【葬儀業界お仕事恋愛短編小説】メモリアル・ブリッジ、あるいはVRとお線香 ~記憶を繋ぐ最後の約束~(約16,000字)
藍埜佑(あいのたすく)
序章:二つのレクイエム
その日、京都の空は鉛色だった。
古い町家が軒を連ねる西陣の一角。しんと静まり返ったその場所に、老舗葬儀社「
僕は
僕は今、白の浄衣に身を包み、一つの魂を送るための
湯灌は、もともと仏教の「無常」を受け入れるための儀式だ。
すべては移ろい、変化し、やがて消えていく。その真理を静かに受け入れるための大切なプロセスなのだ。久遠の社では神道の要素も取り入れている。これは、明治の神仏分離令以前から続く、この土地独特の混合様式だった。
「菫、湯の温度は?」
手伝いに来た母の声が響く。
「三十八度です。人肌より少し温かく」
僕にとって葬儀とは、遺された家族の悲しみを癒し、故人の生きた物語を荘厳に締めくくるための神聖な儀式だった。それは効率や合理性とは最も遠い場所にある、手仕事の世界。
父は、僕が十歳の時に亡くなった。
その時の葬儀を執り行ったのは祖父だった。祖父の手による父の湯灌を見ていた僕は、その神聖な所作に心を奪われた。悲しみに暮れる母を支え、父の旅立ちを荘厳に見送る祖父の姿は、僕にとって神様のように見えた。
だが、現実は厳しかった。時代は急速に変化し、伝統的な葬儀への需要は年々減少している。人々は簡素な葬儀を求め、費用を抑えることを最優先にする。
「また今月も赤字……」
母のため息が境内に響いた。
◆
その頃、七百キロ離れた東京。ガラス張りの高層オフィスの一室で、
「あかりさん、また新規契約が十件入りました!」
部下の声が響く。
彼女が三年前に立ち上げた株式会社「ラスト・リゾート」。それは旧態依然とした葬儀業界に、ITの力で革命を起こすスタートアップだった。
火葬場の空き状況をリアルタイムでマッチングさせ、遺体の搬送から安置、そして火葬の予約までを、アプリ一つで完結させる。彼女が運営する「遺体ホテル」は、都心で急増する「火葬待ち」の遺族たちの駆け込み寺となっていた。
あかりにとって葬儀とは、遺族の物理的、精神的、そして金銭的な負担を最小限にするための効率的なロジスティクス。そこにはウェットな感傷の入り込む余地はなかった。
「でも、VRアーカイブの完成度がまだ低いという苦情も増えています」
CTOの田中が報告する。
「データ不足の案件が多すぎるのよ。特に高齢者の単身世帯は写真も少ないし、SNSの履歴もない」
あかりが起業したきっかけは、祖母の死だった。
五年前の夏、一人暮らしの祖母が熱中症で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀社に連絡すると、担当者は型通りの営業トークを繰り返すばかり。
「お祖母様のためですから」
その言葉で、あかりは百五十万円の葬儀プランを押し切られた。しかし、実際の葬儀は心のこもらない流れ作業でしかなかった。
祖母の葬儀の後、あかりは祖母の遺品を整理していて、古いハガキの束を見つけた。京都の風景が描かれたハガキに、達筆で「いつか必ず京都でお会いしましょう」と書かれていた。送り主は「治」とだけ記されている。
祖母は生前、よく「京都に行きたい」と呟いていたが、結局一度も行くことはなかった。
◆
その対照的な二人の元に、同じ日の同じ時刻に一本の電話が入った。警視庁の遺失物管理センターからだった。
身寄りのない老人が東京のアパートで孤独に亡くなり、その枕元に一冊のエンディング・ノートが残されていたと。そして、そのノートにはこう記されていた。
『――僕の最後の思い出は東京のラスト・リゾートのVRの中に。そして僕の最後の祈りは京都の久遠の社に。二つの心が出会うことを僕は知っている』
さらに興味深いことに、故人の部屋からは新聞の切り抜きが大量に見つかった。ラスト・リゾートの業界進出を報じる記事、久遠の社が伝統技術を継承する職人として紹介された地方紙の記事。几帳面にファイルされ、赤ペンで線が引かれている。
故人・高橋治は、確実に菫とあかりの存在を知っていたのだ。
◆
数日後。霞が関の公証役場で、僕とあかりは初めて顔を合わせた。
現れた彼女は、僕の想像よりもずっと若く、そして美しい女性だった。ダークグレーのスーツに身を包み、髪をきっちりとまとめている。しかし、その瞳はまるで凍てついた湖面のように静かで冷たかった。
「……ああ、あなたが、あの死のファストフード店の……」
僕が皮肉を込めて言うと、彼女もまた冷ややかに言い返した。
「あなたが、あの時代錯誤な儀式屋さんね」
そんな僕たちのやり取りを見て、公証人が苦笑いを浮かべた。
「お二人とも、まずはお座りください。故人の遺志を尊重することが最優先です」
水と油。
伝統と革新。
京都のアナログと東京のデジタル。
決して交わるはずのなかった二つの弔いが、一人の老人の奇妙な遺言によって、今、不思議な形で交差しようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます