その日、入学式を終え、これからの高校生活に期待と不安を抱きながら、初めて教室に足を踏み入れた僕は、窓際の席に座る一人の女性に目を奪われた。

彼女は、ミディアムロングの淡い栗色の髪を春風になびかせながら、涼しげな表情で文庫本を読んでいた。

「美しい・・・。けど・・・。」

教室に入口でしばし佇みながらまるで絵画のような姿に見惚れ、その後、黒板に目を移して名前を確認し、しばしためらった後、勇気を振り絞り、ゆっくり近づいてその彼女に声をかけた。

「すみません、先輩。そこ僕の席なんですが・・・・。」

彼女は本から目を離し、少し物憂げな視線で僕を見つめてきた。その瞳は美しい鳶色だ。

「君の席？本当？」

「はい。ほら黒板を見てください。座席表に僕の名前が書いてありますよ。」

指を差した先には、黒板に張られた『１－１座席表』というタイトルの模造紙。その窓際の後ろから２つ目の席に、確かに『二宮慎太郎』という名前がはっきりと書いてある。

「・・・・ああ、そうか。ごめんね。」

彼女は、少しだけ黒板を見つめた後、机の横に掛けたカバンを持ってゆっくりと立ち上がった。

意外に背が高い。男子平均身長の僕と同じくらいの身長がありそうだ。

そんなことを思いながらも、話の分かる人でよかったとホッとして席に着こうとすると、彼女は突然動きを止めて僕の方をじっと見つめてきた。

その目はさっきまでの物憂げな様子とはうって変わって、猛禽類を思わせるような鋭さを感じさせる。

「・・・・・ところで、どうしてわたしが先輩だってわかったのかな？」

「えっ、それは入学初日から制服をそんなに着崩してる新入生はいないですし、カバンもそこそこ使い込まれてるようでしたし、そもそも入学式にいませんでしたよね・・・。違いましたか？」

「なるほど・・・いや、間違ってないよ。鋭いね、君。」

そのまま彼女は、カバンを持って歩き出し、ゆっくりと教室から去って・・・・行かない？

なんと、そのまま僕の隣の席に座った。

慌てて黒板を見ると、その席の場所には『北条由里子』と書かれていた。

？？どういうことだ？？

この先輩、今度は別の席を占拠し始めたぞ。さっさと自分の教室に帰った方がいいんじゃないの！？

注意した方がいいのかな？

・・・・まあいいか。なんか怖いし、これ以上関わりたくない。この席の主が来たら、さすがに席を空けるでしょ。

しかし、そのままいつまでも北条由里子さんは現れず、名も知らぬ先輩はその席に居座り、そのうち担任の先生がやってきてＨＲが始まってしまった。

「残念ながら１名欠席ですが、これから１年間、この３９人が１年１組のメンバーとなります。じゃあ、さっそく自己紹介をいこお～！！わたしは担任の東原うららで～す。趣味はスナック菓子を食べながらのゲーム実況動画鑑賞・・・。」

２０代半ばくらいだろうか？担任の東原先生は、不審者１名に構わず自己紹介を始めてしまった。

あれ？欠席って北条さんのこと？

それにしたって、この先輩も何で一緒にHR受けてるの？タイミングを見失って出て行きづらいとか？

先生の自己紹介が終わった後、窓際の前よりの席から順に教壇に上がって自己紹介をすることになった。

僕は目立たないよう、名前と出身中学を話すだけで無難にこなしたが、果敢にボケて笑いを取りに行ったり、趣味をさらけだして同好の士を見つけようとする猛者もいる。

しかし、そんな尖った自己紹介でも温かく受け入れられているようで、クラスの空気は総じて和やかだ。

いい人ばかりでよかったな。ここだったら中学時代と違ってうまくやっていける気がする・・・。

そんな安堵を感じる中、自己紹介は順調に進み、とうとう隣の席まで順番が回ってきた。この先輩、いったいどうするつもりなのか。

ちらちらと横目で様子をうかがっていると、意外にも隣の席の先輩はまったく悪びれることなく立ち上がり、そのまま堂々教壇に向かって歩いていく。

「あっ・・・あなたは・・・いいのよ・・・。」

不審者の存在にやっと気づいたのか東原先生は慌てて止めようとするが、先輩は意に介することなく、そのまま教壇の前に立ち、振り向きざまに、こう言った。

「この学校の１年２組から転生して来ました！北条由里子です！高校１年生は二周目で～す。って！うっかり留年しちゃっただけだろ！！ごっつんこ！！でも、みんなより少しだけ先輩だから、この学校のことはよく知ってるよ。二周目女子の由里子をよろしくね！てへっ♡」

クールな外見にまったく合わないおどけた口調、中途半端に舌を出しながらの不自然な笑顔、両方のゲンコツで頭を叩くようなポーズ、そして振り切った自己紹介・・・。

クラスの空気が一瞬で冷え切り、凍り付くのを肌身で感じた。

「てへっ♡」

この空気に気づいていないのか、彼女はもう一度、ゲンコツを頭に当てながら、不自然な笑顔で舌を出す変なポーズを繰り返した。

しかし、やはり誰も反応しない。いや、反応できない。

この世に地獄があるとすれば、この場以外に考えられるだろうか・・・。

その地獄の一丁目にいるはずの二周目女子さんは、もう一度だけ「てへっ♡」とつぶやいた後、やはり反応がないのを見届けと、おもむろに変なポーズとおどけた表情を解除し、何事もなかったかのように真顔で、そのままスタスタと席に戻って来た。

無意識に横目でちらっと見ると、ちょうど目が合ってしまったが、その瞳にもまったく動揺の色は見えない。

何考えてるんだろ、この人・・・。

メンタルが鋼とかいうレベルじゃないぞ。

もはや人の心がないんか？

「北条さんは、いろいろあって留年しちゃったけど、同じ1組の仲間だから、みんな仲良くしてあげてね・・・。」

さっきまで呆気に取られていた東原先生がハッと我に返って、弱々しい声でフォローした瞬間、クラスの静寂が破られ、急にざわつき始めた。

その後も動揺は収まらず、後の生徒の自己紹介は、終始ざわついた空気の中行われた。

申し訳ないけど、この後、自己紹介で何を話しているかほとんど頭には入ってこなかった。この空気を作り出した元凶がどう思っているのか気になり、チラチラと盗み見したけど、大人しく席に座った彼女の横顔からは特に何も読み取れなかった。

もはや恐怖しかない・・・。

それが二週目女子、北条由里子さんの第一印象だった。