ノスタルジア with CAT

N 有機

プロローグ 成谷、記憶喪失になる

 桜の花が枯れ、葉で木々が覆われる頃、僕は病室のベッドで窓の外を眺めていた。僕、成谷は癌を患っている。脳腫瘍と診断された上、腫瘍の転移が診られることから僕は余生をただ、生きるしかなかった。


 何故だろうか、僕は何をしたというのだろうか。ただ単純に運がなかったのか。それは誰も知らない。もう全てに何の気力も湧かない。そんなときだった、窓の外に黒猫が現れた。


 ここは二階、しかも窓の外なのでどのようにしてあんなところまで来たのか見当もつかなかった。でも、ただ一つ言えること、それは『可愛い』であった。あの猫に逢ってから僕の世界は色鮮やかになった。猫の単なる仕草そのものに目が釘付けになったのだ。


 毎日毎日、その猫が窓の奥に現れてくれた。それが嬉しかった。


 猫が跳んでどこかへ行ってしまった。気づいたときには空は暗くなろうとしていた。『また逢えるよな』と考えながら僕は消灯一時間前に目を閉じた。




 それはその日の消灯後、深夜二時の出来事であった。

「緊急です‼、病室○✕△の患者、成谷さんの容体が急変、意識不明の重体です......」


 病院全体は大きなアラートや困惑、恐怖で溢れかえった。


 成谷の体はおぞましい恐怖と共に手術室まで運ばれる。


 手術室では緊迫した空気が続く。

「院長、どうするんですか‼、このままだと患者さんが…」

「酸素の供給量を零にしろ」

「はぁぁ⁉、何言ってるんですか、それじゃ、人殺しじゃないですか‼」

「脳死にして、その他臓器を必要な人のためのドナーにする、やむ終えん、早くしろ‼」


 急激な酸素不足により、成谷の体は異常を起こす。だが、それに対してただじっとそれが収まるのを待つ医師たちであった。あるものは嗚咽し、あるものは泣き叫び、あるものは残酷な表情でそれを静かに見ていた。


 とうとう脳に異常をきたし、成谷の死が確定した。

「遺体及び臓器の保存を開始する、いいな?」

 院長の強い言葉に誰も抗うことはできなかった、ただ一人を除いて。突然、先ほどまで反応の無かった脳から信号を受信した。

「は?、なんで脳が機能しているのだ。先ほど脳死が確認されただろうが‼」

 誰もがこの状態を異常だと見た。その騒ぎ声が鬱陶しかったのか成谷の目が開く。

「俺は誰だ?」





 「俺は誰だ?」

「おお、目が覚めましたか。聞こえますか~成谷さ~ん」

 どうやら俺は二度、この言葉を放ったらしい。最初は手術中、次は病室で目覚めたときだ。突然知らない医師に話しかけられたし、自分の身元もわからなかったのだ、当然何が何だか分からず失神した。

 俺は目を覚まし、朧気な記憶からここが病院であることを思い出す......


 「俺は......誰だ?」

「また言うんかい!」と医者のツッコミを食らう。どうやら俺は三回同じことを言ったようだ。

 どうやらこの人は朝霧さんという方のようだ。俺のしゅじい?というのをしているらしく、今まであったことを説明してくれた。


「成谷さん、本当に申し訳ないです」

「俺…成谷って言うんですね、なんで謝るんですか」

「それは今から話す内容で説明します」

「あなたは二十四歳で社会人として仕事をしていました、今はもう退職しましたが」


 どうやら俺はどっかの大きな会社のすごい人だったらしい。

「それで…仕事中に倒れ、検査をしたところ脳腫瘍ということが発覚して…」

 どうやら俺は脳腫瘍という病と診断されて、その腫瘍?というのが転移して治すこともままならず俺は余生をただ、生きるしかなかったようだ。


「それなのに今はその症状は微塵も感じられない、その代わり…」

「みじんって…美味しいの?」

 成谷は記憶がなくなり、今までの経歴を考えると著しく頭が悪くなってしまったのである。

「みじん切りの野菜は美味しい場合…あるよな。そういうのは後々解決すればいいと思いますよ。そんなことよりも重要なことが一つあります」


 不穏な空気が病室全体を覆い尽くす。少し重い荷を背負っているような感触が二人にのし掛かる。

「な、何か命の危険に晒されてしまっているのか俺は‼」

 不穏な空気は濃度を高め、二人の心臓を大きく高鳴らす。

「いいや、違う…私…いや、オレはお前の『友達』だってことだ」

「え?急に何か変わるし、え、心外‼」

「ぐはぁ、圧倒的ストレートパンチ×2」

 何か分からんがめっちゃ仲良かったらしい。

「それで今日は退院する日だ。これからは定期的に来てくれ。本当はお前の家に送っていきたいが仕事が詰まってる。これが住所だ」




 病院の外に出て俺は言われた通りに道を進んでいく。

 雨が地に滴る今日この頃、成谷は路地の隅で傘も差さずただ一人震えながら佇む少女に出会う。フードを被っていて顔はよく見えないが曇ったような眼が地を見つめていた。

「大丈夫か?」と問いかけたとたん、突然頭に電撃のような痛みが生じる。ベッドに寝込む一人の男を窓の外から観察する描写が浮かぶ。これは......何の記憶だ?と成谷は思うが、それどころではなかった。


「大丈夫…」と短く確信の持てない返事に俺は不安を募らせる。

「大丈夫…じゃないだろ、帰る場所あるだろ?」

「無い…しかも自分がよく分からないんだ、今日生まれてきたみたいで」

 生まれてきた…今日?何を言っているのかさっぱり分からないが、何だか今の自分に似ているようで感慨深いと成谷は思う。

「じゃあ、俺の家来るか?」

「え⁉それは......いいの?」

「遠慮すんなって」

 そう言って成谷はこの少女を連れながら家に帰る。


 どうやら俺は自分の家らしきところについたようだ。

 成谷の家は比較的新築のマンションでその三階部分にあった。彼らはリビングにまで足を踏み入れる。

「そういえば聞いてなかったが名前は?俺は成谷慧人」

「ボ…ボクは黒瀬凜々花、実は......」

「昨日までの記憶が無い......は?」


 何ということだ、この二人、両方記憶が無い‼


 「俺もそうなんだよ。今日、初めて自分の家に帰ってきた」

「え!?そうなんですか!?不思議......ですね」


 「とりあえず入るか......ん?」


 あれ?ドアってどうやって開けるんだっけ?


 「ドアの開け方わかるか?黒瀬」

 「えー!えっと......貸してください」


 黒瀬は難なくドアを開ける。成谷は鍵をドアで回転させることに驚き、未知の感覚に心踊る。


 「中はどうなってるんだろうな」


 「楽しみですね」


 二人はドアを開け、成谷の忘れた記憶にあるはずのマンションの一室へと足を踏み入れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノスタルジア with CAT N 有機 @nyouik_251

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ