第25話『霧の鹿角』・下

「タロン殿――ッ!!」

「……ッ!!」


 俺の声で後ろへ振り向いたタロンは、土を巻き上げながら迫り来る真っ白な角を間一髪のところで避けた。よかった……村長も無事のようだ。


「アテナ!」

「はい!」


 繋がりを通してアテナへ魔力を注ぎ込むと、白銀の鎧が燐光りんこうを帯びて幻想的に輝き始める。

 手元へ槍とアイギスの盾を顕現けんげんさせたアテナは、周囲の霧が薄れるほどの速さで『霧の鹿角ろっかく』と思わしき魔獣へと突撃していった。


「ハァァッ!」

「――馬鹿な、空振りだと!?」


 裂帛れっぱくの気合いを込めて振り下ろされた槍は、魔獣の白い毛皮を切り裂くことはなく、勢い余って地面に大きなくぼみを作る。

 大きな角まで合わせると、二階建ての家に相当するほど大きな体を持った『霧の鹿角』は、その真っ赤な目で俺たちを見下ろすように首をもたげた。


「アテナ、手応えは?」

「槍で体を切り裂いたはずだったのですが……」


 バックステップで俺の前へ戻ってきたアテナへ尋ねると、困惑したような声で攻撃が当たらなかったという。


「ここは『霧の鹿角』の結界の中だ。『嵐の孤狼』が嵐を操ったみたいに、霧を利用して攻撃してくるかもしれない。油断は禁物だ!」

「霧……ありがとうございます、主様!」


 アテナも分かっているだろうが、『霧の鹿角』は『嵐の孤狼』と同じく何らかの特殊能力を獲得している可能性が高い。名付きの魔獣に進化した時に獲得したのは、霧を操る力だと見ているが何か見落としている場合もある。


 アテナはハッと何かに気付いたように、目を大きく見開いた後、再度『霧の鹿角』に攻撃を仕掛けた。


「やぁぁ――ハッ!」


 アテナは槍を肩口に構え、『霧の鹿角』に攻撃すると見せかけて槍の石突いしづきを地面に突き立てて急ブレーキをかける。巨大な鹿角を振り下ろして迎え打とうとしていた『霧の鹿角』は、驚いたように動きを止めた。


「今だ、アテナ!!」


『霧の鹿角』は、アテナの目の前で無防備な姿をさらすこととなる。

 アテナは地面に深々と突き刺さった槍を強引に引き抜くと、目の前にあったくぼみから拳大の石を取り出して、思いっきり投げた。


 直接契約によって身体能力が向上したアテナの投石だ。

 当たればしばらくの間は、脳震盪のうしんとうで動けなくなるはず。仕留めるならば、そこが好機。


 だが、そう簡単に事は進まない。

『霧の鹿角』に直撃すると思われた石は、真っ白な体を通り抜けて背後の森へ飛んでいった。


「馬鹿な!?」

「フィーョ!!」


『霧の鹿角』が甲高い鳴き声を上げた後、突然目の前の霧が濃くなって『霧の鹿角』の姿がぼやけていく。

 アテナが間髪入れず、石を何個も投げるが当たらない。やがて、俺たちの周囲は完全に霧に覆われてしまった。あまりの濃霧に、アテナの姿さえ見えない。


「アテナ、大丈夫か!?」

「主様、伏せてッ!!」


 アテナの焦った声が聞こえた瞬間、『嵐の孤狼』を前にした時のような嫌な予感――死が手招きするあの感覚を感じた。


 ――狙いは俺か!!

 反射的にしゃがみ込むと、うなりを上げて巨大な質量が通過していく。


「主様!! そのまま伏せていてください!」

「俺は無事だ!」


 霧の向こう側からアテナの声が聞こえた瞬間、俺の頭上を金色の槍が凄まじい風切り音とともに飛んでいく。俺の背後に現れた『霧の鹿角』へ向けて、アテナが投槍とうそうを行った。

 槍の後を追うように、霧の中から飛び出してきたアテナが盾をかかげて、『霧の鹿角』の攻撃から俺を守る。


「主様、早く後ろへ!」


 盾に角が打ち付けられて、ガンッという衝撃が俺の体を通り抜けていく。すると、村長を抱えたままのタロンが後ろから声をかけてきた。


「ルシェ殿、早くこちらへ!」

「あ、ああ!」


 タロンは右手に短剣を何本か顕現させると、アテナと対峙している『霧の鹿角』向けて投げつける。


「ギャーッ!!」


 俺が役人を背負って走り出した瞬間、魔獣の悲鳴らしき声が空気を揺らした。直後、俺と並走する形で鎧を赤く染めたアテナが現れた。


「すみません、タロン殿。助かりました……」

「いえ、もう少し早く私が気付いていれば……ところで、役人殿は?」

「恐らく、気絶しているだけかと思います」


 俺の背中で気絶している役人の呼吸は安定している。

 突然の奇襲にも関わらず、誰も犠牲者が出なかったことに安堵あんどした雰囲気が広がるも、まだまだ気は抜けない。


「アテナ殿、この場を任せても?」

「タロン殿はどうなさるのですか!?」

「私は、先行して村の様子を見てきます」


 アテナが軽く頷くと、タロンは村長を地面に下ろして霧の中へと消えて行った。後に残されたのは俺とアテナ、腰が抜けたままの村長に目を覚ました役人の四人。


「う、うぅ……何とかなった、のか?」

「役人殿、ひとまず近くに気配はありません。恐らく、ここから去ったのだと思います」


 アテナは血のついた槍の穂先を見ながら言う。何度か攻撃を受け止めた後、『霧の鹿角』は村から遠ざかるように逃げていったようだ。北に向かって、血痕けっこんが続いていたのを見たらしい。


「ひとまず、村へ帰りましょう」

「ええ……」


 役人に村長を背負ってもらうと、俺たちは周囲を警戒しながら村へと戻った。先行したタロンによれば、村に被害はなく村人たちも落ち着いているという。

 怪我人は、腰が抜けた衝撃でギックリ腰になってしまった村長と、全身を打撲だぼくした役人の二人のみ。


「主様、ってご相談があるのですが……」

「どうした?」


 襲撃を受けた夜のこと。

 薪が湿ったことで火が使えなくなった。辺りが暗い中、アテナが真剣な表情で切り出してきた。


「――二人目を召喚する!?」

「はい。どうやったら『霧の鹿角』を討伐できるかについて、今まで考えていたのですが……」


 アテナのお願いは、フォーデンブルクを出る際にもらった召喚紋章紙を使って、二人目の召喚体を呼び出して欲しいというものだった。

 アテナが言うには、『嵐の孤狼』のように直接攻撃してくる相手には滅法強いが、『霧の鹿角』のように姿を隠して攻撃してくるようなタイプには、相性が悪いらしい。


「だが、二人目を召喚してアテナが弱体化したら、本末転倒ほんまつてんとうだろう」

「いえ、『霧の鹿角』の攻撃を受けましたが『嵐の孤狼』よりも軽かったので、問題ありません」

「けどなぁ……」


 実際問題、二人目を召喚すると言っても都合よく『霧の鹿角』に対して相性の良い召喚体を呼び出せるのか。

 俺がそう呟いたところ、アテナがクスクスと笑い出した。


「む、何かおかしいことを言ったか?」

「ふふ……いいえ、主様は無自覚だったのだな、と思うとどうにもおかしくて」


 と言うのも、アテナを召喚したあの時、アテナには俺の願いがハッキリと聞こえていたのだという。ベッドの横に腰掛けたアテナは、昔を懐かしむように当時を振り返る。


「あの時、生きたいと願う主様の心からの叫びが聞こえたのです。私を呼び出した時のように強く呼び掛ければ、必ず応える者が現れますよ」

「そう……なのかなぁ?」

「自信を持ってください、主様。主様は強くて優しい、最高の召喚士なのですから」


 翌朝――時間感覚はとうの昔に狂っているが、恐らく朝。

 タロンに見張りを任せた俺は、アテナと村長、役人に見守られながら召喚紋章紙を地面に広げた。


「我、召喚士ルシェ。なんじを従え共にる者」


 契約を結ぶため、小さなナイフで指先を切って召喚紋章紙へ血を一滴垂らす。

 紋章へ魔力を注ぎ込むと、脈打つように召喚紋章が光を放ち始めた。『霧の鹿角』に対抗できるよう、必死にまだ見ぬ召喚体へ向かって呼びかける。


 ――俺たちと共にこの状況を打開だかいしてエルンテの皆を、ウェンディを、リゼットを……助けてくれ!!


「汝、我が名の下に強大な魔獣を討ち果たさん。呼びかけに応じ、彼方かなたより来たれ!」


 タロンに教えてもらった召喚のための詠唱えいしょうを終えると、目の前が真っ白に染まるほどまばゆい光が一瞬だけ広がった。

 召喚紋章紙が一人でに浮かび上がったかと思うと、周囲の霧が召喚紋章の中心へ向かって吸い込まれ始める。


「フィーーーーヨ!!」


 その時、甲高い声が村に響き渡った。

『霧の魔獣』だ。くそッ、タイミングが悪い。まだ召喚が途中だと言うのに……。


「主様、私とタロン殿で村を守りますから、その間に『霧の鹿角』の攻略を!!」

「魔力には気を付けろよ!」

「お任せください!」


 照らし出すように再び白光はっこうで視界が塗りつぶされた。隣に立つアテナは、あらかじめ顕現けんげんさせておいた槍と盾を手に取ると、村の外へと飛び出していく。


 外からタロンとアテナの戦闘音が聞こえ始めた直後、召喚紋章へ吹き込んでいた風がピタリと止んだ。

 霧の中から現れたのは――。


「私の名はスカディ。契約に従い、貴方の忠実な猟犬となろう」


 どこか冷たさを感じる声が耳朶じだを打つ。

 銀の長髪を揺らしながら、クリスタルの弓を携えたスカディと名乗る少女。全身を真っ白な毛皮で覆い、スカートと皮の靴、皮の帽子の下から目の覚めるような碧眼がこちらを見て言った。


「さあ、命令を」

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