第2話 「巻物と汗の日々」
「ねぇ、毎日飽きない?」
私、桜井美沙は隣の席の伊賀忍を見つめる。
一心不乱に書き進めている彼女の顔には大量の汗が流れていた。
3ヵ月見て分かった事だけど、物語が大事なシーンを迎えるといつもこうなっている。だとしてもこの汗の量は異常だ。
伊賀忍は、入学式から今日までずっとここで小説を書いている。友達も作らず、スマホをいじるわでもなく、寝たふりをするわけでもなく、気が付けば一人で延々に書いていた。
はじめはクラスメイトも興味を示していたが、何を聞いても返事ひとつしない彼女にやがてみんな無視するようになった。
6月28日。今日は学校の設立記念日で、午前中で授業は終わりだった。部活に入っている生徒は午後から部活動、入っていない生徒は基本的に帰宅している。
私は特に予定もないんだけど、家に帰っても暇だし、残念ながら池袋や渋谷に遊びにいくような友達もできていなかった。
そして隣の伊賀忍はというと、昼に授業が終わるなり、この時代錯誤甚だしい巻物を取り出し、昼食もとらないまま筆を走らせていた。さっきの私の声も聞こえていないだろう。
私は彼女の顔から滝のように流れる汗を見て、たまらずハンカチを取り出し、顔を拭いてやった。すると「んごぅ」とだけ言って鼻水も拭こうとしやがった。本当に女子かよ。
気まずさに耐えかねて、窓の外を眺めていると、ちょうど向かいにある体育館から女子バレー部の練習風景がちらっと見えた。暑くなってきたため、ドアをあけて換気しているのだろう。大きな掛け声が響くと、こちらまで熱気が伝わるようだった。
私は中学3年生の頃、バレーの公式試合直前で足を怪我した。ちょうど今頃の季節だ。
足首のじん帯を酷く損傷し、中学最後の試合に出れなかっただけでなく、今後激しいスポーツするのにも難しくなってしまった。今でも歩くと損傷部分に違和感を感じるし、雨の日は強く痛むときがある。
こんな終わり方するとは思わなかった。スポーツ推薦ももらっていたし、将来はプロの選手……とまではわからないが、少なくとも可能性はあったと思う。
ほんの一年前の事を想い馳せていると、横でバンっ!と大きな音がして、現実に戻された。
伊賀忍だ。急に立ち上がって机を倒したらしい
「うぃ、へへ、で、できた」
広がりっぱなしの巻物を手に取ると、電灯にすかすようにして見つめている。その緩み切った顔は恍惚という言葉がぴったりと当てはまる。
私が呆気にとられていると、伊賀忍は突然こちらを見て、急に距離を詰めてきた。
大きな目が私をロックオンしている。怖い。
「すっさ、桜井さんこれっ読んで。自信作」
「え?」
「で、でね。最後の主人公のセリフ、ね。桜井さんが考えてほしいの」
「ええ!?ちょ、ちょっと……」
正気か?そう思ったが私は拒否できなかった。伊賀忍の大きな眼は真剣そのものだった。開ききった瞳が持つあまりの訴求力に言葉が発せなくなっっていた。
「じゃ、明日はど、土曜日だから。また月曜日だね」
そう言うと伊賀忍は男物のようなリュックサックを背負い、出ていってしまった。机も倒したままで。
「……ど、どうすんのよこれ?」
私は手渡された分厚い巻物を見て立ち尽くす。変人の自作小説を巻物形式で読むだけじゃなく、締めのセリフを私に一任してきやがった。しかもこれ、男同士の恋愛ものって言ってなかったか?
伊賀忍。なんてやつだ。
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