審議がどうたらとか言っても、馬鹿げた人気取りしか頭にない議員どもが一体何を理解しているというのか…」


竹頭の口調がやや刺々しくなっていることに三尾は気付いた。


「そんなに気を落とさないでよ。葵。今日のコーヒー代は私が奢るから」


「そんなもんよりよ、陽子…」


竹頭は握り拳を作ると、人差し指と中指の間に親指を挟んで突き出した。


「今晩これ、どうする?」


「ごめんなさい。今晩はトー横の見回りに行く予定があるの」


「チッ…。またトー横かよ…。いいか陽子、アイツらは単に甘えてるだけなんだ。第一、好きな時にトー横に集まれるってだけで、一体どれだけ日本の一般的ティーンエイジャーと比べて恵まれているか…」


そういう竹頭の脳裏には、もう20年以上帰っていない近畿地方の田舎の風景が浮かんでいた。


「でも、だからといって放っておくことはできない。そうやって大人が言い訳を述べている間にも搾取や性被害に遭う少女たちがいる」


「お前はいつもそうだよな…。で、墓参りには行くんだろ?」


「当然よ。そのために来たんじゃない」


「もう3回忌か…。といっても、正確な死亡日時は……」


樋田秀次ひだしゅうじ。彼はもともと竹頭と泥沼の訴訟合戦を繰り広げていた敵同士であった。


だが竹頭は樋田と向き合い続ける中で、彼が実はとある宗教教団に囚われた被害者なのではないか、との確信を強めていった。そして訴訟は継続しつつも、他方で彼を教団から奪回するための策を三尾とともに講じていた。


だが、そんな最中、突如として樋田は帰らぬ人となった。


「自動車による滑落事故。死因は溺死」


公式の捜査結果はこれであった。だが竹頭は、内心それに納得してはいなかった。


樋田が死んで数日後、樋田の親族に呼ばれ、竹頭は彼のマンションへと向かった。


「竹頭さん。他に引き取ってくれる人もいないので、彼らを頼みます。あなたの審美眼であれば価値はわかるはずだ」


明らかに樋田の筆跡とわかるその手紙とともに残されていたのは、セマルハコガメを始めとする数種類の種親と、まだハッチしていない孵卵器に残された卵、そして膨大な資料と繁殖レポートであった。


「竹頭さん。実はあなたのことを僕の従業員として雇っていました。これが雇用契約書です。ここにサインと、印鑑を押してください。あとこれが1年分の給料です。これと、資料とレポートで、あなたは取扱業を取得できます」


「こんなに…」


封筒には、かなりまとまった額の札束が入っていた。


「なんでこんなものを、奴は取っておいたんだ?」


その瞬間、竹頭の頭の中でシュワシュワと炭酸が弾けるような感覚がした。


「これは…。もしや……」


と、竹頭が当時の記憶に浸っていると、突如として二人のスマホが同時に振動し始めた。


「何だろう?ニュース速報?」


「破瓜市総理が、衆院解散だとさ」


破瓜市敏絵はかいちはやえ。憲政史上初の女性内閣総理大臣である。彼女は昨年手淫党総裁、そして内閣総理大臣に任命されていたが、史上初の女性ということもあり、未だにご祝儀報道が続いていた。それに伴って内閣、手淫党ともに高支持率をキープしている。これを好機に、政権の地盤固めとして衆院解散に踏み切ったのだろう。


「争点は、経済対策と安全保障ですって」


「経済対策ね。よう言うわ。あの世紀の愚策”アホノミクス”の片棒を担いでこの国の没落を決定的なものにした張本人のくせに…」


「憲法改正は、あるのかな…」


三尾の言葉に、竹頭は返答しなかった。


竹頭は元々強固な改憲論者であった。しかしながら、最近ではすっかりその改憲論を表に出すことはなくなった。彼ほどの知性の持ち主でなくとも、改憲勢力の背後に米国の影を見て取ることはさほど難しくなかったからだ。


「さあ、そろそろ行くか。お互い忙しいし。だろ?」

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