癒しサロン『シンギュラリティ』
@togakusiky725
第1話
勤労感謝の日とは、働ける喜びや、仕事を与えてくれる会社に感謝をする祝日である。
つまり、祝日であって、会社を休んで良い日ではない。
11月23日に休日を堪能しているサラリーマンなど、僕に言わせれば三流未満だ。感謝の念を忘れている。誰のおかげで働くことができているのだ。
一流を目指すサラリーマンたるもの、規律を持ち、経営者に仕事を頂ける感謝を述べ、日々の業務に邁進すべし。勤労感謝の日は祝日であって、休日ではないのだ。
「夜分遅くに失礼します。株式会社 槍杉の佐藤と申します。弊社は若者の独立・起業を支援する事業をしており、お忙しいところ恐れ入りますが、少しだけお時間よろしいでしょうか――」
IP Phone片手に、出所不明の電話番号リストを上から順にかけ、百数十件目にしてようやく通話が繋がる。数時間ぶりの電話だったが、意外にも僕の口はスラスラとその台詞を述べた。
しかし、言い終えるのと同時に聞こえてきたのはツーツーという無慈悲な機械音だった。
まあそれでも収穫がなかった訳ではない。というのも途中、電話の向こうから舞浜の某テーマパークでかかってそうなメロディーと花火の音が聞こえてきたのだ。これ以上いうと消されかねないので端的にいうが、電話の受電者は祝日をエンジョイしている。はい、収穫終わり。
IP Phoneを勢いよく受話器に叩き付けた僕は、デスクのエナジードリンクを「ああ、これがストロング何某という酒だったらな」と心の中で呟きながら一気に飲み干す。
うっ。頭がキーンとしてきた。
ふと、PCに表示された時刻に目をやる。オフィスが従業員でごった返していたため気付かなかったが、どうやら今は夜の20時らしい。
定時はとうに過ぎているのに、周りはひっきりなしに電話をかけ続けている。よくもまあ日本にはこれだけの携帯電話が溢れているものだなあと、しみじみと思う。
それにしてもうるさい。
僕はそのうるささから逃げるため、何故か今日は静かなブースに視線を向ける。いつもは怒声が響くのになぜだろうか。
うん、考えなくても分かる。だって今日は数十人いる執行役員は全員『日中不在』だからだ。補足だが、弊社の全従業員は80人ほどである。
「今日は勤労感謝の日だから役員いなくて気が楽だよね。どう? 佐藤くん頑張っている?」
窓際の席からニヤニヤとしながらやってきたのは窓際社員の伊藤先輩だった。
あまりに仕事ができないから、社給PCも取り上げられ、勤務時間中ずっと、窓を眺めて過ごしている伊藤先輩が珍しく僕のところに来た。
久しぶりですね。伊藤先輩。何故かこの会社で伊藤先輩が見えるのは僕だけだから、僕のところに来たんですね。
「久しぶりです。はい、今月に入ってテレアポでの契約件数まだ1件しか取れていないので、追い込みをかけている最中です」
「お! すげえな期待の新人。てか、まだこんなくそみたいな無形商材買う奴いるんだな」
お前の5割カットの給料も、僕や無形商材を買っていただいたお客様から出ているんだぞ。そんな言葉が脳裏を過るが口には出さない。
ニヤニヤ顔の伊藤先輩の横で、小林部長が咳払いをする。どうやら窓際社員の伊藤先輩を退職に追い込みたいから見えない人扱いしろとのことらしい。
しかし実情は放置プレイだったとは言え、伊藤先輩は仮にもOJT担当だったのだ。扱いが難しいところである。
まあ僕もそこまで伊藤先輩のことが好きではないから、無視したいのは山々なのだが――
「じゃあさ。頑張っている佐藤君にご褒美。今日夜のお店に連れてったあげる」
「承知しました。喜んでお供させていただきます。この後、本日契約取れなかった反省のロールプレイングがあるので、22時でも大丈夫ですか?」
伊藤先輩は僕がこの会社で最も尊敬する先輩だ。これほどまでに後輩思いな会社の先輩が世の中にいるだろうか。いない人扱いなんてできるわけなかろうが!
「オッケーオッケー。じゃあ俺トイレで怪〇ロ〇イ〇ルやってるから」
そう言いながら、上機嫌でフロアを去っていく伊藤先輩。そんな伊藤先輩の後ろ姿を僕は瞳を輝かせながら見送る。てか、まだ怪〇ロ〇イ〇ルってサービスやってるんだ。
この後、僕は数件のテレアポをこなした後、ロールプレイングという名目で、課長に詰められる。ここまではいつもの日常だ。
けれど、22時になれば社畜という魔法が解ける。それから待っているのはいつもとは違う非日常だ。
そう思えば今日は課長に詰められても、胃がキリキリしない気がした。
この時の僕は、知る由もなかった。この後の運命に。
だって、文章読み返してくださいよ、伊藤先輩は一言も「俺が奢る」なんて言ってないじゃないか。
癒しサロン『シンギュラリティ』 @togakusiky725
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