第2話 まさかの求婚
それから数日後。ついに天族の使者が村の視察へとやってきた。
視察と言っても、主要な場所を見学し、村長の家でほんの少し話をするだけの短いもの。それでも村の者たちは大いに湧いていた。
天族は人間よりもずっと高貴な存在として扱われ、中には崇拝に似た感情を持つ者も少なくない。
決して軽々しく近寄ったりはしないが、遠巻きにその姿を見ようとする者は何人もいた。
そんな村をあげての騒ぎとなっている中、イズは一人、ドブ川の掃除をやっていた。
シャノンが、天族の姿など見せてやるものかという意地の悪さから、そんな命令をしたためである。
しかも、コッソリ仕事をサボって見にくるなんてことのないよう、視察の場所や時間について嘘を教えるという念の入りようだった。
だが、結果としてそれは失敗だった。
そもそも、イズが天族を見るのを阻止するには、近づくなと命令するだけで十分だった。
それだけで、イズは間違ってもそばには寄らなかっただろう。
なのに余計な仕事を押し付け、視察の場所や時間について嘘を教えていたのがまずかった。
そんな意地悪をしなければ、これからの出来事は、決して起こり得なかっただろう。
ドブ川の掃除をし、すっかり泥だらけになったイズは、着替えるため村長の家に戻ってきた。
(シャノン様。きっと今頃、天族の方を見に村の方に行っているわよね。よかった。こんな格好を見られたらまた何か言われるかもしれないもの)
そんなことを思いながら、玄関を通り広間に入る。その瞬間、イズは凍りついたように固まった。
「…………えっ?」
そこにいたのは、滅多に着ない上等な服で着飾る村長一家。そして、背中に羽のついた、美しい身なりの一団がいた。どこからどう見ても、天族の者たちだ。
美しいのは身なりだけではない。誰もが端正な顔立ちをしていて、目にした瞬間、思わず見とれてしまう。
だがその直後、村長の怒声がとんできた。
「こ、こら、イズ! 貴様、何をしている!」
「も、申し訳ございません!」
咄嗟に膝をついて平伏する。おかげで床が汚れてしまったが、そんなことを考える余裕もなかった。
なにしろ今の彼女は、ボロボロの服を身にまとい、顔まで泥だらけだ。
とても人様に顔を出せる状態ではなく、しかも相手が相手だ。
(この人たち、天族の視察団の方々ですよね。この時間だと別の場所にいるはずなのに、なんで!?)
シャノンの企みなどまるで知らないイズには、わけがわからない。そのシャノンも、こうなるとは思ってもみなかっただろう。
一瞬、驚愕の表情を浮かべ、それから鋭い目で睨みつけてくる。
(シャノン様、怒ってる。天族の方々の前でこんな無礼を働いたんだから、無理もないけど)
これは、いつものように叱られるだけではすまないかもしれない。
イズはもう、生きた心地がしなかった。
動揺しているのは村長も同じだ。ここで天族の怒りを買っては、彼も立場が悪くなる。
「申し訳ございません。とんだお目汚しを。すぐに下がらせますので! こら、イズ! さっさと出て行かんか!」
「は、はい!」
慌てて立ち上がり、言われた通りすぐさま出ていこうとするイズ。
だが広間の戸に手をかけたその時、再び後ろから声が飛ぶ。
「待ちなさい!」
「えっ?────は、はい」
本当は一目散に逃げ出したいところだが、呼び止められたとなるとそうはいかない。
恐る恐る振り返ると、声をあげたのは、天族の一団の中心にいる人物。年齢こそ、最も若く青年と呼んでいいくらいだが、身なりや周りの様子からして、一番地位の高い人物のように思えた。
さらに言うと、その顔立ちは他の天族の者と比べても、眉目秀麗。そんな人が目を丸くしながら、何度もまじまじとイズの姿を眺めていた。
これだけの美形にじっくりと見られているのだから、状況しだいでは、照れて頬を赤く染めるところかもしれない。
しかし、今のイズはそれどころではない。頬を染めるどころか、顔全体が真っ青だ。
(ど、どうしよう。きっと、不快に思われたんだわ。もしかすると、この銀色の髪も原因かもしれない。すぐに謝らないと。でも、ただごめんなさいと言うだけじゃ許してもらえないかも)
震えながら、何を言われるのかとビクビクしながら次の言葉を待つ。
そんなイズを見ながら、彼の口がゆっくりと開かれる。
「君、名前は?」
「────えっ?」
「どうか、名前を教えてくれないかな」
どうして名前など聞くのだろう。
そう思ったイズだが、聞かれたからには言わないわけにはいかない。
「は、はい。イズです。イズ=ローレンスと申します」
「イズか。いい名だね。ローレンスというと村長と同じだけど、親戚なのかい?」
「あっ……」
ついうっかり名乗ってしまったが、もしかすると失敗だったかもしれない。
彼が怒っているのなら、自分だけでなく、一応形の上では家族である村長一家も罰を受けるかもしれない。
村長もそう思ったのか、噛みつかんばかりの形相でイズを睨んでから、天族の青年へと頭を下げた。
「も、申し訳ありません。この娘、たしかに私の親戚なのですが、育ちが悪くろくに教養もない粗忽者にございます。無礼を働いたこと、どうかご容赦を」
ひたすらに謝る村長。
普段は周りに威張り散らしてばかりいる彼だが、だからこそ自分より地位が高い者に対してはとことんへりくだる。
しかし青年は、まるでそんな村長など見えていないように、イズだけを見ていた。
「イズ。その格好を非礼と思っているなら、どうか気にしないでくれ。私の方こそ、呼び止めて悪かったね」
「い、いえ。そんな。あ、あの……失礼します!」
どうやら、怒っているわけではないらしい。
ならば、これ以上ここにいることもない。さらなる粗相をして本当に怒らせてしまっては、元も子もないのだから。
そうして広間から出ていったイズは、屋敷の隅にある自分の部屋に入っていく。
部屋と言っても、元々は物置として使っていたような粗末な場所で、イズの私物と呼べるようなものは何もない。
そこでただじっとしながら、天族の者たちが帰るのを待った。
うっかり出ていって、さっきみたいな失敗をしないよう気を張りながら。
間もなくして天族の一団は引き上げていき、村長もそれについて行く。
その後は、思った通りシャノンやその母親にこっぴどく怒られた。
アンタのせいで恥をかいた。もしも我が家が悪く思われたらどうするつもりだったのかと。
そもそもシャノンがイズに嘘の視察時間を教えなければあのようなことにはならなかったが、彼女の中では自分に一切の非はなく、全てイズが悪いということになっているらしい。
「お父様が帰ってきたら、とびきり重い罰を与えてやらないとね」
村長は、これからもしばらくは天族の視察団について行くので、帰ってくるのは夜になるだろう。
シャノンの言葉。それに、先ほどの怒りの形相を思うと、帰ってきた時いったい何を言われるか。もしかすると、以前やられたように、人には見えないところに痣を作る程度の折檻は受けるかもしれない。
そんな想像しただけで、イズは震えが止まらなかった。
そして、その夜。
村長は帰ってくるなり、屋敷中に聞こえるような大声で怒鳴り散らした。
「お前たち。すぐに広間に来るんだ! イズもつれて来い!」
「おかえりなさいませお父様。イズならここにいますわよ」
シャノンとその母親。それに、シャノンに連れられ、イズもやって来る。
村長のあまりの剣幕に、イズは、やはり怒鳴られるだけではすまないと覚悟する。
だが、次に村長の口から出てきたのは、意外な言葉だった。
「天族の視察団の、長の方から言われた。我が家の娘に一目惚れした。ぜひ婚約者として迎えたいとな」
「────えっ?」
驚きの声をあげたのは、誰だっただろう。
それから少しの間沈黙が降りたかと思うと、急にシャノンが声をあげる。
「こ、婚約者って、天族様と結婚できるってこと!?」
「…………そうだ」
「我が家の娘ってことは、もちろん私よね。天族様と結婚できるなんて。夢みたい!」
よほど嬉しかったのだろう。
何度も声をあげて喜ぶシャノンは、有頂天と言ってよかった。
これには、イズも驚いた。だが、同時に違和感もあった。
天族に見初められるなど、この上なく光栄なこと。きっと、村長だってそう思っているはず。
なのに彼は少しも嬉しそうではなく、むしろ怒りに震えているようですらあった。
いったいなぜ?
そんな疑問に答えるかのように、村長が再び口を開く。
「…………違う。シャノン、お前じゃない」
「えっ?」
その瞬間、あれほど騒いでいたシャノンの声が、ピタリ止まる。
そして村長は、イズを指さし、言った。
「お前だ、イズ! 望んでいた婚約者は、お前なんだよ!」
その瞬間、イズはその場にいる全員から、これまでにない激しい怒りを向けられた気がした。
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