第2話 その姿は龍

 意識が覚醒すると、全身を通して伝わってきたのは体を包み込むフカフカ感。

 その気持ちよさは朔太の家のベッドを遥かに凌駕している。

 鼻から吸い込まれる空気には微かにフローラルな香りが含まれていて、それもまた心地よい。

 閉じた目の先から光が存在を主張してきており、その光に従うようにゆっくりと目を開く。

 まず視界に映ったのは豪華絢爛と言わんばかりの装飾品の数々。

 遅れて自分が巨大な天蓋付きのベッドの上にいることに気づく。

 どうやらそれら装飾品は、朔太を中心としてベッドを飾り付けるように取り付けられているようだった。

 目線を右に向けると大きなガラス窓から光が差し込んで来ていた。

 どうやらこの窓から差し込む光に目が覚めたらしい。

 その窓から外を覗き込んでみると────でっけぇドラゴンが空を飛んでいた。



 目に映る光景は明らかにフィクション。

 ノンフィクションが嫌で死にたいと言った朔太に、最後に神様が見せた幻覚なのだろうか。

 そういえば意識を失う前に天使のような少女が、なにやら意味の分からないことを言っていた。

 あの少女が神様なのだとしたら、その発想にも一定の説得力が増すが……。


「流石に笑えないって」


 だが幻覚だと考えるには、光の眩しさも、花の匂いも、ベッドの心地よさも、全てがあまりにもリアルすぎた。

 これが幻覚なのだとすれば、これまで生きてきた二十年間も何もかも信じられなくなりそうだ。


「ドッキリ……ならドラゴン何て用意出来る訳ないし。いや、だってあれ本物のドラゴン……だよな。死後の世界だとしても死んだ記憶は無い」


 独り言を言いながら思考を整理していく。

 誰かと会話が出来ない朔太には、独り言を言う悲しい癖が付いていた。


「やっぱりあの天使のような子が原因なのか?」 


 突然現れたかと思えば、輪廻なんちゃらだの意味不明な事を言われて、気付けばこの有り様だ。

 思い出しても朔太にはさっぱりと理解できない。


「そもそも起こった出来事に繋がりがなさすぎるんだよな。知らないアニメの第一話を繋ぎ見しているみたいだ」


 昼に会社を辞めたら天使に出会ってそのまま意識を失い気づけばドラゴンのいる世界。

 自分で考えても気が狂ったとしか思えない程に状況が変化している。


「とくればやっぱり状況を掴むためにも色々と情報を集めるべきか」


 情報の不足が深刻すぎて、現状では何を考えても想像の域を出なかった。


「ひとまずこれが幻覚か、あるいはそうじゃないのかくらいはハッキリとさせないとな」


 ある程度思考が纏まった所で、ひとまずベッドから降りようと体を横に向け……そこで一人の女性と朔太の目がバッチリと合った。


「あ、あのっ…、何か私を試しているのでしょうか?」


 そこにいたのは、赤と金色を基調としたチャイナドレスのようなものを身につける女性。

 髪型も何処かでみたようなお団子ヘアーだ。

 困惑した表情を浮かべ、落ち着かない様子でこちらを見ている。

 一体全体彼女が誰なのか、いつからいたのか、ここは何処なのか、今は何時何分何秒なのか、そんなことは朔太にはどうでもよかった。

 ただそこに人がいたという事実が、朔太の全ての思考をストップさせる。

 仮にもコミュニケーション能力で人生に絶望した経験のある男だ。

 一人だと思っていた空間に実は人がいた、それもすぐ傍に……。

 そんな場面に遭遇してマトモに対応など出来る訳がないのだ。

 それ故に朔太が取った行動、それはただひたすらに石のように固まり、この状況が過ぎ去るのを待つことであった。

 つまり現実逃避に他ならない。


「………」


「そのっ、何か粗相をしてしまったのなら謝罪します」


 見つめ合って数秒間、突然頭を下げられた。

 それに対しても朔太は無言で応じる。

 心には分厚いコンクリートの壁が貼られていた。


「…………」


「それとも何処か私に気に入らない点でもありましたでしょうか?」


「……………………」


「お、お許しください。まだ至らぬ私では何が問題なのか、おっしゃってくれなければ分からないのです」


「…………………………」


「せ、せめて何かヒントだけでもいただければっ!」


「………………………………」


「そんな……、私、私まだ死にたくない……」


「……………………………………」

 

 ひたすらに無言を貫き、無機物かのようになる朔太に、女は一人で勝手に焦っていく。

 だがそれでもなお無言を貫く朔太を見て、遂に女は泣き出してしまった。

 人生で女性に泣かれた経験など数えるまでもなく無い朔太にとって、この状況は完全に未知の世界だった。

 けれども泣いている女の子をそのままにする罪悪感に耐えきれず、何とか慰めようと声を出す。


「あ……その……だいじょ──」


「何事でございますか?」


 しかし勇気を振り絞って出した朔太の蚊の鳴くような声は、部屋の正面のドアが開かれる音にかき消された。

 現れたのは頭頂部の少し禿げた初老の男性。

 その背丈は子どものように小さいが、横幅はかなり立派でアンバランスな印象を受ける。


「またでございますか……。あまり何度も繰り返されては、坊っちゃんのお世話係がいなくなってしまいます」


 新たに現れた初老の男性は、何故か落胆した表情を顔に浮かべながら、泣いている女の肩に手を置く。


「この者は新しい使用人のメイリィでございます。先日の使用人は例の件で既に使い物にならなくなってしまいましたので……。そう何度も駄目にされるようでは、代わりもいなくなってしまいます。坊っちゃんもこの爺にお世話されたくはないでしょう」


「…………」


 一体彼は何の話をしているのだろうか?そもそもこの初老の男と朔太は面識のない筈だ。

 何にせよ初対面の相手に喋ることができなくなるのは、いつものパターンである。


「ふぅむ、メイリィや、今日の坊ちゃまは随分と機嫌が悪いようだ。お主一体何をしでかしたのだ」


「わ、分からないのです……」


「会話すらなさらないとは、ここまで不機嫌な所をワシも見るのは初めてだ。いつもなら不機嫌な時は相応の態度に表すお方なのだが……。これではワシもそなたを庇ってはやれんかも知れんな」


「そんな……」


 朔太を置き去りにしたまま、勝手に会話が進んでいく。

 口は災いの元という言葉があるが、逆に喋らない事でどんどんと不味い方向に誤解されている気がしてならない。

 とにかく変な誤解を解いて、色々と話を聞く必要がある。

 そもそもここにいる人物は全員朔太の知らない者達なのだ。

 朔太はどうにかこの流れを止めようと、懸命に息を吐く。


「あのっ!!!!」


 ──部屋の中に大きな声がこだました。

 頑張って声を出そうとしたが、勢いが強すぎて想定の三倍は大きな声量となってしまったのだ。

 女と初老の男からすれば、朔太が急に怒鳴り声を出したように見えたであろう。

 場の空気が冷たく凍るのが朔太にも理解出来た。

 現に女は顔面を蒼白させて、金魚のように口をパクパクとさせるばかりで、初老の男も驚いたように動きを止めている。


(やっちまった)


 これだからコミュ障が無理に喋ろうとすると駄目なのだ。

 朔太の頭にこれまで幾度となく焦って空回りしたトラウマが蘇る、それらは再び朔太を石にさせるのに十分すぎる材料だった。

 結局その後、誰かが口を開くのに5分、事態が多少の進展を見せるのに更に10分の時を要することになった。





「───ひとまず朝食に致しましょうか」


 初老の男の提案に朔太は何度も頷いて了承の意を示す。

 喋る事を諦めた朔太は、首の傾きだけでコミュニケーションを取る方法にいきついていた。

 初老の男もやぶ蛇をつついてその尻尾を踏みたくは無いとばかりに、当たり障りのない対応に切り替えている。

 しかしそのお陰で変な詮索をされることもない。


「メイリィ、取り敢えずお前は朝の準備をしなさい」


「…………はい」


 メイリィと呼ばれる女は、まるで世界が終わったかのような様相で、そろそろと部屋を出ていく。

 返事に生気が宿っていない。


「坊っちゃんもこちらへ」


 仰々しく差し出された手を、数秒の躊躇いを挟んで、朔太は取る。

 ベッドから降り立つと、ふと違和感に襲われた。

 その違和感の正体にはすぐに気が付く。

 自分の目線が明らかに低いのだ。

 先程までかなり小さく見えていた初老の男、並び立った朔太の視線はそれよりもなお低かった。

 その原因は直ぐに判然とすることになる。

 何故なら、男に連れられるがまま部屋を出れば、そこには大きな鏡窓が存在したからだ。


 ────そこに映る姿は誰であろうか。

 鮮血に染めたかの如く赤黒い髪は、肩にまで垂れ下がり、黄金に淡く光る目は鋭くつり上がっている。

 口には犬歯が鋭く伸び、まるで一匹の獣かのようだ。

 だがそこに野性的な下品さは一切なく、むしろ気品さえ感じさせる。

 そして……極めつけに頭の側端、耳の上辺りからは立派なツノが二本生えていた。

 背丈顔つきは正しく子供である。

 しかし、その幼さを残した風貌に反して、見る者を恐怖させるかのような有り様に、朔太は本能的な違和感を感じた。

 鏡に映る人外な生物。

 その正体が自分であることに理解が達した時。


(なんっじゃこりゃあぁぁぁあっ!!)


 心の中で朔太は絶叫した。





──────


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